100万人の嘘。@虞美人
2010年5月29日 タカラヅカ 『虞美人』でいちばん残念だったのは、キムシン節が薄いってことだな。
盛り上がりに欠けるとか戦闘シーンどこ~~?とかはたしかに残念なんだが、いままでのキムシン作品なら多少の残念な部分は、他の派手な部分でぶっ飛ばしてくれた。
よくわかんねーけどーすげー!! で、どっかんどっかん終わることが出来た。
それがなあ、なんかふつーに地味になっちゃって。
もっと説教カマシてトンデモ歌詞のオンパレードで、史実も原作も無関係に、好きに作り直してくれて良かったのに。
史実だの有名エピソードを順番に並べるだけとか、原作をなぞるだけとかだったら、他の作家でもできんじゃん。キムシンにしかできないことを、どーんっとして欲しかった。
とどのつまり、初演があったってことなんだなあ。
同じように元の公演があったのに、自己流に作り替えて上演した『鳳凰伝』のように、タイトルまで変えてしまえたなら、よかったのに。
今回はあくまでも『虞美人』という初演のタイトルを使わなければならなかった。
初演のネームバリューを利用しつつ、初演のような経費は使えない劇団の、苦肉の策。
あわよくば……という姑息な下心で、初演タイトルにこだわりすぎたんだろうなあ。
初演のタイトルを使う以上、初演にある楔から自由にはなれず、不自由なまま少ない経費でコスプレ物を作ったら、なんともチープで地味なモノになってしまった、と。
キムシンにイチから好きに作らせれば、もっとめちゃくちゃでも、とりあえず派手なモノになったのかもしれないのに。
新人公演のように。
今回の新公は、キムシン自身の演出だった。
2幕構成の1本モノを、無理矢理1幕モノにまとめるときに、カーテン前で登場人物に漫才やコントをさせて、話をつないだ。
これくらい、荒唐無稽なことをしちゃう演出家だ(笑)。
でもほんとのとこ、キムシンが好きにしていい新公演出で、いちばんすごかったのは。
初演を無視したことだ。
タカラヅカ史上に残る名作とやらの、『虞美人』。60年も前に初演、以来「赤いけしの花」という主題歌は名曲として歌い継がれている。
……という触れ込みだ。そしてキムシンも、いろんなところで初演に敬意を示しているよーなことを言っている。
今回の再演でも、わざわざこの「名曲」とやらを使っているのだ。
が。
新公では、「赤いけしの花」が使われなかった。
まるっと無視。
なかったこと。そんなの知らな~~い。
そして、タイトルの『虞美人』も無視。
虞姫の死んだ丘に咲く花の話、出てこないんデスヨ? 虞美人草の話ナシっすよ、完無視っすよ!
