ただ一度の主演。@新人公演『バッカスと呼ばれた男』
2010年6月24日 タカラヅカ
新人公演『バッカスと呼ばれた男』は、いろんな意味で興味深かった。
脚本本来のキャラクタ配置の妙を見せてくれたことと。
そしてもうひとつ。
未来優希、新公主演。ということと。
ハマコはその実力ゆえに目立つポジションで活躍してきた子だけれど、「路線」として扱われたことはなかった。脇の実力者、別格スターとして花開くのだと、誰も疑っていなかった。
また、「新人公演主演」というのは今よりさらに特別なことで、将来トップスターになる可能性が強い人しかできなかった。
組内の番手は明確で、中堅~下級生まで、ナンバリングできた。
新公主演は複数回が当たり前で、新公学年を卒業すれば順当にバウ主演が回ってきて、番手のある若手スターとなっていく、ピラミッドがとてもわかりやすくなっていた。
そんな風潮の中、路線扱いをされたことのない「実力者」が主演する。
周囲のヅカ友たちが一斉に色めき立ったのをおぼえている。「ありえない」ことだと。「相当めずらしい事件」だと。
普段は新公見ない子まで、みんな新公に駆けつけたもんなー。これは、見ておかなければならない、と。
今なら「とりあえず1回主演させておこう」とか「新公主演したって、別に路線じゃないよね」てな感じだけど。
当時はソレ、なかったし。
ハマコは「微妙路線だけど、他に適任者もいないからとりあえず今回だけ主演させとこう」というカテゴリの人じゃなかった。
「トップ路線」ではない。あきらかに。はじめから。
だけど。
あまりもの実力ゆえに、一度主役をさせよう、と、判断された……んじゃないかな、と思う新公主演だった。
また聞きだけど、初舞台の『ブロードウェイ・ボーイズ』において、演出・振付のトミー・チューン氏が「センターはこの子以外ありえない」と主張し、譲らなかったせいで、初舞台生ロケットがハマコ中心の謎の並びになったとか。
飛び抜けた「才能」は、既存のルールを覆すのだという見本のような人、それがハマコ。
それゆえの、まさかの新人公演主役。
ハマコにとっての一度きりの新公主演、という意味だけじゃない。
以来12年、干支がひとまわりしたけれど、ハマコと同じカテゴリでの新公主演はまだ見たことがないんだ。
新公主演するのは、「将来のスター候補」「“劇団”が、スターにしたい思っている子」「とりあえず回ってきたかな、ま、やらせておくのも良いんじゃね?」あたりの子たちだ。(マギーの新公主演は、Wトップ作品だったゆえ、だと思っている。単独と言い切れる作品ならさせてないだろう)
ただ一度。例外中の例外。
ハマコは、枠外過ぎる。
『バッカスと呼ばれた男』ジュリアン役のハマコは、マジでうまかった。ふつーに「真ん中」にはまっていた。
わたしは当時の感想を、こう書き記している。
…この人がセンターに立つ人じゃないというのが、不思議なカンジ。だってここまでうまいんだよ? 今すぐ主役でもいいくらい。
でも、それと同じくらいに、思った。
ああこの人は、センターに立つべきではない。
うまいけど、安定しているけど…チガウ。タカラヅカのトップスターは、こうじゃない。
何十年か前なら、よかったかもしれないけれど。
字を大きくしてあるのも、当時の記述のまま。
ハマコはすごい、ハマコはうまい、ハマコは大好きだ……でも、「真ん中」はチガウ。
真ん中もぜんぜんOKな実力と存在感だけど……でも、チガウ。
チガウ、ことが切なくもあり、そして、愛しくもある。
それが「タカラヅカ」という、特別な世界。「タカラヅカ」の素晴らしさ。
そして、その「タカラヅカ」に、納得して残ってくれているハマコのありがたさ。
ある意味、ハマコはわたしにとっての「タカラヅカ」そのものなんだな。
と、今ごろになって何故こんな大昔の作品についていろいろ語っているか。
ブログにUPしたのは時間経ってからだけど、もとのテキストはだいぶ前からちょこちょこミニパソに書き溜めてあった。ゆみこちゃんで「思い出す」場面の記事と同じように。
水しぇんのサヨナラ公演『ロジェ』『ロック・オン!』が、はじまる前に。
ゆみこもハマコもいない雪組を観るのだ、という、心の準備のために。
ちなみに。
上記の、『バッカスと呼ばれた男』新公の当時の感想文は、こう続いている。
…でも、主演オメデト、見たかったし、見れてよかった、センターに立つハマコちゃん。
君のことはずっと好きでいるよ。
