世界樹の下で。@『虞美人』東宝楽
2010年5月30日 タカラヅカ 『虞美人』を、美しい作品だと思う。
東宝千秋楽。
相変わらず夜行バスで駆けつけて、早朝から当日券並んで、入りからギャラリーして、昼公演と楽をWヘッダーして、出をギャラって、また夜行バスで帰る。
いつものびんぼー旅行。近年体力ナイんで、いつまでできるかわからんが、もっとも効果的なヅカヲタ遠征。
彩音姫の、退団公演。千秋楽。
『虞美人』はアテ書き作品。ポスター掲載の主役3人のキャラクタまんまを活かして描かれた。
ムラ初日から、彩音ちゃんの菩薩っぷりはすごかった。
彼女の持つ神聖さを、すべてを包み込む光を、まんま発揮できる作りの役であり、作品だったから。
彩音ちゃんはあまり芝居のうまい人ではなく……芝居は観る側の好みが大きいので、単にわたしの好みの話でしかないのだが……彼女はあまりに「できること」が少ない人だと思っていた。
特に表情の少なさは致命的で、顔がアップになる映像でならいいのかもしれないが、大きな劇場だといつも同じ顔をしている人になりがちだった。
だからこそ、つんと冷たい表情のままでいい黒トカゲやキハは際立って美しかったが。
できることは少ない。表現できることは少ない。
だけど、それを補う魅力がある。
役によっては技術のなさが前面に出すぎてキツイ場合もあるが、得意分野を演じると他のすべてを不問にする魅力を放つ。
技術さえあれば娘役トップスターになれるものじゃない、ってことだ。学校の成績表には記載されないような、目に見えない、数字に出来ない部分の、力。
アテ書きのキムシンは、娘役トップスター・桜乃彩音に、彼女の魅力を、才能を全開させる役と作品を与えた。
最初から最後まで、ただ項羽@まとぶんを愛する虞姫@彩音。
最初から最後まで、「変わらない」ヒロイン。
最初から、「完成された」ヒロイン。
物語において、「変化」は必須とされる。状況が変化し、キャラクタが変化する。傷ついてへこたれて、でもまた立ち上がって。出会って恋をしてあきらめかけて、でもがんばって成就して。
そうやって変化すること、成長することが必要とされる。
だけど虞姫は変わらない。項羽との出会いもなければ、恋に落ちる過程もない。ただ項羽のかたわらで、ひたすら愛するだけ。微笑むだけ。
虞姫登場場面で、彼女は自分に言い寄る男を顧みもせず、その男との間を疑った項羽に対し、命懸けで真心を示す。
最初から、項羽のために、この愛のために死ぬと言い切っている。
彼女は登場したその瞬間から、すでに完成形であり、これ以上成長のしようがない。
虞美人は変わらない。
彼女はまぎれもなく、この物語の核なんだ。
描かれている世界がひとつであるように、核もひとつ。
世界創世の女神のように、虞美人という核を真ん中に置き、そこからすべてが派生し、また回っていく。
最後に「変わらない」「変わる必要のない役」を与えるキムシンGJ。
彩音ちゃんの「変わらなさ」は、ひとつのファンタジーだ。
彼女の光はムラ初日から変わらない。
退団者は退団オーラを出して日々美しく輝いていくものだけど、彩音ちゃんはそれほど大きな変化はなかった、と、わたしは思った。
舞台での泣きっぷりが上がり、いろんなところで涙を流している度合いが上がっていたけれど、ムラの初日から後半にかけてと、東宝楽日に観たものと、それほど違いがない。
本人が泣いているから、すばらしい演技というわけじゃない。役者の涙に釣られて泣くことは多々あるけれど、彩音ちゃんムラのときから泣きっぱなしだし、泣いていても表情はあんまし変わらないし、そのへんはぶっちゃけどーでもよかったりする。注目するのはソコではなくて。
彼女自身の気持ちの盛り上がりと関係しているのかどうかわからないが、彼女の出す「光」は、最初からすごかったんだってば。
最初から最後まで、ムラ初日から東宝楽まで。変わらずに。
彩音ちゃんが変わらずに発光し続けて。
この『虞美人』という「世界」を揺るぎなく支えて。
