「そーいやケロファンが最近、ちえちゃんに流れていってるらしいよ」
「えええ? ケロがいた頃は歯牙にも掛けてなかったじゃん、あんなお子ちゃま」
「でも知っているだけで何人も……」
「いや、わかるけど。ケロファンとして、今のれおんに惹かれる気持ちはわかるけどもっ(笑)」
てな話をケロメイトとしたのは、いつでしたっけね。
大人のエロ男スキーな、大人のおねーさま方が今注目するイケメン・ランキング、つーのがあれば、れおんくんの急上昇ぶりは目を見張るモノがあるのかもしれない。
つーことで、れおんオチしたら、どーしてくれるんだよおおおっ。の話。
もともと『太王四神記 Ver.II』のタムドク@れおんは好みド真ん中だった。
あの傲慢さと、王者としての風格。天才ゆえの無神経さ。あーゆー攻男は大好物だ。
だからこそ、タカラヅカ・レビュー・シネマ『太王四神記 Ver.II』もまた、ものすごーく楽しみにしていたんだ。あのタムドクにまた会える、と。
ところがどっこい。
スクリーンで見るタムドク@れおんは、舞台で観たタムドク@れおんと、微妙にチガウ人だった。
宝塚大劇場でしか観ていないので、東宝で変化した可能性もあるが、そーゆー意味での違いではないだろうなと思う。
「映画」としてスクリーンに切り取られた世界は、ナマの「舞台」とはチガウ特質を持っていた。
「華」や「存在感」、役者の発する「気」の部分が、映画には映らないんだ。
この大きな違いには、正直驚いた。
ここまで、明らかに違うモノなのか。
舞台役者とテレビ俳優の持つスキルは、こうまで別物なのか。
舞台では華がないと埋もれる。どんだけいい演技をしたところで、まず注目してもらわなければ演技すら見てもらえない。全員が同じ大きさで同じ舞台の上に立っているのだから、客席から誰を見るかは個人の勝手。
テレビや映画では、作品に必要な人しか映らない。華なんてなくても、主要キャラはアップで顔を映すから無問題。他の人は画面にも入らないから、そちらを見ることもない。
タムドクの「大きさ」が、スクリーンからは感じられなかった。
いや、彼が主役で強く賢い王子様だとはわかる。そうじゃない、脚本に描かれていない部分の「王者」としての大きさ。彼が泣こうが悩もうがまったく関係なく、終始感じていた「王者ゆえの傲慢さ」、それらが影を潜めている。
ふつうに脚本にある通りの、優しい王子様ですがな。
繊細で素直な若者……花組版のまとぶんタムタムに近い部分も見える。
舞台はやはりナマモノであり、お金や時間や労力が大変だけど、劇場に行くしかないんだな、と思い知った。
映像は役者の「気」を映さない。劇場でしか、本来の作品は受け取れないんだ。
劇場で感じた最大の魅力が、スクリーンからでは感じられない。
それはショックだったが、なにしろこちらは先に劇場でホンモノを見ている。このカラダに五感に、ホンモノの魅力は染みこんでいる。
その記憶が、スクリーンで展開される物語によって自動再生されるので、無問題。
二重映しの違和感と、快感。
記憶が舞台で見たれおんの大きさを脳内で再現し、そこにさらに、今目に映っているれおんの繊細な演技が二重に焼き付けられる。
萌え死ぬかと(笑)。
かっこいいのっ。
タムドクがっ、れおんがっ。
あの傲慢な王者が、神に選ばれし者が、こんな悲しげな瞳をするなんて。
彼の強さと大きさを知っているだけに、その強い強い英雄が見せる「弱さ」に胸キュン、ときめきまくりですよーーっ!!(笑)
いやもお、れおんオチしたらどーしてくれるんだ、こんなにこんなにときめかせやがって! 恋しちゃったらどーしてくれんだよお。
ケロファンが今れおん、ての、わかるわ……。
