会いたい、悪いヤツ(笑)。@ジプシー男爵
2010年9月20日 タカラヅカ 『ジプシー男爵』は、主人公のシュテルク@きりやんをどう捉えて観るか、で没入感が大きく変わるよなと。
きりやんは陽性のキャラクタで、骨太で力強い。だから、彼にヒーローをやらせたくなる演出家の気持ちはわかる。
が。
きりやさんねえ。ヒーローやると、実はあちこち黒くなるんだよねえ、あの人(笑)。
ツッコミどころ満載で力業で進むこのおとぎ話。
主人公シュテルクを、おとぎ話のヒーローだと思って観ていると、違和感が大きくなる。物語に置き去りされる。
そーじゃない。シュテルクはヒーローでも陽性のキャラでもない。
アレは、黒い人だから。毒のある人だから(笑)。
コメディっぽく誤魔化してはいるけど。
シュテルクってひどいわー。黒いわー。素敵だわー。
台詞とか展開とかいう表面的な問題ではなく、シュテルク個人から、匂い立つ毒がある。
ああ、だからこそ、霧矢大夢という役者は魅力的なのだと思う。表面にあるものと、醸し出すモノのアンバランスさ、深さがあるから。
てことで、シュテルク悪いヤツ!と思って見れば、この物語はなかなか痛快だ。
マリア・テレジア@あーちゃんの前でも傍若無人にふるまったりするが、それは天真爛漫とか育ちが悪いとか信念があるとか、そんなことではなく、彼が「黒い男」だからなのよ。
いろんな計算があって、そう振る舞ってるの。
彼は基本人の話は聞かないし、自分の思った通りにしか行動しない。それも器が大きいからではなく、「黒い男」だからなのよ。
ぜんぜん、善人じゃないのよ。
ただ、彼の価値観は通俗的なモノではないので、ほんとうに身分やお金には興味ないのだと思う。貴族様として宮廷でぶいぶい言わせたいわけでもなく、財宝を手に遊び暮らしたいわけでもない。
差別意識もないから、ジプシーを見下さないし、女王様にもへつらわない。
彼は、「自分が心地よく生きる」ということにのみ興味を持って、生きている。
同じ黒い男でも、たとえば星組のれおんくんなんかは、「王者ゆえの傲慢さ」を持ったキャラだと思う。獅子だから、ウサギの気持ちなんかわかりませんっていうか。シマウマなんか食べちゃいますよとか。
きりやんには、そういう「王者」系の黒さは感じない。
きりやんは道の真ん中を行くブルドーザーやローラーカーではなく、もっとトリッキーな動きをするモノ、だな。
明るく強いんだけど、他者を圧倒するのではなく、浸透する感じというか。抑えつける、ような直接的な行動には出ていないのに、彼をふりほどくことはできないっていうか。
狡賢いのではない。彼の魂の強さが、弱者を取り込んでしまうんだ。
しかも彼には、天性の愛嬌がある。だから、取り込まれたモノたちも、支配されたとか食われたとかは思わず、気づかず、彼のために道を譲る。
シュテルクってのは、そーゆー人なんだと思う。
谷せんせの描くテンプレ英雄キャラに、きりやんの持ち味が絶妙ブレンド(笑)。
天性の華。存在感。説得力。
シュテルクが突然ザッフィ@まりもちゃんと「結婚する」と言い出したとこなんか、ソレが実に現れているよなー。
まだふたりっきりでなにかしら語り合ったこともない、歌聴いたぐらいの関係の娘つかまえて、ナニ勝手に宣言してんだ!だけど、なんか納得。
きりやんが……いやいや、シュテルクが言うなら、そうだろうよ、と。アリだろうよと。
でもって、ジプシーのツンデレ美青年パリ@まさお。
彼なんかもまさに、シュテルクの犠牲者……ゲフンゲフン、もとい、心酔者。ザッフィがそうであるように、簡単にシュテルクにコマされちゃった人。
クールキャラだったのに、デレたあとは人格崩壊、別人になっちゃってます(笑)。
そうやってシュテルクは、人生を思い通りにしていく。
明るさと強さと、黒さを持って。
いいなあ、シュテルク。
相手役のザッフィ@まりもちゃんは、いろんな意味でシュテルク@きりやんにお似合い。
彼女の持つ骨太な野性味が、自然の嗅覚、獣の本能でシュテルクを選ぶのが、わかるの。納得できるの。
彼女なら、そうだろう、と。
だから最後の場面で、華美なドレスを捨て、ジプシー娘としてシュテルクについていくことに、無理がない。
