「英雄は英雄にしか見いだせない」

 『虞美人』張良@まっつのキャラクタは、まさにこの言葉に集約されているのだと思う。

 いちばん最初、居酒屋に登場し、范増先生@はっちさんと話しているところ。

 やなヤツだな。
 優れた人物を優れていると理解できるのは、優れた人間だけ。韓信@みわっちは優れた人物であるが、愚かな民衆たちにはそれがわからない。韓信の素晴らしさがわかるのは、素晴らしい自分たちだけ。
 張良と范増先生は、ふたりしてそう言っている。

「世の中バカばっかり。まあ、オレたちみたいな天才のことは、衆愚どもには理解できないよな(笑)」

 他のすべてを見下し、上から目線でしたり顔で語る。
 似たもの同士のふたり。史実がどうかは知らないが、『虞美人』の中では師弟関係か、それに近いモノがあるようだ。張良は范増を「先生」と呼び、范増も親しげに物知り顔に振る舞っている。
 通じ合っている安心感ゆえか、平気で己れの「黒さ」を全開にしている。
 この世のほとんどの人間をバカにしていること、自分を英才だと思っていること。この世の価値は自分が認めた相手にしかないと、本気で思っていること。

 「英雄は英雄にしか見いだせない」という言葉自体は、若くして滅びた項羽@まとぶんが優れた人物であったことを、歴史の勝者である劉邦@壮くんが認めていた、というテーマ部分を表してもいるんだが、そっちの話は置いておいて、今は張良のこと。
 劉邦とは違い、張良と范増先生はここで自慢たらしく「……を見いだせるオレってすげえ、オレ最高」と語っているわけだから。

 軍師ふたりの対峙がすごい。
 互いの力量を認め、尊敬し合っているわけなんだが、それすらつまりは「英雄は英雄にしか見いだせない」わけで、「張良(范増先生)を天才と認め、腹のさぐり合いをしているオレってやっぱ天才」という意味だから。

 わたしのよーな劣等感だらけの小物からすると、ぽかーんと眺めてしまうのですよ、彼らの自尊心の高さと選民意識に。
 そこまで自分マンセーできちゃうってすごいなヲイ。
 実際、それだけの才能ある人たちなわけで。ライオンが爪自慢、牙自慢をしている様を、しがない野良猫は震え上がって眺めるしかないというか。

 ライオンである彼らは、自分たちが優れていること、他の動物たちを殺して食えることを当たり前、前提の上で語っている。彼ら的にはそれは当たり前のことなのでわざわざ確認するまでもなく、傲慢なわけでもない、だってライオンに生まれついてしまったから。
 ……という立ち位置からしてすでに傲慢すぎて眩暈がしますが、実際「そう」だから仕方ない、というややこしさ。

 でもって、このやなヤツらなんですが、范増先生は年配であるだけに多少えらそーでも違和感は少ないんですよ。それだけの経験や実績があるのだろう、と思えるから。
 しかし張良は、若い。史実がどうとかではなく、舞台の上の張良さんは青年である。人生経験も范増先生ほどはなさそーなのに、傲慢さは同じくらい。しかも、若さゆえに、さらに傲慢である。
 自分に時間があること、人生がこれからであることに、めっちゃ野心を持っている。若く、まだなにごとも為していないことを、「これから為す」という成功の前提で自信としている。
 范増先生が白髪の老人になってたどり着いた知識レベルに、若い自分が到達していること、今肩を並べて語っていることに、「広い目で見れば、オレって先生よりすごいよな」という自負が透けて見える。

 やなヤツだなー、友だちにはなりたくないなー(笑)。

 で、このライオン2匹の獲物品定め。
 范増先生は、項羽に付くという。項羽のことを優れた人物だと認めているため。
 しかし張良は劉邦を選ぶ。劉邦が項羽より優れているからではなく、操りやすそうだから、という理由で。
 どこまでも、自分中心。

 やなヤツだなー(笑)。

 この最初の登場場面に、張良という男のすべてが集約されている。
 劉邦の軍師だが、ボスLOVEな忠臣というわけではなく、自分の優秀さを問う為の駒として劉邦を利用しているわけだ。
 ゲームプレイヤーのように。

 劉邦を駒として操り、結果彼に天下を取らせたのだから、この物語のラスボス、黒幕であると言える。

 劉邦に対して過剰な思い入れがないため、いつもクール。
 そばにいたいとか思ってないようだし(笑)。

 
 このクールさ、愛情の見えなさは、とてもまっつに合っている。彼の持つ温度と知的な持ち味にハマっている。無理しなくても、クールなインテリに見えるのがまつださん。
 ありがとうキムシン。まっつがとってもまっつだ。
 前回のキムシン作品で役ナシ+台詞4つしかなかった役者とは思えない破格の扱い(笑)。

 
 クールな美形軍師、という記号を持った役、というのもうれしい。なにしろヒョンゴ@『太王四神記』で、同じよーな立場の役なのに「愉快なおじさん」まっしぐらの役作りをされてしまい、「美形まっつが見たい!」とないものねだりしてましたから(笑)。や、もちろんヒョンゴも良い役で大好きでしたけども。

 たくさん出てきてたくさん喋ってくれる、というだけでもうれしい。なにしろ前回の植爺公演では出番が2回(そのうち1回は数分)、台詞は「引け!」の2文字だけだったくらいですから(笑)。

 そーゆー外側の意味でもとてもありかだい役なのだけど、それ以上にありがたく注目している事象は。

 この張良さんはラスボスとか黒幕だとかを超えて、「項羽と劉邦」に対しての「范増先生と張良」だっつーこと。「英雄は英雄にしか見いだせない」の言葉通り、もうひと組の項羽と劉邦だということ。

 虞姫@彩音ちゃんと呂妃@じゅりあもそうだし、多重構造になってるんだよね、「項羽と劉邦」は。
 生き方、立ち位置の対比。ひとつの主題を微妙にアレンジ変えて繰り返すように、「項羽と劉邦」は范増と張良であり、虞姫と呂妃である。

 そーゆー意味で張良さんは、すごく面白い。……やなヤツだけどな(笑)。

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