ミューズが、この地平に立つ。@ヴァレンチノ
2011年3月8日 タカラヅカ わたしがアーティストで、わたしのイマジネーションを具現してくれるアクターがいるとしたら、それってどんな感覚なんだろう?
宙組ドラマシティ公演『ヴァレンチノ』初日観劇にて、考えたんだ。
ヴァレンチノ@おーぞらゆーひという、ミューズについて。
わたしがジューン@ののすみで、ルディ@ゆーひくんを使って、自由に妄想していいとなったら。
ナニその夢の展開!!
ゆーひくんにどんな衣装を着せてどんな髪型させてどんな時代のどんな役をどんな人を相手にどんな台詞を言わせてどんなことをさせて。
って考えたら、クラクラする。
つまりは、そーゆー話だよね?
ジューンにしろ、ナターシャ@カイくんにしろ。
自分好みのジェンヌで好きに演出してイイって言われて、ハァハァ言いながら妄想劇場する、女性クリエイターがジェンヌ取り合う話よね?!(ぜんぜん違います)
とまあ、ストーリーとは関係ないところで、感じ入ってしまいました。
ふたりのヒロイン、ジューンとナターシャを見て。
そして、「タカラヅカ」という夢のキングダムを思う。
アニメにいちばん近い王国、2.5次元の美青年たちが生息するところ。
アニメやゲームでしか描けないモノを、生身の役者を使って作れる、そらおそろしいところ。
つくづく……ヅカの演出家ってすごい商売なんだなあ、と。
ジューンやナターシャの興奮を、味わうことができるんだ。
もしもわたしが、ヅカのクリエイターならば。
やはり、書き下ろしたい、演じて欲しいと思うのは、ゆーひくんではなかろうか。
だって、大空祐飛は、あまりに美しい。
昔から美しい人だった……つーか、ナニが得意なわけじゃない分、ビジュアル特化とゆーかソレしかないっつーかゲフンゲフン!な人だったけど。
最近のゆーひくんの作り込まれた美しさときたら。
「タカラヅカの男役」として、理想的な美しさだ。
歌やらダンスやら芝居やら、うまい人は他にいくらでもいるけれど。
「タカラヅカの男役」としての、「2.5次元の美貌」「生身ぢゃないよね、CGだよね?」な感じは、ゆーひくんならではのものだ。
ここは「タカラヅカ」で、「タカラヅカ」をやりたくて演出家をやっている人ならば、彼に夢を見ても不思議じゃない。
つか、男役おーぞらゆーひにアテ書きしたい、こんな彼を見たい、彼にコレを着せたい、言わせたい、とイマジネーションむらむらしても、不思議じゃない。
『ヴァレンチノ』は再演だからアテ書きじゃない、と言われるかもしれないけど。
一旦上演したモノは、そこで終わりなのか? わたしがクリエイターならば、素材さえあればまた再現したいと思う作品もあると思うよ。
初演レイプなキャスティングや大人の事情ゆえの再演はヤだけれど、クリエイター自身が「この役者に、わたしの作品を演じて欲しい」と思える人に出会えたら、是非お願いするよなあ。
それってアテ書きじゃん? 作品と役者の幸運な出会い、イメージの融合、さらなる発展。
ゆーひくんは、演出家にとってミューズたり得る人なんだと思う。
たしかにいろいろ不得意で不自由な人だが(笑)。
だけど、クリエイターのイマジネーションを刺激する人なんだ。
彼に、夢を見たくなるんだ。
ゆーひくんが昔からヲタに人気のあるジェンヌだっつーのも、当然ですよ。創作系の人の琴線に触れるキャラなんですよ。
どんだけ完璧に実力があっても、演出家にあまり興味を持たれてないタイプの人って、いるもんなあ。
ミューズってのは、実力さえあればなれる存在ぢゃないもんなあ。
『ヴァレンチノ』は再演のビデオを見たことがある程度。
ナマは観られませんでした、ええ。前日から徹夜で並んだけど、謎のシステムによりチケットは購入できず。
その窓口で発売されるチケットは全日程合わせて300枚位だっけか、わたしの前に並んでいるのは20人位だった……なのに、買えなかった。ええ、恨み節です、根に持ってます(笑)。
今だと考えられないよなあ、当時の阿呆なチケット販売システム。衰退・解体してくれてよかった。
そうまでして観たかった公演だったから、ビデオも思い入れありまくりで見たけれど、それもまた遠い記憶。
もうあれから20年近く経つんだね。
カリさんのルディと、違いすぎます、ゆーひさん(笑)。
あまりに別物過ぎて、比べる気にもならない(笑)。
再演と再現はチガウ。
カリンチョさんのルディを再現するためにこの現代に『ヴァレンチノ』を再演したんじゃない。
おーぞらゆーひのルディを新たに創りあげるために、この『ヴァレンチノ』があるんだ。
そう、思った。
これはアテ書きでしょ? イケコが自分のお気に入り作品、定評ある名作で、ゆーひくんを見たかったんでしょ?
