彼女の頑なな強さは・その1。@ロミオとジュリエット
2011年1月29日 タカラヅカ 『ロミオとジュリエット』のダブルキャスト、みみジュリエットについての感想。
初日を観たとき、感じたのはジュリエット@みみちゃんの「少女」らしさだ。
少女というか……子どもっぽさ。
みみちゃんは公演ごと、ヒロイン経験ごとに成長していき、気が付くとずいぶん大人になっていた。
トド様の相手役をして、浮かないくらいのクラシックな持ち味の女の子だ。
男役に比べ、娘役は早熟だ。旬は早く訪れ、また短い。
そんな大人びたみみちゃんが演じる、16歳の聖少女……。
高く作った声、可憐で無邪気な芝居……みみちゃんの今の持ち味からすれば、ちょっと無理をした感じ。
等身大の少女が演じている少女ではなく、大人の女の子が芝居として「作っている」少女だ。
テレビドラマならともかく、舞台は役者の実年齢なんぞ役には無関係。みみちゃんがきちんと「少女」として物語の中に在ってくれたことに拍手。痩せすぎちゃってちょっと顔に年齢以上の陰があるけれど、それにしたってもともとが美人さん、かわいーかわいー。「ジュリエット」として説得力ある。
でもそうやって作った少女は、最初から最後まで少女だった。
夢見る夢子ちゃんな深窓のお姫様が恋を知り成長する・変化する……ことはなく、無垢な子どものまま死んでしまった、ような。
芝居に正解があるわけではないから、それはソレでかまわない。
てゆーか、『うたかたの恋』もそうだけど、破滅する恋に殉じる少女ヒロインっつーのは、無垢っちゅーか無知な方が物語的に盛り上がったりする。
分別とか思慮深さとかがあったら、そんな恋に突っ走ったりしないし、死を選ぶこともないだろうから。
わたしたち大人ならまずそんなことにはならないだろう、非現実的な「純愛」に「純粋」に驀進するには、小賢しい知恵なんかいらん、アホなくらいでヨシ、その方がより別次元として泣ける……てことが、大いにある。
子どもっぽく作ったジュリエットが、子どものまま死んでしまう……みみジュリエットは姿のかわいさ、可憐さも相まって、それでも十分「ジュリエット」であり、感動的だった。
ただ、ロミオ@キムは子どもではない。
夢見る夢男くんであっても、その魂は無知とは別のところにある。
個々で見るといいのに、「ロミオとジュリエット」としてはしっくり来ない気がした。
それが、外見はお似合いだけど、芝居としてはあんまり合ってない気がする、と以前書いた理由。
だったんだけど。
みみちゃんが変わったのか、わたしが気付いていなかっただけなのか。
公演が進むにつれ、最初の印象とまったく違ったジュリエットが見えてきたんだ。
ジュリエット。
名門キャピュレット家の娘、深窓の令嬢、世間知らずで恋に恋するお姫様。
どーでもいい求婚者からもらった花束を抱きながら、「結婚だけは好きな人としたい」と歌う彼女は。
とても強い意志を持つ少女だった。
親に逆らったことがないとか、いつか運命の人がとかタワゴトを言っているが、現実の見えていないお人形さんではない。「頑なな強さは私に似たのか」と父@ヒロさんが歌うように、うわ、このジュリエット、絶対気ぃ強え! と、思った。
お姫様育ちだから世間知らずなだけで、意志薄弱でも白痴でもない、あざやかな自我。
人生に対するアグレッシヴな姿勢。
恋に恋する少女のお花畑な歌だと思っていた「結婚だけは」という歌が、まったく違って聞こえる。
「娘の結婚相手は父親が決める」と当たり前に断言されてしまう時代の16歳の女の子が、ここまで強い意志を持ち、自分の人生に貪欲だってのは、驚異だ。
え、ナニこの子、面白い。そう思った。
仮面舞踏会でロミオと出会い、「天使の歌が聞こえる」を歌うときの、あのきらめき。
運命とやらに流されて恋をしたのではない。受け身ではない。恋をした、その次の瞬間、ジュリエットは、自分の意志で、その恋へ踏み出した。
ロミオにとっては、運命だったかもしれない。
でもジュリエットにとっては、彼女自身の選択と、意志だった。
ロミオが闇と死に囚われている繊細な少年であるのに対し、ジュリエットは光と生を信じる強い少女だ。
ロミオが何故この少女に惹かれたかわかる。そりゃ彼には、この子がまぶしかったろう。
わたしがジュリエットを好きだと思った瞬間から、世界でもっとも有名なこの純愛物語は、別の色を持った。
