残骸を踏む音と、砕け散る音と。@パッサージュ
2010年3月4日 タカラヅカ 今さら『パッサージュ』の話。
ハマコが歌ウマなことは、誰もが知っている。
でもタカラヅカにおいての歌唱力には、ハッタリ力というかスター力というか、別のモノも大きく作用していて。
ハマコはハッタリもスター力もとっても持ち合わせている人(笑)で、彼がどーん!と歌うと「はい、歌ウマさんですね!」とひれ伏してしまうというか、「わかったわかった」という気持ちになるというか。
本当の意味で、「ハマコってマジ歌ウマぢゃね?」と思ったのは、『パッサージュ』ではないかと思う。
過去に囚われた女が足を踏み入れたカフェ。
そこのギャルソン@ハマコが歌う。
♪玻璃の裏通りの硝子の屋根薄汚れたカフェがある
この歌がすごく好きで。
ハマコの歌からはじまるこの曲、さまざまな人々の人生が交錯する。
そして、ハマコの「♪また同じ」というフレーズで、終了する。
オギー節全開の言葉遊び、韻を踏みまくった言葉の洪水。
軽妙な曲なのに、そこに歌われているモノ自体は、重い。というか、閉塞感がある。
絶望と否定。それすらも達観した諦観。
ハマコの深みのある声が、あやういコーラスを支える。
ハマコってマジ歌ウマじゃね? この歌、よく歌えるもんだよヲイ。
そう思った。
そして、ハマコですらこんだけ大変そうな歌を、ワタルくんに歌わせるオギーのチャレンジャーぶりに感心したり(笑)。
いつものカフェ、いつもの人々。
いつもの絶望、いつもの孤独。
軽妙に描き出される、毒の鋭角さ。
鋭すぎると、切られたことすら気づかない。
その「いつも」の世界から、舞台は夜、裏社会へ移る。
青年@ブンちゃんが足を踏み入れる夜の街。マフィアが支配する世界。
でもそれはまだ、「こちら側」でしかない。
青年はさらに裏世界へ……「あちら側」へ迷い込む。
片翼の少女@まひるちゃんが囚われている真夜中のサーカス団。
こちらとあちらの境目。トワイライト・ゾーンのカオス。
そしてついには、美貌の王@トドが支配する地獄へ。
♪黒い硝子はひび割れて澱んだ闇がにじみ出す
トドロキのとんでもない美貌。堕天使コム姫といづるんの毒。
美穂圭子ねーさまの暗黒の歌声。
でも、このいかにもな「闇」は実はあんまし破壊力大きくないんだよね。
マフィアたちがダークなのも、地獄がダークなのも、とーぜんじゃん?
でもって、これらの世界は、現実で生きているわたしたちに関係なくね?
この一連の場面で、いちばんヤヴァイのは、サーカス団ですわ。こちらとあちらの境目、アレはやばい(笑)。
マフィアに翻弄されるプンちゃんはエロいし、トド×ブンの耽美っぷりをとことん堪能させてもらえる地獄も、大好きな場面なんだけど。
そのあとなんだよな、いちばんこわいのは。
華やかな中詰めのあと、物語の核心。
「硝子の空の記憶」と、このショーのサブ・タイトルが付けられた場面。
そう、ハマコの歌声で綴られる場面。
圭子ねーさまと、ハマコが歌う、「ホリデー」。
歌詞はなく、スキャットのみ。
男と、死にゆく女のダンスに続いて展開する、恋人同士のダンス場面。
硝子の砕け散る音のあと、ノイズまじりの遠い歌声。
ここの破壊力が、ハンパなくて。
表情や感情の消えた操るようなダンスと、別れていく男女。
すべてのカップルが、みな背を向けて別れていく。壊れていく。
そのこわさ。うつくしさ。
ハマコの歌声っていうと、いつもどーん!と元気で押しつけがましくて、無視できない、主役でなきゃならない系の歌声で。
うまいことはわかるけど、ちょっと抑えてくれてもいいんじゃね?的な。
そんな思い込みが、消える。
こんな歌い方も、できるんだ?
