彼はきっと、マリポーサの花を贈るだろう。@はじめて愛した
2010年10月16日 タカラヅカ 思い出すのは、『銀の狼』。
『はじめて愛した』は、「いつものマサツカ」であるがため、過去のマサツカ作品があっちこっちパッチワークされているので、どこにどう引っかかるかは、見ている人次第だろう。
わたしは思い入れの深さから、『銀の狼』雪組再演版を思い出す。
記憶喪失の目撃者を殺せず、手元に置く殺し屋の物語。
ガイ@キムはそーやってレイチェル@あゆちゃんを手元に置き、よーするにそれは恋だった、ってオチだから、つまり同じシチュエーションのレイ@水しぇんは、シルバ@コム姫を愛してたってことでFAよね、という。
『薔薇に降る雨』のジャスティン@タニがイヴェット@ウメに言う、「大丈夫?」という台詞で、『愛するには短すぎる』でフレッド@わたるくんがバーバラ@となみちゃんに言った「大丈夫?」の意味がわかったように!
恥ずかしい人だわ、ハリーって!!(ナニを今さら)
正塚せんせの恥ずかしさについてはもういいので(笑)、『はじ愛』のセンチメンタル中二病全開殺し屋ガイくんのこと。
『はじめて愛した』は、『銀の狼』に似ている。つか、もうひとつの『銀の狼』……悪く言えば、自己模倣で過去作品を軽くなぞった『銀の狼』。
『銀の狼』がふつーの小説なら、『はじめて愛した』は、ライトノベル。『銀の狼』が単館上映の映画ならば、『はじ愛』はアニメかアイドル主演映画。
わたしは『銀の狼』を名作だと思っているけれど、あんな絶望的にイタイ物語は、そうそう出していいもんぢゃないとも思っている。タカラヅカには、もう少し希望とか救いがあるべきだ。
だから、『銀の狼』をもっとライトにしたものが、『はじ愛』。
主人公は男女にして、恋愛して、お笑い要素も含んで、最後は明るくハッピーエンド。
でもって、ここが最重要、主人公が、かっこいい。
ガイって、いい男だよね。
こんなにストレートに「カッコイイ!」と思えるキムラさんに会えるとは、うれしい驚き。
モノローグ多すぎだけど。
そしてそのモノローグでぐだぐだ中二病なことをほざいていて、ウザいけど(笑)。オマエソレは14歳で卒業しとけ!な「生きるってナニ」「人間ってナニ」「トツベツな俺様のトクベツな悩み」「俺は病んでいるのかもしれない」で、「自分探し」っぷりがウザいけど(笑)。
それでも、かっこいいの(笑)。←笑いマーク多すぎ。
ガイがいつレイチェルを愛したのか、もう1回観たらわかるかな、と思ったけれど、結局わからなかった(笑)。
そしてここでの問題は、いつ愛したのかではなく、そんなことはどーでもいい、と思わせてしまうことだろう。
もういいや。劇的なフォーリンラヴでなくても、「このふたりならいいや」と思えるから。
2幕最初の、カメラの場面。
あっこ、泣けるんですけど。
ガイが笑ってるもの、たぶんきっと、本来の彼の顔で。
戦争さえなければ、父親さえ殺されなければ、彼はきっとこんな風に笑って写真を撮る、ふつーの若者だったんだ。
こんな顔を見せるのだから、きっと彼は、レイチェルに心を許しているんだなと。
そして、ラストの再会場面。
だまされていた、利用されていた、とわかったレイチェルが取り乱して怒って、いろいろ言う。
もし私が来なかったらどうするつもりだったの、てな言葉に。
「待つつもりだった」
と、答えるガイ。
愛の言葉も言ってないし、聞いてない。キスひとつしてない。
それでも彼女の愛を利用し、操って。
警察の前であそこまで本気で泣いてくれりゃあ、誰もガイの死を狂言だとは思わないだろう、見事な嘆きっぷりで。
ソレで本来、彼女はお役ご免。確実に操っていたのは、そこまで。
その後彼女がつらい記憶を全部忘れて、なかったことにして、人生やり直してしまうかもしれない、そこまでは操れない。
それで、どうするつもりだった?
