「歌劇」であってもここはタカラヅカ、歌の上手さはあまり関係ない。
 と、普段のわたしは思っている。物語好きのわたしは、歌よりも芝居ができない……つーか、芝居がわたしの好みに合わない人の方が、観ていてツライ。
 だから歌唱力はあまり問わない……そりゃうまい方がイイに決まってるけど、うまくないからダメということはまずナイ。

 されど、「歌える」ことによってナニが出来るか出来ないか、見せつけられたなあ、と思った、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』

 新公の配役で、いちばんたのしみだったのはショーヴラン@ゆりやくんだ。
 そこそこ役付きのイイ彼なので、今回もわりとイイ役が付くのではないかという期待はあった。しかし、ショーヴランは、意外だった。ぶっちゃけ、パーシー役が来る方が驚かなかった。

 ゆりやくん自身がどんな人かはまーったく知らないが、舞台上の彼はヘタレ系美青年だ。なにしろジェラルド@『ME AND MY GIRL』、フランツ@『エリザベート』、ジークムント@『ラスト プレイ』と、素敵にヘタレな二枚目をやってきた。
 笑っているのか泣いているのかわからないよーなくしゃっとした笑顔、薄幸さを感じるキャラクタ……顔立ちは別に似てないのに、彼を個別認識するなり「まっつに似てる」と友人が言い張って聞かないよーな、そんな舞台姿。

 あの終始困った顔で舞台に立っている、甘い美形くんがショーヴラン? フランツ役でも「歌、がんばれ」だった彼が、ショーヴラン?
 『スカピン』本公演では金髪巻き毛の「カンチガイオシャレキャラ」として花開いているあのゆりやくんが?

 紫門ゆりや、新境地なるか?
 ちなみに、『夢の浮橋』でも悪役やってたけど、ぜんっぜん足りてなかった彼ですよ?

 ほんと歌唱力はどーでもいいんで、彼のキャラだけ楽しみたくて、わくわくと劇場へ駆けつけました。

 短縮版になっている新公では、ショーヴランはマルグリット@りっちーを脅すところからスタート。劇場閉鎖を解いてほしかったら、侯爵の居場所を教えろと。

 改めて。
 紫門ゆりやは、美形だと思う。

 や、もともと91期ナンバーワンの美形さんだと思っていたけれど。(91期文化祭で顔をおぼえて帰ることが出来たのが、王子様系美形のゆりやくんと、クドくて変な……もとい個性的なまんちゃんのみだったという)
 顔立ちの端正さよりも、八の字眉の泣きそうなヘタレ顔の方が強印象になりがちだった。
 が、しかし、黒塗り化粧できりりっと表情を引き締め悪役をやるゆりやくんは、とても美しかった。

 ああ、美形だわ、美形っていいわ、目と心の潤いだわ。そう思って見ていたんだが。

 えーと。
 歌が。
 ショーヴランの、難曲の数々が。

 大変なことに。

 ……歌唱力は重要ではない、芝居さえ出来れば、と思っていた。
 植爺や谷芝居ならきっと、歌唱力は関係なかったと思う。芝居と歌は分離されていて、「歌=銀橋」で芝居内容とは無関係に番手に必要だからと披露させるだけの意味しかない。

 しかし「ミュージカル」はチガウ。
 「歌=芝居」なんだ。
 歌を歌えないっつーのは、芝居をする技術がないってことになるんだ。

 もうすっかりヅカ作品に慣れていたから、鈍感になっていたよ。そうだった、「ミュージカル」って歌唱力が必要だった! 当たり前のことなのに、すっかり忘れてた。

 ショーヴランの歌は全部「芝居」だ。銀橋で「スターですよ」と示すためにあるのではなく、歌唱力という技術を披露する場でもなく、物語を表現するためにあるんだ。

 もちろん、歌だけの台詞ナシで進む芝居じゃないから、歌がうまくなくてもふつーの芝居部分で取り返せるけど。
 しかし、歌も芝居の一部である以上、歌になるなり芝居技術が落ちる芝居ってのは、見ていてつらい。

 技術ってのは、「器」なんだと思った。
 大きな器があれば、入った水はそうそうこぼれない。ぐるんぐるん揺らしても余裕。
 でも小さな器だとすぐに水がいっぱいになってしまい、動かすことも出来ない。

 歌唱力があれば、水の量は同じでも、自在に揺らし、表現することが出来る。
 反対に歌唱力がないと、こぽさないようにするだけで精一杯、なにかを表現するどころじゃない。

 表現するための技術なんだ。
 たとえば、どんだけ芝居がうまくても日本語の発音が出来ないとか、なにを言っているのか聞き取れないような人がいたら、芝居で感動させるのは難しいだろう。
 まず基本的な技術があって、その上でどんな芝居をするか、表現をするか、なんだ。

 ゆりやくんに技術があったら、どんなショーヴランを見せてくれたんだろうか。

 歌えない彼は、「表現」することが出来ない。
 100まであるメーターの50位のところにフタがされてしまい、それ以上高く飛ぶことが出来ずにいた。
 あのフタさえなければ、彼はどこまで飛べたんだろう? ……フタをしたのは他でもない、彼自身とはいえ。

 
 声を潰してなお、歌芝居を一貫させていたまさおは、うまかったんだなと再確認した。(新公の時点で、みりおショーヴランはまだ見ていない)

 そしてなにより、星組新公の麻尋ショーヴランを思った。
 星組新公がおもしろかったのは、パーシーとショーヴランの拮抗した姿にある。パーシーがペパーミントの風をさわやかに吹かせれば、次の場面でショーヴランが濁った闇で染め上げる、次の場面でパーシーがキラキラお日さま色のオーラを振りまく、といった具合に。場面ごとに別物、パーシーが登場するたび、ショーヴランが登場するたび、がらりと舞台の色が変わる。
 それが、ものすごく面白かった。
 そうやって主役の色を一瞬で打ち消す、麻尋ショーヴランの強さ。
 あれは彼の豊かな歌唱力にもあったんだな。
 「表現」するに足りる歌唱力。麻尋は登場するなりテンションMAXでブチキレてたけど、あれだけ暴走していいほどの技術があった。
 あれだけ抱腹絶倒の舞台を見せてくれたのは、たしかな技術の裏打ちあってこそだったんだ。
 ……へたっぴな人がただテンパって暴走したら、それってただの学芸会だもんなー。麻尋の新公はいつも暴走していて面白かったけど、それってやっぱ彼がうまかったからなんだなー。
 と、今さらなことに感心し、切なくなる。彼はかわいらしすぎる外見で損して、芸風と見た目と劇団の嗜好(美少年には女役や中性的な役をやらせる)と折り合いを付けられないまま退団してしまったよなあ。劇団が彼の芸風に合った骨太な男役をやらせてやれば、彼の男役人生もちがっていただろうに。

 そしてまた、ぜんぜん関係ない『さすらいの果てに』という芝居を思い出したりした。
 Wキャスト作品で、歌が得意でない主役が演じていたときは脚本の粗ばかり目について抱腹絶倒だったけど、歌唱力のある人が主役を演じたときは歌でねじ伏せてしまってそれなりに良い作品だったよーな錯覚を持ったなあ、なんてことを。
 
 
 とまあ、実際に目にしているゆりやくんを超えて、いろんなことに思いをめぐらせてしまいました(笑)。

 んで、結論。
 「表現」するための武器はあった方がイイね、表現者には。

 や、それでもゆりやくんは好きだ(笑)。

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