役者の熱演に泣かされる、ことはある。
 それが芝居として正しいのかどうかわかんないけど、本当に泣いている人を見ると、もらい泣きするというか。

 『虞美人』千秋楽。

 項羽@まとぶさんの、泣きっぷりがすごかった。

 自害した虞美人@彩音ちゃんを抱きかかえ、慟哭する項羽。
 ヅカで良くある「**(名前)ーー!!(節を付けて絶叫)」ではない。名を絶叫しないんだ。
 音楽も止まり、ただ項羽の哀しみだけにすべてが集中する。

 台詞があるわけじゃない。
 歌ったり、叫んだりするわけじゃない。

 悲しむ。
 泣く。
 この行為だけに、舞台が止まる。

 長かった。千秋楽の、この場面。
 放送事故?ってくらい、無音時間が続いた。

 長いよ、これがラジオなら無音時間続き過ぎでエラー出てるよ、ここだけ見たら「台詞忘れて止まってる?」てくらい妙に長いよ。
 と、行き過ぎっぷりを冷静に突っ込んでいる自分がいる。

 しかし、それと同時に。

 この長すぎるほどの時間、哀しみに我を忘れている項羽に……いや、まとぶんの熱演に、胸を突かれる。

 声もない哀しみが広がり、ときおり嗚咽が混ざる。

 マジ泣きじゃん、アレ。演技じゃない。そーゆー次元じゃない。
 項羽として、ほんとうに泣いている。魂をふるわせて、慟哭している。

 『虞美人』の主要キャラはアテ書きで、役者とのシンクロ率が高い。虞姫@彩音ちゃんもえらいことになっているが、項羽@まとぶんももー大変。
 
 ただもお、そこにあるのは、「愛しさ」だ。
 項羽が好き。この不器用な男が好き。そう思って見ているけれど、それ以上だ。
 項羽を好きなのか、まとぶんを好きなのかわからない。もちろんまとぶんが演じているからこそ好きなんだけど、それにしたって好き過ぎる。

 愛しくて愛しくて、声なく慟哭する項羽を抱きしめたくなる。
 彼のかなしみが辛すぎて、痛すぎて涙になる。可哀想とか悲しいとかじゃないよ、辛いんだよ痛いんだよ。

 ダメだろコレは。舞台の上で、パブリックな場で、ここまで個人の「かなしみ」を出して良いのか、それってはてしなくパーソナルな部分じゃん!!
 と、わけのわかんないうろたえ方をするくらい、生の感情に圧倒されて泣いた(笑)。

 人間の「真の心」って、伝わるもんだから。心からの言葉と、上っ面だけの言葉は、届き方がチガウ。
 役者ならば技術で、演技で伝えるもんなのかもしれないが、ここは舞台で生でタカラヅカで、まとぶんはとにかく本人のアツいハートでがっつんがっつんトバしてくる。
 彼の芝居を好きになれるか感情移入できるかは、彼のそーゆー芸風を愛せるかどうかなのかなとも思う。

 項羽役は、そのまとぶんの役者としての持ち味、基本スキルを全開に出来る役だ。
 だから項羽なのかまとぶなのか、わけわかんなくなるくらい、入り込んで熱演している。

 ほんとのところ、まとぶんの芸風はわたしの好みではないんだろうけど、そんなこと言ってる場合じゃない、彼の真剣さ誠実さの前に、スカシた態度でなんかいられない。
 力尽くで、振り向かされた、感じ。

 冷静に突っ込んでいる自分がいてなお、彼の熱にさらわれる。彼を、好きだと思う。好きでたまらないと思う。

 静まりかえった劇場内。
 そして、すごく長い時間のあと、ようやく聞こえる、項羽の嗚咽。

 あのなにかが憑依したような時間、空気。
 劇場ってすげえ、演劇ってすげえ。

 
 人間のナマの感情に、魂に触れられる。
 それが、わたしが芝居を好きな理由のひとつなのかなと思う。……テレビでも、DVDでも見られるものを、時間とお金を工面して、劇場に行かざるを得ないのは。

 まとぶさんの芝居っぷりが正しいのかどうかは、わからない。本人がダダ泣きして、それゆえに観客を泣かせるってのが、どうなのか。
 ただ、項羽として慟哭するまとぶさんは、わたしの魂の横面ぶん殴った、くらいにわたしを自分の方へ向かせた。
 
 彼を愛しいと思う。
 地団駄踏みたい勢いで、今、まとぶんが好きだ。

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