『ロミオとジュリエット』、のダブルキャスト、みみジュリエットについての感想、続き。

 ああ、好きだな、この子。素直にそう思う。
 それが「ジュリエット」として正しいかどうかは知らないが、ひとりの少女として、みみジュリエットをとても魅力的だと思う。

 ロミオ@キムと一緒にいるときのジュリエットは、恋する乙女モード発動中なので、気の強さはなりをひそめている。
 とにかく美形でかわいくて華奢で、「ジュリエット」としての外見イメージを満たしてくれるので、そのあたりはそれで十分。

 でも実際、ジュリエットを「面白い」と思うのは、彼女の気の強さが全面に出る場面。

 ロミオ追放後、パリス@ひろみとの結婚を両親から言い渡されたときの、強い拒絶。
 この場面がすっごく好き。ジュリエットの感情の激しさに引き込まれる。

 どんだけ気が強くても、本人が歌っていた通り、真の意味では親に逆らったことなんかないんだろう。ジュリエットが特別良い子だとか親の言いなりだとかいうことではなく、娘が親に逆らうこと自体が常識としてあり得ない、そんな時代と家柄。
 家や両親が全世界、絶対的なモノである、深窓のお嬢様。彼女にとって「親の命令に逆らう」ことは、全世界と闘うに等しいこと。
 それくらい、無謀なこと。ありえないこと。
 だけどジュリエットは、絶対譲れない信念のもと、真正面から闘いを挑む。

 そこでパリスが現れなければ、彼女はなおも自分ひとりで闘おうとしただろう。乳母@コマの腕を払いのけたように。
 しかしあののーてんきで空気読めない男が登場、それによって強引に話を進めてしまうキャピュレット夫妻。

 ジュリエットには、闘うことすら許されなかった。

 自分の意志で、全存在を懸けて闘おうとしたのに。
 キャピュレット卿@ヒロさんは、娘の意志なんてものにこれっぽっちも重きを置いてなかった。それが常識だから。

 ジュリエットの人生は、彼女の手の届かないところで決められてしまった。やめてと、嫌だと、本気で訴えたのに。闘う意志すら示したのに。
 なのに彼女は踏みにじられた。
 「ジュリエット」という個の完全否定。蹂躙。

 パリスと父の話を聞いているときのジュリエットが、もう。
 愛を、心を砕かれていく。
 その絶望、悲鳴に引き込まれる。見ていて苦しくなる。ジュリエットの表情見ているだけで泣ける。

 パリスが席を外したあと、やぶれかぶれの状態で「嫌よ、彼の妻にはならない」と父の前に飛び出していくジュリエット。
 闘うつもりで法廷に立ったのに、無理矢理部屋から追い出され、本人不在のうちにありもしないことをでっちあげられ有罪極刑判決、こんなバカなことがあっていいのか、一度出た判決が覆らないとしても叫ばずにはいられない……!
 そんな血を吐くような叫びを、……暴力で、終了させられる。

 ここで、暴力って……。

 ジュリエットに感情移入しまくりだから、キャピュレット卿のこの行動にはすげー反発。許せない。
 横暴さを責められたら、暴力で口封じかい。気に入らないものは殺せ、人間が行う、最低の行為。

 キャピュレット卿がジュリエットを叩くのはわかる。あの激しさの前には、暴力しかなかった。
 優位なら手はあげない。格下の者に本気にならない。
 キャピュレット家当主に余裕をなくさせ、暴力をふるわせるほど、ジュリエットは強かった。なんの力もない小娘なのに。

 ジュリエットはここで父に殺されたんだ。
 彼女の魂の叫びはそもそも聞いてさえもらえなかった。闘いの場に立つことすら許されなかった。
 自分の意志を示したら、暴力で口封じだ。
 聞き分けのない子ども……道具でしかない、個を必要としない、「キャピュレット家の娘」という器としか、見られていない。
 ぶっちゃけ、ジュリエットがジュリエットでなくてもいいんだ、父にとって。「キャピュレット家の娘」でさえあれば、中身が別の人に入れ替わっていてもかまわない。
 ジュリエットは殺された。彼女自身を完全に否定されたのだから。

