ロミオ@れおん、ベンヴォーリオ@すずみん、マーキューシオ@ベニー。

 『ロミオとジュリエット』のキャピュレット側の幼なじみのこの3人が、美しい絆で結ばれた親友同士だとは、思っていない。
 友情を語るには、彼らはあまりに幼いためだ。

 子どもの頃の友だちなんて、自分で選んだというよりは、偶然そこにいたという方が正しい。
 家が近所だとか、同じクラスだとか、席が隣だとか。
 現実距離の近さで友だちになり、距離が離れれば別れる。

 価値観とか興味とか笑いのツボとか、大人なら重視する点を一切無視で、「そこにいたから」友だちになる。

 そうやって、自分も他人もよくわかっていないまま一緒に過ごして、成長するに従って「違い」を理解していく。
 自分とチガウ考え方をする他人を受け入れることや、自分にとっての好悪がどこにあるのかを学んでいく。
 ぶつかりながら車間距離を学び、あま噛みしあいながらケンカの仕方を学ぶ。

 距離が友情とイコールだから、いつも一緒にいるし、同じコトをする。
 カラダが近くにあればそれだけで納得、心の場所には鈍感。

 だから、ベンヴォーリオとマーキューシオは、ロミオひとりがちがっていることに、気づいていない。
 モンタギューとキャピュレット、ふたつの家の争いが続くなか、それを当たり前として楽しく騒いでいるベンヴォーリオたちと違い、ロミオは争いを憂いている。
 ベンヴォーリオたちはロミオを理解していないし、ロミオもだからといって深刻に嘆いてもいない。

 まだ、わかってないんだ。
 自分たちにあるのが「距離」という名のつながりだけで、「真の友情」ではないことを。

 ロミオがジュリエット@ねねちゃんを愛したのも、彼が最初からベンヴォーリオたちとは別の感覚を持った少年だったから。
 仮面舞踏会でジュリエットと出会ったのがベンヴォーリオやマーキューシオなら、ジュリエットがどんなに美しくても「敵の女」としか思わないだろう。

 だから、ロミオがジュリエットを選んだとわかると、「親友」のはずの彼らは激高する。ロミオならそれもありえる、とは思わない。
 彼らは「近くにいる=自分と同じ立場にいる=自分と同じ」という考えで、自分を愛している延長で友人を愛しているだけ。
 自分の理解の範囲外のことをされると、拒絶反応が起こる。

 ロミオの理解者がロレンス神父@くみちょしかいない、のが、彼に親友がいなかった証拠。
 ひとはひとりずつチガウのだ、ということを理解できる大人は、ロレンス神父だけだったんだな。
 ベンヴォーリオもマーキューシオも、悪い子たちではなかったけれど、子どもすぎて話にならなかった。

 だから、切ない。

 ロレンス神父しか味方のいないロミオは、親友たちには理解されないと悟っていた。バレれば責められると覚悟していた。それくらい彼は、年齢相応の成長をしていた。
 だけどベンヴォーリオたちにとっては青天の霹靂、まさかの裏切り。
 
 ロミオが、自分たちと違わずなにもかも同じだと信じていた親友が、別のことを考えるなんて。自分たちが夢にも思わないことを考え、するなんて。

 当たり前のことに、傷つき、憤る。

 当たり前だと理解できないほど、幼い少年たちの姿に、泣けてくる。

 ゴールデンエイジの終わり?
 少年が少年でいられる時代の終焉。
 子どもはいつか大人になる。でもそれは個人差があり、ゆっくりと発育していく。
 なのにベンヴォーリオたちは、ロミオの裏切りという形で強引に成長を余儀なくされた。もっとゆるやかであっていいはずの時間の流れを、一気に早送りされたんだ。

 その痛み、きしみ。

 おつむのデキがより単純であったマーキューシオは、その早送りされる情報量を処理しきれずに、パンクする。
 もっと時間を掛けて、ロミオが自分とは別の人間であり、別の考えを持っていて、別の人生を送るのだと理解し、彼の考え方を自分はどう思うかどうしたいかを咀嚼し、解きほぐし、それでも彼とこれからどうつきあいたいかを突き詰めて、答えを出すモノだったのに。
 早回しされる映像のようにきりきりくるくる回って、マーキューシオは死ぬ。
 彼の命が早回しされたように、彼の心もさっさと答えにたどり着く。

 それでも、ロミオは友だちだ、と。

 両家の争い、それを是とする世界観、価値観はゆるがない、そこを突き詰めて考えている余裕はない、それでもなお出てきた答えは、ロミオを好きだということ。
 だから彼は、死の間際にロミオを肯定する。ロミオが選んだ生き方を、愛を貫けと言い残す。
 途中のことを全部全部吹っ飛ばして、いちばん大切なことだけ伝える。

 演じているのがベニーなので(笑)、この早回し人生と最期の独白が行き過ぎていて、なんか笑える感じになっていたりするんだが、マーキューシオ単体としては、ブレてないんだ。
 
 マーキューシオは勝手に人生早回しして終了したけれど、ベンヴォーリオはチガウ。
 いちばん哀れなのは、彼かとも思う。

 ロミオという親友を精神的に失い、マーキューシオという親友を物理的に失った。
 彼ひとり、残された。
 それでもベンヴォーリオは、生きなければならない。

 ロミオの裏切り、マーキューシオの死で、ベンヴォーリオも成長する。
 無垢で無神経だった少年時代を過ぎ去り、大人へと近づく。
 だから彼は、ジュリエットの死をロミオへ知らせようとする。……自分の行動が、親友を破滅させることになるとは知らず。

 
 ロミオ、ベンヴォーリオ、マーキューシオ。
 彼らがあまりに「少年」で、すっかり年老いたわたしなんかは、まぶしくてならない。
 切なくて、ならない。

 正しくなんかない。
 だけど懸命に生きる彼らの姿に、泣けて仕方がない。

 黄金のままでいられない、消え去ることがわかっている少年期の傲慢さと無神経さと無邪気さと、掛け値なしの情熱や愛情や誠実さが、キラキラ波のように輝いて、胸に刺さる。

 地味キャラスキーなので、とくにベンヴォーリオの立ち位置はツボすぎて。
 最後、テレビカメラには映らないんじゃないかな、って目立たなさでロミオの亡骸にすがって泣き崩れる姿に、こっちも号泣したってばよ。

 少年はいつか、大人になる。
 それが、こんなカタチでだなんて。
 仲良し3人組、ロミオ、ベンヴォーリオ、マーキューシオ。

 「少年」である彼らが、愛しくてならない。

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