『虞美人』の劉邦@壮くんが歪んでいてコワイと書いた。
 無邪気に笑いながら、慕いながらも、項羽@まとぶを殺すことしか考えていない。
 彼が陽気でかわいい男であればあるほど、不気味さが増す。心の病みっぷりに戦慄する。
 項羽を「義兄弟」と愛することと、項羽を殺して自分が天下を取ること。相反する行為なのに、劉邦はそれをあったりまえにひとつの心の中で同時に存在させている。
 よくある、「愛するからこそ、この手で殺したい」とか、「偉大なライバルだからこそ倒したい(勝つこと、殺すことが敬意)」とかですらない。
 そういう意味でのこだわりや意欲を語る場面はない。
 あるのは、義兄弟と慕う場面と、楚を討つためにきらきら野心を語る場面。

 とても少年マンガ的なんだと思う。
 これがスポーツマンガなら、なんの違和感もない。弱小チームのキャプテン・劉邦が「前回の優勝校・楚に勝つぞぉ、項羽に勝つぞぉ。オレたちが優勝するんだー!」とキラキラしているならば。
 試合で勝つことは、ただ勝つことでしかない。項羽を好きなことと、試合に勝つことは同時に存在していても不思議はない。

 しかしコレ、戦争だから。

 敗北者は一族郎党まで皆殺し必須の国の戦争ですから。
 少年マンガと同じノリのライバル観ってどうなのキムシン?!

 劉邦がコワレてるのは、作者のせいだと思います(笑)。

 しかし、そのおかげで劉邦がひどく愉快なキャラクタになっていることは事実。病んだ人、大好物ですから!(笑)

 劉邦は子どもなのかなと思う。
 お気に入りの小鳥の羽をもいで遊んで「動かなくなっちゃった」と泣く幼児。や、アンタそれ自分で殺したんだから! それをすることで相手を傷つけるとか殺してしまうとか、理解していない。
 だから項羽に勝つ、楚を攻めるということが、項羽を殺すことだと理解していない。ただ、項羽と遊ぶことがたのしくて仕方ない。

 命、を、理解していない。

 劉邦は、お気に入りの小鳥の羽をもいで遊んでいるところ。それによって小鳥が死んでしまうなんて、死というものがナニかなんて、根本から理解していない。そんなものがあるということすら理解していない。
 ただ、自分が楽しいからやっている。欲しいからやっている。呂ママも「欲しいなら奪いなさい、アナタはそうしていいのよ。だってアナタは天からソレを許された龍なんだから」と言っている。そんな育てられ方をした、不幸な子ども。

 劉邦に、項羽と同じように、天分の才、羽があったとしたら、それはこの心の歪みっぷりだろう。命を理解せず、無邪気に天使のように命を弄ぶことが出来る。
 悪い、という意識がないので、迷いなくこだわりなく、天真爛漫に戦える。どんな残酷なことでも平気で出来る。
 子どもだから、素直に人の言うことを良く聞く。呂@じゅりあとか、張良@まっつとか。

 天使であるがゆえ、命だとか痛みだとかを理解しないがゆえにのびのびと恐れ知らずに生きてきた劉邦。

 彼が翼を失ったのは、命、を知ったとき。

 義兄弟の項羽を裏切り、調子こいて攻めまくった挙げ句、怒りの項羽にばっさりやられ、命からがら逃げ出したとき。
 自分の命が危なくなってはじめて、劉邦は命がなんたるかを知った。

 羽をもいで遊んだら、鳥は死んじゃうんだよ。死んじゃった鳥は、もう二度と動かないんだよ。生き返らないんだよ。

 今まで誰も劉邦を叱らなかった。羽をもいだら鳥が痛いなんて死んじゃうなんて、誰も教えてくれなかった。「アナタはなにをしてもいいのよ」と言われ、「劉邦サマ(はぁと)」「兄貴(はぁと)」とちやほやされるばかりで、誰も彼の言動を修正しなかった。

