3回目の正直。@バッカスと呼ばれた男
2010年6月17日 タカラヅカ 年寄りなので、昔話をする。
『バッカスと呼ばれた男』は、改稿を重ねてどんどん変わっていった、愉快な作品だ。
谷先生もひとつの作品を3回書き直せば、コワレていないモノになるんだ、と目からウロコだった(笑)。
男トップ以外の路線の顔ぶれをがらりと替えられ、わけわかんなくなった雪組が、それでもまとまり、前進しはじめたころの公演。組としてのまとまりと勢いは、観ていてたのしかった。……トップ娘役のグンちゃんがやせはじめたころで、そこはちょっと心配だったが。
元銃士隊隊長の大貴族ジュリアン@トドは、義侠心あふれる青年であるため、身分を捨てさすらいのシャンソニエとなっていた。社会を風刺する歌を歌う彼は、わざわざ仮面のシュンソニエとして王宮に行き、戦勝の祝いの場で戦争の哀しみや愚かさを歌ってみたりする。ふつーならそんなことしたら即逮捕だけど、なにしろ彼、大貴族だし、王妃アンヌ@グンちゃんの恋人だったりするし。
ドイツとフランスの国境にある小国アルザスを救うために、身分を捨てたシャンソニエと、彼の元部下の老三銃士たち、彼の仲間である盗賊・旅芸人たちが、武力ではなく知恵と勇気で大国と渡り合う痛快活劇。
そこに、フランス王妃アンヌとジュリアンの禁じられた恋、身を引くことが最大の愛の証、というストイックな関係を絡めたラブ・ロマンスでもある。
記憶だけで書いているのでカンチガイも多々あるだろうが、最初の大劇場バージョンでは「バッカス大作戦」がなにやってんのかわかりにくく、主人公がどうすごいのかわかりにくかった。また、王妃との恋愛も薄かった。
次に1000days劇場バージョン。ここでは王妃との恋愛場面が付け加えられ、「何故、別れたのか」「身を引くことが愛の証」というテーマが大劇よりも際立った。つっても、肝心の「バッカス大作戦」はわけわかんないままだったんだけど。
それが、全国ツアー(当時は「地方公演」呼び)では、わけわかんなかった「バッカス大作戦」がきちんと整理され、主人公も主要人物も、ちゃんと活躍するようになった。王妃との恋愛は1000daysのままだから、わかりすいし。
『バッカスと呼ばれた男』は、全国ツアーを持って、完成したんだ。
全ツ版での完成、それはすべて、少人数の組子のみで公演できたことにある。
本公演は雪組だけでなく、3名の専科さんが出演していた。
アトス@汝鳥サマ、ポルトス@チャルさん、アラミス@まやさん。
当時も専科さん優遇の風潮は変わらずあり、彼らが出演していることによって、物語が壊れていた。
専科さんの芸は素晴らしく、彼らを粗末にしろと言っているわけじゃない。
ただ、彼らは組子だけではどうにもならない、物語を「補強」する意味で出演するのであって、彼らを優遇するあまり、物語を「壊す」のは本末転倒だろう。
主人公ジュリアンが、ラズロ@コムの頼みを聞いて、吟遊詩人ミッシェル@タータン、盗賊マンドラン@トウコたちと組んで、強国フランス・ドイツを相手に「血を流さない闘い」で勝利する……というストーリーラインに、老三銃士@専科トリオは不要だった。
本公演では三銃士が活躍し、笑いを取りまくっていた。
オイシイところは三銃士なので、他のキャラクタはなにをしているのかわからない、なんのために出てきたのかわからない。
なんのために出てきたのかわからないキャラクタがいっぱいいる、でもどうやら主軸はそこらしい、でも見せ場は本来いなくてもいい三銃士独占、というめちゃくちゃさ。
本筋に必要なキャラクタに見せ場や役割を与えず、いなくてもいいキャラクタを優遇したために、物語が壊れた。
せっかくの「バッカス大作戦」も人が多いだけでナニをやっているのかわからず。
結果として、主人公もかっこよくない。男の友情物語でもあったのに、三銃士がごちゃごちゃやっていて、トップと2番手の友情もとってつけた感。
それが全ツ版でようやく、三銃士がいなくなったために、他のキャラクタが正しく活躍できた。
三銃士がしゃしゃり出ていた場面、出来事を、主要人物が務めるよーになったんだ。
おかげで主人公は、変な三銃士の後ろでえらそーにしてナニもしない人ではなく、ちゃんと自分で動く人だし、自分で他の人たちと出会い、親交を深めていく。
他のキャラクタも、自分たちで物語に絡み、出来事を動かし、直接主人公と友情を深める。
「バッカス大作戦」も、主人公と主要人物たちが実際に動いて成功させる。
当時全ツは大阪近隣では公演されず、いちばん近いところが広島だった。わたしはひとりで広島まで行って観たわけなんだが、この改稿ぶりに感動したもの。