れおんくんの持つ暴力的なエロっぷりが、かつてのケロ兄貴に通ずるモノがある。背を向ける人妻を、後ろから腕を掴んで強引に抱き留める、系のエロが似合う感じっつーか。
でもって、その強引で男くさい瞳の奥に、やさしさとか弱さとかがちらりとのぞいたりしたら、もうノックアウトですわね(笑)。
舞台では、タムドクの王者っぷりに対し、あまりに無力で涙をそそったヨン・ホゲ@かなめくん。
「気」の映らない映画では、ふつーに顔アップだし、歌はかなり加工されて(ときどき口パクと合っていなかったり・笑)底上げされていたし、「もうひとりの主人公」としてフィーチャーされていたと思う。
彼個人は見事に、舞台との差がなかった(笑)。違和感なく眺められた。
や、美しさは全編通してNo.1だと思いますけど。
かなめくんのホゲがあんなにあんなにわたしのツボだったのは、「可哀想度が半端ナイ」からだったんだなと、再確認。
王者タムドクとの器の差が歴然で、ライオンとウサギくらいの差があるのに、ウサギさんが真っ赤な目をして必死になってキバをむいて「フーッフーッ」とライオンを威嚇している様が哀れで涙と萌えを誘ったんだわ。
ところが映画では、どっちもふつーに人間の男の子だったので、ホゲがそれほど哀れじゃない……。
もちろん、人間同士にしたってタムドクに勝てないことは一目瞭然なんだけど、「ライオンを威嚇するウサギ」の図ほど萌えない……。
あ、なんだ、こういうことなのか。
と、最初のあたりで気が付いたので、映画ではタムドクのみに集中。タムドク中心に楽しみました。そりゃ映画だからオペラでただひとりをガン見、てなことはできないけれど、気持ちの上でタムドク視点。
彼だけに感情移入して見切ったので、じつに気持ちよくときめきまくりました(笑)。
ああ、タムドクかっけー!
彼をもっと見たい、彼の物語を見たい。
素直に、そう思いました。
「えええ? ケロがいた頃は歯牙にも掛けてなかったじゃん、あんなお子ちゃま」
「でも知っているだけで何人も……」
「いや、わかるけど。ケロファンとして、今のれおんに惹かれる気持ちはわかるけどもっ(笑)」
てな話をケロメイトとしたのは、いつでしたっけね。
大人のエロ男スキーな、大人のおねーさま方が今注目するイケメン・ランキング、つーのがあれば、れおんくんの急上昇ぶりは目を見張るモノがあるのかもしれない。
つーことで、れおんオチしたら、どーしてくれるんだよおおおっ。の話。
もともと『太王四神記 Ver.II』のタムドク@れおんは好みド真ん中だった。
あの傲慢さと、王者としての風格。天才ゆえの無神経さ。あーゆー攻男は大好物だ。
だからこそ、タカラヅカ・レビュー・シネマ『太王四神記 Ver.II』もまた、ものすごーく楽しみにしていたんだ。あのタムドクにまた会える、と。
ところがどっこい。
スクリーンで見るタムドク@れおんは、舞台で観たタムドク@れおんと、微妙にチガウ人だった。
宝塚大劇場でしか観ていないので、東宝で変化した可能性もあるが、そーゆー意味での違いではないだろうなと思う。
「映画」としてスクリーンに切り取られた世界は、ナマの「舞台」とはチガウ特質を持っていた。
「華」や「存在感」、役者の発する「気」の部分が、映画には映らないんだ。
この大きな違いには、正直驚いた。
ここまで、明らかに違うモノなのか。
舞台役者とテレビ俳優の持つスキルは、こうまで別物なのか。
舞台では華がないと埋もれる。どんだけいい演技をしたところで、まず注目してもらわなければ演技すら見てもらえない。全員が同じ大きさで同じ舞台の上に立っているのだから、客席から誰を見るかは個人の勝手。
テレビや映画では、作品に必要な人しか映らない。華なんてなくても、主要キャラはアップで顔を映すから無問題。他の人は画面にも入らないから、そちらを見ることもない。
