愛さなかった死の物語。@ロミオとジュリエット
2010年7月19日 タカラヅカ 『ロミオとジュリエット』で名をあげたのは、死@真風くんと愛@礼くんだと思う。
他キャストももちろん素晴らしかったが、彼らはすでに評価を得ている人たちだ。
「新人」枠で注目を集めたのは、彼らだろう。
礼くんは研2、新公他で抜擢はされているが、常識の範囲内の上げ方なので対外的に認識されるほどのものじゃなかった。
それがこの愛役で、一気に知名度アップ。
長い手足としなやかなダンス、光が差すような美貌と表現力。
まだ男役として出来上がっていないからこその、人間ではない女性役のハマりっぷり。
正しく「フェアリー」がそこにいる。
男役としての彼は未知数だけど、ひとりの舞台人としての資質を見せつけてくれた。
今後に期待。
そしてその相方、死役の真風。
もう研5になる彼は、ずーーっと抜擢続きで、「下級生だから仕方ない」「急な抜擢だから仕方ない」で済む段階を超え、そろそろ「結果出してくれてもいいんぢゃね?」「そろそろうまくなってくれてもいいんぢゃね、つか、なってくれなきゃ困るんぢゃね?」なところまで来ていた。
ほんと、いつまで経ってもうまくならないなと(笑)。
抜擢されても、機会を与えられても、投資に見合う結果は返してくれない子だなと。
そんな印象だった。
いやそのわたし、彼のビジュアルが好物ですから!
初舞台の前から、音校文化祭以前、小林公平様の偉業を讃える『花の道 夢の道 永遠の道』の大階段合唱時から、目について仕方なかった水しぇん似のお顔。
顔が好みであるだけに、もどかしいというか、じれったいというか。
うまくなってくんねーかなあ。長身の水しぇんなんて、おいしすぎる資質だろうに。
と、常々彼のへたっぴさと、それでも顔の好みっぷりとで、わたしの小鳩のような小さな胸は揺れ動いていたわけなんですよ(笑)。
ええ、あれは『太王四神記 Ver.II』のフィナーレ、玄武ファイターのとき。
黙って踊る真風は、大層かっこよかったのでございます。
彼のダンスがうまいなんて、とくにというかまったく思わないのですが、黒尽くめで踊る真風が好み過ぎて……。当時の日記にも書いてますな。
黙って踊る真風は好み。
そうたしかに書いていた、そう思っていた。
そしたらなんと、ここでほんっとーに、黙って踊るだけの真風がっ!!
しかも、まさかのトートメイク、トートっぷり!
わざとだよね?
演出家が同じなんだから、わざとやらせてるよね?
しかも役名も同じ「死」なんだから、わざとだよね?
雪組再演『エリザベート』。
タカラヅカでの『エリザベート』上演は5組一巡し、最初に戻ってきた。
同じことを繰り返すだけでは意味がない、小池せんせはなにかしら、新しい『エリザベート』を模索していた……と、初日近辺は思った。
ぶっちゃけ、トート@水は、キモかった(笑)。
爬虫類を通り越して、ヘビまんまの外観、動き。
表情から反応から、異質すぎて気色悪かった。
水しぇんキモい! と叫びながら、わたしは拍手喝采していた。
「水夏希」にしかできないトートだと思った。この気持ち悪いほど「死(=異質)」であるトートを造形できるのは、またできると演出家にGOサインを得られたのは、水しぇんだからだと思った。
だからその気持ち悪さを堪能していたのに。
評判が悪かったのかなあ、あまりにトバしすぎていて。
せっかくの気持ち悪い化け物トート様は、回を追うごとにふつーの「二枚目」「人間の男」に近い、「いつものタカラヅカのトート」に近づいていった。
えええ。
いつものトートなら、なにも2巡目の雪組でやらなくていいじゃん。なんのための2巡目なの、同じコトを永遠に繰り返すため?
「新しい『エリザベート』」を意欲的に作り上げていたはずなのに……こんな風に、小さくまとまらないと、保守的なヅカファンには認められないの? しょぼん。
なーんて、勝手にいろいろ考えていました、当時。
水トート初日のあの衝撃。そして、そこから「ふつー」になっていった変化と落胆。や、それでも水しぇんのトートは好きだったけれど。
初日のぶっ飛ばしっぷりと、その後の変化を知っているだけに、考えちゃうんだ。
イケコ、ほんとは初日のテイストでやりたかったんじゃないのかなって。
ヅカファンが「キモ過ぎるトートはNG、美しいヒーローなトートを見せて!」と言うから路線変更したし、その後の月組再演『エリザベート』では人間くさい「ふつーの美形トート」に戻していた。
だけど、クリエイターとしての小池せんせは、よりビジュアルの突き抜けた、禍々しいトートを創りたかったんじゃないのか?
