それでも続いている、『はじめて愛した』の感想。

 クリッツィ@コマが好きだっ。

 アッシュ@マヤさんチームの情報屋。つっても、ばっちりべったり仲間というわけではなく、彼自身はフリーであるっぽい。
 アッシュやガイ@キムを好きで、なんとなく近くにいる感じ。

 コマはいい役者になったな。つか、マサツカ芝居と合うんだろう。ハリー作品のときは空気がチガウ。
 なんかなつかしい、と思うのは、彼がまとう朴訥とした雰囲気が、若い頃のきりやん@『PJ』を思い出させるのか。

 正塚作品は、台詞による情報量が少ない。
 コトバで解説するのではなく、「ああ」とか「うん」とかの短い日常のやりとりで、背後にあるモノを想像させる。
 だから、コトバ以外の部分の雄弁さが、キャラクタを分ける鍵。

 これまでのマサツカ芝居でコマは、台詞も出番も少ない役を与えられ続け、印象的に空気を動かしてきた。テンポだけで客を笑わせる芝居をしてきた。
 段階踏んで着実に前進しているイメージ。
 あれらの役があり、今回のクリッツィ役がある。

 クリッツィもまた、「いつものコマ」に分類できる役だ。
 本人は真面目だけど、客に笑われるまぬけな役。ほっこり息抜き的役割。ああ、なんていつものコマ。

 でもさ。

 クリッツィって、めっちゃかっこよくない? 耽美キャラぢゃない?

 まず、見た目のギャップ。
 単純に、美形です、クリッツィ。
 オーディエンスとして、役と離れて歌ってるとこだとわかりやすいよね、見た目だけならほんとキレイですってば。

 下っ端体質でいろいろとアゴで使われたりケンカ弱くて簡単に転がされたり、しているけれど。
 三枚目的立ち位置にいるけれど。

 ひとりで佇んでいるときとか、主要人物の話をじっと聞いているとき、見つめているときが、やたら美しいですが。

 西洋の教会とかの神像だの彫刻だの美しさではなく、原色と毛皮で塗り分けられたジャングルの神像や仮面の美しさっていうか。
 血と肉と大地を感じさせる、プリミティヴな美しさ。

 土臭いとか泥臭いとか(笑)、そんな意味でもありますが。

 白く美しい教会の像はわたしにとって遠い世界の出来事で、きれいねと思ってもソコ止まりだけど、毒々しい色の大地の面は思わず二度見するっちゅーか手にとってしまうような、吸引力がある。

 なんか、やばいな。
 やばい美しさだ、コマ。

 ひとことで言うと、色っぽいんだと思う。
 ……生々しく。

 おきれいな高尚な美しさは遠く眺めるだけだけど、生々しい美しさはわたしに関与してくる。絡め取ろうとしてくる。だからびびる(笑)。

 持っているモノがエロ気十分なのに、朴訥で鈍くさいキャラを演じている。
 そのギャップに、くらくらくる。
 黙っているときの美しさ、妖しい耽美っぷりと、口を開いたときの下っ端感。それはギャップであり、乖離ではない。
 自然に融合している。
 いや、あの耽美っぷりと下っ端感が、たまらん。それこそが、リアルな色気になっている。

 単純に腕っ節が強いとかクールとか、そーゆーものは美しさとして「わかりやすい」から表現方法として取られがち。
 ケンカ弱いとか、女の子にパシリ扱いされてるとか、マイナスになる要素を持ちながら美しさや色っぽさを醸し出しているから、コマさんやばい(笑)。

 そして、語りすぎないキャラクタ。

 ナレーションで、全解説しないし!(重要)

 ガイはちょーカッコイイ男だけど、モノローグ(録音)でうだうだ言い過ぎなんだよっ。モノローグ全カットしてくれ、その方が絶対カッコイイ。
 あんな解説なくても、短いナマの会話だけでも心情の表現は出来るし、背景だって想像できるし、客だって理解できるよ。……ヅカの客は1から10までコトバで説明しないと理解できないって、マサツカおじさんが絶望している結果があのナレーションの洪水かもしれないが。

 ともあれ、脇役であるおかげで、クリッツィはアホなモノローグをうだうだつぶやかないので、男ぶりが上がってますのよ。

 ナタリー@夢華さん相手に「たぶん、なにか飽きるんだよ」とか語っているところ。
 アレこそがマサツカ芝居の真骨頂だよなああ。
 言葉少なすぎて、ナニ言いたいのかわかんないところ(笑)。

 ヅカファン相手には全部コトバでどう思ったからどうだったとか、解説しなきゃいけないから、主役にはあーゆー芝居はさせられない。
 主役の顔さえ、かっこいい衣装や姿さえ見てれば満足なヅカファンには、無粋なモノローグ(録音)芝居を押しつけておいて、主役ファンがどーでもいーとスルーしているだろう脇に、ずっぽりマサツカ芝居をさせる。
 正塚せんせの上から目線っつーか、悦に入った考え方が透けて見える……よーな気がしないでもないんですが、それでもやっぱ、このわけわかんねーやりとりこそを、もっと見たいと思うな。

 コトバが少ないからこそ、その奥にあるモノを想像する。
 クリッツィという男を想う。

 アッシュの手下みたいな出方をするけれど、チーム入りしているわけじゃない。
 彼自身は、フリー。自分の意志で、アッシュやガイに協力している。
 だからいつでも、手を引ける。ひとりでどこへでも行ける。

 誰にも、依存していないから。

 アッシュにはナタリーという家族がいるし、アンリ@りんきらも妻がいる。
 でもクリッツィには家族も恋人も出てこない。最後、ナタリーに口説かれて彼女の店に居着くことを決めるのだから、その時点まで恋人もいないんだろう。

 クリッツィは、ひとり。なんのしがらみも持たない。

 自由であるということ。
 それは、強さだ。

 自由であるということ。
 それは、孤独だ。

 クリッツィの魅力は、「ケンカ弱いから格好悪い」とかわかりやすいところでは三枚目的に描かれているのに、彼に注目しているとその強さ、格好良さが見えてくるというところにある。
 この多重構造(笑)は、おもしろいわー。好きだわー。

 ナタリーに口説かれて、とりあえず彼女の元に身を寄せるけれど、いつでも彼はいなくなっちゃえるんだろうな。
 ナタリーは弱い女の子だけど、クリッツィは強い男だから。
 強くて、ある意味冷酷な男だから。
 不要になれば、ひとりで出て行く。籠の中には入らない。

 オーディエンスとして、ガイの葛藤を歌で見守っていた、あの硬質な眼差しそのままに。

 自分の翼で飛ぶから。

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