『ロミオとジュリエット』のダブルキャスト、夢華ジュリエットについての感想、その2。
 完璧にわたし個人の好みの話なので、世の評価とズレているかもしれんがそこはご容赦を。

 わたしは以前、キムくんのロミオには、夢華さんのジュリエットの方が芝居としては合っているかもしれないと書いた。
 外見ではカケラも合っているとは思わないが(笑)。

 何故、芝居が合うと思ったのか。

 それは、夢華さんのジュリエットに、個性を感じないためだ。

 夢華さんはヘタではない。
 歌はうまいし、声もきれい。ちゃんとお芝居している。でも。
 「ジュリエット」が見えない。

 なんつーか、お手本通り、演出で定められた通りの表情をし、動いて喋っているだけに見える。
 初日近辺は「いっぱいいっぱいだからかな」とか思ってたんだけど、楽まであと1週間という頃になっても印象が変わらない。
 見た目の若さと、それゆえのかわいらしさで、お手本通りの動きに過ぎなくても、たしかにジュリエットとして成立はする。
 初々しいジュリエット、こんなに若くいとけない少女が恋に殉じるのは可哀想、その若い一途さが美しくて切ない。最後のロミオとの白いデュエットダンスがかわいくて素敵。
 と、すべてが実年齢の若さと経験不足ゆえの効果。若い役が主役の物語だと、新人公演がなんとなくサマになるのと同じ。

 夢華ジュリエットにあるのは、「ジュリエット」としての記号だった。

 ジュリエットという衣装を着て、歌を歌い、言葉を話す、それだけ。
 それゆえに夢華ジュリエットのときは『ロミオとジュリエット』ではなく、『ロミオ!』になる。
 ロミオ@キムのひとり舞台だ。

 劇団が意図しているのかどうか知らないが、いろんな宣伝映像でロミオとふたりできちんとアップになってふたりとも顔が見える状態で「芝居」をしているのはみみちゃんで、そこにジュリエットがいるとわかるだけの「姿さえわかればいい」、ロミオさえちゃんと映っていればいい状態のときは夢華さんであることが多い気がした。
 単なる学年配慮、ヴィジュアルによる配慮かもしれないが、これは正しいと思った。
 「ロミオとジュリエット」なのはみみジュリエット相手だからアップでふたりを映し、新トップスターキムくんが「ロミオを演じているところを映したい」なら、夢華ジュリエット。

 夢華ジュリエットのときは、わたしはジュリエットに目がいかない。ジュリエットが気にならない。
 ただもお、キムロミオに圧倒される。
 実際、ロミオの狂気が激しいのは夢華ジュリエットのときだと思う。
 キムくん独走状態。
 だからキム単体の『ロミオ!』を見たいなら、夢華ジュリエットかもしれない。相手役ナシのロンリートップスターを見たいなら。

 ここまできてはじめて、キムって相手役いらずかもしれないと思った。
 責任の大きさゆえにまだ余裕がないためかもしれないが、「独走上等! 周り見えてません!」状態になっている。
 「ロミオ」なのに、恋愛していない。
 魂のないお人形相手に泣いて笑って大忙しのキムロミオは、ある意味役者として、舞台人としての「音月桂」そのものかもしれない。
 相手が足りないからといって共倒れするのではなく、自分ひとりでも走り出す。暴れ出す。相手が倒れていることを、観客が気付かないくらいの勢いで、ふたり分動く。
 人形を人間にすることも、時間があればできるかもしれないが、そんな時間はない。だから人形だと気付かれないよう、ひとり芝居でもなんでもして煙に巻く。
 キムの強さがそのまま出ている気がするんだ。

 が、舞台は強いだけや、ひとりだけで成立するわけじゃない。キムくんは通常ならきちんと芝居をしていると思う。
 その「通常」ができないくらい、今彼は全力で闘っているのだと思う。

 夢華さんの記号っぷりは、たしかに今までのタカラヅカでもよく見かける。
 ベテラン男役トップスターの相手役に、なんの色も付いていない未熟な新人娘役を抜擢すると、そーゆー立場の女の子はただ決められた通りに歌って喋るだけの人形になりがち。
 それはソレでアリだろう。未熟な少女を相手役に迎えることで、男ぶりが上がったり、それまでのベテラン相手役と組んでいたときとはチガウ新たな顔が見られたりするから。
 ……ってソレは、男の方がすでにベテランで、ふたり目以降の相手役を迎えるときの話だろう。それも、きちんと「相手役」「トップコンビ」として成立していた上で。

 2番手経験すらろくになく、決まった相手役を持ったことのないキムくんがトップスターになり、相手役でもなくダブルキャストで、「記号」しか演じられないヅカ素人相手に、ナニができるっつーんだ。
 孤軍奮闘しているがゆえに、キムの力、魅力はどーんと表に出ている。つか、全開だ、全力だ。
 キムひとり芝居状態だもの、キム単体を見たい人にはいいかもしれない。キムがひとりでやりたいように出来る、だからいいかもしれない。

 そういう意味で、夢華ジュリエットの芝居が、キムには合っているかもしれない、と思ったんだ。

 でもわたしは、そんなモノ、タカラヅカにもキムくんにも求めていない。

 ナニがかなしゅーて記号相手に恋愛せにゃならんのだ。『ロミオとジュリエット』なのに、ひとり芝居で『ロミオ!』をやらにゃならんのだ。
 キムくんにはちゃんと恋愛して欲しい。『ロミオとジュリエット』をやってほしい。

 ロミオだけじゃない。
 夢華さんの回は、「ジュリエット」が見えないため、ジュリエットに関わる他のいろんな人に感情移入できる。
 キャピュレット卿@ヒロさんに泣いたり、乳母@コマに泣かされたり。ふつーならジュリエットを見て彼女に感情移入すべきところで、彼女が記号なので、彼女に対する人々の顔がよく見えるの。
 乳母はカーテン前独唱ではなく、それ以外のジュリエットと一緒にいるときの表情のひとつひとつ、話し方や声色で泣けるよ……なんてキュートかつオトコマエなおふくろさんなんだ、てなふうに。

 ダブルキャストのジュリエットが、その回どちらであるかは、わたしは気にせず着席していた。なにしろトチ狂っていつもより通ってるからさー。いちいち気にしてないっつの。だから登場するまでどちらかわかっていないことが多かった。
 が、夢華さんが続くと、みみちゃんを見たくて仕方なくなる。ので、公演も後半になるとみみジュリエットの回を選んで観劇するようになった。
 や、やっぱ「ジュリエット」が見たいんだもの、記号とか人形とかじゃなくて。

 
 と。
 これはわたしひとりの感想なので、みみちゃんが良くて夢華さんがダメ、というわけじゃない。
 「タカラヅカ娘役」としては素人同然の研1の女の子にしかできないジュリエットを、今の夢華さんは演じているし、そこに価値を置くのもアリだろう。
 これからキャリアを積めば、彼女も変わっていくだろうし。
 だからこれは現時点での感想。

 劇団がナニを考えてこんな抜擢をしているのかは、未だもってよくわからないが。

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