粗忽者と呼ばれた男・その9。@ロミオとジュリエット
2011年2月26日 タカラヅカ 『ロミオとジュリエット』、こあらった目線の見どころベンヴォーリオ@まっつ、いい加減長いよ、続き。
「憎しみ」という呪縛から解き放たれたベン様。
彼はモンタギューとキャピュレットの争いを終わらせたいと思うようになっていた。
そうすることで、追放された親友ロミオ@キムだって、呼び戻せる日が来るかもしれない。
されど人々の闇は治まるばかりか、ボルテージを増すばかりで。
復讐を歌う人々の間、「やめろ」と歌うベン様の無力さ。
ベンヴォーリオだって、ほんとうなら怒っていいんだ。
マーキューシオを殺された、ロミオを追放させられた。
それは全部全部キャピュレットのせい。
そう思って群衆の先頭に立つことは出来た。
だけど彼はもう、憎しみには踊らされない。
本当に憎むべきモノがナニか、わかっている。
まさに、「狂気の沙汰」。
個を失い集団が暴走する、その恐ろしさ。
「狂っている」とファルセットで歌う、その混乱、闇。
後半のベン様はさらに声の通りが良くなっていて、ファルセットが途中で終わるんじゃなく、さらに上に突き抜けて着地していた。
まだ上があるのか、この歌声。
ベン様が客席に背を向けたまま、力無く膝を折るのがいい。
がっくりと、力尽きたように崩れて。
なのに、彼はまた顔を上げる。人々が復讐を歌い出すと、それでも「やめろ」と立ち上がる。
狂気の沙汰に絶望して、崩れ落ちたのに。
なすすべもなく膝を折ったのに。
なのにまた、立ち上がるんだ。
ナニも出来なくても、それでも立つ。
そういう人なんだ。
そのあと歌ではなく、ひとりでくるくる踊るのが好き。
ここの場面ってさあ、まっつのちっささが、際立ってるよね(笑)。
振付の問題かなあ。なんかひときわ「うわ、ちっさっ!!(笑)」と思う。
まっつにあと5センチ身長があればなあ。人生違ったろうになあ。
あと5センチ長身でスタイル良しなまっつさんに、わたしが惚れていたかどうかわかりませんが(笑)。
映像には残らないんだろうな。
この逡巡と苦悩、絶望とそれでも立ち上がるベン様。ジュリエットが現れたら、きっとカメラはジュリエットを映すから。
だからほんと、ベン様を焼き付けなければ。
いやココだけに限らず、他の場面もきっとベン様はろくに映ってはナイんだろーけど(笑)。
にしてもこの場面は、まつださんの「背中の演技」を堪能する場面だわ。
ジュリエット自害の報を聞いたあとのベン様は、しばらく背中だけを見せている。
現実を受け止め、耐える背中。
もう、膝は折らない。……星組版では「どうやって伝えよう」をすずみさんがうずくまって歌っていた記憶があるだけに。ああ、膝は折らないんだ、と。
未涼亜希、渾身の大ナンバー。
演出家に「彼はこのナンバーを歌うために宝塚に入ってきた」とまで言わしめた曲。……てゆーかイケコ、何故にまっつは「彼」なの??(笑) ヲヅキさんが「彼女」なのに。
まっつは声と歌唱力を評価されてきた人だけど、本公演で「歌」で活躍させてもらったことは、実はあまりナイ。
タカラヅカのスター制度ゆえ、番手の付いた路線スターでない限り、歌わせてもらえないからだ。
何小節か歌い継ぎさせてもらうのがせいぜいで、まるまる1曲芝居の歌を役として表現させてもらうことなんて、経験していない。
バウとかの小さなハコでなんとかやらせてもらえるかなってだけで。
大劇場で表現しようなんて、未知の領域。
でもってまっつは、感情表現が小さい。
クールというと聞こえはイイが、平板で乏しい。
だからこの大ナンバーも、正確な歌声ではあっても、どこまで「役」として「ミュージカル」として表現できているのかはアヤしい。
今は抜きん出た歌唱力を評価されているけれど、このまま雪組3番手として活躍するなら、この表現力の乏しさがネックになってくるだろうなと思う。
真ん中寄りではあってもちゃんとした真ん中教育受けてきた人ぢゃないから、経験が圧倒的に少ないから。……てのは、言い訳でしかない。
活躍の場が広がれば、欠点も見えてくるなと。
彼の扱いがそれまでと段違いであったゆえに、扱いの良さを喜び小躍りする反面、欠点が浮き彫りになってうろたえた『TUXEDO JAZZ』を思い出す。
今のまっつが、ベンヴォーリオがベストかどうかはわからない。
ただ。
今、全身を使って歌う、ベンヴォーリオ@まっつが好きだ。
わたしほんと、まっつファンになってからこっち、ご贔屓の芝居で泣いたことってなかったんだなと思う。
わたしは舞台観てしょっちゅー簡単にめそめそしているけれど、それはご贔屓云々関係なしにだ。
まっつの芝居で泣けたことなんて、ほとんどナイ。
だって「キミの海馬は私のモノだ」とか「ルイ・マレ~♪」とかなんだもん。オモシロくて大好きだけど、感動して泣くのとは別次元っていうか。
まっつの芝居で泣けたのって、相沢くん@『舞姫』青年館くらいだわ……。(えっ、バウは?!)