もともと演じているみみちゃんをかわいいと思っているとか好きだとか、そーゆーこととはまったく別に、この物語の中にいる「ジュリエット」という女の子を好きだと思った。
すると、ロミオがわかるんだ。ジュリエットに会うためにバルコニーに上がってきて、「恋の翼に乗って」とかすごくイイ顔して歌っちゃう、彼の気持ちがわかる。
ロミオがやたらめったらにこにこ笑っているのもわかる、そりゃ笑顔になるよ、こぼれるよ。このジュリエットを好きなんだもん。彼女の変わる表情を見ているだけで、うれしくてうれしくてならないんだもん。
ロミオが一気に、わたしの近くに来た。『ロミオとジュリエット』ではなく『ロミオ!』だとか、恋愛してないとか、いろいろ言っていたことを全部吹っ飛ばして。
愛してる=結婚しよう!の性急さ、単純さ。余分なことのない思考。それが愛しい。
ジュリエットのキャラクタが見えたから、ティボルト@ヲヅキの恋もまた、納得がいく。
ゆがみたくてゆがんだわけじゃない。この世界のおかしさを知りながら、それに飲み込まれ抗いきれずにいるあの痛々しい生身の男、ティボルト。
己れの闇と闘うティボルトには、そりゃあこのジュリエットが救いだろう。
ヲヅキティボは意志のない偶像なんか崇め奉って完結する男じゃない。
この生きの良いジュリエットならさもありなん……とゆーか、日頃のジュリエットとティボルトの会話が想像できる。
上辺だけでナニか言ってもジュリエットはうんとは言わない、絶対言い返してくる(笑)。気が強くて、頑固で。生真面目(笑)なティボルトは、しょっちゅう言い負かされていそう。本気でケンカしたりな……ティボルトも年下の女の子相手に本気で怒るし、ジュリエット負けてないし。
ティボルトが怒るととりまきの連中はびびるし、機嫌の良し悪しや空気を気遣って遠巻きにしたりするけど、ジュリエットだけは別。どんなに怒らせても空気悪くても、臆することなく態度も変えず、近づいてくる。
ジュリエットは真顔で言うの。
「ティボルトなら、きっとドラゴンを倒せるわ」
まっすぐな瞳で。
と、「ジュリエット」が見えた瞬間に、物語が立ち上がり、あざやかに動き出したの、わたし的に。
それぞれキャラクタの個人技だった雪組『ロミジュリ』が、ロミオとジュリエットの愛の物語に、彼らを愛するモノたちの物語に。
続く。
初日を観たとき、感じたのはジュリエット@みみちゃんの「少女」らしさだ。
少女というか……子どもっぽさ。
みみちゃんは公演ごと、ヒロイン経験ごとに成長していき、気が付くとずいぶん大人になっていた。
トド様の相手役をして、浮かないくらいのクラシックな持ち味の女の子だ。
男役に比べ、娘役は早熟だ。旬は早く訪れ、また短い。
そんな大人びたみみちゃんが演じる、16歳の聖少女……。
高く作った声、可憐で無邪気な芝居……みみちゃんの今の持ち味からすれば、ちょっと無理をした感じ。
等身大の少女が演じている少女ではなく、大人の女の子が芝居として「作っている」少女だ。
テレビドラマならともかく、舞台は役者の実年齢なんぞ役には無関係。みみちゃんがきちんと「少女」として物語の中に在ってくれたことに拍手。痩せすぎちゃってちょっと顔に年齢以上の陰があるけれど、それにしたってもともとが美人さん、かわいーかわいー。「ジュリエット」として説得力ある。
でもそうやって作った少女は、最初から最後まで少女だった。
夢見る夢子ちゃんな深窓のお姫様が恋を知り成長する・変化する……ことはなく、無垢な子どものまま死んでしまった、ような。
芝居に正解があるわけではないから、それはソレでかまわない。
てゆーか、『うたかたの恋』もそうだけど、破滅する恋に殉じる少女ヒロインっつーのは、無垢っちゅーか無知な方が物語的に盛り上がったりする。
分別とか思慮深さとかがあったら、そんな恋に突っ走ったりしないし、死を選ぶこともないだろうから。
わたしたち大人ならまずそんなことにはならないだろう、非現実的な「純愛」に「純粋」に驀進するには、小賢しい知恵なんかいらん、アホなくらいでヨシ、その方がより別次元として泣ける……てことが、大いにある。
子どもっぽく作ったジュリエットが、子どものまま死んでしまう……みみジュリエットは姿のかわいさ、可憐さも相まって、それでも十分「ジュリエット」であり、感動的だった。
ただ、ロミオ@キムは子どもではない。
夢見る夢男くんであっても、その魂は無知とは別のところにある。
個々で見るといいのに、「ロミオとジュリエット」としてはしっくり来ない気がした。
