照明神話・その2。@麗しのサブリナ
2010年11月7日 タカラヅカ 『麗しのサブリナ』のクライマックス、サブリナ@蘭ちゃんを追いかけてオフィスを飛び出すライナス@まとぶん。
それを見送る秘書コンビ、ウィリス@まっつとマカードル@いちかの、ライトの有無から、照明さんについて考える(笑)、その2。
ムラ初日には、ライトはなかった。
2日目から千秋楽まで、ライトはあった。
が、東宝ではなくなっていた。
このことから、考えられるパターン。
1.演出家がムラ初日の翌日から「秘書コンビにライトを当ててくれ」と指示していたのに、東宝では「やっぱりライトいらね」と思い直した。
2.演出家が指示していないのに、ムラ2日目から秘書コンビにライトが当たるよーになった。そのことに、ムラ千秋楽になってはじめて演出家が気づき、「秘書コンビにライトなんていらね」と言った。
3.演出家はライトを当てろともいらねとも言っていない。なんの指示もしていない。秘書コンビのことなんて、そこまで考えてない。
わたしはこれまた勝手に、「3」だと思ったのですよ(笑)。
中村Aは、ムラ2日目から千秋楽まで秘書コンビにライトが当たっていたこと、最初から最後まで気付いてなかったんじゃあ……?
気付いてないから、それがいいとも悪いとも思わない。自分ではそんな指示出してないから、東宝の照明さんにムラでそこにライトがあったことを知らせるわけがない。知らないから、やらない。
結果として、秘書コンビにライトはない。
もしも気付いていたら、東宝でもライトをくれたんじゃないかなーと、これまた勝手に思う。
中村Aがものすげえ職人気質の人で「オレの演出絶対! オレが神、オレはパーフェクト、変える必要などナイ!」と思って舞台を作っているとは、思えないからだ。
ふつーに「この方がよくなるよな」と思ったら、変えると思う。昔、『お笑いの果てに』というものすごーい珍作を演出した際、公演途中で台詞やらなんやら変えていたもの……あまりにひどい脚本だったゆえ。
プライドにこだわって手を加えない人ではないから、ムラで1ヶ月間ライト有りで上演してなんの問題もなかった、むしろファンが喜んだ演出なら、東宝でも続行してくれたんじゃないかなと。
それがなかったってこは、中村Aそもそもナニも気付いてなかったんぢゃあ……? と、思った。
んで、ムラの舞台稽古と同じ演出、照明指示で東宝スタート。
東宝の照明さんは、秘書コンビに興味はなかった、と。本筋に関係ない脇役にライトを当てるなんて、考えるはずもない。それが当たり前。
でもいちおー期待していた。
普段の公演は等しくライト無しでも、千秋楽だけは特別にライトくれるんじゃないかって。
「NOW ON STAGE」でその長年にわたるコンビぶりに言及されたりなんだりするふたりの、最後のコンビ芝居、最後の場面。そこにわざと暗めでも控えめでも一瞬でもちらりとライトを当てて、ファンをほろりとさせる……それってすごく「タカラヅカ」。
わたしはまっつファンだから、今回まっつのことで着目してこうして書いているけれど、まっつだからどうのではなく、他のジェンヌに対してもそういうニクい心遣いをするのが「タカラヅカ」の舞台スタッフ。退団者に千秋楽だけ特別のライトを餞別に当ててくれたり、ムラではそれをふつーに眺めてきた。
が。
千秋楽も、ライトはなかった……。
なんの特別扱いも、ニクい演出もなく、最後のコンビ芝居はその他大勢として平等に、早々に闇に沈んだ。
まっついちかにライトがなかったことが、残念。
手を取り合うふたりの場面が最後まで見えず、闇に沈んでしまったのが残念。
ライトがあれば、最後の最後くらいなにかしらサプライズな芝居を期待できたんぢゃないかとか、そんな自分勝手な期待が打ち砕かれたことも残念(笑)。