まっつのことは大好きだけど、芝居の好みでいうと彼はチガウんだろうなと思う。
わたしのツボに突き刺さってくるタイプの役者ではナイ。
それでも、まっつはわたしのいちばんで。
他の、どんなに芝居が大好きな人よりも、好きな人で。
ベンヴォーリオのソロ「どうやって伝えよう」も、まっつが歌っているから好きなわけで、声と姿にうっとりするためにあるわけで、カーテン前にたったひとり、他に誰もいない場面でまるまる1曲ってそんな状態がうれしいわけで。
別に、まっつの芝居がどうとかじゃなかった。
もちろん芝居も気にしていたけど、やっぱりわたし的にチガウというか足りてないのでその辺はもうわかっていることだし、気にしてもはじまらないので、「まっつだ、うれしい」しか思ってなかった。
ごめん。
ほんとに、ごめん。
なんかもーすごい久しぶりに、まっつの芝居で泣いた。
『舞姫』以来……。
いつも必ず泣けるってわけじゃないんだけど、とにかくまつださん、芝居が日替わりなの。
こんなの知らない、見たことナイ。
まっつのベンヴォーリオは見るたび微妙に違っていて、それで泣ける日があるの。
ベンヴォーリオの哀切な歌声が、ずしんと胸に迫る。
それまでの積み重ね、マーさん死亡時とかその後の力無い風情とか。それらが全部積み重なって、最後のソロで決壊するの。
だから「どうやって伝えよう」は歌だけど、歌というよりは芝居として語る。歌だから好きなのに、それでもわたしの中では芝居認識。
まっつの歌で、芝居で、泣ける。
続く。
「憎しみ」という呪縛から解き放たれたベン様。
彼はモンタギューとキャピュレットの争いを終わらせたいと思うようになっていた。
そうすることで、追放された親友ロミオ@キムだって、呼び戻せる日が来るかもしれない。
されど人々の闇は治まるばかりか、ボルテージを増すばかりで。
復讐を歌う人々の間、「やめろ」と歌うベン様の無力さ。
ベンヴォーリオだって、ほんとうなら怒っていいんだ。
マーキューシオを殺された、ロミオを追放させられた。
それは全部全部キャピュレットのせい。
そう思って群衆の先頭に立つことは出来た。
だけど彼はもう、憎しみには踊らされない。
本当に憎むべきモノがナニか、わかっている。
まさに、「狂気の沙汰」。
個を失い集団が暴走する、その恐ろしさ。
「狂っている」とファルセットで歌う、その混乱、闇。
後半のベン様はさらに声の通りが良くなっていて、ファルセットが途中で終わるんじゃなく、さらに上に突き抜けて着地していた。
まだ上があるのか、この歌声。
ベン様が客席に背を向けたまま、力無く膝を折るのがいい。
がっくりと、力尽きたように崩れて。
なのに、彼はまた顔を上げる。人々が復讐を歌い出すと、それでも「やめろ」と立ち上がる。
狂気の沙汰に絶望して、崩れ落ちたのに。
なすすべもなく膝を折ったのに。
なのにまた、立ち上がるんだ。
ナニも出来なくても、それでも立つ。
そういう人なんだ。
そのあと歌ではなく、ひとりでくるくる踊るのが好き。
ここの場面ってさあ、まっつのちっささが、際立ってるよね(笑)。
振付の問題かなあ。なんかひときわ「うわ、ちっさっ!!(笑)」と思う。
まっつにあと5センチ身長があればなあ。人生違ったろうになあ。
あと5センチ長身でスタイル良しなまっつさんに、わたしが惚れていたかどうかわかりませんが(笑)。
映像には残らないんだろうな。
この逡巡と苦悩、絶望とそれでも立ち上がるベン様。ジュリエットが現れたら、きっとカメラはジュリエットを映すから。
だからほんと、ベン様を焼き付けなければ。
いやココだけに限らず、他の場面もきっとベン様はろくに映ってはナイんだろーけど(笑)。
にしてもこの場面は、まつださんの「背中の演技」を堪能する場面だわ。
ジュリエット自害の報を聞いたあとのベン様は、しばらく背中だけを見せている。
現実を受け止め、耐える背中。