全ツで出演者が減った、それなら繰り上がりで本公演と同じ役に当てはめていくんじゃなく、出演しない人の役をなくすなんて、そんなアレンジはじめて見た(笑)。
三銃士もだが、他にも「タカラヅカの番手制度」ゆえに歪んでいた部分が修正されたの。
「路線だから、役を付けなければならない」ってやつ。
ええ、かしげの役が、なくなりました。
「バッカス大作戦」がナニやってんだかわかりにくかった理由のひとつ、新人公演独占4連続主演、研8でエスプリコンサート、研9でバウ・青年館主演をするぴっかぴかの路線スター、かっしーに、無理矢理役を作り、見せ場を作っていた。それでも大した役じゃなくて「え、かしげあれだけ?!」だったけど、その役があるために「バッカス大作戦」が余計に混乱、なにやってんだか観客にはわからなかった。
全ツ版でかっしーの役がなくなっているのを見て、膝を打った。やっぱり、いらない役だったんじゃんと。
三銃士はそれでもまだおもしろいから存在価値はあったんだけど、かっしーのドイツ人役は本公演のときから「いなくていいんじゃね?」だった。路線スター様のために無理矢理役を作ったのが見え見えだった。
それでもかっしースキーなわたしとしては、「いなくていいんじゃね?」程度に見ていたけれど、全ツ版を見て、いなくていい、どころじゃない、「いてはいけなかった」んだと知った。あの役のせいで、いちばんの盛り上がり場面が今ひとつわかりにくくなってたんじゃん!!
専科さん偏愛と番手制度によってコワレた物語が、全ツでは見事にキレイな物語になっていた。
主人公が活躍し、その仲間たちが活躍する。不要なキャラは出ずに、必要なエピソードだけが正しく展開する。
おかげで、キャラクタ間の愛憎がよりはっきりして、感情移入度も上がる。
愉快だったのは、マンドラン@トウコ。全ツ版では「オマエ、どんだけジュリアンのことが好きやねん!!」とツッコミ待ちされているとしか思えない、爆走ぶり。
エロカッコイイ、大人の伊達男トウコを見られる、貴重な公演だった。小柄なトウコは油断すると子役やかわいいだけの役を振られがちだったから。
当時の全ツは映像にはまったく残っていないと思うが、『バッカスと呼ばれた男』の完成版は、全ツ版だった。
「物語」として正しく機能していたこの全ツ版を、わたしは意識して記憶に残すようにしている。だって、いちばん面白かったんだもの。
『バッカスと呼ばれた男』は、改稿を重ねてどんどん変わっていった、愉快な作品だ。
谷先生もひとつの作品を3回書き直せば、コワレていないモノになるんだ、と目からウロコだった(笑)。
男トップ以外の路線の顔ぶれをがらりと替えられ、わけわかんなくなった雪組が、それでもまとまり、前進しはじめたころの公演。組としてのまとまりと勢いは、観ていてたのしかった。……トップ娘役のグンちゃんがやせはじめたころで、そこはちょっと心配だったが。
元銃士隊隊長の大貴族ジュリアン@トドは、義侠心あふれる青年であるため、身分を捨てさすらいのシャンソニエとなっていた。社会を風刺する歌を歌う彼は、わざわざ仮面のシュンソニエとして王宮に行き、戦勝の祝いの場で戦争の哀しみや愚かさを歌ってみたりする。ふつーならそんなことしたら即逮捕だけど、なにしろ彼、大貴族だし、王妃アンヌ@グンちゃんの恋人だったりするし。
ドイツとフランスの国境にある小国アルザスを救うために、身分を捨てたシャンソニエと、彼の元部下の老三銃士たち、彼の仲間である盗賊・旅芸人たちが、武力ではなく知恵と勇気で大国と渡り合う痛快活劇。
そこに、フランス王妃アンヌとジュリアンの禁じられた恋、身を引くことが最大の愛の証、というストイックな関係を絡めたラブ・ロマンスでもある。
記憶だけで書いているのでカンチガイも多々あるだろうが、最初の大劇場バージョンでは「バッカス大作戦」がなにやってんのかわかりにくく、主人公がどうすごいのかわかりにくかった。また、王妃との恋愛も薄かった。
次に1000days劇場バージョン。ここでは王妃との恋愛場面が付け加えられ、「何故、別れたのか」「身を引くことが愛の証」というテーマが大劇よりも際立った。つっても、肝心の「バッカス大作戦」はわけわかんないままだったんだけど。
それが、全国ツアー(当時は「地方公演」呼び)では、わけわかんなかった「バッカス大作戦」がきちんと整理され、主人公も主要人物も、ちゃんと活躍するようになった。王妃との恋愛は1000daysのままだから、わかりすいし。
『バッカスと呼ばれた男』は、全国ツアーを持って、完成したんだ。
全ツ版での完成、それはすべて、少人数の組子のみで公演できたことにある。
本公演は雪組だけでなく、3名の専科さんが出演していた。
