だから、真っすぐに、飛ぶ。@虞美人
2010年3月24日 タカラヅカ 昔、『ONE-PIECE』というマンガが週刊少年ジャンプではじまった、その連載第1回をおぼえている。
巻頭カラー、最初の1ページ。「おれの財宝か? 欲しけりゃくれてやるぜ」「探してみろ、この世のすべてをそこに置いてきた」英雄の最期、そして“世は大海賊時代を迎える--”
人々の歓声を眺めながら1枚めくるとそこに、喜びを全身で表現しているひとたちの姿。
その作品を好きかどうかをアタマ悪く「涙」で判断するわたしは、ここですでに「このマンガ好きだ」と思った。
最初の1ページと、見開きの表紙。これだけで、ぶわーっと泣けたからだ。
大海賊時代がはじまる。夢に向かって一途に突っ走る時代がはじまる。みんなみんな、待っていたんだ、欲しいモノを欲しいと言って、走り出せる時代を。
わたしには、そーゆーツボがあるらしい。
少年マンガの持つ、「いちばんになりたいツボ」。
少年たちは「オンリーワン」より「ナンバーワン」を求める。いちばん強い、いちばんくわしい、いちばんえらい。とにかく「いちばん」が好き。
みんな等しく素晴らしいから、競うなんて馬鹿らしいのよ、と一列に手をつないでゴールインなんてナンセンス、「優勝したい」と熱望する主人公があくなき努力を重ね、友情やら挫折やらを積み重ね、望みを勝ち取る物語が好きだ。
いちばんになりたい。夢を叶えたい。のぞむ自分自身になりたい。
そのために、自由競争に身を投じる、投じていい、時代の到来。祝砲が鳴る、さあ走れ、欲望のままに、本能のままに。
夢を見ること、希望を持つこと、それはすべの人に与えられるべきものだから。
『ONE-PIECE』の連載第1回のオープニングと表紙に泣くほどわくわくした。
つーことで、わたしはキムシンの描くところの「男はみんな王になりたい」を全面支持。
いちばんになりたい、と瞳をきらきらさせる男たちが好きだ。萌えツボなんだ。
始皇帝の死、戦国時代の到来。
「誰もが天子になれる」……男たちは夢を見る。
『虞美人』は項羽@まとぶんが主役だから、項羽が銀橋に出て「私には羽根がある」と歌うけれど、ほんとのところどの男たちだってそう思っている。
自分こそが天下を取れると、夢を見る。……夢と現実は違い、多くの者たちは見るだけで実行しない、そこであきらめてしまうけれど、見るだけは見る。
そして居酒屋で騒ぐわけだ、誰に付けば得か、生き残れるか。自分が兵を起こし軍を率いて世の中を変えるのではなく、そーゆー特別な人の尻馬に乗ろうとする。
「誰もが天子になれる」と男たちは夢を見るが、実際に歴史に台頭してくるのは限られた男たちだ。
クチばかりの烏合の衆の中、「漢はいないのか」と檄を飛ばすよーに、実際に飛ぶ勇気のあった者と、飛ぼうとしなかった者たちが描かれているんだ。
「私には羽根がある」と内心思っていても、本当にその羽根を使う覚悟のあった者だけが、なにかしらカタチを残した。
項羽の傲慢さが、心地よい。
彼は有言実行、欲望と自負を素直に表し、それゆえの泥も被る。
キレイゴトだけ言って自分ではナニもせず、ナニかした人に文句ばかり言う匿名の民衆たちとは違うんだ。
いちばんになりたい。
最上級のものしか欲しくない、次善のものはそれだけで心を傷つける。
いちばんになったからといって、それでナニがしたいわけでもなさそーなとこが、項羽のあやうさ。
武人だから戦うことに幸福を感じると本人が言うように、いちばんになることだけが欲求で、夢のために努力し続けることこそが幸福で、夢を叶えたそのあとには、特にナニもないんだね。
戦う人であって、治める人ではない。古い時代を破壊して、更地にするために、天が必要とした男。更地の上に新しい時代を築くのは、また別の人の仕事。
そんな項羽だから、虞美人がいる。
いちばんになりたい。なったからといって、どうすることもない、ただなりたいと闘い続ける……そんな男を、受け止め、許容し、肯定し続ける。
項羽はほんっとーに、しあわせだった思う。
裏切られ無惨な最期を迎えるにしろ、最後の言葉は負け惜しみでもなんでもない、ほんとうに心からの言葉だろうと思う。
