裏の呼び名は、バード。@はじめて愛した
2010年10月21日 タカラヅカ ガイ@キムがかっこいい。
としか書いていない気もする、『はじめて愛した』。
でもそれが最重要なので、ソレについてまだ書く(笑)。
また記憶喪失モノなのかよ。
ってことで、プゲラな思いで公式の「あらすじ」を見たの。読むというより、「見た」。予備知識いらない派なので、ちゃんと読んではいない。
最初の1行しか、まともには読んでなかったと思う。
> 一匹狼の殺し屋バードは、表向きはガイ・コンスタンティンと名乗るフリー・カメラマンを装っていた。
あー、はいはい、殺し屋ねー。
この1行ですでに、あらすじを読む気がなくなる(笑)。
そんでもって、実際に舞台を観て。
キムらしくない、ぼそぼそとした暗い喋り方のモノローグが続いて。
なんか鬱屈した世界がそこにあって。
キムらしくない、大人のかっこいーちょっと枯れた風情の男として、踊っていて。
そして。
その闇を感じさせる、でも病みきってはいない「健やかさ」を根底に持つ男が言うんだ。
「俺の名は、ガイ・コンスタンティン。裏の呼び名は、バード」
や、ここも台詞ではなく、モノローグなんだけど。
ここでたしか、振り返るのね。顔を見せるのね。ここからが本番、本編スタート!てな。
あらすじとチガウやん!!
あらすじは、「一匹狼の殺し屋バード」が「表向きはガイ・コンスタンティンと名乗っていた」なのよ。
これには「あー、はいはい」だったのよ。
でも実際は逆やん。
ガイという、心に闇を抱えた男。
それはあくまでも、ガイという男。
中心はカメラマンとして生きながら、裏の名前と生き方を持つ、そんな自分に意味を見出せないでいるガイという男じゃん。
あらすじを見ると、「殺し屋バード」が本来の姿で、「ガイ」は仮の姿だ。
でも実際は逆、ガイが本来の姿で、殺し屋はあくまでも裏……本来の彼ではない、いびつな部分の話だ。
心は闇、踏みしめるのは煉獄に続く大地。
そんな男が、振り返ってつぶやく。
「俺の名は、ガイ・コンスタンティン。裏の呼び名は、バード」
翼を持たない男が、もうひとつの世界でのみ、翼を持つ。
あくまでも、裏。
真実ではない。
虚構の世界でのみ彼は、鳥になる。
翼を持たない、地を這う者だからこそ。
翼を、欲する。
すみません、すでにココで、相当キてます。
ハートに矢が突き刺さってます。
「裏の呼び名は、バード」……呼び名ですよ、本名ではなく、名前ではなく、ただの呼び名、記号、その場限りのモノ。
彼は本来鳥ではないから、飛べないから、だからこそ、「手に入らないモノ」を「その場限りの名」にしているのですよ!! 呼ぶときの音でしかないわけだから、「消えモノ」なんですよ、ナニもない、消えてなくなる仮の名に、はかないあこがれをこめているんですよ。
ナニその闇っぷり! ナニその痛さ!
生き方を見失ったまま、殺し屋家業をすることになって。
「で、これからオマエをなんて呼べばいいんだ?」
とか、アッシュ@まやさんに言われて。
「別に。ガイでいいだろ」
「それじゃまずい。別の通り名を付けるべきだな」
「なんでもいい……そうだ、バード。バードでいいよ」
この、「なんでもいい」のあとの「……」で、遠い目をして、窓の外を白い鳩が飛んでいくのを追うともなしに、目で追って。
「そうだ、バード」と、うつろにつぶやいて。
「バードでいいよ」と、ナニかを失った少年のように言うの。
もちろん、マサツカだからまやさんだから、この「なんでもいい」のあとの「……」の間に、アッシュはひとり勝手に「強そうな名前がいいな、いや、神秘的な方がいいか」とかいつもまやさんの調子でいろいろ名前を言っていて、観客を笑わせてるのよ。でもガイはおかまいなしに自分の世界に入っているのよ。
だからアッシュは、
「バード? そんな陳腐な名前でいいのか?」なんて無神経にも言っちゃうのよ。
「いいよ、陳腐で」
自嘲するように、突き放すように、笑うの。
……ガイは。
って、そんなストーリーまで、どどどっと脳内走るんですが?!
「一匹狼の殺し屋バード」が「表向きはガイ・コンスタンティンと名乗っていた」とは、まったくチガウ話なんですが?