わたしたちが「トートは誰々で見てみたい!」と妄想配役して楽しむように。
そんな妄想力を、イマジネーションをかきたてるミューズだもの、ゆーひくんは。
実際、ちょ、イケコ自重~~!!(笑)と、思いましたよ。
ナニたのしそーに、ともちん×ゆーひやってんの??
サイトーくんリビドーまんまの『血と砂』初日のプルミタス@ゆーひくんの拷問シーンかと思いましたよ。ええ、翌日からカット入った、あの問題シーン。
ゆーひくんだからだよね? ともちんだからだよね?
ふたりの正しい使い方に、客席から特大ハリセンでツッコミ入れましたよ、小池せんせい!
カリさんではありえない。これは、ゆーひくんだからこその、『ヴァレンチノ』。
ああほんと、面白いな。
おーぞらゆーひってタカラジェンヌ、すごい面白い存在だわ。
彼自身の芝居とか舞台姿は別に、そんな面白いわけじゃないんだけど。引き出しや実力がそれほどあるわけでなし。
だけど「世界を創る能力」においては、ほんっと面白い人だ。
わたしがジューンなら。わたしがナターシャなら。わたしがイケコなら。
わたしがゆーひくんをクリエイトしていいのなら、どんだけ燃えあがるだろう。萌え、という言葉ではなく、本来のバーニングな意味で。
彼のために、どんな物語を描くだろう。
そう思い、奮えた。
宙組ドラマシティ公演『ヴァレンチノ』初日観劇にて、考えたんだ。
ヴァレンチノ@おーぞらゆーひという、ミューズについて。
わたしがジューン@ののすみで、ルディ@ゆーひくんを使って、自由に妄想していいとなったら。
ナニその夢の展開!!
ゆーひくんにどんな衣装を着せてどんな髪型させてどんな時代のどんな役をどんな人を相手にどんな台詞を言わせてどんなことをさせて。
って考えたら、クラクラする。
つまりは、そーゆー話だよね?
ジューンにしろ、ナターシャ@カイくんにしろ。
自分好みのジェンヌで好きに演出してイイって言われて、ハァハァ言いながら妄想劇場する、女性クリエイターがジェンヌ取り合う話よね?!(ぜんぜん違います)
とまあ、ストーリーとは関係ないところで、感じ入ってしまいました。
ふたりのヒロイン、ジューンとナターシャを見て。
そして、「タカラヅカ」という夢のキングダムを思う。
アニメにいちばん近い王国、2.5次元の美青年たちが生息するところ。
アニメやゲームでしか描けないモノを、生身の役者を使って作れる、そらおそろしいところ。
つくづく……ヅカの演出家ってすごい商売なんだなあ、と。
ジューンやナターシャの興奮を、味わうことができるんだ。
もしもわたしが、ヅカのクリエイターならば。
やはり、書き下ろしたい、演じて欲しいと思うのは、ゆーひくんではなかろうか。
だって、大空祐飛は、あまりに美しい。
昔から美しい人だった……つーか、ナニが得意なわけじゃない分、ビジュアル特化とゆーかソレしかないっつーかゲフンゲフン!な人だったけど。
最近のゆーひくんの作り込まれた美しさときたら。
「タカラヅカの男役」として、理想的な美しさだ。
歌やらダンスやら芝居やら、うまい人は他にいくらでもいるけれど。
「タカラヅカの男役」としての、「2.5次元の美貌」「生身ぢゃないよね、CGだよね?」な感じは、ゆーひくんならではのものだ。
ここは「タカラヅカ」で、「タカラヅカ」をやりたくて演出家をやっている人ならば、彼に夢を見ても不思議じゃない。
つか、男役おーぞらゆーひにアテ書きしたい、こんな彼を見たい、彼にコレを着せたい、言わせたい、とイマジネーションむらむらしても、不思議じゃない。
『ヴァレンチノ』は再演だからアテ書きじゃない、と言われるかもしれないけど。