待つつもりだった。
自分から会いに行けば、彼女の愛を得られるとしても。そうはせず、彼女の気持ちに懸けた。
レイチェルに「選択の自由」を与える。
それがガイのけじめだったんだろう。そのため彼女を失うことになったとしても。罰として受け入れるつもりだったんだろう。
……勝手だけどね。正しいかどうかは、わからないけどね。
それでも。
「待つつもりだった」
と言う男に、胸がずきゅんと撃ち抜かれました(笑)。
バカだけど、愛しい男だ。カッコイイ男だ。
バカだけどね(笑)。
約束の日にえんえんマリポーサの花を贈り続ける系の、バカで独りよがりで、女の気持ちがわかっていない迷惑な男。
でもわたし、こーゆー男が好きだ。マリポーサの花を贈る男が好きだったように。
ったく、マサツカはこーゆー男を「カッコイイ俺」と思って書いてるんだうなあ(笑)。でもってわたし、正塚せんせのそーゆーとこが好きよ(笑)。
『銀の狼』の絶望感が大好きだけど、あれはある意味正塚せんせらしくない作品だと思うの。
彼の書く物語の根底にあるのは、骨太な人間讃歌、人生讃歌だから。
コム姫とまーちゃんという、闇や毒を多分に持った人たちが演じてしまったので、ラストの旅立ちの輝度が苦くなっていた。
それだからこそ、大好きなんだけど。
でも、まっすぐにハッピーエンドにたどりつく、ライト・バージョンの『銀の狼』も、あっていいと思う。
似た設定、似た物語、でも、まったくの別物として。
にしてもさ、よーするに主人公がカッコイイ、ってだけで、オールオッケー、他は全部吹き飛ばすんだなと、なんか久しぶりに納得した、タカラヅカというシステムを(笑)。
ガイくんは好みです。
いろんな面で。
『はじめて愛した』は、「いつものマサツカ」であるがため、過去のマサツカ作品があっちこっちパッチワークされているので、どこにどう引っかかるかは、見ている人次第だろう。
わたしは思い入れの深さから、『銀の狼』雪組再演版を思い出す。
記憶喪失の目撃者を殺せず、手元に置く殺し屋の物語。
ガイ@キムはそーやってレイチェル@あゆちゃんを手元に置き、よーするにそれは恋だった、ってオチだから、つまり同じシチュエーションのレイ@水しぇんは、シルバ@コム姫を愛してたってことでFAよね、という。
『薔薇に降る雨』のジャスティン@タニがイヴェット@ウメに言う、「大丈夫?」という台詞で、『愛するには短すぎる』でフレッド@わたるくんがバーバラ@となみちゃんに言った「大丈夫?」の意味がわかったように!
