ありがとう。@ロジェ
2010年9月13日 タカラヅカ アンジーのお伽噺を思い出した。
夜の街を、ケガをした少年が歩いている。血を流しながら歩いている。
それに気づいた見知らぬ少女が、少年の傷口に触れる。
少年は触れられた痛みに、少女を罵る。
「あなたは何故ボクの傷口にふれるのですか? ふれて…この傷を癒せるというのですか? ではせめて包帯を巻いてくださるというのか?」
なにも出来ない少女は泣き崩れ、ひとり去る少年は以前よりもっと辛い痛みを抱えて歩く。
泣く少女と同じ夜空の下を。
この物語に、小さなマックスは異を唱える。そんな結末はいやだ、と。
グレアムは問う。「それじゃマックスはどうしたいの?」
少女に触れられた少年は、少女を罵る。そしてひとりで歩き去る。
そこまでは同じ。
でも少女は、泣き崩れるのではなく、少年のあとをずっとついていく。
ナニもできないのに。
傷を癒すことも包帯を巻くことも、なにひとつできないのに、ただ少年のあとをついていく。
そんな少女の足音が、ひとり歩く少年の耳に届いている。
そして少年は言うんだ、やがて。
「ありがとう」
と。
「ボクなら、“ありがとう”って言うもン!」
「うん…男の子ならね…そして…マックスがその女の子なら、ずっと男の子の後ろをついていってあげるんだね」
マックスはグレアムに約束する。「きっとそうする!」と。
……いつもいつも、同じ出典で恐縮だが。わたしの根幹にある物語なのでご容赦を。
ロジェをひとりにできなくて、「殴るぞ」と罵られながらも、ただそばにいるレアは、マックスの語る物語の「女の子」なんだなと。
血を流す少年を放っておけず、なにもできなくても、あとをついていく女の子なんだな。
そしてロジェは。
「ありがとう」とは言わないけれど、「謝ろうと思ってた」とは言える男の子なんだな。
そんなことを、思った。
『ロジェ』東宝千秋楽。
ムラ楽を観たとき、レア@みなこがロジェ@水くんに恋をしている、女性視点で恋を味わえると思った。が、今回のレアからは、色恋なんていう艶っぽいものは伝わらなかった。人間、とか、同志、とか、そんな堅いものを感じた。
反対に、恋を感じたのは、ロジェの方だ。
レアを求めているのは、恋情ゆえに見えた。
『ロジェ』という作品のストーリーは好きじゃないし、作者にいろいろ物申したいことはあるんだけれど、「水夏希」を眺める雛形としては、優秀な作品なんだろうなと思う。
スーツの着こなしや骨太な漢っぽい雰囲気、ハードな世界観で、「男役」としての水くんを眺める、という目的で、ストーリーだのキャラクタだのは後付ででっち上げられた、とすれば。
シュミット@ヲヅキとの対峙場面、苦悩全開のロジェにオペラグラスをロックオンしたまま、だーだー泣いた。
なにがどうじゃなく、もお、彼の慟哭に巻き込まれて泣いた。泣けてしょうがなかった。
とにかくロジェからオペラ離さないもんで、他のキャラクタたちは声だけの出演になりがちなんだが、リオン@キムの「お前と同じだけ、お前の気持ちはわからない」の声だけの台詞にも、アホみたく泣けた。
ストーリーが、とか、キャラクタが、とかじゃなく、そこにある「ロジェ」という男の存在感、彼が今苦悩している事実のみに胸が圧迫され、苦しくて悲しくて、切なくてたまらなかった。
だから最後のタンゴ酒場で、レアを相手に話しているところで……だから、水夏希が好きなんだと、改めて思った。
彼は暗く熱のこもった瞳でレアを見つめていて。
恋とか愛とか、誰かに向かって動く心っていうのは、なにかしらプラスのモノじゃない、ふつう。明るさやあたたかさがあるっていうか。
なのにロジェの瞳には、あたたかさとは別の暗い熱があって、その心の動きが彼を幸せにしていないこと、苦しめていることを思い知らせる。
彼がレアを愛しているとして、その愛が彼を幸福にするためには、まだいくつものものを乗り越えなくちゃいけないんだろうな。