とまあ、うだうだ書いてますが、ここで書きたいのは「ライトがもらえなかった」ことへの恨みつらみではなく(笑)、そのことによって、ムラの照明さん、ありがとう!! と、心底思ったってことだ。
ライトが当たらない、早々に闇に沈んでしまうのが当たり前、だったんですよ。東宝の人は別に悪くないし、中村Aだって悪くない。それがふつー、彼らはふつーに仕事をした。
本来ライトはないはずなのに、ムラの1ヶ月間、わたしはまっつといちかのかわいい姿を見ることができた。
それは、ムラの照明さんの裁量なんだ。……そう思って、すごくうれしくなった。
それまでも、勝手に「照明さんGJ!」と思い、演出家の指示ではなく照明さんが独自でやっていることだとなんとなーく思っていたけれど、今回のことでその思いがさらに強くなったというか(笑)。
やっぱり、ムラの照明さんにはフリーハンドがあり、退団者や組替え者に優しいのは、演出家ではなく照明さんなのかなと。
ムラの照明さんが秘書コンビに本来ナイはずのライトを当ててくれている、照明さんGJ!と思っているなら、東宝でそのライトがなくなっているのは想像してしかるべきなのに、わたしってば与えられることが当たり前になっていたのね。
つか、東宝の照明さんもムラと等しく「タカラヅカ」な感覚かと、勝手に思っていた。こっちはやっぱ首都の劇場に勤めるプロフェッショナルで、「ムラ」という特殊世界のプロとはチガウのかな。
ふつーの舞台のプロなら、脇役にライト残すなんてありえないもんなー。その役者が退団するとか組替えするとか、役者のプライベートであって一般客には関係ない話だし。
だけど、その役者のプライベートまでもが「物語の一部」である半プロ感覚……つーか、愛すべきアマチュア感が、「タカラヅカ」の魅力のひとつ。
「この人が休演したら、公演自体立ちゆかなくなる」というクラスの役ではないのに、退団者なら声が出なくて歌を台詞に変更してまで舞台に立つことを許す、むしろ許すことを素晴らしいと拍手する、それが「タカラヅカ」。
ムラの照明さんは、その「タカラヅカ」を表す一端なんだなと、思った。
わたしたちファンが、ジェンヌを愛し舞台の上だけでない部分にまで一喜一憂する、その心ごと汲んで、ライトを当ててくれる……照明さんもまた、「タカラヅカ」な人たちなんだ。
と、ほんっとーに勝手に、いろいろ考えて感動しました。
事実かどうかなんてわかりません。
舞台スタッフさんがナニ考えてナニしてるのかなんて、イチ素人にわかるはずもない。
ジェンヌさんがどんな人でナニ考えてるのかわかんないよーに。
だから勝手に、夢見るのです。ただのわたし個人の思い込み、伝説や神話みたいなもん。
ジェンヌがフェアリーだというように、舞台スタッフさんにも、その愛を。
それを見送る秘書コンビ、ウィリス@まっつとマカードル@いちかの、ライトの有無から、照明さんについて考える(笑)、その2。
ムラ初日には、ライトはなかった。
2日目から千秋楽まで、ライトはあった。
が、東宝ではなくなっていた。
このことから、考えられるパターン。
1.演出家がムラ初日の翌日から「秘書コンビにライトを当ててくれ」と指示していたのに、東宝では「やっぱりライトいらね」と思い直した。
2.演出家が指示していないのに、ムラ2日目から秘書コンビにライトが当たるよーになった。そのことに、ムラ千秋楽になってはじめて演出家が気づき、「秘書コンビにライトなんていらね」と言った。
3.演出家はライトを当てろともいらねとも言っていない。なんの指示もしていない。秘書コンビのことなんて、そこまで考えてない。
わたしはこれまた勝手に、「3」だと思ったのですよ(笑)。
中村Aは、ムラ2日目から千秋楽まで秘書コンビにライトが当たっていたこと、最初から最後まで気付いてなかったんじゃあ……?