タムドクの「大きさ」が、スクリーンからは感じられなかった。
いや、彼が主役で強く賢い王子様だとはわかる。そうじゃない、脚本に描かれていない部分の「王者」としての大きさ。彼が泣こうが悩もうがまったく関係なく、終始感じていた「王者ゆえの傲慢さ」、それらが影を潜めている。
ふつうに脚本にある通りの、優しい王子様ですがな。
繊細で素直な若者……花組版のまとぶんタムタムに近い部分も見える。
舞台はやはりナマモノであり、お金や時間や労力が大変だけど、劇場に行くしかないんだな、と思い知った。
映像は役者の「気」を映さない。劇場でしか、本来の作品は受け取れないんだ。
劇場で感じた最大の魅力が、スクリーンからでは感じられない。
それはショックだったが、なにしろこちらは先に劇場でホンモノを見ている。このカラダに五感に、ホンモノの魅力は染みこんでいる。
その記憶が、スクリーンで展開される物語によって自動再生されるので、無問題。
二重映しの違和感と、快感。
記憶が舞台で見たれおんの大きさを脳内で再現し、そこにさらに、今目に映っているれおんの繊細な演技が二重に焼き付けられる。
萌え死ぬかと(笑)。
かっこいいのっ。
タムドクがっ、れおんがっ。
あの傲慢な王者が、神に選ばれし者が、こんな悲しげな瞳をするなんて。
彼の強さと大きさを知っているだけに、その強い強い英雄が見せる「弱さ」に胸キュン、ときめきまくりですよーーっ!!(笑)
いやもお、れおんオチしたらどーしてくれるんだ、こんなにこんなにときめかせやがって! 恋しちゃったらどーしてくれんだよお。
ケロファンが今れおん、ての、わかるわ……。
れおんくんの持つ暴力的なエロっぷりが、かつてのケロ兄貴に通ずるモノがある。背を向ける人妻を、後ろから腕を掴んで強引に抱き留める、系のエロが似合う感じっつーか。
でもって、その強引で男くさい瞳の奥に、やさしさとか弱さとかがちらりとのぞいたりしたら、もうノックアウトですわね(笑)。
舞台では、タムドクの王者っぷりに対し、あまりに無力で涙をそそったヨン・ホゲ@かなめくん。
「気」の映らない映画では、ふつーに顔アップだし、歌はかなり加工されて(ときどき口パクと合っていなかったり・笑)底上げされていたし、「もうひとりの主人公」としてフィーチャーされていたと思う。
彼個人は見事に、舞台との差がなかった(笑)。違和感なく眺められた。
や、美しさは全編通してNo.1だと思いますけど。
かなめくんのホゲがあんなにあんなにわたしのツボだったのは、「可哀想度が半端ナイ」からだったんだなと、再確認。
王者タムドクとの器の差が歴然で、ライオンとウサギくらいの差があるのに、ウサギさんが真っ赤な目をして必死になってキバをむいて「フーッフーッ」とライオンを威嚇している様が哀れで涙と萌えを誘ったんだわ。
ところが映画では、どっちもふつーに人間の男の子だったので、ホゲがそれほど哀れじゃない……。
もちろん、人間同士にしたってタムドクに勝てないことは一目瞭然なんだけど、「ライオンを威嚇するウサギ」の図ほど萌えない……。
あ、なんだ、こういうことなのか。
と、最初のあたりで気が付いたので、映画ではタムドクのみに集中。タムドク中心に楽しみました。そりゃ映画だからオペラでただひとりをガン見、てなことはできないけれど、気持ちの上でタムドク視点。
彼だけに感情移入して見切ったので、じつに気持ちよくときめきまくりました(笑)。
ああ、タムドクかっけー!
彼をもっと見たい、彼の物語を見たい。
素直に、そう思いました。
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