ヒーローではない、観客が感情移入する必要のない、「異質」な存在。
禍々しく美しく、エロくて不吉で、マイナスでしかない、救いのない存在。
とことん、耽美なトート。
女性だけで演じるタカラヅカでは、究極の美青年を形作ることが出来る。生身の男性には創れない美だ。
だけどタカラヅカでは、タカラヅカであるゆえに、トートを完璧な「死」として描くことはできないんだ。だってトートはトップスター様の役だから。観客が恋をする相手役だから。
二律背反、ジレンマ、なんてもどかしい。
だからこその、主役ではないトート、獲物がエリザベートではない場合の、トート。
『ロミオとジュリエット』で、よーやく自由に「死」を描くことができたんじゃないのか?
これって、『エリザベート』のリベンジぢゃね?
イケコ、水トート大好きだったんだな! だからもう一度、やりたかったんだな、横やりの入らないところで! トートが主役でなければ、縛りはなくなるもの!
キミとシェイクハンド、わたしも大好きだったよ、水トート!! あの容赦なく「死」で、容赦なくキモチワルイところが!!(笑)
てことで、クリエイターの試みとしての、真風トートの造形に注目しました。
まったくチガウ別の作品で、役者もチガウし役もチガウのに、「死」という同じ役を創る、そのトリッキーな姿勢。
『ダンバイン』と『エルガイム』にチャム・ファウが出ていたよーな感じだなっ。(こらこら)
そして、演じる真風が美しかった。
黙って踊っていると、こんなに素敵なんだ。
好みの顔の男が、好みのダークな存在で、妖しい表情して、エロエロしてるんですよ。
見ていて楽しい。
『エリザベート』にて、トートはうっかりエリザベートを愛してしまったからあんなことになってしまったけれど、ターゲットを愛したりしなければ、トートはこれくらい事務的に確実に仕事をしているんだなと。
死はロミオを気に入り、確かに愛しているけれど、それはエリザベートに対する愛ではなくて。だから確実に仕事をし、ロミオをその手におさめる。
『ロミオとジュリエット』、これはエリザベートを愛さなかったトートの物語でもある、と思いました。
他キャストももちろん素晴らしかったが、彼らはすでに評価を得ている人たちだ。
「新人」枠で注目を集めたのは、彼らだろう。
礼くんは研2、新公他で抜擢はされているが、常識の範囲内の上げ方なので対外的に認識されるほどのものじゃなかった。
それがこの愛役で、一気に知名度アップ。
長い手足としなやかなダンス、光が差すような美貌と表現力。
まだ男役として出来上がっていないからこその、人間ではない女性役のハマりっぷり。
正しく「フェアリー」がそこにいる。
男役としての彼は未知数だけど、ひとりの舞台人としての資質を見せつけてくれた。
今後に期待。
そしてその相方、死役の真風。
もう研5になる彼は、ずーーっと抜擢続きで、「下級生だから仕方ない」「急な抜擢だから仕方ない」で済む段階を超え、そろそろ「結果出してくれてもいいんぢゃね?」「そろそろうまくなってくれてもいいんぢゃね、つか、なってくれなきゃ困るんぢゃね?」なところまで来ていた。
ほんと、いつまで経ってもうまくならないなと(笑)。
抜擢されても、機会を与えられても、投資に見合う結果は返してくれない子だなと。
そんな印象だった。
いやそのわたし、彼のビジュアルが好物ですから!
初舞台の前から、音校文化祭以前、小林公平様の偉業を讃える『花の道 夢の道 永遠の道』の大階段合唱時から、目について仕方なかった水しぇん似のお顔。
顔が好みであるだけに、もどかしいというか、じれったいというか。
うまくなってくんねーかなあ。長身の水しぇんなんて、おいしすぎる資質だろうに。
と、常々彼のへたっぴさと、それでも顔の好みっぷりとで、わたしの小鳩のような小さな胸は揺れ動いていたわけなんですよ(笑)。
ええ、あれは『太王四神記 Ver.II』のフィナーレ、玄武ファイターのとき。
黙って踊る真風は、大層かっこよかったのでございます。
彼のダンスがうまいなんて、とくにというかまったく思わないのですが、黒尽くめで踊る真風が好み過ぎて……。当時の日記にも書いてますな。
黙って踊る真風は好み。
そうたしかに書いていた、そう思っていた。
そしたらなんと、ここでほんっとーに、黙って踊るだけの真風がっ!!
