そもそも、「太陽」の認識がチガウと思う。@ファンキー・サンシャイン
2010年6月15日 タカラヅカ ショーの話をまったく書いてません。
イシダせんせの最新作『ファンキー・サンシャイン』。
ファンキー【funky】[名・形動]
1 ジャズ・ソウルなどの音楽にファンクの要素が含まれること。また、その演奏や、そのさま。ポップスやロックの、野性的で躍動感のあるリズム・演奏などの形容にもいう。「―なボーカル」「―ミュージック」
2 服装などが原色を多用していて、けばけばしいこと。また、そのさま。「―なファッション」
サンシャイン【sunshine】
日光。陽光。
以上、大辞泉より。
でもって、公式の[解説]が、
生命、エネルギーの根源である「太陽」をテーマにしたショー。サンビーム、夜明け、プリズム、コロナ、日食、黒点、太陽神、虹、白日夢……など、太陽からイメージされる言葉、生活、文化、ファッションを多角的な視点から捉えた作品。
だそうです。
で、イシダせんせがナニをやったかというと、「太陽」と名前の入った歌を集めることでした。
そっかー、「太陽」がテーマだと、「太陽」って単語を使った歌や出来事の羅列になるんだー。はははー。
ちったぁヒネれや。
「次の問題です。『太陽』という単語の入った歌や言葉を答えて下さい。チーム全員が答えられないと失格です」てな、雑学系クイズ番組に出てきそうな発想だ。
そもそも、「太陽」の認識がチガウ。単語が入っていれば「太陽」かよ、太陽関連語句なら「太陽」なのかよ。
そのセンスに肩を落とす。
でもって、ゆーひくん相手に、「ファンキー」で「太陽」……。
とまあ、最初の段階でかなりつまずいてました。わたしは。
そして実際に観てみて。
……最初の「ソーラーパワー!」で椅子から落ちそうになりました。
ノリノリの曲ならまだしも、まったりのっぺりした曲でダジャレソング……。
ソーラーに、宙組と大空さんを掛けてあるのね、宙組の力を、大空さんの力を感じろってことね、すごいわイシダ先生、高度だわ!
終始その調子で、ある意味「裏切らない」作品でした。
いやその、らんとむさんはいいんです。
懐メロ昭和が似合いまくるし、ああいう場面を「持っていく」力のある人。らんとむ×アリスがめっちゃかわいいし。
そして、本気のダンス場面もあり、らんとむ中心にダンサーで固め、ストイックにかっこいい姿も見せてくれている。
ただ、ゆーひさんは……。
ゆうひくん目当てで劇場に行った身としては、かなり、複雑でした。
それは、わたしが「こんなおーぞらゆーひを見たいか」というところに端を発し、「でも、おーぞらゆーひでいわゆるおーぞらゆーひなモノなんか作ってどうするよ」てな意見と、「本人楽しそうだからいいじゃん」てなキモチと、「でも見たいかというとそうでもない」というキモチと、「これが最後のショーなんじゃないの?」という不安と、「最後がコレなの?!」という哀しみと、「最後だから受け入れて楽しむしかないのよ!」というあきらめなど、いろーんなモノが混ざり合っているのですよ!(笑)
まず第一に言えることは、「ひまわりをアタマに付けてかわいこぶるおーぞらゆーひを、わたしは見たいわけではない」ということ。
お天気予報一連のゆーひくんがかわいいこととは、別問題で。
彼の最初のオリジナル・ショーであり、大劇場でのショーである。それでコレを見たいかというと、まったくナイ。
その昔、のんちゃんのトップお披露目公演のショーで、あののんちゃんが金髪巻き毛の王様をさせられているのを見た、あの感覚だ。
6作7作と続いてきたトップ作品の中なら、別に誰の作品にあってもかまわないが、最初からコレか! また、老い先短そうな人(失礼)に対し、コレか!
という、配慮のなさっつーか。
そういうことも含めて、「イメージ違いのモノを見せらるのはつらい」というのが、ある。
だが、冷静に考えるわたしもいる。
わたしがおーぞらゆーひに対し持っているイメージなんて、局地的なモノであって、普遍的なモノではないのだと。
世の中的に、この幼児ぶりっこしたかわいこちゃんが、「おーぞらゆーひ」なのかもしれない。
おーぞらゆーひの正しいイメージがどうであるのか、答えはナイ。
だから勝手に、わたしの持つおーぞらゆーひこそが正しいとしたって、さて、わたしのイメージするおーぞらゆーひで「ショー作品」を作ったら……それって、興行的に「正しい」か?