変わっていくのは、周囲の人間たち。
世界樹の下で、生命の営みが繰り返されるが如く。
変わらない虞姫の周りで、項羽が、呂@じゅりあが、直接虞姫とは関わらないけれど同じ舞台に立っている他の役者たちが、どんどん変わっていく。
芝居が動き出している。
なんつーんだ、人が生まれて愛して苦しんで笑って泣いて死んで、その子どもがまた生まれて愛して苦しんで笑って泣いて死んで、そーやっていくつもの命が循環している中心で、山河はなにひとつ変わらずそこにある、みたいな。
虞姫は変わってないけど、対する項羽がえーらいこっちゃになってるから、観ているこっちは泣きツボ押されて大変ですよ! みたいな。
キャストがみんな熱演で、それぞれ世界観掘り下げて来てるから、エネルギー充満してすごいですよ! みたいな。
それらがどんだけ爆走していても、虞姫は最初から変わらない。
決まった光で、世界を照らし、抱きしめている。
その、安心感。
女神が治める世界は、どれだけ揺れても壊れないんだ。彼女が揺るがないから。
だから観客も安心して、項羽の慟哭に身を投げ出せるんだ。
えーらいこっちゃ、になっている舞台で、彩音ちゃんの白い光が広がり、満ちる幸福に、酔った。
安心して、心の手足を伸ばした。
彼女は、宝塚歌劇団の、娘役トップスターだ。世界にひとつのタカラヅカにこそ相応しい、トップスターだ。そういう力を持ったひとだ。
そう、思った。
サヨナラショーのサリー@『ME AND MY GIRL』のかわいさ、デュエットダンスの端正さ。
一転してしっかりとした、袴姿での挨拶。
さらに一転してぐだぐだの、カーテンコールの挨拶(笑)。
まとぶんと一緒になって泣いちゃって笑っちゃって大変な、ぽわんぽわんした姿。
しあわせな記憶として、海馬に刻むよ。
ありがとう。
彩音ちゃんの光が、好きだった。癒された。
卒業おめでとう。
人混みの後ろから、袴姿で歩く彼女を見送りながら、拍手した。いろんな思い出を反芻しながら。
東宝千秋楽。
相変わらず夜行バスで駆けつけて、早朝から当日券並んで、入りからギャラリーして、昼公演と楽をWヘッダーして、出をギャラって、また夜行バスで帰る。
いつものびんぼー旅行。近年体力ナイんで、いつまでできるかわからんが、もっとも効果的なヅカヲタ遠征。
彩音姫の、退団公演。千秋楽。
『虞美人』はアテ書き作品。ポスター掲載の主役3人のキャラクタまんまを活かして描かれた。
ムラ初日から、彩音ちゃんの菩薩っぷりはすごかった。
彼女の持つ神聖さを、すべてを包み込む光を、まんま発揮できる作りの役であり、作品だったから。
彩音ちゃんはあまり芝居のうまい人ではなく……芝居は観る側の好みが大きいので、単にわたしの好みの話でしかないのだが……彼女はあまりに「できること」が少ない人だと思っていた。
特に表情の少なさは致命的で、顔がアップになる映像でならいいのかもしれないが、大きな劇場だといつも同じ顔をしている人になりがちだった。
だからこそ、つんと冷たい表情のままでいい黒トカゲやキハは際立って美しかったが。
できることは少ない。表現できることは少ない。
だけど、それを補う魅力がある。
役によっては技術のなさが前面に出すぎてキツイ場合もあるが、得意分野を演じると他のすべてを不問にする魅力を放つ。
技術さえあれば娘役トップスターになれるものじゃない、ってことだ。学校の成績表には記載されないような、目に見えない、数字に出来ない部分の、力。
アテ書きのキムシンは、娘役トップスター・桜乃彩音に、彼女の魅力を、才能を全開させる役と作品を与えた。
最初から最後まで、ただ項羽@まとぶんを愛する虞姫@彩音。
最初から最後まで、「変わらない」ヒロイン。
最初から、「完成された」ヒロイン。
物語において、「変化」は必須とされる。状況が変化し、キャラクタが変化する。傷ついてへこたれて、でもまた立ち上がって。出会って恋をしてあきらめかけて、でもがんばって成就して。