「赤いけしの花」を歌いながらけしの花の乙女たちが歌い踊り、項羽と虞姫がラヴラヴするオープニングはさっくりカット。
野心まんまんに剣を振るう項羽の場面からスタート。
そして、男たちの野心と戦い中心に描き、虞姫の出番減らしても范増と張良の別れ場面はきちんと入れ(笑)、「赤いけしの花」は四面楚歌場面でちらりとハミングされるのみで終了、項羽の自害で物語自体も完。
劉邦が「赤いけしの花」を歌うラストシーンも、その歌の中で項羽と虞姫がラヴラヴするエンディングもナシ。
タカラヅカ史に残る「名曲」を、ばっさりカット、なかったこと。
項羽の英雄譚であり、虞姫はその相手役止まり、タイトルロールにはなりえない。
あんだけ初演を持ち上げておいて、コレですか(笑)。
初演では虞姫が自害する四面楚歌場面で終わっているという。だがキムシンは自作であえてそのあと、項羽の最期まで描いた。
オープニングの伏線ナシに四面楚歌やって、項羽自害でエンドになる新公では、四面楚歌の盛り上がりが薄い。クライマックスは楚漢の戦闘と講和、そして項羽自害だ。作品の力点が変わってしまっている。
1世紀近く前に書かれたという原作を元に、キムシンが好きに描いていいとなったら、きっと今の『虞美人』とは別物になっていたんだろうなあ。
本公演は彩音ちゃんの退団作であり、彼女の女神っぷりとトップ、2番手のアテ書きっぷりから、『虞美人』という作品としてなり得ているとは思うし、それでいいのだと思うが、それでも残念に感じていることもたしか。
劇団が、初演の名声とやらにこだわらなければ……「名作の再演、という、元手の掛からない宣伝で濡れ手に粟♪」なんて考えなければ……。
高い版権を払って海外の有名ミュージカルを上演するのでもなく、他メディアへ広告を出すのでもない、「タカラヅカの中での名作」という、タカラヅカの中の人しかありがたがらない、経費のかからない宣伝でこの不況を打破できると、劇団の人たちはマジで考えていたみたいだし。
歴史ヲタの弟が「あの**櫓が50年ぶりに公開されるんだぞ!」と大騒ぎしていても、門外漢のわたしはぽかーん、そんなにすごいもんなの? つか興味ないし、わざわざ観に行かないし、世の中の誰もそんなことで騒いでないよ、誰も知らないよ? ……みたいなもんで。
そんな経費削減のために、キムシンの新作が彼の自由に出来なかったとしたら、もったいないことだ。
新公で好き勝手していたように、作品自体、自由に料理してみてほしかったよ。
劇団はあくまでも、「名作の再演、という、元手の掛からない宣伝」にこだわったらしく。
初演まんまの再演ではないのに、「観劇者数100万人突破記念セレモニー」という、恥ずかしいことをやっていた。
「こんなに名作なんですよーぅ!」「ほーら、大人気~~ぃ!」と、自分で作った賞に自分で入賞しました! と胸を張って宣伝している、悲しい人を見る気分になるので、やめてほしかったっす……。
それでも。
大好きですよ、『虞美人』。
盛り上がりに欠けるとか戦闘シーンどこ~~?とかはたしかに残念なんだが、いままでのキムシン作品なら多少の残念な部分は、他の派手な部分でぶっ飛ばしてくれた。
よくわかんねーけどーすげー!! で、どっかんどっかん終わることが出来た。
それがなあ、なんかふつーに地味になっちゃって。
もっと説教カマシてトンデモ歌詞のオンパレードで、史実も原作も無関係に、好きに作り直してくれて良かったのに。
史実だの有名エピソードを順番に並べるだけとか、原作をなぞるだけとかだったら、他の作家でもできんじゃん。キムシンにしかできないことを、どーんっとして欲しかった。
とどのつまり、初演があったってことなんだなあ。
同じように元の公演があったのに、自己流に作り替えて上演した『鳳凰伝』のように、タイトルまで変えてしまえたなら、よかったのに。
今回はあくまでも『虞美人』という初演のタイトルを使わなければならなかった。
初演のネームバリューを利用しつつ、初演のような経費は使えない劇団の、苦肉の策。
あわよくば……という姑息な下心で、初演タイトルにこだわりすぎたんだろうなあ。
初演のタイトルを使う以上、初演にある楔から自由にはなれず、不自由なまま少ない経費でコスプレ物を作ったら、なんともチープで地味なモノになってしまった、と。
キムシンにイチから好きに作らせれば、もっとめちゃくちゃでも、とりあえず派手なモノになったのかもしれないのに。
新人公演のように。
今回の新公は、キムシン自身の演出だった。
2幕構成の1本モノを、無理矢理1幕モノにまとめるときに、カーテン前で登場人物に漫才やコントをさせて、話をつないだ。
これくらい、荒唐無稽なことをしちゃう演出家だ(笑)。
でもほんとのとこ、キムシンが好きにしていい新公演出で、いちばんすごかったのは。
初演を無視したことだ。
タカラヅカ史上に残る名作とやらの、『虞美人』。60年も前に初演、以来「赤いけしの花」という主題歌は名曲として歌い継がれている。
……という触れ込みだ。そしてキムシンも、いろんなところで初演に敬意を示しているよーなことを言っている。
今回の再演でも、わざわざこの「名曲」とやらを使っているのだ。
が。
新公では、「赤いけしの花」が使われなかった。
まるっと無視。
なかったこと。そんなの知らな~~い。
そして、タイトルの『虞美人』も無視。
虞姫の死んだ丘に咲く花の話、出てこないんデスヨ? 虞美人草の話ナシっすよ、完無視っすよ!