気付いてないから、それがいいとも悪いとも思わない。自分ではそんな指示出してないから、東宝の照明さんにムラでそこにライトがあったことを知らせるわけがない。知らないから、やらない。
結果として、秘書コンビにライトはない。
もしも気付いていたら、東宝でもライトをくれたんじゃないかなーと、これまた勝手に思う。
中村Aがものすげえ職人気質の人で「オレの演出絶対! オレが神、オレはパーフェクト、変える必要などナイ!」と思って舞台を作っているとは、思えないからだ。
ふつーに「この方がよくなるよな」と思ったら、変えると思う。昔、『お笑いの果てに』というものすごーい珍作を演出した際、公演途中で台詞やらなんやら変えていたもの……あまりにひどい脚本だったゆえ。
プライドにこだわって手を加えない人ではないから、ムラで1ヶ月間ライト有りで上演してなんの問題もなかった、むしろファンが喜んだ演出なら、東宝でも続行してくれたんじゃないかなと。
それがなかったってこは、中村Aそもそもナニも気付いてなかったんぢゃあ……? と、思った。
んで、ムラの舞台稽古と同じ演出、照明指示で東宝スタート。
東宝の照明さんは、秘書コンビに興味はなかった、と。本筋に関係ない脇役にライトを当てるなんて、考えるはずもない。それが当たり前。
でもいちおー期待していた。
普段の公演は等しくライト無しでも、千秋楽だけは特別にライトくれるんじゃないかって。
「NOW ON STAGE」でその長年にわたるコンビぶりに言及されたりなんだりするふたりの、最後のコンビ芝居、最後の場面。そこにわざと暗めでも控えめでも一瞬でもちらりとライトを当てて、ファンをほろりとさせる……それってすごく「タカラヅカ」。
わたしはまっつファンだから、今回まっつのことで着目してこうして書いているけれど、まっつだからどうのではなく、他のジェンヌに対してもそういうニクい心遣いをするのが「タカラヅカ」の舞台スタッフ。退団者に千秋楽だけ特別のライトを餞別に当ててくれたり、ムラではそれをふつーに眺めてきた。
が。
千秋楽も、ライトはなかった……。
なんの特別扱いも、ニクい演出もなく、最後のコンビ芝居はその他大勢として平等に、早々に闇に沈んだ。
まっついちかにライトがなかったことが、残念。
手を取り合うふたりの場面が最後まで見えず、闇に沈んでしまったのが残念。
ライトがあれば、最後の最後くらいなにかしらサプライズな芝居を期待できたんぢゃないかとか、そんな自分勝手な期待が打ち砕かれたことも残念(笑)。
とまあ、うだうだ書いてますが、ここで書きたいのは「ライトがもらえなかった」ことへの恨みつらみではなく(笑)、そのことによって、ムラの照明さん、ありがとう!! と、心底思ったってことだ。
ライトが当たらない、早々に闇に沈んでしまうのが当たり前、だったんですよ。東宝の人は別に悪くないし、中村Aだって悪くない。それがふつー、彼らはふつーに仕事をした。
本来ライトはないはずなのに、ムラの1ヶ月間、わたしはまっつといちかのかわいい姿を見ることができた。
それは、ムラの照明さんの裁量なんだ。……そう思って、すごくうれしくなった。
それまでも、勝手に「照明さんGJ!」と思い、演出家の指示ではなく照明さんが独自でやっていることだとなんとなーく思っていたけれど、今回のことでその思いがさらに強くなったというか(笑)。
やっぱり、ムラの照明さんにはフリーハンドがあり、退団者や組替え者に優しいのは、演出家ではなく照明さんなのかなと。
ムラの照明さんが秘書コンビに本来ナイはずのライトを当ててくれている、照明さんGJ!と思っているなら、東宝でそのライトがなくなっているのは想像してしかるべきなのに、わたしってば与えられることが当たり前になっていたのね。
つか、東宝の照明さんもムラと等しく「タカラヅカ」な感覚かと、勝手に思っていた。こっちはやっぱ首都の劇場に勤めるプロフェッショナルで、「ムラ」という特殊世界のプロとはチガウのかな。
ふつーの舞台のプロなら、脇役にライト残すなんてありえないもんなー。その役者が退団するとか組替えするとか、役者のプライベートであって一般客には関係ない話だし。
だけど、その役者のプライベートまでもが「物語の一部」である半プロ感覚……つーか、愛すべきアマチュア感が、「タカラヅカ」の魅力のひとつ。
「この人が休演したら、公演自体立ちゆかなくなる」というクラスの役ではないのに、退団者なら声が出なくて歌を台詞に変更してまで舞台に立つことを許す、むしろ許すことを素晴らしいと拍手する、それが「タカラヅカ」。
ムラの照明さんは、その「タカラヅカ」を表す一端なんだなと、思った。
わたしたちファンが、ジェンヌを愛し舞台の上だけでない部分にまで一喜一憂する、その心ごと汲んで、ライトを当ててくれる……照明さんもまた、「タカラヅカ」な人たちなんだ。
と、ほんっとーに勝手に、いろいろ考えて感動しました。
事実かどうかなんてわかりません。
舞台スタッフさんがナニ考えてナニしてるのかなんて、イチ素人にわかるはずもない。
ジェンヌさんがどんな人でナニ考えてるのかわかんないよーに。
だから勝手に、夢見るのです。ただのわたし個人の思い込み、伝説や神話みたいなもん。
ジェンヌがフェアリーだというように、舞台スタッフさんにも、その愛を。
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