それが、外見はお似合いだけど、芝居としてはあんまり合ってない気がする、と以前書いた理由。
だったんだけど。
みみちゃんが変わったのか、わたしが気付いていなかっただけなのか。
公演が進むにつれ、最初の印象とまったく違ったジュリエットが見えてきたんだ。
ジュリエット。
名門キャピュレット家の娘、深窓の令嬢、世間知らずで恋に恋するお姫様。
どーでもいい求婚者からもらった花束を抱きながら、「結婚だけは好きな人としたい」と歌う彼女は。
とても強い意志を持つ少女だった。
親に逆らったことがないとか、いつか運命の人がとかタワゴトを言っているが、現実の見えていないお人形さんではない。「頑なな強さは私に似たのか」と父@ヒロさんが歌うように、うわ、このジュリエット、絶対気ぃ強え! と、思った。
お姫様育ちだから世間知らずなだけで、意志薄弱でも白痴でもない、あざやかな自我。
人生に対するアグレッシヴな姿勢。
恋に恋する少女のお花畑な歌だと思っていた「結婚だけは」という歌が、まったく違って聞こえる。
「娘の結婚相手は父親が決める」と当たり前に断言されてしまう時代の16歳の女の子が、ここまで強い意志を持ち、自分の人生に貪欲だってのは、驚異だ。
え、ナニこの子、面白い。そう思った。
仮面舞踏会でロミオと出会い、「天使の歌が聞こえる」を歌うときの、あのきらめき。
運命とやらに流されて恋をしたのではない。受け身ではない。恋をした、その次の瞬間、ジュリエットは、自分の意志で、その恋へ踏み出した。
ロミオにとっては、運命だったかもしれない。
でもジュリエットにとっては、彼女自身の選択と、意志だった。
ロミオが闇と死に囚われている繊細な少年であるのに対し、ジュリエットは光と生を信じる強い少女だ。
ロミオが何故この少女に惹かれたかわかる。そりゃ彼には、この子がまぶしかったろう。
わたしがジュリエットを好きだと思った瞬間から、世界でもっとも有名なこの純愛物語は、別の色を持った。
もともと演じているみみちゃんをかわいいと思っているとか好きだとか、そーゆーこととはまったく別に、この物語の中にいる「ジュリエット」という女の子を好きだと思った。
すると、ロミオがわかるんだ。ジュリエットに会うためにバルコニーに上がってきて、「恋の翼に乗って」とかすごくイイ顔して歌っちゃう、彼の気持ちがわかる。
ロミオがやたらめったらにこにこ笑っているのもわかる、そりゃ笑顔になるよ、こぼれるよ。このジュリエットを好きなんだもん。彼女の変わる表情を見ているだけで、うれしくてうれしくてならないんだもん。
ロミオが一気に、わたしの近くに来た。『ロミオとジュリエット』ではなく『ロミオ!』だとか、恋愛してないとか、いろいろ言っていたことを全部吹っ飛ばして。
愛してる=結婚しよう!の性急さ、単純さ。余分なことのない思考。それが愛しい。
ジュリエットのキャラクタが見えたから、ティボルト@ヲヅキの恋もまた、納得がいく。
ゆがみたくてゆがんだわけじゃない。この世界のおかしさを知りながら、それに飲み込まれ抗いきれずにいるあの痛々しい生身の男、ティボルト。
己れの闇と闘うティボルトには、そりゃあこのジュリエットが救いだろう。
ヲヅキティボは意志のない偶像なんか崇め奉って完結する男じゃない。
この生きの良いジュリエットならさもありなん……とゆーか、日頃のジュリエットとティボルトの会話が想像できる。
上辺だけでナニか言ってもジュリエットはうんとは言わない、絶対言い返してくる(笑)。気が強くて、頑固で。生真面目(笑)なティボルトは、しょっちゅう言い負かされていそう。本気でケンカしたりな……ティボルトも年下の女の子相手に本気で怒るし、ジュリエット負けてないし。
ティボルトが怒るととりまきの連中はびびるし、機嫌の良し悪しや空気を気遣って遠巻きにしたりするけど、ジュリエットだけは別。どんなに怒らせても空気悪くても、臆することなく態度も変えず、近づいてくる。
ジュリエットは真顔で言うの。
「ティボルトなら、きっとドラゴンを倒せるわ」
まっすぐな瞳で。
と、「ジュリエット」が見えた瞬間に、物語が立ち上がり、あざやかに動き出したの、わたし的に。
それぞれキャラクタの個人技だった雪組『ロミジュリ』が、ロミオとジュリエットの愛の物語に、彼らを愛するモノたちの物語に。
続く。
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