そうやって変化すること、成長することが必要とされる。
だけど虞姫は変わらない。項羽との出会いもなければ、恋に落ちる過程もない。ただ項羽のかたわらで、ひたすら愛するだけ。微笑むだけ。
虞姫登場場面で、彼女は自分に言い寄る男を顧みもせず、その男との間を疑った項羽に対し、命懸けで真心を示す。
最初から、項羽のために、この愛のために死ぬと言い切っている。
彼女は登場したその瞬間から、すでに完成形であり、これ以上成長のしようがない。
虞美人は変わらない。
彼女はまぎれもなく、この物語の核なんだ。
描かれている世界がひとつであるように、核もひとつ。
世界創世の女神のように、虞美人という核を真ん中に置き、そこからすべてが派生し、また回っていく。
最後に「変わらない」「変わる必要のない役」を与えるキムシンGJ。
彩音ちゃんの「変わらなさ」は、ひとつのファンタジーだ。
彼女の光はムラ初日から変わらない。
退団者は退団オーラを出して日々美しく輝いていくものだけど、彩音ちゃんはそれほど大きな変化はなかった、と、わたしは思った。
舞台での泣きっぷりが上がり、いろんなところで涙を流している度合いが上がっていたけれど、ムラの初日から後半にかけてと、東宝楽日に観たものと、それほど違いがない。
本人が泣いているから、すばらしい演技というわけじゃない。役者の涙に釣られて泣くことは多々あるけれど、彩音ちゃんムラのときから泣きっぱなしだし、泣いていても表情はあんまし変わらないし、そのへんはぶっちゃけどーでもよかったりする。注目するのはソコではなくて。
彼女自身の気持ちの盛り上がりと関係しているのかどうかわからないが、彼女の出す「光」は、最初からすごかったんだってば。
最初から最後まで、ムラ初日から東宝楽まで。変わらずに。
彩音ちゃんが変わらずに発光し続けて。
この『虞美人』という「世界」を揺るぎなく支えて。
変わっていくのは、周囲の人間たち。
世界樹の下で、生命の営みが繰り返されるが如く。
変わらない虞姫の周りで、項羽が、呂@じゅりあが、直接虞姫とは関わらないけれど同じ舞台に立っている他の役者たちが、どんどん変わっていく。
芝居が動き出している。
なんつーんだ、人が生まれて愛して苦しんで笑って泣いて死んで、その子どもがまた生まれて愛して苦しんで笑って泣いて死んで、そーやっていくつもの命が循環している中心で、山河はなにひとつ変わらずそこにある、みたいな。
虞姫は変わってないけど、対する項羽がえーらいこっちゃになってるから、観ているこっちは泣きツボ押されて大変ですよ! みたいな。
キャストがみんな熱演で、それぞれ世界観掘り下げて来てるから、エネルギー充満してすごいですよ! みたいな。
それらがどんだけ爆走していても、虞姫は最初から変わらない。
決まった光で、世界を照らし、抱きしめている。
その、安心感。
女神が治める世界は、どれだけ揺れても壊れないんだ。彼女が揺るがないから。
だから観客も安心して、項羽の慟哭に身を投げ出せるんだ。
えーらいこっちゃ、になっている舞台で、彩音ちゃんの白い光が広がり、満ちる幸福に、酔った。
安心して、心の手足を伸ばした。
彼女は、宝塚歌劇団の、娘役トップスターだ。世界にひとつのタカラヅカにこそ相応しい、トップスターだ。そういう力を持ったひとだ。
そう、思った。
サヨナラショーのサリー@『ME AND MY GIRL』のかわいさ、デュエットダンスの端正さ。
一転してしっかりとした、袴姿での挨拶。
さらに一転してぐだぐだの、カーテンコールの挨拶(笑)。
まとぶんと一緒になって泣いちゃって笑っちゃって大変な、ぽわんぽわんした姿。
しあわせな記憶として、海馬に刻むよ。
ありがとう。
彩音ちゃんの光が、好きだった。癒された。
卒業おめでとう。
人混みの後ろから、袴姿で歩く彼女を見送りながら、拍手した。いろんな思い出を反芻しながら。
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