エロくてアダルトでねとねとした、そんな「ショー作品」、正しいわけがないっ。
ゆーひくんの持ち味がダークであればあるほど、「タカラヅカのショー」である以上、ことさら反対の、爆発系のモノを与えなくてはならない。暗い人に暗いモノやらせたら、ほんとに暗くなるってば! わたしは好きだけど、タカラヅカ的に正しくないって!
てことで、傘をひっくり返していたり、トルネードでぴんぴんでも、仕方ないんだ。
という意見を出してみたり。
また、そのアホアホなことをやらされているゆーひくん自身が、とても楽しそうだ。
はじけていて、一生懸命発光しようとしている。
本人が楽しいなら、それでいいや。それがなにより。
と、思う。
……でも、似合わないことを「やらされている」感を、わたしが勝手に感じてしまい、そのノリノリささえ、痛々しく思えたりも、する。だってアンタ、そのトシで……その学年で……。(ジェンヌはフェアリーです、年齢はありません)
で、どんなに本人が楽しんでいても、「わたしが」見たいモノかというと、そうでもない、ことにより、テンションは下がる。
でも、ゆーひくんの学年からしてそんなに何作も機会があるとは思えず、全国ツアーと次回本公演が芝居1本モノだとわかってしまった以上、「これが最初で最後のオリジナル・ショー?!」という危惧があり、本人のはじけっぷりにも「最後だから、そんなにはじけているの?」と勝手に考えすぎたりする。
で、最後だとしたらちゃんと見届けたいし、でも「最初で最後がコレなの」と悲しくなるしで、もお。
困った。
どうにも、落ち着きが悪い。
きれいに納得して観ることが出来ない。
お尻がもぞもぞしたまま、はじまり終わる、っていうか。
『ファンキー・サンシャイン』ってのは、わたしにとって、そーゆー作品だ。
あくまでも、わたしには。
友人のゆーひファンはふつーに心から「うひたん可愛い!」って大喜びしているし、それでいいんだろうと思うけど。
単に、わたしとイシダせんせの相性が悪い、っつーだけかもしれんが。
イシダせんせの最新作『ファンキー・サンシャイン』。
ファンキー【funky】[名・形動]
1 ジャズ・ソウルなどの音楽にファンクの要素が含まれること。また、その演奏や、そのさま。ポップスやロックの、野性的で躍動感のあるリズム・演奏などの形容にもいう。「―なボーカル」「―ミュージック」
2 服装などが原色を多用していて、けばけばしいこと。また、そのさま。「―なファッション」
サンシャイン【sunshine】
日光。陽光。
以上、大辞泉より。
でもって、公式の[解説]が、
生命、エネルギーの根源である「太陽」をテーマにしたショー。サンビーム、夜明け、プリズム、コロナ、日食、黒点、太陽神、虹、白日夢……など、太陽からイメージされる言葉、生活、文化、ファッションを多角的な視点から捉えた作品。
だそうです。
で、イシダせんせがナニをやったかというと、「太陽」と名前の入った歌を集めることでした。
そっかー、「太陽」がテーマだと、「太陽」って単語を使った歌や出来事の羅列になるんだー。はははー。
ちったぁヒネれや。
「次の問題です。『太陽』という単語の入った歌や言葉を答えて下さい。チーム全員が答えられないと失格です」てな、雑学系クイズ番組に出てきそうな発想だ。
そもそも、「太陽」の認識がチガウ。単語が入っていれば「太陽」かよ、太陽関連語句なら「太陽」なのかよ。
そのセンスに肩を落とす。
でもって、ゆーひくん相手に、「ファンキー」で「太陽」……。
とまあ、最初の段階でかなりつまずいてました。わたしは。
そして実際に観てみて。
……最初の「ソーラーパワー!」で椅子から落ちそうになりました。
ノリノリの曲ならまだしも、まったりのっぺりした曲でダジャレソング……。
ソーラーに、宙組と大空さんを掛けてあるのね、宙組の力を、大空さんの力を感じろってことね、すごいわイシダ先生、高度だわ!
