場と柄と。@新人公演『ロミオとジュリエット』
2011年1月21日 タカラヅカ ポテンシャル開花に期待できる作品……だと思ってはいるが、いかんせん新人公演『ロミオとジュリエット』は構成が悪すぎだ。
こんなことなら、2幕とも上演すればいいのに、と思う。フィナーレ切るだけで少しは短縮になるんだし。演出家に短縮する能力がないのなら、できないことは最初からやらなければいい。昔はこんな短縮版ではなかったのだし。
しかし現実は、謎の構成でぐだぐだ。
マーキューシオ@しょうくんは出番や見せ場の大幅カットで、ポテンシャル開花どころじゃない。
劇団も商売下手だなあと思う。『オネーギン』で一気に注目を集めた長身美形くんを売り出しに掛かるなら、今ほどの好機はないのに。
しょうくんを最終的にトップスターとする気がない(かどうか知らないが)としても、「今」人気が出そうな子は売り出しておいて損はないでしょうに。
人気商品が店頭に複数並んでいる方が、お客さんもやってくるし、実際に買い物する人だって増えるよ? それによって劇団が本当に売れて欲しい、買って欲しい商品が実際に売れるかもしれないよ? 誰も来店してくれなかったら、どんだけ特別陳列棚で祭り上げた商品だって、誰も見ることさえない、つまり買ってくれないよ?
わたしはしょうくんを「長身の美形若手くん」と認識しているのみで、彼にナニが出来てナニが不得意なのかもわかってません。
ただ、モブでも目に付くし、いろんな人に「青チームにいた、大きな男の子は誰?」と聞かれる。「きれいだったから、誰かなと思って」と、主要番手しか見分けの付いていない人に目をとめられる、そういう男の子。
うまいヘタがさっぱりわかってないが、とりあえず彼なら「今」、ロミオやらせてみればよかったのに、と思う。
ロミオ役は若くてきれいなら、新人公演限定で許される。実力よりもヴィジュアルと初々しさ。
堅実にまとまった咲ちゃんより、面白いモノが見られたんじゃないかなあ。
実際マーキューシオ役のしょうくんは美しく華があり、パワフルにどたばたしていた印象。
スマートだったとか、歌唱力があったかはともかく(笑)、芸風が大きく感じられたのは良かったなと。
トサカ頭も似合ってました。きれいな子はナニやっても似合っていいね(笑)。
しょうくんのトサカが、とてもわかりやすいトサカだったので、本役さんの髪型に対する謎が深まった……ちぎくんはアレ、なかなか複雑なトサカだよなあ。
でも彼はいつも大人数場面で大暴れしている役なので、じっくり彼だけを見ているヒマがなくてなあ。
ほんとに見せ場カットが惜しい。
ティボルト@りんきらには、期待しすぎていたかもしれない(笑)。
りんきらは出来る子!と勝手に盛り上がっていたので、いろいろ首を傾げる結果に。
歌がうまいことも、芝居が出来ることも、観る前からわかっている。顔立ちだってきれい……その、ニクに埋まっていなければ。彼にないのはタカラジェンヌらしいスタイルだけ!と、思っていただけに。
久々に見る美形若者役、本公演で痩せていないことはわかっていたので、二枚目役だからといって突然美形になっているとは思ってない。だからヴィジュアルに関してはなんの引っかかりもない。
あれ、と思ったのは、歌と、芝居だ。
そうか、この歌ってこんなに難しかったんだ、と改めて思った。
テルキタだからアレになっちゃってるんじゃなく、ほんとに難しいんだ、りんきらでさえこうなんだから、と……各方面に失礼な感想を持った。
テルにしろヲヅキにしろ、歌のうまい人ではないが、最低限歌を自分のモノ……「ティボルトの歌」にはしていたんだ。
それを歌うことで、ティボルトという男を吐露していた。
りんきらの歌では、それによってティボルトという人物が見えるには至らず……ヘタじゃないのになあ……歌唱力と舞台はまた別なんだなあ。
また、彼の芝居もそれが「ティボルト」なのか、よくわからなかった。
いや、芝居や役作りに正解があるわけじゃない。それが彼のティボルトだと言われればそうなんだけど。
なんというか、地味で薄いティボルトだった。いろんな感情が、低かった。クールというのではなく、薄味。抑えられた情熱が、とかゆーんでもなく……地味、だった。