一旦上演したモノは、そこで終わりなのか? わたしがクリエイターならば、素材さえあればまた再現したいと思う作品もあると思うよ。
初演レイプなキャスティングや大人の事情ゆえの再演はヤだけれど、クリエイター自身が「この役者に、わたしの作品を演じて欲しい」と思える人に出会えたら、是非お願いするよなあ。
それってアテ書きじゃん? 作品と役者の幸運な出会い、イメージの融合、さらなる発展。
ゆーひくんは、演出家にとってミューズたり得る人なんだと思う。
たしかにいろいろ不得意で不自由な人だが(笑)。
だけど、クリエイターのイマジネーションを刺激する人なんだ。
彼に、夢を見たくなるんだ。
ゆーひくんが昔からヲタに人気のあるジェンヌだっつーのも、当然ですよ。創作系の人の琴線に触れるキャラなんですよ。
どんだけ完璧に実力があっても、演出家にあまり興味を持たれてないタイプの人って、いるもんなあ。
ミューズってのは、実力さえあればなれる存在ぢゃないもんなあ。
『ヴァレンチノ』は再演のビデオを見たことがある程度。
ナマは観られませんでした、ええ。前日から徹夜で並んだけど、謎のシステムによりチケットは購入できず。
その窓口で発売されるチケットは全日程合わせて300枚位だっけか、わたしの前に並んでいるのは20人位だった……なのに、買えなかった。ええ、恨み節です、根に持ってます(笑)。
今だと考えられないよなあ、当時の阿呆なチケット販売システム。衰退・解体してくれてよかった。
そうまでして観たかった公演だったから、ビデオも思い入れありまくりで見たけれど、それもまた遠い記憶。
もうあれから20年近く経つんだね。
カリさんのルディと、違いすぎます、ゆーひさん(笑)。
あまりに別物過ぎて、比べる気にもならない(笑)。
再演と再現はチガウ。
カリンチョさんのルディを再現するためにこの現代に『ヴァレンチノ』を再演したんじゃない。
おーぞらゆーひのルディを新たに創りあげるために、この『ヴァレンチノ』があるんだ。
そう、思った。
これはアテ書きでしょ? イケコが自分のお気に入り作品、定評ある名作で、ゆーひくんを見たかったんでしょ?
わたしたちが「トートは誰々で見てみたい!」と妄想配役して楽しむように。
そんな妄想力を、イマジネーションをかきたてるミューズだもの、ゆーひくんは。
実際、ちょ、イケコ自重~~!!(笑)と、思いましたよ。
ナニたのしそーに、ともちん×ゆーひやってんの??
サイトーくんリビドーまんまの『血と砂』初日のプルミタス@ゆーひくんの拷問シーンかと思いましたよ。ええ、翌日からカット入った、あの問題シーン。
ゆーひくんだからだよね? ともちんだからだよね?
ふたりの正しい使い方に、客席から特大ハリセンでツッコミ入れましたよ、小池せんせい!
カリさんではありえない。これは、ゆーひくんだからこその、『ヴァレンチノ』。
ああほんと、面白いな。
おーぞらゆーひってタカラジェンヌ、すごい面白い存在だわ。
彼自身の芝居とか舞台姿は別に、そんな面白いわけじゃないんだけど。引き出しや実力がそれほどあるわけでなし。
だけど「世界を創る能力」においては、ほんっと面白い人だ。
わたしがジューンなら。わたしがナターシャなら。わたしがイケコなら。
わたしがゆーひくんをクリエイトしていいのなら、どんだけ燃えあがるだろう。萌え、という言葉ではなく、本来のバーニングな意味で。
彼のために、どんな物語を描くだろう。
そう思い、奮えた。
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