しかも、まさかのトートメイク、トートっぷり!
わざとだよね?
演出家が同じなんだから、わざとやらせてるよね?
しかも役名も同じ「死」なんだから、わざとだよね?
雪組再演『エリザベート』。
タカラヅカでの『エリザベート』上演は5組一巡し、最初に戻ってきた。
同じことを繰り返すだけでは意味がない、小池せんせはなにかしら、新しい『エリザベート』を模索していた……と、初日近辺は思った。
ぶっちゃけ、トート@水は、キモかった(笑)。
爬虫類を通り越して、ヘビまんまの外観、動き。
表情から反応から、異質すぎて気色悪かった。
水しぇんキモい! と叫びながら、わたしは拍手喝采していた。
「水夏希」にしかできないトートだと思った。この気持ち悪いほど「死(=異質)」であるトートを造形できるのは、またできると演出家にGOサインを得られたのは、水しぇんだからだと思った。
だからその気持ち悪さを堪能していたのに。
評判が悪かったのかなあ、あまりにトバしすぎていて。
せっかくの気持ち悪い化け物トート様は、回を追うごとにふつーの「二枚目」「人間の男」に近い、「いつものタカラヅカのトート」に近づいていった。
えええ。
いつものトートなら、なにも2巡目の雪組でやらなくていいじゃん。なんのための2巡目なの、同じコトを永遠に繰り返すため?
「新しい『エリザベート』」を意欲的に作り上げていたはずなのに……こんな風に、小さくまとまらないと、保守的なヅカファンには認められないの? しょぼん。
なーんて、勝手にいろいろ考えていました、当時。
水トート初日のあの衝撃。そして、そこから「ふつー」になっていった変化と落胆。や、それでも水しぇんのトートは好きだったけれど。
初日のぶっ飛ばしっぷりと、その後の変化を知っているだけに、考えちゃうんだ。
イケコ、ほんとは初日のテイストでやりたかったんじゃないのかなって。
ヅカファンが「キモ過ぎるトートはNG、美しいヒーローなトートを見せて!」と言うから路線変更したし、その後の月組再演『エリザベート』では人間くさい「ふつーの美形トート」に戻していた。
だけど、クリエイターとしての小池せんせは、よりビジュアルの突き抜けた、禍々しいトートを創りたかったんじゃないのか?
ヒーローではない、観客が感情移入する必要のない、「異質」な存在。
禍々しく美しく、エロくて不吉で、マイナスでしかない、救いのない存在。
とことん、耽美なトート。
女性だけで演じるタカラヅカでは、究極の美青年を形作ることが出来る。生身の男性には創れない美だ。
だけどタカラヅカでは、タカラヅカであるゆえに、トートを完璧な「死」として描くことはできないんだ。だってトートはトップスター様の役だから。観客が恋をする相手役だから。
二律背反、ジレンマ、なんてもどかしい。
だからこその、主役ではないトート、獲物がエリザベートではない場合の、トート。
『ロミオとジュリエット』で、よーやく自由に「死」を描くことができたんじゃないのか?
これって、『エリザベート』のリベンジぢゃね?
イケコ、水トート大好きだったんだな! だからもう一度、やりたかったんだな、横やりの入らないところで! トートが主役でなければ、縛りはなくなるもの!
キミとシェイクハンド、わたしも大好きだったよ、水トート!! あの容赦なく「死」で、容赦なくキモチワルイところが!!(笑)
てことで、クリエイターの試みとしての、真風トートの造形に注目しました。
まったくチガウ別の作品で、役者もチガウし役もチガウのに、「死」という同じ役を創る、そのトリッキーな姿勢。
『ダンバイン』と『エルガイム』にチャム・ファウが出ていたよーな感じだなっ。(こらこら)
そして、演じる真風が美しかった。
黙って踊っていると、こんなに素敵なんだ。
好みの顔の男が、好みのダークな存在で、妖しい表情して、エロエロしてるんですよ。
見ていて楽しい。
『エリザベート』にて、トートはうっかりエリザベートを愛してしまったからあんなことになってしまったけれど、ターゲットを愛したりしなければ、トートはこれくらい事務的に確実に仕事をしているんだなと。
死はロミオを気に入り、確かに愛しているけれど、それはエリザベートに対する愛ではなくて。だから確実に仕事をし、ロミオをその手におさめる。
『ロミオとジュリエット』、これはエリザベートを愛さなかったトートの物語でもある、と思いました。
コメント