ヲタは進行するばかりで、冷めることはないのかしら。
次回花組公演の友会入力をするにあたり、まとぶん卒業だから楽だけでなく前楽もひとり1枚と制限がされている。
そのことに改めて、まとぶんが退団するんだと実感する。
まとぶんの卒業が寂しい。
なんかもお、すごくすごく寂しい。
タカラヅカは出会いと同じ数の別れがあるところ。特にトップスターは、就任と同時に卒業のカウントダウンがはじまるようなもの。
任期からして、まとぶんの次作卒業は妥当といえるのだろう。
そういったことからも、やめちゃやだー、というキモチよりは、ただ寂しい。
まとぷんのお披露目公演だった、3年前の中日公演をあざやかに思い出せるんだ。
この人が、ウチの組のトップさんだ。この人を中心に、この人を盛り上げて、ついて行くんだ。
わたしはただの1ファンでしかないが、すごくわくわくして興奮して感動して、そう思ったんだ。
別れが前提のヅカだから、長くヅカヲタをやっていれば、好きなスターさんを見送る経験が比例して増える。
そのなかには、まとぶんより好きなスターさんだって、何人もいた。
贔屓はただひとり、ファンは各組数人、好きはそのときのブームで、わたしはいつもお気に入りのスターさんがいて、きゃーきゃーヅカヲタをやっている。
贔屓を見送った経験は1度しかないが、ファンと名乗っていたスターさんのことは、何人も見送ってきた。
その別れの経験、別れた記憶と、今回なんだかチガウんだ。
好きの度合いがチガウというよりは、愛着濃度の違い?
わたしは20年超えのヅカヲタだけど、たとえば20年前は今ほどのヲタではない。贔屓組だけを1公演1回観るだけ、他の組は演目次第で観るかな程度?
ヲタは続ければ続けるほど、濃くなってくる。
最初の贔屓はトキメキより普遍的な愛情へ移行し、今も好きだけど贔屓と呼べる人ではなくなった。や、まさか理事になって研25超えで在団する人になるとは、ハマった当時は思ってなかったから(笑)。
そして次の贔屓からよーやく、ふつーにヅカファンってこんな感じ?な、贔屓持ちのヲタ生活。主演バウのために、早朝からぴあに並んでみたり。舞台姿を見てきゃーきゃー、公演は複数回観劇あたりまえ、遠征だってしちゃうぜ。ついでに、高額チケットにまで手を出す(笑)。
とまあ、最初の贔屓と次の贔屓とでは、わたしのヅカヲタ・ランクが明らかにチガウ。
贔屓卒業で祭りだわっしょい、涙腺とか金銭感覚とか、あきらかにおかしくなったままディナーショー、退団公演と駆け抜け、なんか引き返せない泥沼に。
ここまでヲタではなかったはずなのに。
そして、しばらく恋なんかしないわ、心もお金も使いすぎてボロボロ、ヅカとは距離を置いてまったり眺めていよう……と思った矢先に、まさかのフォーリンラヴ、現在の贔屓にずっぽりハマる。
最初の贔屓より、次の贔屓。次の贔屓より、現在の贔屓。
愛情がチガウというよりは、ヅカヲタ・ランクがチガウ。
最初の贔屓のことだって大好きだったが、当時のわたしはヅカとの距離が違っていた。
ヅカヲタ度が高くなるに従って、贔屓への没入度も違ってくる。
病が重くなっているというか。
だから、今まででいちばん重いヅカヲタ生活のなかで贔屓に夢中になっている、そこでのはじめてのトップさんが、まとぶんだ。
わたしが現贔屓への恋(笑)を自覚し、「星担だったけど、今公演から花担当になる」と切り替えたまさにその公演で、まとぶんも星組から花組にやってきた。
まとぶんは、わたしのヅカヲタとしてのランクアップ時に、まるまる居合わせた人だ。
花組3番手から2番手へ、そしてトップスターへ。
それまでいたトップさんではなく、トップになるところから見ていた、はじめてのトップさん。
ヲタは進行するばかりで冷めることなく、過去にないほどの濃度でヅカヲタ人生を突っ走る緑野こあらが、その情熱(笑)をかけて通った花組公演にずっと出演していた人だ。
愛着が、半端ナイ。
まとぶんの卒業は、わたしのヅカヲタ人生のひとつの区切り、時代の区切りのように感じる。
あとを引き継ぐのが現花組2番手のえりたんでないこともあり、ますます時代の終焉的寂寥を増す。
それは、らんとむ氏と共に訪れる新しい花組への期待とは、別の次元の話だ。
スカステニュースで毎日のように、全国ツアーの『メランコリック・ジゴロ』や『ラブ・シンフォニー』の画面が流れることもあり、キモチは3年前のお披露目時にトリップする。
冬のさなか、凍えながら在来線を乗り継いで名古屋まで通った、あの日々を。
舞台の上のまとぶんの笑顔を、ハイタッチしてもらった冷たい手を、繰り返し繰り返し思い出す。
そして、切なくなる。
寂しくなる。
こんなにもヲタが進行した今、出会ったトップさんだから。
フタ桁観劇や遠征が当たり前になった今、出会ったトップさんだから。
ただもお、寂しい。
