ナニこの構成……。

 雪組新人公演『ロミオとジュリエット』、1本モノを短縮して上演するのだから、いびつになるのは仕方ない。
 『エリザベート』も『スカーレット・ピンパーネル』も、盛り上がり最高!のオープニングをわざわざカットして、テンション上がらないハンパな場面からスタートして、観客を冷めさせ、かつ演じている下級生のハードルを上げる不親切設計が通常。

 それにしたって、コレはないやろ……。

 あのかっこいいオープニングがないだろうことは、覚悟していた。どんだけかっこよくて観客の期待を煽り、劇場の空気を暖める効果があっても、所詮「状況説明と人物紹介」に過ぎない場面なので、カットしてもストーリー的には問題ない。
 幕が開いたらナレーションで解説されつつ、ロミオのせり上がり→銀橋ソロだと思っていた。

 そんなカワイイモノではなかった。
 いきなり第7場舞踏会からスタートだったんだ。

 いちおーその前に、愛@あすくん、死@レオくんがふたり一緒にカーテン前センターにせり上がり、愛と死のダンスを披露。
 そこに神父@ホタテくんのナレーションでモンタギューとキャピュレットが憎み合って大変、そして今夜はジュリエットがお金持ちのパリス伯爵@まなはると見合いさせられる仮面舞踏会が開かれること、そこにモンタギューのベンヴォーリオ@がおりくん、マーキューシオ@しょうくんが潜り込もうとしていること、ジュリエットの従兄ティボルト@りんきらが何故か不機嫌であることを説明。

 本舞台カーテン前は、愛と死が踊り、主要人物たちは上手花道にナレーションに名前が出ると登場、すぐにいそいそと消えていく。
 舞踏会場面だから、衣装は全員白。そしてナレーション解説のみで一瞬、しかも花道。
 ……無理です。これだけでキャラクタ認識しろなんて。
 わたしはそれぞれの顔も、役の衣装もわかってるからイイけど、そうでない人にはなにがなんだか誰が誰だか状態のはず。

 そしてさらにわけわかんないことに、このナレーションがおとぎ話ちっく。
 本公演のナレーションが感情を廃して淡々と解説して壮大感を出しているのに反して、「あらあらティボルトくんはご機嫌斜めです、どうしたのかな?」みたいなファミリーミュージカルのナレーションっぽい。

 承前であっけにとられているところに、カーテンが開き舞踏会スタート。

 ええ、こっからは本公演と同じです。

 ……同じなんです。
 つまり、全員白衣装、全員仮面着用。

 ちょっと待て。

 はじめての場面がコレ?!
 誰が誰だか誰ひとりわからない状態で、コレ?

 出演者全員って勢いの人数、モブも主役も入り乱れてごちゃごちゃ。
 ヒロインのはずのジュリエット@あゆっちがどこにいるのか、主役のはずのロミオ@咲ちゃんがどこにいるのか、いやそもそもいつどこで登場したのかも、わからない。

 新公定番の「主役が登場したら拍手」もなかった。そんなもん、入れる隙もない。
 
 主役が誰かもわからないまま、長々と舞踏会が続く。
 画面はいつもごちゃごちゃ、なにかしらどたばたしているが、それでナニが起こっているのかわからない。だって全員同じ衣装に同じ仮面、誰が主役かヒロインか、主要人物かもわからないのに、全員がナニかしら動き回っている舞台で、ナニをわかれと?
 よく見れば仮面にも個性があるし、主要人物は豪華衣装なんだけど、そんなもん咄嗟にわかるかっつの。いきなり何十人と登場されて踊られて、そこまで区別できないって。

 本公演の舞踏会はすごく楽しい場面なのに、新公では盛り下がり一直線。
 つか、苦痛だった。
 いつまで続くのコレ。
 お芝居を観るつもりで着席したのに、本編がはじまるまでに観るつもりのなかった別のショーをえんえん観せられている気分。
 早くお芝居観させてよ、『ロミオとジュリエット』を観させてよ。

 物語がはじまったのは、新公がスタートして何分も経ったあと。
 ロミオとジュリエットが舞台でふたりきりになり、「天使の歌が聞こえる」を歌い出してから。
 ここでよーやく仮面を取るし。

 しかし、盛り上がらない。
 キモチが切り替わらないんだ。
 アンタたち誰?状態だし。

 それまでに蓄積されたストレスを、どう処分すればいいのか。

 そうやって、キャラクタにも物語にも入りきれないまま、次はティボルトのソロ。こちらもすごーく唐突。
 ああ、「ティボルトは何故か不機嫌です(笑)」って解説されてたな。でも(笑)付きの解説されたあとに「みんな大人が悪いんだ」と歌われてもな……なんか変な人。

 こんなひどい構成の新公、はじめて観た。

 いろいろ物申したいカットぶりの新公はあった、これまでも。
 しかし、ここまでひどいのははじめてだ。

 主役やヒロインが登場しても観客が気付かない演出ってナニ?
 彼らがどこでナニしてるかわからないまま何分も続くってナニ?

 そしてそもそも「新人公演」とはナニか?を、考えさせられる構成だった。

 もちろん目的は新人の育成、下級生の適性のお試しの場だろう。
 将来のトップスターは大劇場の真ん中に立たせることで経験を積む、スキルを磨く。実際に真ん中に立たないと得られない物はあるし、反対に向き不向きも顕著になる。
 スター候補生だけでなく、脇を支える人々の育成も必要。出演者全員ひとりひとりがこの経験を血肉とし、成長していく……のはわかる。

 しかし。
 このいびつな構成はいったい……?

 主役や主要人物がわからないまま進む序盤に加え、2番手役であるマーキューシオの見せ場カットにより、「スター」スキルの研鑚の場が削られ、なのに専科役のモンタギュー父の見せ場はまるまる残っている。
 星組版では2番手役だったティボルトも、1幕の大半がカットされているため出番と見せ場はさらに減り、途中で死亡・出てこなくなるためおいしいとは言えない。

 ナニがしたいの?
 次代を支える「スター」を育成したいんじゃないの?
 ならば「スター」としての経験を積める構成にするべきじゃないの?
 おでぶおばさんや、しぶいおっさんを演じられる人たちを育てるのが目的で、この新公を上演したの?

 いや、乳母役は娘役2番手の役なので、カット無しは妥当だと思っているし、専科さん的な役割を軽んじているわけではなくて。

 朝風くんスキーなわたしは、カットされるに違いないと思っていたキャピュレット父のソロがまるまるあってうれしかったけれど、彼に1場面与えているヒマがあれば、マーキューシオや若者チームがオイシイ場面を作れと。
 ソレが「タカラヅカ」だろう、と。

 結局主役のロミオしかオイシイ役はなく、咲ちゃんだけを目立たせる目的で作られている?
 ヒロインのジュリエットも、たった1曲の銀橋ソロ削られてるから、あとは芝居歌しかないのな。

 そうやって主役だけを目立たせたいというならソレはソレでアリだろうけど、それなら最初の「主役が誰でどこにいるかわからない」場面をえんえんやるのはなんなんだと。
 ファミリーミュージカル調のナレーションで愛と死が踊るのも、わけわかんないし。

 目的のわからない、迷走しまくった構成にストレス溜まりまくりでした。

 
 演出家バカなんじゃねーの? というのがいちばんの感想ですが(笑)、出演者への感想とは別です、もちろん。
 キャストについては別欄で。

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