でもって、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』。
興味深いのは、新公用の短縮の仕方。
たとえば、『エリザベート』(月雪月)は同じ演出家が毎回担当しているというのに、短縮の仕方が毎回違っていた。どう編集するかは、作品ごとに決まっているわけではない、らしい。
新公『スカピン』の上演時間は2時間。本公演はフィナーレ付きで2時間半だから、カットされるのはかなり少ない場面で済むだろう。
同じようにフィナーレ付き2時間半→2時間に縮めた新公『虞美人』は、2幕半分ぶった切って漫才でつなぐという暴挙(笑)をやってのけた。
『虞美人』の次の公演である『スカピン』で、さあどうなるか。
新公プログラムを開いてまず、ナニがウケたかって、活字の大きさ。
というか小ささというか、行間の狭さ。
紙面いっぱい、これ以上無理!ってくらい、びっちり字が詰まっている。
活字の大きさ自体は変わってないのかもしれないが、詰め込むだけ詰め込んであるので、新聞みたいなびっちり感。紙面、黒っ。
初舞台生公演だから純粋に出演者数が多いんだろうけど、それにしても極端だ。
人数が多くったって、出番とはイコールじゃない。現に、去年の初舞台生公演であった『薔薇に降る雨』新公は、初舞台生の出番はほとんどなく、プログラム紙面の活字量はすっかすかだった。
この新公では、とにかくみんなに出番を、とにかく板の上に乗れと言っているわけだな。
演出家は、生田せんせ。
「生田くんと言えば、『ファントム』だよね?!(笑)」と、幕が開く前にnanaタンときゃーきゃー言ってたんですが、わたしたちの記憶にある、生田せんせの「1本モノを短縮した新公演出」というと、4年前の花組『ファントム』まで遡るのですよ。
とにかく少しでも本編をそのままやりたいと、詰め込むだけ詰め込んで、本編以外の削れるところをちまちまと数秒ずつ削り取っていく、とても神経質なダイジェスト版っぷり。
どのシーンも歌も削りたくないっ、みんなやりたい、やらせたい! というパッションゆえに、なんとも疲れる作りになっていた新公『ファントム』。
『スカピン』新公プログラムを開いた段階では、「生田くん、またアレをやる気?」と思いました。
ほとんどカットされてないっぽいんですが、この真っ黒な紙面を見る限り。
ちまちま数秒ずつ削ってできるだけ本編通りに上演した『ファントム』は、本編通りであるにもかかわらず、良い出来だとは思えなかった。中村Bの本公演演出がイイかどうかは置いておいて、それにすら新公では届いていなかった。演じていた生徒たちの問題ではなく、演出として。
それよりも、すぱっと切るところは切って、代わりに訴えたい部分をどーんと前面に持ってきた、スズキケイ演出の宙組新公『ファントム』の方がカタルシスがあった。
ただの「あらすじ」な演出だとつまんないなあ。
でも生田くんって、『BUND/NEON 上海』の生田くんだよねえ? 4年前の『ファントム』は平板で退屈な演出になっていたけど、今年の『BUND/NEON 上海』は良いエンターテインメントだったじゃん?
変わってる、かもしれない……?
結果。
生田大和、進化してました。
4年前の『ファントム』とチガウ! ちゃんと面白い!!(笑)
本公演では、「マダム・ギロチン」が冒頭に2回ある。
だからソレを、1回にしてしまった。
デュハースト@鳳月杏くんとドゥ・トゥルネー伯爵@篁祐希くんの冒頭の会話だけそのままで民衆たちは出ない。
現在のパリの説明と「スカーレット・ピンパーネル」の説明を本公演まんまにやってのけ、そこへその「スカーレット・ピンパーネル」……パーシー@たまきちがせり上がってくる。
いやあ、後ろ姿でせり上がり、照明を浴びて振り返りで主題歌「ひとかけらの勇気」ですよ、この「主役っ!」演出に、最初から拍手した。
主演のたまきちくんにもだが、演出の生田くんにも(笑)。
星組版も同じく「マダム・ギロチン」は1回にまとめられていたと思う。民衆は登場せず、デュハーストと伯爵ふたりの会話にパーシー登場。
でも星組版のパーシーは本舞台ゼロ番せり上がり→銀橋ではなく、いきなり銀橋ソロだったはず。歌は歌で独立、物語はストップして、とにかく主役による主題歌披露。
で、本公演通りの時系列でコメディ・フランセーズにつながっていたと思う。
が、月組版は。
本公演でパーシーの「ひとかけらの勇気」歌唱中にパリ市民の暗い現実が挿入されるように、マルグリット@りっちーとショーヴラン@ゆりやくんのやりとりがカットインされていた。
歌が歌なだけではなく、同時に物語も進行しているの。
コメディ・フランセーズは無しか!