次回花組公演の友会入力をするにあたり、まとぶん卒業だから楽だけでなく前楽もひとり1枚と制限がされている。
そのことに改めて、まとぶんが退団するんだと実感する。
まとぶんの卒業が寂しい。
なんかもお、すごくすごく寂しい。
タカラヅカは出会いと同じ数の別れがあるところ。特にトップスターは、就任と同時に卒業のカウントダウンがはじまるようなもの。
任期からして、まとぶんの次作卒業は妥当といえるのだろう。
そういったことからも、やめちゃやだー、というキモチよりは、ただ寂しい。
まとぷんのお披露目公演だった、3年前の中日公演をあざやかに思い出せるんだ。
この人が、ウチの組のトップさんだ。この人を中心に、この人を盛り上げて、ついて行くんだ。
わたしはただの1ファンでしかないが、すごくわくわくして興奮して感動して、そう思ったんだ。
別れが前提のヅカだから、長くヅカヲタをやっていれば、好きなスターさんを見送る経験が比例して増える。
そのなかには、まとぶんより好きなスターさんだって、何人もいた。
贔屓はただひとり、ファンは各組数人、好きはそのときのブームで、わたしはいつもお気に入りのスターさんがいて、きゃーきゃーヅカヲタをやっている。
贔屓を見送った経験は1度しかないが、ファンと名乗っていたスターさんのことは、何人も見送ってきた。
その別れの経験、別れた記憶と、今回なんだかチガウんだ。
好きの度合いがチガウというよりは、愛着濃度の違い?
わたしは20年超えのヅカヲタだけど、たとえば20年前は今ほどのヲタではない。贔屓組だけを1公演1回観るだけ、他の組は演目次第で観るかな程度?
ヲタは続ければ続けるほど、濃くなってくる。
最初の贔屓はトキメキより普遍的な愛情へ移行し、今も好きだけど贔屓と呼べる人ではなくなった。や、まさか理事になって研25超えで在団する人になるとは、ハマった当時は思ってなかったから(笑)。
そして次の贔屓からよーやく、ふつーにヅカファンってこんな感じ?な、贔屓持ちのヲタ生活。主演バウのために、早朝からぴあに並んでみたり。舞台姿を見てきゃーきゃー、公演は複数回観劇あたりまえ、遠征だってしちゃうぜ。ついでに、高額チケットにまで手を出す(笑)。
とまあ、最初の贔屓と次の贔屓とでは、わたしのヅカヲタ・ランクが明らかにチガウ。
贔屓卒業で祭りだわっしょい、涙腺とか金銭感覚とか、あきらかにおかしくなったままディナーショー、退団公演と駆け抜け、なんか引き返せない泥沼に。
ここまでヲタではなかったはずなのに。
そして、しばらく恋なんかしないわ、心もお金も使いすぎてボロボロ、ヅカとは距離を置いてまったり眺めていよう……と思った矢先に、まさかのフォーリンラヴ、現在の贔屓にずっぽりハマる。
最初の贔屓より、次の贔屓。次の贔屓より、現在の贔屓。
愛情がチガウというよりは、ヅカヲタ・ランクがチガウ。
最初の贔屓のことだって大好きだったが、当時のわたしはヅカとの距離が違っていた。
ヅカヲタ度が高くなるに従って、贔屓への没入度も違ってくる。
病が重くなっているというか。
だから、今まででいちばん重いヅカヲタ生活のなかで贔屓に夢中になっている、そこでのはじめてのトップさんが、まとぶんだ。
わたしが現贔屓への恋(笑)を自覚し、「星担だったけど、今公演から花担当になる」と切り替えたまさにその公演で、まとぶんも星組から花組にやってきた。
まとぶんは、わたしのヅカヲタとしてのランクアップ時に、まるまる居合わせた人だ。
花組3番手から2番手へ、そしてトップスターへ。
それまでいたトップさんではなく、トップになるところから見ていた、はじめてのトップさん。
ヲタは進行するばかりで冷めることなく、過去にないほどの濃度でヅカヲタ人生を突っ走る緑野こあらが、その情熱(笑)をかけて通った花組公演にずっと出演していた人だ。
愛着が、半端ナイ。
まとぶんの卒業は、わたしのヅカヲタ人生のひとつの区切り、時代の区切りのように感じる。
あとを引き継ぐのが現花組2番手のえりたんでないこともあり、ますます時代の終焉的寂寥を増す。
それは、らんとむ氏と共に訪れる新しい花組への期待とは、別の次元の話だ。
スカステニュースで毎日のように、全国ツアーの『メランコリック・ジゴロ』や『ラブ・シンフォニー』の画面が流れることもあり、キモチは3年前のお披露目時にトリップする。
冬のさなか、凍えながら在来線を乗り継いで名古屋まで通った、あの日々を。
舞台の上のまとぶんの笑顔を、ハイタッチしてもらった冷たい手を、繰り返し繰り返し思い出す。
そして、切なくなる。
寂しくなる。
こんなにもヲタが進行した今、出会ったトップさんだから。
フタ桁観劇や遠征が当たり前になった今、出会ったトップさんだから。
ただもお、寂しい。
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