終始その調子で、ある意味「裏切らない」作品でした。
いやその、らんとむさんはいいんです。
懐メロ昭和が似合いまくるし、ああいう場面を「持っていく」力のある人。らんとむ×アリスがめっちゃかわいいし。
そして、本気のダンス場面もあり、らんとむ中心にダンサーで固め、ストイックにかっこいい姿も見せてくれている。
ただ、ゆーひさんは……。
ゆうひくん目当てで劇場に行った身としては、かなり、複雑でした。
それは、わたしが「こんなおーぞらゆーひを見たいか」というところに端を発し、「でも、おーぞらゆーひでいわゆるおーぞらゆーひなモノなんか作ってどうするよ」てな意見と、「本人楽しそうだからいいじゃん」てなキモチと、「でも見たいかというとそうでもない」というキモチと、「これが最後のショーなんじゃないの?」という不安と、「最後がコレなの?!」という哀しみと、「最後だから受け入れて楽しむしかないのよ!」というあきらめなど、いろーんなモノが混ざり合っているのですよ!(笑)
まず第一に言えることは、「ひまわりをアタマに付けてかわいこぶるおーぞらゆーひを、わたしは見たいわけではない」ということ。
お天気予報一連のゆーひくんがかわいいこととは、別問題で。
彼の最初のオリジナル・ショーであり、大劇場でのショーである。それでコレを見たいかというと、まったくナイ。
その昔、のんちゃんのトップお披露目公演のショーで、あののんちゃんが金髪巻き毛の王様をさせられているのを見た、あの感覚だ。
6作7作と続いてきたトップ作品の中なら、別に誰の作品にあってもかまわないが、最初からコレか! また、老い先短そうな人(失礼)に対し、コレか!
という、配慮のなさっつーか。
そういうことも含めて、「イメージ違いのモノを見せらるのはつらい」というのが、ある。
だが、冷静に考えるわたしもいる。
わたしがおーぞらゆーひに対し持っているイメージなんて、局地的なモノであって、普遍的なモノではないのだと。
世の中的に、この幼児ぶりっこしたかわいこちゃんが、「おーぞらゆーひ」なのかもしれない。
おーぞらゆーひの正しいイメージがどうであるのか、答えはナイ。
だから勝手に、わたしの持つおーぞらゆーひこそが正しいとしたって、さて、わたしのイメージするおーぞらゆーひで「ショー作品」を作ったら……それって、興行的に「正しい」か?
エロくてアダルトでねとねとした、そんな「ショー作品」、正しいわけがないっ。
ゆーひくんの持ち味がダークであればあるほど、「タカラヅカのショー」である以上、ことさら反対の、爆発系のモノを与えなくてはならない。暗い人に暗いモノやらせたら、ほんとに暗くなるってば! わたしは好きだけど、タカラヅカ的に正しくないって!
てことで、傘をひっくり返していたり、トルネードでぴんぴんでも、仕方ないんだ。
という意見を出してみたり。
また、そのアホアホなことをやらされているゆーひくん自身が、とても楽しそうだ。
はじけていて、一生懸命発光しようとしている。
本人が楽しいなら、それでいいや。それがなにより。
と、思う。
……でも、似合わないことを「やらされている」感を、わたしが勝手に感じてしまい、そのノリノリささえ、痛々しく思えたりも、する。だってアンタ、そのトシで……その学年で……。(ジェンヌはフェアリーです、年齢はありません)
で、どんなに本人が楽しんでいても、「わたしが」見たいモノかというと、そうでもない、ことにより、テンションは下がる。
でも、ゆーひくんの学年からしてそんなに何作も機会があるとは思えず、全国ツアーと次回本公演が芝居1本モノだとわかってしまった以上、「これが最初で最後のオリジナル・ショー?!」という危惧があり、本人のはじけっぷりにも「最後だから、そんなにはじけているの?」と勝手に考えすぎたりする。
で、最後だとしたらちゃんと見届けたいし、でも「最初で最後がコレなの」と悲しくなるしで、もお。
困った。
どうにも、落ち着きが悪い。
きれいに納得して観ることが出来ない。
お尻がもぞもぞしたまま、はじまり終わる、っていうか。
『ファンキー・サンシャイン』ってのは、わたしにとって、そーゆー作品だ。
あくまでも、わたしには。
友人のゆーひファンはふつーに心から「うひたん可愛い!」って大喜びしているし、それでいいんだろうと思うけど。
単に、わたしとイシダせんせの相性が悪い、っつーだけかもしれんが。
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