 それを項羽がやってのけた。
「この馬鹿野郎、卑怯なことしてんじゃねえ」と横面張り倒されて、劉邦ははじめて自分が間違っていたことを知る。(ちなみに、ヲトメ坐り)
 「私は誰も愛していない」と泣く劉邦ってさ、よーするに、「私は誰からも、愛されていない」ってことだよね。
 劉邦は愛していないのに、平気で愛してくる人々は、劉邦の心なんかどーでもいいと思っている人たちだ。
 本当の心がどこにあるかに興味のない人々しかいないんだ。劉邦の周りには。
 劉邦が意味もわからず小鳥の羽をもいで笑っていても、叱ってもくれない、劉邦の才能を利用することしかしない人たちだ。

 項羽に叱られて、はじめて知る。
 自分が、はだかの王様だと。
 自分を利用する人々に担ぎ上げられ、無知なまま笑っていた。無知なまま、その手を血で染めていた。
 命の意味も知らず。

 劉邦は、生まれ直した。
 傷つけられたら痛いとか、死んだらもう生き返らないとか、そんな当たり前のことを知った。

 その上で。

 彼は、項羽の死を願う。

 今まではゲーム感覚で項羽に勝つことを考えていた。スポーツマンガのように、勝ったり負けたりしながら友情するアレ。
 でも、現実はそうじゃない。彼らがやっているのは戦争だ。かかっているのは命だ。

 劉邦に真実を教えたのは項羽。現実を見せたのは項羽。
 だから劉邦は、項羽を殺さなければならない。
 雛が殻を割って生まれるように、劉邦は項羽を殺さなければ、生まれられない。

 命の意味を知らなかった劉邦は、ある意味天使で、羽のある存在だった。
 だが、その羽はもぎ取られた。項羽によって。
 劉邦はただの人間だった。

 項羽が都を留守にした間に兵を挙げた劉邦は、韓信@みわっちに「項羽には騙し討ちと思われているだろう」と言われ、「えっ、そんな?!」と驚いているくらい、自分のやっていることを理解していなかった。
 彼がやっているのは戦争で、楚に対して兵を挙げるというのがどういうことか、ほんっとーに、わかっていなかったんだ。項羽が怒ることすら、わかってなかったんじゃね?
 挙兵予定を語るとき、とっても無邪気にキラキラしていたもの。

 そんな劉邦だもの、講和のあと張良に「背後から追撃しろ」と言われ、あそこまで苦悩し、慟哭するのはおかしい。
 もともと項羽を裏切って、背後から騙し討ちで挙兵した男が、今さらなんで悩む必要がある? 恭順の証に橋を焼いて見せて、それでもこうやって挙兵したくせに。今まで散々裏切りまくり、ひでーことばっかやりまくりだったくせに、何故今回だけ苦しむ?

 劉邦が、変わったから。
 翼のあった、天使の劉邦じゃない。痛みも死も知らない子どもの劉邦じゃない。
 ただの人間になった劉邦だから。
 人間として、項羽を愛している劉邦だから。誰も愛してくれない中で、ただひとり、劉邦を叱りとばし、何度劉邦が裏切ろうと、許し、信じようとしてくれる項羽だからこそ、愛し……殺したいと、願った。
 今回だけは明確な殺意を持って挙兵し、その上で、講和に応じた。
 それを裏切れと言われたから、苦悩したんだ。

 それまでの劉邦だったら、悩むことなく「ソレ名案♪」と後ろから項羽に襲いかかったろう。小鳥の羽をもいで遊んでいた劉邦なら。

 劉邦は項羽によって、翼を失った。項羽に、ただの人間にされた。……もともと、その程度の器であったにしろ、思い知らされた。
 だから劉邦は、項羽を殺さなければならなかった。

 劉邦として、ひとりの人間として、生きるために。
 愛する者を手に掛けることで、知らなければならない。彼がずっと知らずにいた、「命」というものを。

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