恥ずかしい人だわ、ハリーって!!(ナニを今さら)
正塚せんせの恥ずかしさについてはもういいので(笑)、『はじ愛』のセンチメンタル中二病全開殺し屋ガイくんのこと。
『はじめて愛した』は、『銀の狼』に似ている。つか、もうひとつの『銀の狼』……悪く言えば、自己模倣で過去作品を軽くなぞった『銀の狼』。
『銀の狼』がふつーの小説なら、『はじめて愛した』は、ライトノベル。『銀の狼』が単館上映の映画ならば、『はじ愛』はアニメかアイドル主演映画。
わたしは『銀の狼』を名作だと思っているけれど、あんな絶望的にイタイ物語は、そうそう出していいもんぢゃないとも思っている。タカラヅカには、もう少し希望とか救いがあるべきだ。
だから、『銀の狼』をもっとライトにしたものが、『はじ愛』。
主人公は男女にして、恋愛して、お笑い要素も含んで、最後は明るくハッピーエンド。
でもって、ここが最重要、主人公が、かっこいい。
ガイって、いい男だよね。
こんなにストレートに「カッコイイ!」と思えるキムラさんに会えるとは、うれしい驚き。
モノローグ多すぎだけど。
そしてそのモノローグでぐだぐだ中二病なことをほざいていて、ウザいけど(笑)。オマエソレは14歳で卒業しとけ!な「生きるってナニ」「人間ってナニ」「トツベツな俺様のトクベツな悩み」「俺は病んでいるのかもしれない」で、「自分探し」っぷりがウザいけど(笑)。
それでも、かっこいいの(笑)。←笑いマーク多すぎ。
ガイがいつレイチェルを愛したのか、もう1回観たらわかるかな、と思ったけれど、結局わからなかった(笑)。
そしてここでの問題は、いつ愛したのかではなく、そんなことはどーでもいい、と思わせてしまうことだろう。
もういいや。劇的なフォーリンラヴでなくても、「このふたりならいいや」と思えるから。
2幕最初の、カメラの場面。
あっこ、泣けるんですけど。
ガイが笑ってるもの、たぶんきっと、本来の彼の顔で。
戦争さえなければ、父親さえ殺されなければ、彼はきっとこんな風に笑って写真を撮る、ふつーの若者だったんだ。
こんな顔を見せるのだから、きっと彼は、レイチェルに心を許しているんだなと。
そして、ラストの再会場面。
だまされていた、利用されていた、とわかったレイチェルが取り乱して怒って、いろいろ言う。
もし私が来なかったらどうするつもりだったの、てな言葉に。
「待つつもりだった」
と、答えるガイ。
愛の言葉も言ってないし、聞いてない。キスひとつしてない。
それでも彼女の愛を利用し、操って。
警察の前であそこまで本気で泣いてくれりゃあ、誰もガイの死を狂言だとは思わないだろう、見事な嘆きっぷりで。
ソレで本来、彼女はお役ご免。確実に操っていたのは、そこまで。
その後彼女がつらい記憶を全部忘れて、なかったことにして、人生やり直してしまうかもしれない、そこまでは操れない。
それで、どうするつもりだった?
待つつもりだった。
自分から会いに行けば、彼女の愛を得られるとしても。そうはせず、彼女の気持ちに懸けた。
レイチェルに「選択の自由」を与える。
それがガイのけじめだったんだろう。そのため彼女を失うことになったとしても。罰として受け入れるつもりだったんだろう。
……勝手だけどね。正しいかどうかは、わからないけどね。
それでも。
「待つつもりだった」
と言う男に、胸がずきゅんと撃ち抜かれました(笑)。
バカだけど、愛しい男だ。カッコイイ男だ。
バカだけどね(笑)。
約束の日にえんえんマリポーサの花を贈り続ける系の、バカで独りよがりで、女の気持ちがわかっていない迷惑な男。
でもわたし、こーゆー男が好きだ。マリポーサの花を贈る男が好きだったように。
ったく、マサツカはこーゆー男を「カッコイイ俺」と思って書いてるんだうなあ(笑)。でもってわたし、正塚せんせのそーゆーとこが好きよ(笑)。
『銀の狼』の絶望感が大好きだけど、あれはある意味正塚せんせらしくない作品だと思うの。
彼の書く物語の根底にあるのは、骨太な人間讃歌、人生讃歌だから。
コム姫とまーちゃんという、闇や毒を多分に持った人たちが演じてしまったので、ラストの旅立ちの輝度が苦くなっていた。
それだからこそ、大好きなんだけど。
でも、まっすぐにハッピーエンドにたどりつく、ライト・バージョンの『銀の狼』も、あっていいと思う。
似た設定、似た物語、でも、まったくの別物として。
にしてもさ、よーするに主人公がカッコイイ、ってだけで、オールオッケー、他は全部吹き飛ばすんだなと、なんか久しぶりに納得した、タカラヅカというシステムを(笑)。
ガイくんは好みです。
いろんな面で。
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