5月5日、月組新人公演『スカピン』、わくわくと観に行きました。
それはまたいずれ、日を改めて書くとして、まずは本公演の話。やっぱ時系列順に書かないとダメだ(笑)。
『スカーレット・ピンパーネル』は、大好きだ。
ツッコミどころはいろいろあるし、ほんとーの意味でわたしの好みど真ん中な作品ではないんだけど、やっぱり力のある作品は好きだ。
わたしのアタマの中はまだまだ『虞美人』で、しかも彩音ちゃんMSでも占められている。
そんな状態で月組での再演初日、きりやん・まりもちゃんトップコンビお披露目おめでとー!ってことで、とにかく駆けつけた。
以前『虞美人』はわたしのバイオリズムと合っていない、と書いたが、反対に『スカーレット・ピンパーネル』は合っているんだと思う。
ここで歌が来て欲しい!ってときに歌でどーんと盛り上がり、ここで派手な群衆シーンが欲しい!ってときに群舞とコーラスキターーっ!てな具合に。なんてかゆいところに手の届く、気持ちいい作り。
イケコの『太王四神記』も『カサブランカ』もそうだから、彼はとてもバイオリズムの整った演出をする人だなと。(ちなみに、あとは小柳タンとサイトーくんも、わたしのバイオリズムと合っている。まだ1作しか知らないけど、生田クンもその可能性アリで期待)
小池せんせはほんと、演出うまいんだよなあ。こんなにわくわく盛り上げられるんだから。
そして、音楽の力。ワイルドホーンすげえ、と心から思う。なまじ『虞美人』の音楽がわたしにとってかなりアレだったので、「ドラマティックとは、エンターテインメントとは、こういうこと」と見せつける音楽の力に脱帽。
冒頭の「マダム・ギロチン」から「ひとかけらの勇気」に移る、そのメロディの流れでもお震撼したもんなあ、初演初日から。
月組初日、キャパ・オーバーでアタマから煙を出しつつも、わたしは『スカーレット・ピンパーネル』という「作品」にわくわくした。楽しかった。
さて、前にちょろりと書いたが、わたしがキャパ・オーバーになっていたのは、花組からアタマが切り替わっていなかったこともある。
だが、それだけではなくもうひとつ、初演の印象が強すぎて混乱した、ということも、事実。
どっちがいいとか悪いとかではなく、なんつってもまず郷愁で切なくなるのはもお、年寄りだから仕方ない。
あのころは良かった、じゃないけどさ、もう今はいない人々の思い出が脳裏に再生され続け、なつかしくて寂しくて切なくて。それだけもお、十分泣けるという(笑)。
あああ、大好きだトウコ、あすか、しいちゃん、あかし、コトコト、しゅんくん、ゆーほ……過去にとらわれ、息が詰まる。
初日に見たときはほんと、自分の中で折り合いを付けるに至らなくて、公演を愉しんだけれど、それ以上ではないってゆーか、なんか月組公演を「観た」うちに入らない気がした。
記憶や感情の再確認をしているってゆーか、星組『スカピン』のDVDでも見ている感じってゆーか。
『スカピン』に限らないが、なまじリピートしたりハマっていたりした公演を映像で見ると、とても違和感が強い。自分が実際にナマで観たモノと隔たりがありすぎるためだ。アングルもカットもチガウ、別編集作品のよーに感じる場合が往々にしてある。
だから演じている人がチガウことをアタマでわかっていても、感覚としては星組『スカピン』のDVDを見るとしたら、こんなふうに感じるかもな、と。
そんなどうしようもない部分に生じる、本能的、生理的な感覚。衝動。
『スカーレット・ピンパーネル』という作品を、思い出す。
そして、当時の自分の感情を、思い出す。
それをたどる。再確認する。納得する。
そーゆー段階を踏む、踏む必要がある、整理期間。
それは、新生月組にわくわくしているのとは、別問題。
そんななかで、なにがすごいって、パーシー@きりやさん。
キャラを確立していて、ブレない、初演の記憶に引きずられない。
当時を思い出して切なくなるけど、パーシーに関しては、トウコを二重写しに見ることはない。同じ役なのに、同じことをやってるのに、別物。確実にきりやさんのパーシー。それが小気味よくて、混乱しない。
なんかすごくほっとしたというか、正直助かった。トウコちゃんをいちいち思い出してたら、切なくてたまらなかったよ。ここまで別物で、安定してくれていると、トウコを思い出すこともない。
今、目の前にあるキミだけを愛せる(笑)。
パーシーは、賢しさが魅力であり、ムカつくところでもある。
きりやんのパーシーは生真面目さがイイ。女の子と愛のレッスンに明け暮れるフランス貴族ではなく、同じ遊び人でもアウトドアで健全(笑)なイギリス貴族。
社交家でありながらも、恋には少年のよう、てのがよくわかる。
また、グラパンが遊びすぎてないのもイイ。初日に見たとき、グラパンが「お笑いキャラ」ではなく「異様な男」だったことに、とてもよろこんだ。お笑いも好きだし、かわいかったけどな。
きりやんがヒーローやってる……。
それだけでなんか、感慨深くてなあ。
誰とも間違わない、オーバーラップしてとまどうことがない、きりやんはきりやん。その、存在の強さ。
それがうれしい。
きりやんが今、トップスターとして大劇場に立っている。
そのことを、シンプルにうれしいと思った。よかったと思った。
意味もなく、「お帰り」と思ったよ。
蛇行した長い道のりを経て、本来の道へ戻ってきた……おかえりなさい、きりやん。
おめでとう。