彼女なら、そうだろう、と。
ワイズな獣、っていいなあ。
こちらも本能部分でわくわくする。
でもってザッフィはきれいだね。宮廷ドレスより、ジプシーの情熱的な衣装が似合う。
なんつっても、あの肩。あの脚。
そうか、マルグリット@『スカピン』じゃあ、肩は出せても脚を出せないもんなー。あの脚はいいわー、眼福だわー(笑)。
きりやんとまりものカップルは良いし、『ジプシー男爵』のはじまり方は好き。
暗い、広い舞台にふたりの男女、そしてふたりをつなぐ一条の光。そこからはじまるデュエットダンス。 ああ、美しい。
と、しみじみ思った。
思った……けど。
あのー、このダンス、いつまでやんの? とは思った……。
オープニングに、ストーリーとは無関係のショーを長々付けるのは植爺・谷コンビのお約束、伝統芸。オープニングをストーリーに絡めれば、もっと話が破綻せずにすむのに、とか、時間短縮してストーリー破綻の補足に当てろよとか、不遇なキャストの救済に使えよとか、いろいろあるけれど。
『JAZZYな妖精たち』のオープニングも長かった、えんえんえんえん長かった。『パリの空よりも高く』のオープニングも長かった。えんえんえんえん長かった。
しかし。
スター総動員だったじゃないか、ストーリーと無関係でも、別物のショーでしかなくても、とりあえず、みんな出ていた。
つまんなくても、贔屓が出ていればリピートできる・するのがヅカファン。どんだけ長い場面でも、贔屓が出ていればなんとでもなる。
が、誰も出てないって……。
きりやんとまりもちゃん以外のファンには、長すぎないか、コレ……?
美しい、素晴らしいダンスだとは思うが、1回2回ならそれでいいが、10回20回前提の人たちには、長すぎると思う……。
ショーならともかく、芝居だからなー。ストーリー展開として必要だというならともかく(主人公とヒロインの愛のダンスは必須ですから! それはふたりっきりである程度の長さ踊ってくれても文句なし)、無関係でコレってのは、演出家KYだなと。
トップコンビの退団公演みたいな作りの最初と最後だよな。
きりやんは陽性のキャラクタで、骨太で力強い。だから、彼にヒーローをやらせたくなる演出家の気持ちはわかる。
が。
きりやさんねえ。ヒーローやると、実はあちこち黒くなるんだよねえ、あの人(笑)。
ツッコミどころ満載で力業で進むこのおとぎ話。
主人公シュテルクを、おとぎ話のヒーローだと思って観ていると、違和感が大きくなる。物語に置き去りされる。
そーじゃない。シュテルクはヒーローでも陽性のキャラでもない。
アレは、黒い人だから。毒のある人だから(笑)。
コメディっぽく誤魔化してはいるけど。
シュテルクってひどいわー。黒いわー。素敵だわー。
台詞とか展開とかいう表面的な問題ではなく、シュテルク個人から、匂い立つ毒がある。
ああ、だからこそ、霧矢大夢という役者は魅力的なのだと思う。表面にあるものと、醸し出すモノのアンバランスさ、深さがあるから。
てことで、シュテルク悪いヤツ!と思って見れば、この物語はなかなか痛快だ。
マリア・テレジア@あーちゃんの前でも傍若無人にふるまったりするが、それは天真爛漫とか育ちが悪いとか信念があるとか、そんなことではなく、彼が「黒い男」だからなのよ。
いろんな計算があって、そう振る舞ってるの。
彼は基本人の話は聞かないし、自分の思った通りにしか行動しない。それも器が大きいからではなく、「黒い男」だからなのよ。
ぜんぜん、善人じゃないのよ。
ただ、彼の価値観は通俗的なモノではないので、ほんとうに身分やお金には興味ないのだと思う。貴族様として宮廷でぶいぶい言わせたいわけでもなく、財宝を手に遊び暮らしたいわけでもない。
差別意識もないから、ジプシーを見下さないし、女王様にもへつらわない。
彼は、「自分が心地よく生きる」ということにのみ興味を持って、生きている。
同じ黒い男でも、たとえば星組のれおんくんなんかは、「王者ゆえの傲慢さ」を持ったキャラだと思う。獅子だから、ウサギの気持ちなんかわかりませんっていうか。シマウマなんか食べちゃいますよとか。
きりやんには、そういう「王者」系の黒さは感じない。