もう、膝は折らない。……星組版では「どうやって伝えよう」をすずみさんがうずくまって歌っていた記憶があるだけに。ああ、膝は折らないんだ、と。
未涼亜希、渾身の大ナンバー。
演出家に「彼はこのナンバーを歌うために宝塚に入ってきた」とまで言わしめた曲。……てゆーかイケコ、何故にまっつは「彼」なの??(笑) ヲヅキさんが「彼女」なのに。
まっつは声と歌唱力を評価されてきた人だけど、本公演で「歌」で活躍させてもらったことは、実はあまりナイ。
タカラヅカのスター制度ゆえ、番手の付いた路線スターでない限り、歌わせてもらえないからだ。
何小節か歌い継ぎさせてもらうのがせいぜいで、まるまる1曲芝居の歌を役として表現させてもらうことなんて、経験していない。
バウとかの小さなハコでなんとかやらせてもらえるかなってだけで。
大劇場で表現しようなんて、未知の領域。
でもってまっつは、感情表現が小さい。
クールというと聞こえはイイが、平板で乏しい。
だからこの大ナンバーも、正確な歌声ではあっても、どこまで「役」として「ミュージカル」として表現できているのかはアヤしい。
今は抜きん出た歌唱力を評価されているけれど、このまま雪組3番手として活躍するなら、この表現力の乏しさがネックになってくるだろうなと思う。
真ん中寄りではあってもちゃんとした真ん中教育受けてきた人ぢゃないから、経験が圧倒的に少ないから。……てのは、言い訳でしかない。
活躍の場が広がれば、欠点も見えてくるなと。
彼の扱いがそれまでと段違いであったゆえに、扱いの良さを喜び小躍りする反面、欠点が浮き彫りになってうろたえた『TUXEDO JAZZ』を思い出す。
今のまっつが、ベンヴォーリオがベストかどうかはわからない。
ただ。
今、全身を使って歌う、ベンヴォーリオ@まっつが好きだ。
わたしほんと、まっつファンになってからこっち、ご贔屓の芝居で泣いたことってなかったんだなと思う。
わたしは舞台観てしょっちゅー簡単にめそめそしているけれど、それはご贔屓云々関係なしにだ。
まっつの芝居で泣けたことなんて、ほとんどナイ。
だって「キミの海馬は私のモノだ」とか「ルイ・マレ~♪」とかなんだもん。オモシロくて大好きだけど、感動して泣くのとは別次元っていうか。
まっつの芝居で泣けたのって、相沢くん@『舞姫』青年館くらいだわ……。(えっ、バウは?!)
まっつのことは大好きだけど、芝居の好みでいうと彼はチガウんだろうなと思う。
わたしのツボに突き刺さってくるタイプの役者ではナイ。
それでも、まっつはわたしのいちばんで。
他の、どんなに芝居が大好きな人よりも、好きな人で。
ベンヴォーリオのソロ「どうやって伝えよう」も、まっつが歌っているから好きなわけで、声と姿にうっとりするためにあるわけで、カーテン前にたったひとり、他に誰もいない場面でまるまる1曲ってそんな状態がうれしいわけで。
別に、まっつの芝居がどうとかじゃなかった。
もちろん芝居も気にしていたけど、やっぱりわたし的にチガウというか足りてないのでその辺はもうわかっていることだし、気にしてもはじまらないので、「まっつだ、うれしい」しか思ってなかった。
ごめん。
ほんとに、ごめん。
なんかもーすごい久しぶりに、まっつの芝居で泣いた。
『舞姫』以来……。
いつも必ず泣けるってわけじゃないんだけど、とにかくまつださん、芝居が日替わりなの。
こんなの知らない、見たことナイ。
まっつのベンヴォーリオは見るたび微妙に違っていて、それで泣ける日があるの。
ベンヴォーリオの哀切な歌声が、ずしんと胸に迫る。
それまでの積み重ね、マーさん死亡時とかその後の力無い風情とか。それらが全部積み重なって、最後のソロで決壊するの。
だから「どうやって伝えよう」は歌だけど、歌というよりは芝居として語る。歌だから好きなのに、それでもわたしの中では芝居認識。
まっつの歌で、芝居で、泣ける。
続く。
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