音楽が、耳について離れない。
そののちの海の場面の旋律に姿を変えても。
観終わったあとに残るのは、圭子ねーさまとハマコの歌声。
海の追憶はひたすら美しくて。
美しすぎて、泣けて泣けて仕方なかった。
手のひらに残る、残骸。
もう決して帰らないもの。
白い光がまぶしければまぶしいほど、過去は絶望となり現在を蝕む。
無邪気に踊る天使@コムの美しさと。
そして、彼の慟哭。
カメラは映してくれなかったけれど、壊れた人形のように、つかれたにんげんのように、肩を落として去っていく、後ろ姿の痛さ。
スイッチが入るのは、ハマコの歌声だったんだなあと思う。
ハマコが歌ウマなことは、誰もが知っている。
でも、あんな風にハマコを使った人は、オギーが最初だったと思う。
力強くて陽性で押しつけがましい……そんなハマコを持ってして、儚いモノを描く。
ハマコが卒業してしまう。
それはわたしにとって、「わたしの雪組」の区切りでもあるんだな、と、今さらながらに思う。
組カラー尊重は大切だけど、こだわりすぎるのはナンセンスだし、トップさんが替われば組自体が変わっていいと思う。
自分の好きだった・よく観ていた時代のカラーや雰囲気に固執するのは馬鹿げている。
そうやって今までもトップスターの代替わりを見守り、受け入れてきた。
でも実際のところ、トップスターより、こんなところで代替わりってのは実感するもんなんだね。
わたしにとっての雪組って、コムちゃん卒業あたりまでなのかなあ、とぼんやり思う。贔屓の変化と共に、担当する組も変わっていくわけだから。わたしが雪担だったのは昔のこと。コムちゃん時代ですら、贔屓も贔屓組も別だった。
でも、わたしがこの世界に入ったのは雪組で、雪組があってこそ、今のわたしがある。雪組はずっと特別だ。
そして、そのコム時代の雪組の名残が今また、消えようとしているんだなと、思ってみたり。
今の雪組を否定するわけではなくてね。
ぶっちゃけ、年寄りの懐古趣味ですよ。
ハマコが歌ウマなことは、誰もが知っている。
でもタカラヅカにおいての歌唱力には、ハッタリ力というかスター力というか、別のモノも大きく作用していて。
ハマコはハッタリもスター力もとっても持ち合わせている人(笑)で、彼がどーん!と歌うと「はい、歌ウマさんですね!」とひれ伏してしまうというか、「わかったわかった」という気持ちになるというか。
本当の意味で、「ハマコってマジ歌ウマぢゃね?」と思ったのは、『パッサージュ』ではないかと思う。
過去に囚われた女が足を踏み入れたカフェ。
そこのギャルソン@ハマコが歌う。
♪玻璃の裏通りの硝子の屋根薄汚れたカフェがある
この歌がすごく好きで。
ハマコの歌からはじまるこの曲、さまざまな人々の人生が交錯する。
そして、ハマコの「♪また同じ」というフレーズで、終了する。
オギー節全開の言葉遊び、韻を踏みまくった言葉の洪水。
軽妙な曲なのに、そこに歌われているモノ自体は、重い。というか、閉塞感がある。
絶望と否定。それすらも達観した諦観。
ハマコの深みのある声が、あやういコーラスを支える。
ハマコってマジ歌ウマじゃね? この歌、よく歌えるもんだよヲイ。
そう思った。
そして、ハマコですらこんだけ大変そうな歌を、ワタルくんに歌わせるオギーのチャレンジャーぶりに感心したり(笑)。
いつものカフェ、いつもの人々。
いつもの絶望、いつもの孤独。
軽妙に描き出される、毒の鋭角さ。
鋭すぎると、切られたことすら気づかない。
その「いつも」の世界から、舞台は夜、裏社会へ移る。
青年@ブンちゃんが足を踏み入れる夜の街。マフィアが支配する世界。
でもそれはまだ、「こちら側」でしかない。
青年はさらに裏世界へ……「あちら側」へ迷い込む。
片翼の少女@まひるちゃんが囚われている真夜中のサーカス団。
こちらとあちらの境目。トワイライト・ゾーンのカオス。
そしてついには、美貌の王@トドが支配する地獄へ。
♪黒い硝子はひび割れて澱んだ闇がにじみ出す
トドロキのとんでもない美貌。堕天使コム姫といづるんの毒。
美穂圭子ねーさまの暗黒の歌声。
でも、このいかにもな「闇」は実はあんまし破壊力大きくないんだよね。
マフィアたちがダークなのも、地獄がダークなのも、とーぜんじゃん?