それが、24年間復讐だけに生きてきた男なんだ。復讐から解き放たれたとしても、彼はいきなりジョルジュ@『君を愛してる』みたいにのーてんきに恋したりはできないんだ。
最後の最後に、この眼を見られた。
そのための、『ロジェ』なんだ。
ショーの水くんはたしかにかっこいいけれど、ショーでは基本的に本人>役だから、どうしても水しぇん自身の顔になる。
もちろん、水夏希として舞台に立つ水くんが好きだけど、素の彼では決してしない表情を、「役」としてならするんだ。
そのために「役」があり、最後の作品、最後の役で、作者の問題で物語としてもキャラクタとしても欠陥だらけだけど、水くんのハードな表情を見せるために、この『ロジェ』があったんだ。
と、思うくらいに、ロジェの表情は、美しかった。好みど真ん中だった。
その美しさに射抜かれて、改めて好みの人なのだと思い知らされて。
最後の最後に、こんなに好きでいさせてくれてありがとう。
そういやリオンの「お前と同じだけ、お前の気持ちはわからない」という台詞は、ブラッドのこの台詞を思い出させるな、と、この日記を書いていて思った。『奴らが消えた夜』のアンジーのお伽噺の隣のページにあるんだもの。
「君達は傷ついて…そして言うんだ“君にはわからない、この痛みはわかりはしない!!”って。そうかもしれない、ボクには! 君達が傷つけられたのを見て…察することしかできない…だけど君達…知っているかい? 君達がそう言う時には、君達が拒まれているのと同様に、ボク達を拒んでいるんだって!!」
君の気持ちはわからない。誰だって、他人の気持ちを完全に理解することなんか出来ない。
だけど。
だけど……。
誰にもわからない、と拒絶する生き方をしていたロジェは、リオンの言葉に異を唱えずに去る。否定せずに去る。
彼の人生は、いろんなものを肯定するところから、はじまるんだ。
夜の街を、ケガをした少年が歩いている。血を流しながら歩いている。
それに気づいた見知らぬ少女が、少年の傷口に触れる。
少年は触れられた痛みに、少女を罵る。
「あなたは何故ボクの傷口にふれるのですか? ふれて…この傷を癒せるというのですか? ではせめて包帯を巻いてくださるというのか?」
なにも出来ない少女は泣き崩れ、ひとり去る少年は以前よりもっと辛い痛みを抱えて歩く。
泣く少女と同じ夜空の下を。
この物語に、小さなマックスは異を唱える。そんな結末はいやだ、と。
グレアムは問う。「それじゃマックスはどうしたいの?」
少女に触れられた少年は、少女を罵る。そしてひとりで歩き去る。
そこまでは同じ。
でも少女は、泣き崩れるのではなく、少年のあとをずっとついていく。
ナニもできないのに。
傷を癒すことも包帯を巻くことも、なにひとつできないのに、ただ少年のあとをついていく。
そんな少女の足音が、ひとり歩く少年の耳に届いている。
そして少年は言うんだ、やがて。
「ありがとう」
と。
「ボクなら、“ありがとう”って言うもン!」
「うん…男の子ならね…そして…マックスがその女の子なら、ずっと男の子の後ろをついていってあげるんだね」
マックスはグレアムに約束する。「きっとそうする!」と。
……いつもいつも、同じ出典で恐縮だが。わたしの根幹にある物語なのでご容赦を。
ロジェをひとりにできなくて、「殴るぞ」と罵られながらも、ただそばにいるレアは、マックスの語る物語の「女の子」なんだなと。
血を流す少年を放っておけず、なにもできなくても、あとをついていく女の子なんだな。
そしてロジェは。
「ありがとう」とは言わないけれど、「謝ろうと思ってた」とは言える男の子なんだな。
そんなことを、思った。
『ロジェ』東宝千秋楽。
ムラ楽を観たとき、レア@みなこがロジェ@水くんに恋をしている、女性視点で恋を味わえると思った。が、今回のレアからは、色恋なんていう艶っぽいものは伝わらなかった。人間、とか、同志、とか、そんな堅いものを感じた。