ティボルトは、花形の役だ。
ばーんと舞台を圧倒する力がいる。きらきらした明るいものではないが、確実に己れで発光しなければならない。
それが、感じられなかった。
場が、チガウ。
そう思えた。
りんきらの今回の存在感やまとう色は、たとえばキャピュレット卿ならば、なんの問題もない。むしろすばらしいと絶賛されただろう。
だけどティボルトじゃない……。
うまいんだし、ほんとはきれいなんだし、痩せればいいのに、と今まで単純に思っていた。りんきらがぷくぷくなまま美少年役とかをやっているのを見て、そのヴィジュアルで美少年は勘弁、と思っていたが……そーゆー外見だけのことではないのかもしれない。
ティボルト役を見て、はじめて思った。
ジュリエットの乳母@さらさちゃんもまた、「乳母」という役の難しさを改めて考えさせてくれた。
若く美しいスタイル良しのお嬢さんばかりで構成された、宝塚歌劇団の難しさというか。
女性の役は娘役が演じるべきで、もともと花形である男役が、辛抱役の娘役の場を取るべきではない、娘役芸を軽んじてはならない、とわたしは常々思っているクチだ。
だから最初は男役のコマくんが、役の少ない海外ミュージカルでヒロインの次に比重の高い女性役を演じることに疑問もあった。
でも実際の舞台を観ると、乳母に関しては娘役よりも男役が演じた方がいいと思えた。乳母役は「娘役」という性別の役ではなかったからだ。男か、別枠の専科さんが演じてしっくりくる役。
役柄としては男役が演じていいけど、課題は残る。それが歌だ。男役のコマくんは高音が出ない。
新公で歌ウマ娘役のさらさちゃんなら、「男役か専科さんが柄に会う」乳母という役を、その歌唱力でねじ伏せてくれるかもしれない、と期待したわけだ。
外見はやはり、かわいい女の子のままだった。娘役だから、男役の演じるおばさんほど姿を汚すことは出来ない。声もかわいい、太ったおばさんに相応しい濁りはない。
姿がソレでも、他の部分で「乳母」として確立してくれただろうか、というと。
……ほんとに、乳母って難しい。
男役が演じると高音がつらくて、娘役が演じると低音がつらいんだ。
乳母の地声と裏声の差が別人過ぎて、1曲の間にそれがしょっちゅう行き来するもんだから、切り替わりのたびに「あ、今変わった」と引っかかる。
声が明らかに切り替わる不自然さのため、歌は芝居の延長の心の叫びではなく、「コンサートの1曲」のように、独立してしまう。心の叫びなら、なにも出ない音を、声を変えてまで出さないでしょうから。
歌がそれほど武器になっていないので、見た目のかわいらしさと若さを、全部芝居でカバーしろってのは、なかなかにハードル高すぎたと思う。対するジュリエット@あゆっちは学年相応の大人びた部分があるし。
さらさちゃんのお芝居をちゃんと見たのは『オネーギン』のときで、あの芝居が好きだっただけに、今回は見ていてもどかしかった。すごいアウェイ感というか。勝負すべき場でないところに正念場を持ってこられても、実力とはチガウよなっていうか。
『ロミジュリ』って見た目の甘い華やかさに反して、ほんと難しい作品なんだなあ。
こんなことなら、2幕とも上演すればいいのに、と思う。フィナーレ切るだけで少しは短縮になるんだし。演出家に短縮する能力がないのなら、できないことは最初からやらなければいい。昔はこんな短縮版ではなかったのだし。
しかし現実は、謎の構成でぐだぐだ。
マーキューシオ@しょうくんは出番や見せ場の大幅カットで、ポテンシャル開花どころじゃない。
劇団も商売下手だなあと思う。『オネーギン』で一気に注目を集めた長身美形くんを売り出しに掛かるなら、今ほどの好機はないのに。
しょうくんを最終的にトップスターとする気がない(かどうか知らないが)としても、「今」人気が出そうな子は売り出しておいて損はないでしょうに。
人気商品が店頭に複数並んでいる方が、お客さんもやってくるし、実際に買い物する人だって増えるよ? それによって劇団が本当に売れて欲しい、買って欲しい商品が実際に売れるかもしれないよ? 誰も来店してくれなかったら、どんだけ特別陳列棚で祭り上げた商品だって、誰も見ることさえない、つまり買ってくれないよ?