「私には羽根がある」と信じ、心のままに戦うことが出来た。戦っていい時代に青年期を過ごせた。
大海賊時代の幕開けに歓声を上げた人々のように。夢に生きていい時代に生き、夢に向かって生きた。
周囲の雑音なんか関係なかった、彼のそばにはいつも彼だけを全肯定する愛する女がいた。
そりゃしあわせだろうよ。
ちょっとナイくらい、完璧な幸福の図だわ。
物語は「項羽と劉邦」であり、ふたりの対比を元に進んでいく。
それでも主人公は項羽であり、タイトルは『虞美人』である。
自由に牙をむいていい時代に、信念を貫く自由を行使した男、項羽。
自由だからって、自由に発言したら攻撃されるんだよ、出る杭は打たれるんだから。その矛盾は、普遍的なもの。人間ってそーゆーもの。
その軋みや痛みを、虞美人が癒す。全肯定することで。
泣けるほど主人公は項羽で、テーマは虞美人なんだなと思う。
わたしはもともとキムシンととても波長が合うので、彼の掲げるテーマが好きだ。
彼が描こうとするモノが好きだ。
だから結局のところ『虞美人』も、好きだとは思う。
でもな。
今回のこの『虞美人』に関しては、不満アリまくりだ(笑)。
盛り上がりに欠けるとか人の出し入れがワンパタだとか、前に書いたそーゆーことではなくて。
キムシンらしくないところ。が、いちばん不満(笑)。
もっともっとウザいくらい主義主張を叫ぼうよ。愚かで無責任な民衆の醜さを描こうよ。愛について説教カマそうよ(笑)。
ついでに、トンデモSONGとトンデモ台詞で、タカラヅカ史にまた名前を残そうよ。
もっとカマしてくれると思ってたのになあ。
ふつーになっていて、そこがいちばんつまんない。
根っこの部分は相変わらず大好きなんだが、それを表現する部分がすげー平板だ。
もっとキムシン全開にしてくれりゃいいのに、ナニあのふつーっぷり。ふつーになったらただのつまんない話じゃん。
キムシンのいいところは、「蛇蝎の如く忌み嫌われるモノは書いても、印象に残らないつまらないモノは書かない」ことでしょうに(笑)。
てなわけで、「キムシン節が足りない!」についてはまた別欄にて。
巻頭カラー、最初の1ページ。「おれの財宝か? 欲しけりゃくれてやるぜ」「探してみろ、この世のすべてをそこに置いてきた」英雄の最期、そして“世は大海賊時代を迎える--”
人々の歓声を眺めながら1枚めくるとそこに、喜びを全身で表現しているひとたちの姿。
その作品を好きかどうかをアタマ悪く「涙」で判断するわたしは、ここですでに「このマンガ好きだ」と思った。
最初の1ページと、見開きの表紙。これだけで、ぶわーっと泣けたからだ。
大海賊時代がはじまる。夢に向かって一途に突っ走る時代がはじまる。みんなみんな、待っていたんだ、欲しいモノを欲しいと言って、走り出せる時代を。
わたしには、そーゆーツボがあるらしい。
少年マンガの持つ、「いちばんになりたいツボ」。
少年たちは「オンリーワン」より「ナンバーワン」を求める。いちばん強い、いちばんくわしい、いちばんえらい。とにかく「いちばん」が好き。
みんな等しく素晴らしいから、競うなんて馬鹿らしいのよ、と一列に手をつないでゴールインなんてナンセンス、「優勝したい」と熱望する主人公があくなき努力を重ね、友情やら挫折やらを積み重ね、望みを勝ち取る物語が好きだ。
いちばんになりたい。夢を叶えたい。のぞむ自分自身になりたい。
そのために、自由競争に身を投じる、投じていい、時代の到来。祝砲が鳴る、さあ走れ、欲望のままに、本能のままに。
夢を見ること、希望を持つこと、それはすべの人に与えられるべきものだから。
『ONE-PIECE』の連載第1回のオープニングと表紙に泣くほどわくわくした。
つーことで、わたしはキムシンの描くところの「男はみんな王になりたい」を全面支持。
いちばんになりたい、と瞳をきらきらさせる男たちが好きだ。萌えツボなんだ。
始皇帝の死、戦国時代の到来。
「誰もが天子になれる」……男たちは夢を見る。
『虞美人』は項羽@まとぶんが主役だから、項羽が銀橋に出て「私には羽根がある」と歌うけれど、ほんとのところどの男たちだってそう思っている。
