『ロミオとジュリエット』感想ぼちぼち。

 『ロミオとジュリエット』って有名タイトルだけど、これってどんだけ集客力のある原作なんだろう?
 今回のプレスギュルビック版が世界的に有名だとか評価を受けているとか、そーゆーことではなく、あくまでも『ロミオとジュリエット』という物語自体において。

 わたしは自分がトシを取ったからアリになったけれど、若い頃ならハナで笑うだけだったと思う。
「『ロミジュリ』? ああ、バカなガキが出会ってすぐ脊髄反射で結婚して、カンチガイで自殺、どっちも犬死にする話よね。出会って5日間の話でよかったね、長い間生きてたら絶対別れてるよあいつら。ソレで純愛ってバカみたい」
 なまじ有名すぎるから、あらすじだけは知ってるし、「どうしてアナタはロミオなの」とか台詞もあちこち知ってるし。
 だから『ロミオとジュリエット』というタイトルはマイナスにしかならなかった。
「話は知ってるし、感情移入できそうにないバカの話だから、興味ない」
 と、芝居でも映画でもスルーしただろう。好きな役者が出ているとか、タイトルとは別の部分に魅力がない限り。

 もともとヅカを好きだとかミュージカルファンだとか以外の、一般人を動かす力のあるタイトルなんだろうか?
 わたしにはわからない。

 今はトシ取ったので、ロミオとジュリエットをバカだとも犬死にだとも思わない。彼らの若さゆえの衝動を愛しく思う。彼らを愛しく思えれば、この物語はプロットの確かな美しい物語であると、心から楽しめる。

 出会って5日だから成立した純愛(5日ぢゃなかったら別れてる程度の関係)とプゲラするのではなくて。
 敵同士云々ではなく、ヴェローナ名家の貴公子と令嬢として出会っていたら、ふつーにかわいいカップルになっていただろうと、素直に思う。ロミオの純な鈍さにジュリエットがへそを曲げたり、手の掛かるジュリエットのことをロミオが親友たちに愚痴をこぼしたり、世紀の大恋愛でなくても、そういう当たり前の恋人同士の光景が繰り広げられ、ごくありきたりの裕福な夫婦になったことだろう。
 お金持ちのおぼっちゃま・お姫様だから、駆け落ちして貧乏暮らしをしたらすぐに別れただろうと意地悪く見るのではなく、そもそも恋愛も結婚も価値観が釣り合ってこそ。お金持ちのふたりの「5日間だけ」ではない恋愛を考えるなら、お金持ちのままで想像すべき。ヴェローナの大貴族当主夫妻としてなら、5日間でなくても一生幸せに暮らしたんじゃないかな、ロミオとジュリエット。
 日々を暮らし、怒ったり笑ったりいちゃいちゃしたりして、子供を産み育て、家庭を守りながら老いてゆく。
 そーゆー「当たり前」のカップルだったと思う。「世紀の純愛」でも「特別」でもない、ふつうの。

 切ないのは、そんな「当たり前」な未来を、奪われたこと。
 ラストシーンでおでこをくっつけてくすくす笑っているロミオとジュリエットの姿、本当ならばそれは現実で、日常であるはずだったのに。

 物事が悪い方向にのみ符丁が合っていくってのは、あるんだよなあ。パズルのピースが合うように、次々と出来事が進み、悲劇という絵が浮かび上がってくる。
 どこかひとつでも外れれば、こんなことにはならなかったのに。

 ジュリエットと結婚したロミオ@キムに、ベンヴォーリオ@まっつは「駆け落ちしても連れ戻される」と言うけれど、ロミオは駆け落ちなんて考えてない。
 ロミオはこのヴェローナで、愛するジュリエットと幸せになることを望んでいる。キャピュレットとモンタギュー、ふたつの家が憎しみを捨てて許し合うことを、望んでいる。

「アナタとなら地の果てでも生きられる!」「そんなところに絶対行かせない。もっと素晴らしい世界で俺は君を愛したい」……そーゆーことだよね。

 時間があれば、それは可能だったかもしれない。
 だけどふたりが出会ったときすでに、ジュリエットはパリス伯爵@ひろみとの結婚を前提とされていた。

 自由恋愛ではなく、家同士の結びつきが基本である時代だ、ロミオとジュリエットが結ばれるためには政治的な働きかけがいる。

「必要なら、大統領になってでも潜り込むから」……そーゆーことだよね。

 時間さえあれば、ロミオは親友に相談し、神父様@にわにわや大公閣下@しゅうくんを味方に付け、両親を説き伏せ、正々堂々とジュリエットを迎えに行ったんだ。
 地の果てではなく、この日常で。彼女が幸福に生きられる場所で。

 それが性急すぎる結婚で仲間たちを失い、判断力をなくした少年たちの殺人事件に発展する。

 追放されたあとも、本当ならいずれ恩赦を得られる可能性があった。大公は両家の争いを収めたいと思っているんだから、ロミオとジュリエットの結婚を理由に両家の歩み寄りを期待できただろう。彼らは宗教的に離婚が概念にないのだし。

 が、これまた時間がないゆえに断念。明日にもパリス伯爵と結婚させられる……つーんで、ジュリエットは今日中に仮死になるしかなかった。
 追放されるロミオと一緒に逃げなかった彼女が何故、今さら危険な薬を飲んでまで……って、それはもちろん、パリスのことがなければいずれロミオと会える、夫婦になれると思ってたからだ。
 初夜の床で、ロミオは繰り返したろう、いずれ戻ってきてふたりの愛を成就することを。ふたりが夫婦なのは事実なんだから。
 会えないのは一時だけ、つらいのは一時だけ。いずれまた一緒になれる。
 その一時が、先が見えなくて若いふたりにはつらいのだけど。ここで目先のことにほだされて駆け落ちしても、意味はない。ベンヴォーリオが言っていた通り、そんなことをしたら逆効果。ジュリエットは連れ戻され、ふたりが夫婦として暮らせる日が遠くなる。

 ほんとに、最後の手段だよなあ。
 それまでの計画が全部ダメになって、最後の最後、自殺させるよりマシだと神父が判断して、実行した計画だもの。
 死んだと思われているなら、ジュリエットがロミオと一緒に逃げてもわからない。追っ手はかからない。
 地の果てで苦労するとしても、ふたりで生きることを望む。

 そこまで追いつめられて。

 ……神父の行き当たりばったりすぎる計画に、文句はありますが(笑)。キミが言い出したんだから、責任持って監修しろよ。神父なんだから理由付けて霊廟のジュリエットのそばに侍ってることもできただろうに。
 そしたら、ナニも知らないロミオがやってきても、「死んだふり大作戦」を話して「ありがとう神父様!」とまたしても首っ玉に抱きつかれて、しあわせに終わっただろうに。

 でも実際は、悪い方向にのみ符丁が合っていって。
 誰にも止められなくて。

 仕方ない、運が悪かった、ことの積み重ねで、この悲劇にたどりつく。
 それが切ない。
 『ロミオとジュリエット』って、こんな話だったんだ。
 ロミオとジュリエットをただのアホだと思っていたときには、到底考えようもなかった、切ない物語。 
 トシ取って、こーゆー物語を大好きになれてよかった。

 雪組公演『ロミオとジュリエット』の世界に生きる人々が、大好きだ。

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