それはまたいずれ、日を改めて書くとして、まずは本公演の話。やっぱ時系列順に書かないとダメだ(笑)。
『スカーレット・ピンパーネル』は、大好きだ。
ツッコミどころはいろいろあるし、ほんとーの意味でわたしの好みど真ん中な作品ではないんだけど、やっぱり力のある作品は好きだ。
わたしのアタマの中はまだまだ『虞美人』で、しかも彩音ちゃんMSでも占められている。
そんな状態で月組での再演初日、きりやん・まりもちゃんトップコンビお披露目おめでとー!ってことで、とにかく駆けつけた。
以前『虞美人』はわたしのバイオリズムと合っていない、と書いたが、反対に『スカーレット・ピンパーネル』は合っているんだと思う。
ここで歌が来て欲しい!ってときに歌でどーんと盛り上がり、ここで派手な群衆シーンが欲しい!ってときに群舞とコーラスキターーっ!てな具合に。なんてかゆいところに手の届く、気持ちいい作り。
イケコの『太王四神記』も『カサブランカ』もそうだから、彼はとてもバイオリズムの整った演出をする人だなと。(ちなみに、あとは小柳タンとサイトーくんも、わたしのバイオリズムと合っている。まだ1作しか知らないけど、生田クンもその可能性アリで期待)
小池せんせはほんと、演出うまいんだよなあ。こんなにわくわく盛り上げられるんだから。
そして、音楽の力。ワイルドホーンすげえ、と心から思う。なまじ『虞美人』の音楽がわたしにとってかなりアレだったので、「ドラマティックとは、エンターテインメントとは、こういうこと」と見せつける音楽の力に脱帽。
冒頭の「マダム・ギロチン」から「ひとかけらの勇気」に移る、そのメロディの流れでもお震撼したもんなあ、初演初日から。
月組初日、キャパ・オーバーでアタマから煙を出しつつも、わたしは『スカーレット・ピンパーネル』という「作品」にわくわくした。楽しかった。
さて、前にちょろりと書いたが、わたしがキャパ・オーバーになっていたのは、花組からアタマが切り替わっていなかったこともある。
だが、それだけではなくもうひとつ、初演の印象が強すぎて混乱した、ということも、事実。
どっちがいいとか悪いとかではなく、なんつってもまず郷愁で切なくなるのはもお、年寄りだから仕方ない。
あのころは良かった、じゃないけどさ、もう今はいない人々の思い出が脳裏に再生され続け、なつかしくて寂しくて切なくて。それだけもお、十分泣けるという(笑)。
あああ、大好きだトウコ、あすか、しいちゃん、あかし、コトコト、しゅんくん、ゆーほ……過去にとらわれ、息が詰まる。
初日に見たときはほんと、自分の中で折り合いを付けるに至らなくて、公演を愉しんだけれど、それ以上ではないってゆーか、なんか月組公演を「観た」うちに入らない気がした。
記憶や感情の再確認をしているってゆーか、星組『スカピン』のDVDでも見ている感じってゆーか。
『スカピン』に限らないが、なまじリピートしたりハマっていたりした公演を映像で見ると、とても違和感が強い。自分が実際にナマで観たモノと隔たりがありすぎるためだ。アングルもカットもチガウ、別編集作品のよーに感じる場合が往々にしてある。
だから演じている人がチガウことをアタマでわかっていても、感覚としては星組『スカピン』のDVDを見るとしたら、こんなふうに感じるかもな、と。
そんなどうしようもない部分に生じる、本能的、生理的な感覚。衝動。
『スカーレット・ピンパーネル』という作品を、思い出す。
そして、当時の自分の感情を、思い出す。
それをたどる。再確認する。納得する。
そーゆー段階を踏む、踏む必要がある、整理期間。
それは、新生月組にわくわくしているのとは、別問題。
そんななかで、なにがすごいって、パーシー@きりやさん。
キャラを確立していて、ブレない、初演の記憶に引きずられない。
当時を思い出して切なくなるけど、パーシーに関しては、トウコを二重写しに見ることはない。同じ役なのに、同じことをやってるのに、別物。確実にきりやさんのパーシー。それが小気味よくて、混乱しない。
なんかすごくほっとしたというか、正直助かった。トウコちゃんをいちいち思い出してたら、切なくてたまらなかったよ。ここまで別物で、安定してくれていると、トウコを思い出すこともない。
今、目の前にあるキミだけを愛せる(笑)。
パーシーは、賢しさが魅力であり、ムカつくところでもある。
きりやんのパーシーは生真面目さがイイ。女の子と愛のレッスンに明け暮れるフランス貴族ではなく、同じ遊び人でもアウトドアで健全(笑)なイギリス貴族。
社交家でありながらも、恋には少年のよう、てのがよくわかる。
また、グラパンが遊びすぎてないのもイイ。初日に見たとき、グラパンが「お笑いキャラ」ではなく「異様な男」だったことに、とてもよろこんだ。お笑いも好きだし、かわいかったけどな。
きりやんがヒーローやってる……。
それだけでなんか、感慨深くてなあ。
誰とも間違わない、オーバーラップしてとまどうことがない、きりやんはきりやん。その、存在の強さ。
それがうれしい。
きりやんが今、トップスターとして大劇場に立っている。
そのことを、シンプルにうれしいと思った。よかったと思った。
意味もなく、「お帰り」と思ったよ。
蛇行した長い道のりを経て、本来の道へ戻ってきた……おかえりなさい、きりやん。
おめでとう。
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