反対に、恋を感じたのは、ロジェの方だ。
レアを求めているのは、恋情ゆえに見えた。
『ロジェ』という作品のストーリーは好きじゃないし、作者にいろいろ物申したいことはあるんだけれど、「水夏希」を眺める雛形としては、優秀な作品なんだろうなと思う。
スーツの着こなしや骨太な漢っぽい雰囲気、ハードな世界観で、「男役」としての水くんを眺める、という目的で、ストーリーだのキャラクタだのは後付ででっち上げられた、とすれば。
シュミット@ヲヅキとの対峙場面、苦悩全開のロジェにオペラグラスをロックオンしたまま、だーだー泣いた。
なにがどうじゃなく、もお、彼の慟哭に巻き込まれて泣いた。泣けてしょうがなかった。
とにかくロジェからオペラ離さないもんで、他のキャラクタたちは声だけの出演になりがちなんだが、リオン@キムの「お前と同じだけ、お前の気持ちはわからない」の声だけの台詞にも、アホみたく泣けた。
ストーリーが、とか、キャラクタが、とかじゃなく、そこにある「ロジェ」という男の存在感、彼が今苦悩している事実のみに胸が圧迫され、苦しくて悲しくて、切なくてたまらなかった。
だから最後のタンゴ酒場で、レアを相手に話しているところで……だから、水夏希が好きなんだと、改めて思った。
彼は暗く熱のこもった瞳でレアを見つめていて。
恋とか愛とか、誰かに向かって動く心っていうのは、なにかしらプラスのモノじゃない、ふつう。明るさやあたたかさがあるっていうか。
なのにロジェの瞳には、あたたかさとは別の暗い熱があって、その心の動きが彼を幸せにしていないこと、苦しめていることを思い知らせる。
彼がレアを愛しているとして、その愛が彼を幸福にするためには、まだいくつものものを乗り越えなくちゃいけないんだろうな。
それが、24年間復讐だけに生きてきた男なんだ。復讐から解き放たれたとしても、彼はいきなりジョルジュ@『君を愛してる』みたいにのーてんきに恋したりはできないんだ。
最後の最後に、この眼を見られた。
そのための、『ロジェ』なんだ。
ショーの水くんはたしかにかっこいいけれど、ショーでは基本的に本人>役だから、どうしても水しぇん自身の顔になる。
もちろん、水夏希として舞台に立つ水くんが好きだけど、素の彼では決してしない表情を、「役」としてならするんだ。
そのために「役」があり、最後の作品、最後の役で、作者の問題で物語としてもキャラクタとしても欠陥だらけだけど、水くんのハードな表情を見せるために、この『ロジェ』があったんだ。
と、思うくらいに、ロジェの表情は、美しかった。好みど真ん中だった。
その美しさに射抜かれて、改めて好みの人なのだと思い知らされて。
最後の最後に、こんなに好きでいさせてくれてありがとう。
そういやリオンの「お前と同じだけ、お前の気持ちはわからない」という台詞は、ブラッドのこの台詞を思い出させるな、と、この日記を書いていて思った。『奴らが消えた夜』のアンジーのお伽噺の隣のページにあるんだもの。
「君達は傷ついて…そして言うんだ“君にはわからない、この痛みはわかりはしない!!”って。そうかもしれない、ボクには! 君達が傷つけられたのを見て…察することしかできない…だけど君達…知っているかい? 君達がそう言う時には、君達が拒まれているのと同様に、ボク達を拒んでいるんだって!!」
君の気持ちはわからない。誰だって、他人の気持ちを完全に理解することなんか出来ない。
だけど。
だけど……。
誰にもわからない、と拒絶する生き方をしていたロジェは、リオンの言葉に異を唱えずに去る。否定せずに去る。
彼の人生は、いろんなものを肯定するところから、はじまるんだ。
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