あらすじでプゲラして、なめてかかっていた分、最初からガツンとやられまして。
そっから先は姿勢正して観ちゃったよ(笑)。
実際、誰も彼を「バード」とは呼ばないの。
彼は「ガイ」であって、バードなんて、どこにもいないの。
虚構の存在なのよ、「バード」って。
引き金を引く、そのときだけ存在する「役」なのよ。
ガイはバードの行う「殺人」に疑問を持っている。
だけど汚れた自分を知り悩む彼が、痛みや苦悩から解き放たれるのは、彼が「バード」として獲物を狙っているときのみ。
「バード」であるから苦しみ、「バード」であるときにのみ、苦しみを忘れる。
逃げ場のない、泥沼。
その苦悩の根元が、彼が切望しただろう、翼……鳥という名を持つ。
その皮肉、苦み。
そんな苦い名を、自分で名乗る彼の抱える、闇。
でも彼は、根底まで病んでいるわけじゃないの。彼の魂は強く、「健やかさ」をたしかに持っているの。
だからこそ、痛いの。
本来の彼がいるのは、ここではない。ナニかまちがって、ここにたどりついてしまったのだと、わかるから。
「一匹狼の殺し屋バード」なんて、いないじゃないのよーー! ナニこのあらすじーー!!
まあ、実際ガイが殺し屋バードとして活動するには、仲間が何人もいるわけで。
一匹狼ではまったくナイので、ここでも「あらすじとぜんぜんチガウ!」なんだけど、それはまあご愛敬ってやつよね、マサツカせんせ?(笑)
んでもって、この虚構の「バード」という男。
ガイが「バード」として仕事をしている、最初の狙撃シーン。
これが、美しいの。
是非後方とかの、「上から見下ろせる席」で見て欲しい。
名工の仕事姿が美しいのと同じ、磨き上げられた美しさなのよ。
初日は友会で当たった悲しみの後方カス席(その半額で前方席がいくらでも売っていたのに!涙)だったので、上から見下ろすカタチになり、その美しさが堪能できた。
次に見たときは前方席過ぎて、横から見るカタチになって、「あ、ここからより後ろからの方がイイ」と思いました、この場面に関してだけは。
いやあ、マジ美しいです、バードさん。
んでもって、バードさんの中の人、ガイくんもカッコイイしねえ。
ガイくんの中の人のキムくんも、すげーカッコイイしっ。
ああ結局、かっこいいしか言ってないっ。
としか書いていない気もする、『はじめて愛した』。
でもそれが最重要なので、ソレについてまだ書く(笑)。
また記憶喪失モノなのかよ。
ってことで、プゲラな思いで公式の「あらすじ」を見たの。読むというより、「見た」。予備知識いらない派なので、ちゃんと読んではいない。
最初の1行しか、まともには読んでなかったと思う。
> 一匹狼の殺し屋バードは、表向きはガイ・コンスタンティンと名乗るフリー・カメラマンを装っていた。
あー、はいはい、殺し屋ねー。
この1行ですでに、あらすじを読む気がなくなる(笑)。
そんでもって、実際に舞台を観て。
キムらしくない、ぼそぼそとした暗い喋り方のモノローグが続いて。
なんか鬱屈した世界がそこにあって。
キムらしくない、大人のかっこいーちょっと枯れた風情の男として、踊っていて。
そして。
その闇を感じさせる、でも病みきってはいない「健やかさ」を根底に持つ男が言うんだ。
「俺の名は、ガイ・コンスタンティン。裏の呼び名は、バード」
や、ここも台詞ではなく、モノローグなんだけど。
ここでたしか、振り返るのね。顔を見せるのね。ここからが本番、本編スタート!てな。
あらすじとチガウやん!!
あらすじは、「一匹狼の殺し屋バード」が「表向きはガイ・コンスタンティンと名乗っていた」なのよ。
これには「あー、はいはい」だったのよ。
でも実際は逆やん。
ガイという、心に闇を抱えた男。
それはあくまでも、ガイという男。
中心はカメラマンとして生きながら、裏の名前と生き方を持つ、そんな自分に意味を見出せないでいるガイという男じゃん。
あらすじを見ると、「殺し屋バード」が本来の姿で、「ガイ」は仮の姿だ。
でも実際は逆、ガイが本来の姿で、殺し屋はあくまでも裏……本来の彼ではない、いびつな部分の話だ。
心は闇、踏みしめるのは煉獄に続く大地。
そんな男が、振り返ってつぶやく。
「俺の名は、ガイ・コンスタンティン。裏の呼び名は、バード」
翼を持たない男が、もうひとつの世界でのみ、翼を持つ。
あくまでも、裏。
真実ではない。
虚構の世界でのみ彼は、鳥になる。
翼を持たない、地を這う者だからこそ。
翼を、欲する。
すみません、すでにココで、相当キてます。
ハートに矢が突き刺さってます。
「裏の呼び名は、バード」……呼び名ですよ、本名ではなく、名前ではなく、ただの呼び名、記号、その場限りのモノ。
彼は本来鳥ではないから、飛べないから、だからこそ、「手に入らないモノ」を「その場限りの名」にしているのですよ!! 呼ぶときの音でしかないわけだから、「消えモノ」なんですよ、ナニもない、消えてなくなる仮の名に、はかないあこがれをこめているんですよ。
ナニその闇っぷり! ナニその痛さ!