きりやんは道の真ん中を行くブルドーザーやローラーカーではなく、もっとトリッキーな動きをするモノ、だな。
明るく強いんだけど、他者を圧倒するのではなく、浸透する感じというか。抑えつける、ような直接的な行動には出ていないのに、彼をふりほどくことはできないっていうか。
狡賢いのではない。彼の魂の強さが、弱者を取り込んでしまうんだ。
しかも彼には、天性の愛嬌がある。だから、取り込まれたモノたちも、支配されたとか食われたとかは思わず、気づかず、彼のために道を譲る。
シュテルクってのは、そーゆー人なんだと思う。
谷せんせの描くテンプレ英雄キャラに、きりやんの持ち味が絶妙ブレンド(笑)。
天性の華。存在感。説得力。
シュテルクが突然ザッフィ@まりもちゃんと「結婚する」と言い出したとこなんか、ソレが実に現れているよなー。
まだふたりっきりでなにかしら語り合ったこともない、歌聴いたぐらいの関係の娘つかまえて、ナニ勝手に宣言してんだ!だけど、なんか納得。
きりやんが……いやいや、シュテルクが言うなら、そうだろうよ、と。アリだろうよと。
でもって、ジプシーのツンデレ美青年パリ@まさお。
彼なんかもまさに、シュテルクの犠牲者……ゲフンゲフン、もとい、心酔者。ザッフィがそうであるように、簡単にシュテルクにコマされちゃった人。
クールキャラだったのに、デレたあとは人格崩壊、別人になっちゃってます(笑)。
そうやってシュテルクは、人生を思い通りにしていく。
明るさと強さと、黒さを持って。
いいなあ、シュテルク。
相手役のザッフィ@まりもちゃんは、いろんな意味でシュテルク@きりやんにお似合い。
彼女の持つ骨太な野性味が、自然の嗅覚、獣の本能でシュテルクを選ぶのが、わかるの。納得できるの。
彼女なら、そうだろう、と。
だから最後の場面で、華美なドレスを捨て、ジプシー娘としてシュテルクについていくことに、無理がない。
彼女なら、そうだろう、と。
ワイズな獣、っていいなあ。
こちらも本能部分でわくわくする。
でもってザッフィはきれいだね。宮廷ドレスより、ジプシーの情熱的な衣装が似合う。
なんつっても、あの肩。あの脚。
そうか、マルグリット@『スカピン』じゃあ、肩は出せても脚を出せないもんなー。あの脚はいいわー、眼福だわー(笑)。
きりやんとまりものカップルは良いし、『ジプシー男爵』のはじまり方は好き。
暗い、広い舞台にふたりの男女、そしてふたりをつなぐ一条の光。そこからはじまるデュエットダンス。 ああ、美しい。
と、しみじみ思った。
思った……けど。
あのー、このダンス、いつまでやんの? とは思った……。
オープニングに、ストーリーとは無関係のショーを長々付けるのは植爺・谷コンビのお約束、伝統芸。オープニングをストーリーに絡めれば、もっと話が破綻せずにすむのに、とか、時間短縮してストーリー破綻の補足に当てろよとか、不遇なキャストの救済に使えよとか、いろいろあるけれど。
『JAZZYな妖精たち』のオープニングも長かった、えんえんえんえん長かった。『パリの空よりも高く』のオープニングも長かった。えんえんえんえん長かった。
しかし。
スター総動員だったじゃないか、ストーリーと無関係でも、別物のショーでしかなくても、とりあえず、みんな出ていた。
つまんなくても、贔屓が出ていればリピートできる・するのがヅカファン。どんだけ長い場面でも、贔屓が出ていればなんとでもなる。
が、誰も出てないって……。
きりやんとまりもちゃん以外のファンには、長すぎないか、コレ……?
美しい、素晴らしいダンスだとは思うが、1回2回ならそれでいいが、10回20回前提の人たちには、長すぎると思う……。
ショーならともかく、芝居だからなー。ストーリー展開として必要だというならともかく(主人公とヒロインの愛のダンスは必須ですから! それはふたりっきりである程度の長さ踊ってくれても文句なし)、無関係でコレってのは、演出家KYだなと。
トップコンビの退団公演みたいな作りの最初と最後だよな。
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