 いや実際、親の立場からするとそーゆーことではないんだけど。親の愛はそんなもんじゃないんだけど。時間を掛ければ誤解は解け、わかりあうこともあるんだろうけど。
 そんなことは、今のジュリエットにはわからない。つか、それくらい、キャピュレット卿のやり方がまずかったわけなんだが。

 実の親に殺されたばかりのジュリエットに、味方だったはずの乳母までもが裏切り宣言。
 そりゃ彼女の「地獄に堕ちろ」台詞がこわいわけですよ。ジュリエットがぼそりとつぶやく「そうなりますように」がすごくこわい。無表情なんだけど、その奥にある強い意志がこわい。
 そのくせ、次の瞬間には微笑んでみせる。「ロレンス神父のところへ懺悔に行く」と。こーわーいー。

 ロレンス神父@にわにわのところで「死んだ方がマシ」と歌うジュリエット。
 ヒステリックなわけでも悲しみどん底というわけでもなく、ただ「事実」を歌う姿が、こわい。

 実際のところ、もう死を選ぶしか彼女には残されていない。
 魂を懸けた訴えは、聞く以前に全面否定された。彼女自身で選べることは、その生死のみ。意志を持ってはならないのなら、もうジュリエットがジュリエットである必要はない。生きる意味などない。

 神父があわてて仮死状態になる薬を渡すわけだよ。
 このままだったら確実に、ジュリエットは死んでいるもの、今晩中に。
 どんだけ危険な賭でも、それにすがるしかないくらい、追いつめられた状態だ。

 せめてあと1日あれば、神父や乳母が目論んでいたように、大公@しゅうくんにロミオとジュリエットの結婚を理由に恩赦を願い出ることも出来たんだろうけど。
 両家の争いを憂えているあの大公ならば、力になってくれただろう。今すぐでなくても、ロミオが戻って来られる未来はあったはず。
 パリスとの結婚が、明日でさえなければ。……ああもお、キャピュレット卿のバカー!

 霊廟で目覚めたジュリエットが、ロミオの自殺を知り、自分もまたあとを追おうと短剣を握る場面。
 そこで感じるのも、彼女の意志の強さだ。
 「私もう生きていけない」と悲しみゆえに後を追うのでも、狂気に堕ちるのでもなく。
 高らかに愛を歌い、強い意志で、自分の道を決める。

 それは最初に「結婚だけは好きな人としたい」と歌っていた、あの女の子だ。強い意志を持ち、それゆえに華やかに輝いていた、あの女の子。
 ゆるがない、ブレない、ジュリエットというひとりの人間。

 自分の意志で自分の愛を、生き方を決める。それを宣言する行為。
 だからジュリエットの自害は光に満ちる。清々しいほどの白さに満ちる。

 闇にゆがんだロミオの自殺とは違って。

 
 みみジュリエットが、キムロミオと合っているのかどうかは、わからない。
 なかなかどーして、異質だと思うんだ、このふたり。
 キムくんはキムくんひとりで「ロミオ!」をやっているし、みみちゃんはみみちゃんで「ジュリエット!」をやっているよーな気もする(笑)。
 でもこのふたりは、それぞれが「主人公」であることに納得の「生きた」人間たちだ。
 世紀のラブロマンスに相応しいほど愛し合っているかどうかはさておき(笑)、このふたりが「運命の恋人」で、それぞれ大騒ぎしているのはイイと思うんだ。
 見ていて楽しいんだ。非日常に浸って、どきどきわくわくできる。

 雪組『ロミオとジュリエット』は、いろんな人たちの人生が見えて面白い。
 みんな負けてなくて、真面目で地道に濃くって、すごく楽しい。

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