アトス@汝鳥サマ、ポルトス@チャルさん、アラミス@まやさん。
当時も専科さん優遇の風潮は変わらずあり、彼らが出演していることによって、物語が壊れていた。
専科さんの芸は素晴らしく、彼らを粗末にしろと言っているわけじゃない。
ただ、彼らは組子だけではどうにもならない、物語を「補強」する意味で出演するのであって、彼らを優遇するあまり、物語を「壊す」のは本末転倒だろう。
主人公ジュリアンが、ラズロ@コムの頼みを聞いて、吟遊詩人ミッシェル@タータン、盗賊マンドラン@トウコたちと組んで、強国フランス・ドイツを相手に「血を流さない闘い」で勝利する……というストーリーラインに、老三銃士@専科トリオは不要だった。
本公演では三銃士が活躍し、笑いを取りまくっていた。
オイシイところは三銃士なので、他のキャラクタはなにをしているのかわからない、なんのために出てきたのかわからない。
なんのために出てきたのかわからないキャラクタがいっぱいいる、でもどうやら主軸はそこらしい、でも見せ場は本来いなくてもいい三銃士独占、というめちゃくちゃさ。
本筋に必要なキャラクタに見せ場や役割を与えず、いなくてもいいキャラクタを優遇したために、物語が壊れた。
せっかくの「バッカス大作戦」も人が多いだけでナニをやっているのかわからず。
結果として、主人公もかっこよくない。男の友情物語でもあったのに、三銃士がごちゃごちゃやっていて、トップと2番手の友情もとってつけた感。
それが全ツ版でようやく、三銃士がいなくなったために、他のキャラクタが正しく活躍できた。
三銃士がしゃしゃり出ていた場面、出来事を、主要人物が務めるよーになったんだ。
おかげで主人公は、変な三銃士の後ろでえらそーにしてナニもしない人ではなく、ちゃんと自分で動く人だし、自分で他の人たちと出会い、親交を深めていく。
他のキャラクタも、自分たちで物語に絡み、出来事を動かし、直接主人公と友情を深める。
「バッカス大作戦」も、主人公と主要人物たちが実際に動いて成功させる。
当時全ツは大阪近隣では公演されず、いちばん近いところが広島だった。わたしはひとりで広島まで行って観たわけなんだが、この改稿ぶりに感動したもの。
全ツで出演者が減った、それなら繰り上がりで本公演と同じ役に当てはめていくんじゃなく、出演しない人の役をなくすなんて、そんなアレンジはじめて見た(笑)。
三銃士もだが、他にも「タカラヅカの番手制度」ゆえに歪んでいた部分が修正されたの。
「路線だから、役を付けなければならない」ってやつ。
ええ、かしげの役が、なくなりました。
「バッカス大作戦」がナニやってんだかわかりにくかった理由のひとつ、新人公演独占4連続主演、研8でエスプリコンサート、研9でバウ・青年館主演をするぴっかぴかの路線スター、かっしーに、無理矢理役を作り、見せ場を作っていた。それでも大した役じゃなくて「え、かしげあれだけ?!」だったけど、その役があるために「バッカス大作戦」が余計に混乱、なにやってんだか観客にはわからなかった。
全ツ版でかっしーの役がなくなっているのを見て、膝を打った。やっぱり、いらない役だったんじゃんと。
三銃士はそれでもまだおもしろいから存在価値はあったんだけど、かっしーのドイツ人役は本公演のときから「いなくていいんじゃね?」だった。路線スター様のために無理矢理役を作ったのが見え見えだった。
それでもかっしースキーなわたしとしては、「いなくていいんじゃね?」程度に見ていたけれど、全ツ版を見て、いなくていい、どころじゃない、「いてはいけなかった」んだと知った。あの役のせいで、いちばんの盛り上がり場面が今ひとつわかりにくくなってたんじゃん!!
専科さん偏愛と番手制度によってコワレた物語が、全ツでは見事にキレイな物語になっていた。
主人公が活躍し、その仲間たちが活躍する。不要なキャラは出ずに、必要なエピソードだけが正しく展開する。
おかげで、キャラクタ間の愛憎がよりはっきりして、感情移入度も上がる。
愉快だったのは、マンドラン@トウコ。全ツ版では「オマエ、どんだけジュリアンのことが好きやねん!!」とツッコミ待ちされているとしか思えない、爆走ぶり。
エロカッコイイ、大人の伊達男トウコを見られる、貴重な公演だった。小柄なトウコは油断すると子役やかわいいだけの役を振られがちだったから。
当時の全ツは映像にはまったく残っていないと思うが、『バッカスと呼ばれた男』の完成版は、全ツ版だった。
「物語」として正しく機能していたこの全ツ版を、わたしは意識して記憶に残すようにしている。だって、いちばん面白かったんだもの。
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