この、正しいジュリアンを、おぼえておくよ。
脚本本来のキャラクタ配置の妙を見せてくれたことと。
そしてもうひとつ。
未来優希、新公主演。ということと。
ハマコはその実力ゆえに目立つポジションで活躍してきた子だけれど、「路線」として扱われたことはなかった。脇の実力者、別格スターとして花開くのだと、誰も疑っていなかった。
また、「新人公演主演」というのは今よりさらに特別なことで、将来トップスターになる可能性が強い人しかできなかった。
組内の番手は明確で、中堅~下級生まで、ナンバリングできた。
新公主演は複数回が当たり前で、新公学年を卒業すれば順当にバウ主演が回ってきて、番手のある若手スターとなっていく、ピラミッドがとてもわかりやすくなっていた。
そんな風潮の中、路線扱いをされたことのない「実力者」が主演する。
周囲のヅカ友たちが一斉に色めき立ったのをおぼえている。「ありえない」ことだと。「相当めずらしい事件」だと。
普段は新公見ない子まで、みんな新公に駆けつけたもんなー。これは、見ておかなければならない、と。
今なら「とりあえず1回主演させておこう」とか「新公主演したって、別に路線じゃないよね」てな感じだけど。
当時はソレ、なかったし。
ハマコは「微妙路線だけど、他に適任者もいないからとりあえず今回だけ主演させとこう」というカテゴリの人じゃなかった。
「トップ路線」ではない。あきらかに。はじめから。
だけど。
あまりもの実力ゆえに、一度主役をさせよう、と、判断された……んじゃないかな、と思う新公主演だった。
また聞きだけど、初舞台の『ブロードウェイ・ボーイズ』において、演出・振付のトミー・チューン氏が「センターはこの子以外ありえない」と主張し、譲らなかったせいで、初舞台生ロケットがハマコ中心の謎の並びになったとか。
飛び抜けた「才能」は、既存のルールを覆すのだという見本のような人、それがハマコ。
それゆえの、まさかの新人公演主役。
ハマコにとっての一度きりの新公主演、という意味だけじゃない。
以来12年、干支がひとまわりしたけれど、ハマコと同じカテゴリでの新公主演はまだ見たことがないんだ。
新公主演するのは、「将来のスター候補」「“劇団”が、スターにしたい思っている子」「とりあえず回ってきたかな、ま、やらせておくのも良いんじゃね?」あたりの子たちだ。(マギーの新公主演は、Wトップ作品だったゆえ、だと思っている。単独と言い切れる作品ならさせてないだろう)
ただ一度。例外中の例外。
ハマコは、枠外過ぎる。
『バッカスと呼ばれた男』ジュリアン役のハマコは、マジでうまかった。ふつーに「真ん中」にはまっていた。
わたしは当時の感想を、こう書き記している。
…この人がセンターに立つ人じゃないというのが、不思議なカンジ。だってここまでうまいんだよ? 今すぐ主役でもいいくらい。
でも、それと同じくらいに、思った。
ああこの人は、センターに立つべきではない。
うまいけど、安定しているけど…チガウ。タカラヅカのトップスターは、こうじゃない。
何十年か前なら、よかったかもしれないけれど。
字を大きくしてあるのも、当時の記述のまま。
ハマコはすごい、ハマコはうまい、ハマコは大好きだ……でも、「真ん中」はチガウ。
真ん中もぜんぜんOKな実力と存在感だけど……でも、チガウ。
チガウ、ことが切なくもあり、そして、愛しくもある。
それが「タカラヅカ」という、特別な世界。「タカラヅカ」の素晴らしさ。
そして、その「タカラヅカ」に、納得して残ってくれているハマコのありがたさ。
ある意味、ハマコはわたしにとっての「タカラヅカ」そのものなんだな。
と、今ごろになって何故こんな大昔の作品についていろいろ語っているか。
ブログにUPしたのは時間経ってからだけど、もとのテキストはだいぶ前からちょこちょこミニパソに書き溜めてあった。ゆみこちゃんで「思い出す」場面の記事と同じように。
水しぇんのサヨナラ公演『ロジェ』『ロック・オン!』が、はじまる前に。
ゆみこもハマコもいない雪組を観るのだ、という、心の準備のために。
ちなみに。
上記の、『バッカスと呼ばれた男』新公の当時の感想文は、こう続いている。
…でも、主演オメデト、見たかったし、見れてよかった、センターに立つハマコちゃん。
君のことはずっと好きでいるよ。
この、正しいジュリアンを、おぼえておくよ。
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