わたしはしょうくんを「長身の美形若手くん」と認識しているのみで、彼にナニが出来てナニが不得意なのかもわかってません。
ただ、モブでも目に付くし、いろんな人に「青チームにいた、大きな男の子は誰?」と聞かれる。「きれいだったから、誰かなと思って」と、主要番手しか見分けの付いていない人に目をとめられる、そういう男の子。
うまいヘタがさっぱりわかってないが、とりあえず彼なら「今」、ロミオやらせてみればよかったのに、と思う。
ロミオ役は若くてきれいなら、新人公演限定で許される。実力よりもヴィジュアルと初々しさ。
堅実にまとまった咲ちゃんより、面白いモノが見られたんじゃないかなあ。
実際マーキューシオ役のしょうくんは美しく華があり、パワフルにどたばたしていた印象。
スマートだったとか、歌唱力があったかはともかく(笑)、芸風が大きく感じられたのは良かったなと。
トサカ頭も似合ってました。きれいな子はナニやっても似合っていいね(笑)。
しょうくんのトサカが、とてもわかりやすいトサカだったので、本役さんの髪型に対する謎が深まった……ちぎくんはアレ、なかなか複雑なトサカだよなあ。
でも彼はいつも大人数場面で大暴れしている役なので、じっくり彼だけを見ているヒマがなくてなあ。
ほんとに見せ場カットが惜しい。
ティボルト@りんきらには、期待しすぎていたかもしれない(笑)。
りんきらは出来る子!と勝手に盛り上がっていたので、いろいろ首を傾げる結果に。
歌がうまいことも、芝居が出来ることも、観る前からわかっている。顔立ちだってきれい……その、ニクに埋まっていなければ。彼にないのはタカラジェンヌらしいスタイルだけ!と、思っていただけに。
久々に見る美形若者役、本公演で痩せていないことはわかっていたので、二枚目役だからといって突然美形になっているとは思ってない。だからヴィジュアルに関してはなんの引っかかりもない。
あれ、と思ったのは、歌と、芝居だ。
そうか、この歌ってこんなに難しかったんだ、と改めて思った。
テルキタだからアレになっちゃってるんじゃなく、ほんとに難しいんだ、りんきらでさえこうなんだから、と……各方面に失礼な感想を持った。
テルにしろヲヅキにしろ、歌のうまい人ではないが、最低限歌を自分のモノ……「ティボルトの歌」にはしていたんだ。
それを歌うことで、ティボルトという男を吐露していた。
りんきらの歌では、それによってティボルトという人物が見えるには至らず……ヘタじゃないのになあ……歌唱力と舞台はまた別なんだなあ。
また、彼の芝居もそれが「ティボルト」なのか、よくわからなかった。
いや、芝居や役作りに正解があるわけじゃない。それが彼のティボルトだと言われればそうなんだけど。
なんというか、地味で薄いティボルトだった。いろんな感情が、低かった。クールというのではなく、薄味。抑えられた情熱が、とかゆーんでもなく……地味、だった。
ティボルトは、花形の役だ。
ばーんと舞台を圧倒する力がいる。きらきらした明るいものではないが、確実に己れで発光しなければならない。
それが、感じられなかった。
場が、チガウ。
そう思えた。
りんきらの今回の存在感やまとう色は、たとえばキャピュレット卿ならば、なんの問題もない。むしろすばらしいと絶賛されただろう。
だけどティボルトじゃない……。
うまいんだし、ほんとはきれいなんだし、痩せればいいのに、と今まで単純に思っていた。りんきらがぷくぷくなまま美少年役とかをやっているのを見て、そのヴィジュアルで美少年は勘弁、と思っていたが……そーゆー外見だけのことではないのかもしれない。
ティボルト役を見て、はじめて思った。
ジュリエットの乳母@さらさちゃんもまた、「乳母」という役の難しさを改めて考えさせてくれた。
若く美しいスタイル良しのお嬢さんばかりで構成された、宝塚歌劇団の難しさというか。
女性の役は娘役が演じるべきで、もともと花形である男役が、辛抱役の娘役の場を取るべきではない、娘役芸を軽んじてはならない、とわたしは常々思っているクチだ。
だから最初は男役のコマくんが、役の少ない海外ミュージカルでヒロインの次に比重の高い女性役を演じることに疑問もあった。
でも実際の舞台を観ると、乳母に関しては娘役よりも男役が演じた方がいいと思えた。乳母役は「娘役」という性別の役ではなかったからだ。男か、別枠の専科さんが演じてしっくりくる役。
役柄としては男役が演じていいけど、課題は残る。それが歌だ。男役のコマくんは高音が出ない。
新公で歌ウマ娘役のさらさちゃんなら、「男役か専科さんが柄に会う」乳母という役を、その歌唱力でねじ伏せてくれるかもしれない、と期待したわけだ。
外見はやはり、かわいい女の子のままだった。娘役だから、男役の演じるおばさんほど姿を汚すことは出来ない。声もかわいい、太ったおばさんに相応しい濁りはない。
姿がソレでも、他の部分で「乳母」として確立してくれただろうか、というと。
……ほんとに、乳母って難しい。
男役が演じると高音がつらくて、娘役が演じると低音がつらいんだ。
乳母の地声と裏声の差が別人過ぎて、1曲の間にそれがしょっちゅう行き来するもんだから、切り替わりのたびに「あ、今変わった」と引っかかる。
声が明らかに切り替わる不自然さのため、歌は芝居の延長の心の叫びではなく、「コンサートの1曲」のように、独立してしまう。心の叫びなら、なにも出ない音を、声を変えてまで出さないでしょうから。
歌がそれほど武器になっていないので、見た目のかわいらしさと若さを、全部芝居でカバーしろってのは、なかなかにハードル高すぎたと思う。対するジュリエット@あゆっちは学年相応の大人びた部分があるし。
さらさちゃんのお芝居をちゃんと見たのは『オネーギン』のときで、あの芝居が好きだっただけに、今回は見ていてもどかしかった。すごいアウェイ感というか。勝負すべき場でないところに正念場を持ってこられても、実力とはチガウよなっていうか。
『ロミジュリ』って見た目の甘い華やかさに反して、ほんと難しい作品なんだなあ。
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