生き方を見失ったまま、殺し屋家業をすることになって。
「で、これからオマエをなんて呼べばいいんだ?」
とか、アッシュ@まやさんに言われて。
「別に。ガイでいいだろ」
「それじゃまずい。別の通り名を付けるべきだな」
「なんでもいい……そうだ、バード。バードでいいよ」
この、「なんでもいい」のあとの「……」で、遠い目をして、窓の外を白い鳩が飛んでいくのを追うともなしに、目で追って。
「そうだ、バード」と、うつろにつぶやいて。
「バードでいいよ」と、ナニかを失った少年のように言うの。
もちろん、マサツカだからまやさんだから、この「なんでもいい」のあとの「……」の間に、アッシュはひとり勝手に「強そうな名前がいいな、いや、神秘的な方がいいか」とかいつもまやさんの調子でいろいろ名前を言っていて、観客を笑わせてるのよ。でもガイはおかまいなしに自分の世界に入っているのよ。
だからアッシュは、
「バード? そんな陳腐な名前でいいのか?」なんて無神経にも言っちゃうのよ。
「いいよ、陳腐で」
自嘲するように、突き放すように、笑うの。
……ガイは。
って、そんなストーリーまで、どどどっと脳内走るんですが?!
「一匹狼の殺し屋バード」が「表向きはガイ・コンスタンティンと名乗っていた」とは、まったくチガウ話なんですが?
あらすじでプゲラして、なめてかかっていた分、最初からガツンとやられまして。
そっから先は姿勢正して観ちゃったよ(笑)。
実際、誰も彼を「バード」とは呼ばないの。
彼は「ガイ」であって、バードなんて、どこにもいないの。
虚構の存在なのよ、「バード」って。
引き金を引く、そのときだけ存在する「役」なのよ。
ガイはバードの行う「殺人」に疑問を持っている。
だけど汚れた自分を知り悩む彼が、痛みや苦悩から解き放たれるのは、彼が「バード」として獲物を狙っているときのみ。
「バード」であるから苦しみ、「バード」であるときにのみ、苦しみを忘れる。
逃げ場のない、泥沼。
その苦悩の根元が、彼が切望しただろう、翼……鳥という名を持つ。
その皮肉、苦み。
そんな苦い名を、自分で名乗る彼の抱える、闇。
でも彼は、根底まで病んでいるわけじゃないの。彼の魂は強く、「健やかさ」をたしかに持っているの。
だからこそ、痛いの。
本来の彼がいるのは、ここではない。ナニかまちがって、ここにたどりついてしまったのだと、わかるから。
「一匹狼の殺し屋バード」なんて、いないじゃないのよーー! ナニこのあらすじーー!!
まあ、実際ガイが殺し屋バードとして活動するには、仲間が何人もいるわけで。
一匹狼ではまったくナイので、ここでも「あらすじとぜんぜんチガウ!」なんだけど、それはまあご愛敬ってやつよね、マサツカせんせ?(笑)
んでもって、この虚構の「バード」という男。
ガイが「バード」として仕事をしている、最初の狙撃シーン。
これが、美しいの。
是非後方とかの、「上から見下ろせる席」で見て欲しい。
名工の仕事姿が美しいのと同じ、磨き上げられた美しさなのよ。
初日は友会で当たった悲しみの後方カス席(その半額で前方席がいくらでも売っていたのに!涙)だったので、上から見下ろすカタチになり、その美しさが堪能できた。
次に見たときは前方席過ぎて、横から見るカタチになって、「あ、ここからより後ろからの方がイイ」と思いました、この場面に関してだけは。
いやあ、マジ美しいです、バードさん。
んでもって、バードさんの中の人、ガイくんもカッコイイしねえ。
ガイくんの中の人のキムくんも、すげーカッコイイしっ。
ああ結局、かっこいいしか言ってないっ。
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