「赤いけしの花」を歌いながらけしの花の乙女たちが歌い踊り、項羽と虞姫がラヴラヴするオープニングはさっくりカット。
野心まんまんに剣を振るう項羽の場面からスタート。
そして、男たちの野心と戦い中心に描き、虞姫の出番減らしても范増と張良の別れ場面はきちんと入れ(笑)、「赤いけしの花」は四面楚歌場面でちらりとハミングされるのみで終了、項羽の自害で物語自体も完。
劉邦が「赤いけしの花」を歌うラストシーンも、その歌の中で項羽と虞姫がラヴラヴするエンディングもナシ。
タカラヅカ史に残る「名曲」を、ばっさりカット、なかったこと。
項羽の英雄譚であり、虞姫はその相手役止まり、タイトルロールにはなりえない。
あんだけ初演を持ち上げておいて、コレですか(笑)。
初演では虞姫が自害する四面楚歌場面で終わっているという。だがキムシンは自作であえてそのあと、項羽の最期まで描いた。
オープニングの伏線ナシに四面楚歌やって、項羽自害でエンドになる新公では、四面楚歌の盛り上がりが薄い。クライマックスは楚漢の戦闘と講和、そして項羽自害だ。作品の力点が変わってしまっている。
1世紀近く前に書かれたという原作を元に、キムシンが好きに描いていいとなったら、きっと今の『虞美人』とは別物になっていたんだろうなあ。
本公演は彩音ちゃんの退団作であり、彼女の女神っぷりとトップ、2番手のアテ書きっぷりから、『虞美人』という作品としてなり得ているとは思うし、それでいいのだと思うが、それでも残念に感じていることもたしか。
劇団が、初演の名声とやらにこだわらなければ……「名作の再演、という、元手の掛からない宣伝で濡れ手に粟♪」なんて考えなければ……。
高い版権を払って海外の有名ミュージカルを上演するのでもなく、他メディアへ広告を出すのでもない、「タカラヅカの中での名作」という、タカラヅカの中の人しかありがたがらない、経費のかからない宣伝でこの不況を打破できると、劇団の人たちはマジで考えていたみたいだし。
歴史ヲタの弟が「あの**櫓が50年ぶりに公開されるんだぞ!」と大騒ぎしていても、門外漢のわたしはぽかーん、そんなにすごいもんなの? つか興味ないし、わざわざ観に行かないし、世の中の誰もそんなことで騒いでないよ、誰も知らないよ? ……みたいなもんで。
そんな経費削減のために、キムシンの新作が彼の自由に出来なかったとしたら、もったいないことだ。
新公で好き勝手していたように、作品自体、自由に料理してみてほしかったよ。
劇団はあくまでも、「名作の再演、という、元手の掛からない宣伝」にこだわったらしく。
初演まんまの再演ではないのに、「観劇者数100万人突破記念セレモニー」という、恥ずかしいことをやっていた。
「こんなに名作なんですよーぅ!」「ほーら、大人気~~ぃ!」と、自分で作った賞に自分で入賞しました! と胸を張って宣伝している、悲しい人を見る気分になるので、やめてほしかったっす……。
それでも。
大好きですよ、『虞美人』。
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