ヒロインが華やかな女優であることを示す唯一の場面だが、華やかさよりも堅実な技術を買われてヒロインを務めるりっちーには、深刻なドラマ場面としての登場の方がイイ。彼女には合っている。
まずギロチンを見せて暗い情勢を語り、みんなの希望!としてヒーローが登場、彼が「勇気」を歌う中、主要人物らしい女と男が、なにかしら深刻な取引をしている……って、このはじまりは正しいっしょ。
新公だとか短縮版だとか以前に、このキャストで『スカーレット・ピンパーネル』というひとつの物語として作る上で。
……ということで、続く~~。
興味深いのは、新公用の短縮の仕方。
たとえば、『エリザベート』(月雪月)は同じ演出家が毎回担当しているというのに、短縮の仕方が毎回違っていた。どう編集するかは、作品ごとに決まっているわけではない、らしい。
新公『スカピン』の上演時間は2時間。本公演はフィナーレ付きで2時間半だから、カットされるのはかなり少ない場面で済むだろう。
同じようにフィナーレ付き2時間半→2時間に縮めた新公『虞美人』は、2幕半分ぶった切って漫才でつなぐという暴挙(笑)をやってのけた。
『虞美人』の次の公演である『スカピン』で、さあどうなるか。
新公プログラムを開いてまず、ナニがウケたかって、活字の大きさ。
というか小ささというか、行間の狭さ。
紙面いっぱい、これ以上無理!ってくらい、びっちり字が詰まっている。
活字の大きさ自体は変わってないのかもしれないが、詰め込むだけ詰め込んであるので、新聞みたいなびっちり感。紙面、黒っ。
初舞台生公演だから純粋に出演者数が多いんだろうけど、それにしても極端だ。
人数が多くったって、出番とはイコールじゃない。現に、去年の初舞台生公演であった『薔薇に降る雨』新公は、初舞台生の出番はほとんどなく、プログラム紙面の活字量はすっかすかだった。
この新公では、とにかくみんなに出番を、とにかく板の上に乗れと言っているわけだな。
演出家は、生田せんせ。
「生田くんと言えば、『ファントム』だよね?!(笑)」と、幕が開く前にnanaタンときゃーきゃー言ってたんですが、わたしたちの記憶にある、生田せんせの「1本モノを短縮した新公演出」というと、4年前の花組『ファントム』まで遡るのですよ。
とにかく少しでも本編をそのままやりたいと、詰め込むだけ詰め込んで、本編以外の削れるところをちまちまと数秒ずつ削り取っていく、とても神経質なダイジェスト版っぷり。
どのシーンも歌も削りたくないっ、みんなやりたい、やらせたい! というパッションゆえに、なんとも疲れる作りになっていた新公『ファントム』。
『スカピン』新公プログラムを開いた段階では、「生田くん、またアレをやる気?」と思いました。
ほとんどカットされてないっぽいんですが、この真っ黒な紙面を見る限り。
ちまちま数秒ずつ削ってできるだけ本編通りに上演した『ファントム』は、本編通りであるにもかかわらず、良い出来だとは思えなかった。中村Bの本公演演出がイイかどうかは置いておいて、それにすら新公では届いていなかった。演じていた生徒たちの問題ではなく、演出として。
それよりも、すぱっと切るところは切って、代わりに訴えたい部分をどーんと前面に持ってきた、スズキケイ演出の宙組新公『ファントム』の方がカタルシスがあった。
ただの「あらすじ」な演出だとつまんないなあ。
でも生田くんって、『BUND/NEON 上海』の生田くんだよねえ? 4年前の『ファントム』は平板で退屈な演出になっていたけど、今年の『BUND/NEON 上海』は良いエンターテインメントだったじゃん?
変わってる、かもしれない……?
結果。
生田大和、進化してました。
4年前の『ファントム』とチガウ! ちゃんと面白い!!(笑)
本公演では、「マダム・ギロチン」が冒頭に2回ある。
だからソレを、1回にしてしまった。
デュハースト@鳳月杏くんとドゥ・トゥルネー伯爵@篁祐希くんの冒頭の会話だけそのままで民衆たちは出ない。
現在のパリの説明と「スカーレット・ピンパーネル」の説明を本公演まんまにやってのけ、そこへその「スカーレット・ピンパーネル」……パーシー@たまきちがせり上がってくる。
いやあ、後ろ姿でせり上がり、照明を浴びて振り返りで主題歌「ひとかけらの勇気」ですよ、この「主役っ!」演出に、最初から拍手した。
主演のたまきちくんにもだが、演出の生田くんにも(笑)。
星組版も同じく「マダム・ギロチン」は1回にまとめられていたと思う。民衆は登場せず、デュハーストと伯爵ふたりの会話にパーシー登場。
でも星組版のパーシーは本舞台ゼロ番せり上がり→銀橋ではなく、いきなり銀橋ソロだったはず。歌は歌で独立、物語はストップして、とにかく主役による主題歌披露。
で、本公演通りの時系列でコメディ・フランセーズにつながっていたと思う。
が、月組版は。
本公演でパーシーの「ひとかけらの勇気」歌唱中にパリ市民の暗い現実が挿入されるように、マルグリット@りっちーとショーヴラン@ゆりやくんのやりとりがカットインされていた。
歌が歌なだけではなく、同時に物語も進行しているの。
コメディ・フランセーズは無しか!
ヒロインが華やかな女優であることを示す唯一の場面だが、華やかさよりも堅実な技術を買われてヒロインを務めるりっちーには、深刻なドラマ場面としての登場の方がイイ。彼女には合っている。
まずギロチンを見せて暗い情勢を語り、みんなの希望!としてヒーローが登場、彼が「勇気」を歌う中、主要人物らしい女と男が、なにかしら深刻な取引をしている……って、このはじまりは正しいっしょ。
新公だとか短縮版だとか以前に、このキャストで『スカーレット・ピンパーネル』というひとつの物語として作る上で。
……ということで、続く~~。
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