でもって、これらの世界は、現実で生きているわたしたちに関係なくね?
この一連の場面で、いちばんヤヴァイのは、サーカス団ですわ。こちらとあちらの境目、アレはやばい(笑)。
マフィアに翻弄されるプンちゃんはエロいし、トド×ブンの耽美っぷりをとことん堪能させてもらえる地獄も、大好きな場面なんだけど。
そのあとなんだよな、いちばんこわいのは。
華やかな中詰めのあと、物語の核心。
「硝子の空の記憶」と、このショーのサブ・タイトルが付けられた場面。
そう、ハマコの歌声で綴られる場面。
圭子ねーさまと、ハマコが歌う、「ホリデー」。
歌詞はなく、スキャットのみ。
男と、死にゆく女のダンスに続いて展開する、恋人同士のダンス場面。
硝子の砕け散る音のあと、ノイズまじりの遠い歌声。
ここの破壊力が、ハンパなくて。
表情や感情の消えた操るようなダンスと、別れていく男女。
すべてのカップルが、みな背を向けて別れていく。壊れていく。
そのこわさ。うつくしさ。
ハマコの歌声っていうと、いつもどーん!と元気で押しつけがましくて、無視できない、主役でなきゃならない系の歌声で。
うまいことはわかるけど、ちょっと抑えてくれてもいいんじゃね?的な。
そんな思い込みが、消える。
こんな歌い方も、できるんだ?
音楽が、耳について離れない。
そののちの海の場面の旋律に姿を変えても。
観終わったあとに残るのは、圭子ねーさまとハマコの歌声。
海の追憶はひたすら美しくて。
美しすぎて、泣けて泣けて仕方なかった。
手のひらに残る、残骸。
もう決して帰らないもの。
白い光がまぶしければまぶしいほど、過去は絶望となり現在を蝕む。
無邪気に踊る天使@コムの美しさと。
そして、彼の慟哭。
カメラは映してくれなかったけれど、壊れた人形のように、つかれたにんげんのように、肩を落として去っていく、後ろ姿の痛さ。
スイッチが入るのは、ハマコの歌声だったんだなあと思う。
ハマコが歌ウマなことは、誰もが知っている。
でも、あんな風にハマコを使った人は、オギーが最初だったと思う。
力強くて陽性で押しつけがましい……そんなハマコを持ってして、儚いモノを描く。
ハマコが卒業してしまう。
それはわたしにとって、「わたしの雪組」の区切りでもあるんだな、と、今さらながらに思う。
組カラー尊重は大切だけど、こだわりすぎるのはナンセンスだし、トップさんが替われば組自体が変わっていいと思う。
自分の好きだった・よく観ていた時代のカラーや雰囲気に固執するのは馬鹿げている。
そうやって今までもトップスターの代替わりを見守り、受け入れてきた。
でも実際のところ、トップスターより、こんなところで代替わりってのは実感するもんなんだね。
わたしにとっての雪組って、コムちゃん卒業あたりまでなのかなあ、とぼんやり思う。贔屓の変化と共に、担当する組も変わっていくわけだから。わたしが雪担だったのは昔のこと。コムちゃん時代ですら、贔屓も贔屓組も別だった。
でも、わたしがこの世界に入ったのは雪組で、雪組があってこそ、今のわたしがある。雪組はずっと特別だ。
そして、そのコム時代の雪組の名残が今また、消えようとしているんだなと、思ってみたり。
今の雪組を否定するわけではなくてね。
ぶっちゃけ、年寄りの懐古趣味ですよ。
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