今さら『パッサージュ』の話。

 ハマコが歌ウマなことは、誰もが知っている。
 でもタカラヅカにおいての歌唱力には、ハッタリ力というかスター力というか、別のモノも大きく作用していて。
 ハマコはハッタリもスター力もとっても持ち合わせている人(笑)で、彼がどーん!と歌うと「はい、歌ウマさんですね!」とひれ伏してしまうというか、「わかったわかった」という気持ちになるというか。

 本当の意味で、「ハマコってマジ歌ウマぢゃね?」と思ったのは、『パッサージュ』ではないかと思う。

 過去に囚われた女が足を踏み入れたカフェ。
 そこのギャルソン@ハマコが歌う。
 
 ♪玻璃の裏通りの硝子の屋根薄汚れたカフェがある

 この歌がすごく好きで。
 ハマコの歌からはじまるこの曲、さまざまな人々の人生が交錯する。

 そして、ハマコの「♪また同じ」というフレーズで、終了する。

 オギー節全開の言葉遊び、韻を踏みまくった言葉の洪水。
 軽妙な曲なのに、そこに歌われているモノ自体は、重い。というか、閉塞感がある。
 絶望と否定。それすらも達観した諦観。

 ハマコの深みのある声が、あやういコーラスを支える。

 ハマコってマジ歌ウマじゃね? この歌、よく歌えるもんだよヲイ。

 そう思った。
 そして、ハマコですらこんだけ大変そうな歌を、ワタルくんに歌わせるオギーのチャレンジャーぶりに感心したり(笑)。

 いつものカフェ、いつもの人々。
 いつもの絶望、いつもの孤独。

 軽妙に描き出される、毒の鋭角さ。
 鋭すぎると、切られたことすら気づかない。

 その「いつも」の世界から、舞台は夜、裏社会へ移る。

 青年@ブンちゃんが足を踏み入れる夜の街。マフィアが支配する世界。
 でもそれはまだ、「こちら側」でしかない。

 青年はさらに裏世界へ……「あちら側」へ迷い込む。
 片翼の少女@まひるちゃんが囚われている真夜中のサーカス団。

 こちらとあちらの境目。トワイライト・ゾーンのカオス。
 そしてついには、美貌の王@トドが支配する地獄へ。

 ♪黒い硝子はひび割れて澱んだ闇がにじみ出す

 トドロキのとんでもない美貌。堕天使コム姫といづるんの毒。
 美穂圭子ねーさまの暗黒の歌声。

 でも、このいかにもな「闇」は実はあんまし破壊力大きくないんだよね。
 マフィアたちがダークなのも、地獄がダークなのも、とーぜんじゃん?
 でもって、これらの世界は、現実で生きているわたしたちに関係なくね?
 この一連の場面で、いちばんヤヴァイのは、サーカス団ですわ。こちらとあちらの境目、アレはやばい(笑)。

 マフィアに翻弄されるプンちゃんはエロいし、トド×ブンの耽美っぷりをとことん堪能させてもらえる地獄も、大好きな場面なんだけど。

 そのあとなんだよな、いちばんこわいのは。

 華やかな中詰めのあと、物語の核心。
 「硝子の空の記憶」と、このショーのサブ・タイトルが付けられた場面。

 そう、ハマコの歌声で綴られる場面。

 圭子ねーさまと、ハマコが歌う、「ホリデー」。

 歌詞はなく、スキャットのみ。
 男と、死にゆく女のダンスに続いて展開する、恋人同士のダンス場面。
 硝子の砕け散る音のあと、ノイズまじりの遠い歌声。

 ここの破壊力が、ハンパなくて。

 表情や感情の消えた操るようなダンスと、別れていく男女。
 すべてのカップルが、みな背を向けて別れていく。壊れていく。
 そのこわさ。うつくしさ。

 ハマコの歌声っていうと、いつもどーん!と元気で押しつけがましくて、無視できない、主役でなきゃならない系の歌声で。
 うまいことはわかるけど、ちょっと抑えてくれてもいいんじゃね?的な。

 そんな思い込みが、消える。
 こんな歌い方も、できるんだ?

 音楽が、耳について離れない。
 そののちの海の場面の旋律に姿を変えても。
 観終わったあとに残るのは、圭子ねーさまとハマコの歌声。

 海の追憶はひたすら美しくて。
 美しすぎて、泣けて泣けて仕方なかった。

 手のひらに残る、残骸。
 もう決して帰らないもの。
 白い光がまぶしければまぶしいほど、過去は絶望となり現在を蝕む。

 無邪気に踊る天使@コムの美しさと。

 そして、彼の慟哭。

 カメラは映してくれなかったけれど、壊れた人形のように、つかれたにんげんのように、肩を落として去っていく、後ろ姿の痛さ。

 
 スイッチが入るのは、ハマコの歌声だったんだなあと思う。

 ハマコが歌ウマなことは、誰もが知っている。
 でも、あんな風にハマコを使った人は、オギーが最初だったと思う。

 力強くて陽性で押しつけがましい……そんなハマコを持ってして、儚いモノを描く。

 
 ハマコが卒業してしまう。
 それはわたしにとって、「わたしの雪組」の区切りでもあるんだな、と、今さらながらに思う。

 組カラー尊重は大切だけど、こだわりすぎるのはナンセンスだし、トップさんが替われば組自体が変わっていいと思う。
 自分の好きだった・よく観ていた時代のカラーや雰囲気に固執するのは馬鹿げている。
 そうやって今までもトップスターの代替わりを見守り、受け入れてきた。

 でも実際のところ、トップスターより、こんなところで代替わりってのは実感するもんなんだね。

 わたしにとっての雪組って、コムちゃん卒業あたりまでなのかなあ、とぼんやり思う。贔屓の変化と共に、担当する組も変わっていくわけだから。わたしが雪担だったのは昔のこと。コムちゃん時代ですら、贔屓も贔屓組も別だった。
 でも、わたしがこの世界に入ったのは雪組で、雪組があってこそ、今のわたしがある。雪組はずっと特別だ。

 そして、そのコム時代の雪組の名残が今また、消えようとしているんだなと、思ってみたり。

 今の雪組を否定するわけではなくてね。

 ぶっちゃけ、年寄りの懐古趣味ですよ。

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