自分こそが天下を取れると、夢を見る。……夢と現実は違い、多くの者たちは見るだけで実行しない、そこであきらめてしまうけれど、見るだけは見る。
そして居酒屋で騒ぐわけだ、誰に付けば得か、生き残れるか。自分が兵を起こし軍を率いて世の中を変えるのではなく、そーゆー特別な人の尻馬に乗ろうとする。
「誰もが天子になれる」と男たちは夢を見るが、実際に歴史に台頭してくるのは限られた男たちだ。
クチばかりの烏合の衆の中、「漢はいないのか」と檄を飛ばすよーに、実際に飛ぶ勇気のあった者と、飛ぼうとしなかった者たちが描かれているんだ。
「私には羽根がある」と内心思っていても、本当にその羽根を使う覚悟のあった者だけが、なにかしらカタチを残した。
項羽の傲慢さが、心地よい。
彼は有言実行、欲望と自負を素直に表し、それゆえの泥も被る。
キレイゴトだけ言って自分ではナニもせず、ナニかした人に文句ばかり言う匿名の民衆たちとは違うんだ。
いちばんになりたい。
最上級のものしか欲しくない、次善のものはそれだけで心を傷つける。
いちばんになったからといって、それでナニがしたいわけでもなさそーなとこが、項羽のあやうさ。
武人だから戦うことに幸福を感じると本人が言うように、いちばんになることだけが欲求で、夢のために努力し続けることこそが幸福で、夢を叶えたそのあとには、特にナニもないんだね。
戦う人であって、治める人ではない。古い時代を破壊して、更地にするために、天が必要とした男。更地の上に新しい時代を築くのは、また別の人の仕事。
そんな項羽だから、虞美人がいる。
いちばんになりたい。なったからといって、どうすることもない、ただなりたいと闘い続ける……そんな男を、受け止め、許容し、肯定し続ける。
項羽はほんっとーに、しあわせだった思う。
裏切られ無惨な最期を迎えるにしろ、最後の言葉は負け惜しみでもなんでもない、ほんとうに心からの言葉だろうと思う。
「私には羽根がある」と信じ、心のままに戦うことが出来た。戦っていい時代に青年期を過ごせた。
大海賊時代の幕開けに歓声を上げた人々のように。夢に生きていい時代に生き、夢に向かって生きた。
周囲の雑音なんか関係なかった、彼のそばにはいつも彼だけを全肯定する愛する女がいた。
そりゃしあわせだろうよ。
ちょっとナイくらい、完璧な幸福の図だわ。
物語は「項羽と劉邦」であり、ふたりの対比を元に進んでいく。
それでも主人公は項羽であり、タイトルは『虞美人』である。
自由に牙をむいていい時代に、信念を貫く自由を行使した男、項羽。
自由だからって、自由に発言したら攻撃されるんだよ、出る杭は打たれるんだから。その矛盾は、普遍的なもの。人間ってそーゆーもの。
その軋みや痛みを、虞美人が癒す。全肯定することで。
泣けるほど主人公は項羽で、テーマは虞美人なんだなと思う。
わたしはもともとキムシンととても波長が合うので、彼の掲げるテーマが好きだ。
彼が描こうとするモノが好きだ。
だから結局のところ『虞美人』も、好きだとは思う。
でもな。
今回のこの『虞美人』に関しては、不満アリまくりだ(笑)。
盛り上がりに欠けるとか人の出し入れがワンパタだとか、前に書いたそーゆーことではなくて。
キムシンらしくないところ。が、いちばん不満(笑)。
もっともっとウザいくらい主義主張を叫ぼうよ。愚かで無責任な民衆の醜さを描こうよ。愛について説教カマそうよ(笑)。
ついでに、トンデモSONGとトンデモ台詞で、タカラヅカ史にまた名前を残そうよ。
もっとカマしてくれると思ってたのになあ。
ふつーになっていて、そこがいちばんつまんない。
根っこの部分は相変わらず大好きなんだが、それを表現する部分がすげー平板だ。
もっとキムシン全開にしてくれりゃいいのに、ナニあのふつーっぷり。ふつーになったらただのつまんない話じゃん。
キムシンのいいところは、「蛇蝎の如く忌み嫌われるモノは書いても、印象に残らないつまらないモノは書かない」ことでしょうに(笑)。
てなわけで、「キムシン節が足りない!」についてはまた別欄にて。
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