雪組東宝『ロミオとジュリエット』千秋楽に行ってきました。

 震災発生が11日。その翌々日の13日に、劇団が上演再開したことには、心から驚きました。

 わたしは公演中止を願ってはいなかった。
 ふつうに上演されていた公演が、突然中断され、そのまま「なかったこと」にされる。
 それが別れだと気付かないまま、あとになって「あれが最後だったんだ」と思う……それが、嫌だった。わたしは。
 公演だけでなく、すべての出来事に対して。
 「あのとき会った、あれが最後だった。……最後だってわかっていたら、もっとなにかしたのに」とか、あとから悔やむことへの恐怖。
 この世のほとんどのことが予測なんてつかないものだから、後悔の連続だけど、企業の行うエンターテインメントぐらい、「最初と最後」を区切ってくれてもいいじゃないか。
 自分が行けるかどうかではなく「*月*日が千秋楽」で、「ああ、この日が最後なのね、これで終わるのね」と区切って欲しかった。
 虚構を創る舞台というものが、外からの力でもぎ取られ、そのまま地に沈むこと、消えてしまうことが嫌だった。たかが虚構、現実になくてはならないものでないからこそ。人が人工的に創ったモノならばなおさら、人の力でコントロール出来て欲しい。

 「幕を下ろす」という行為をして欲しかったの。
 だからこのままなし崩しに「全公演中止」はつらい。
 まだ被害の全貌が見えていない時期に、わたしは漠然と「震災後しばらくは上演中止。電力不足と言われているから、電力消費の激しい平日も中止。千秋楽前の土曜日から再開し、千秋楽はふつうにやる」ぐらいの感じかな、と思い、そういったカタチを希望しておりました。ナニか根拠があるわけではなく、なんとなく。「幕を下ろす」、つまり千秋楽だけでもなんとかやって、きちんと観客に挨拶をする。そういうカタチを望んでいた。
 大好きな『ロミジュリ』だから、もっともっと上演して、もっともっと観たいけれど。断ち切られるのはもったいないと思うけれど。ラスト2日上演できたら幸いだな、と。

 でも、まさか翌々日に再開するとは。

 安全面や電力、交通手段など、問題がないのなら The show must go on.上演するべきだと思っている。不謹慎とか自粛とかいう、空気だけの問題なら、夢を織ることのナニが不謹慎なんだ、虚構は虚構として愉しむものだ、と。

 問題がないのなら、です。
 問題ありまくりなのに、強行上演ってどうなの。

 そして、演じているジェンヌさんたちはどうなの。どんな気持ちでいるの。

 テレビで繰り返される苛酷な現実と、大阪で変わらない日常を送る自分のギャップに意味もなくへこんで、観劇感想を書く意欲も失せ、ブログも放置していました。
 もちろん観劇意欲もなく、『ヴァレンチノ』が観たかったのに、観劇のお誘いはあったのに、腰を上げることが出来ずにいた。

 そして、発売日に届いた『14 COVERS TAKARAZUKA OTOKOUTA』を聴いて、マジ泣きしました。

 会いに行こう。
 まっつに、会いに行こう。
 タカラヅカに、会いに行こう。

 こんなに遠いところでぐるぐるしていちゃダメだ。
 真実は劇場にある。
 テレビでもネットでも噂でもない。

 ナマの彼らに出会い、ナマの空気を感じる。
 それに勝るモノはないんだ。

 『男歌』はすごいアルバムで、マジ泣きしたのは事実ですが、実は大爆笑もしました……ナニこれ面白い……なんてひどい作り(笑)、と。いずれ感想書きます。

 
 つーことで、最終日だけはなにがなんでも観るつもりでした。
 震災がなければもう1回別に遠征する予定だったんだけど、それは吹っ飛んじゃったので、ラスト1日が最後のチャンス。

 なんかいろいろテンパってて、遠征前日にひとりでべそべそやったりしてたこともあり、きっとわたし、雪組のみんなに、『ロミジュリ』に出会えたら大泣きするんだわ。と、思っていた。
 チャリティ公演として終演後の挨拶があるようになり、そこでキムくん泣いてるとか、フィナーレでまっつが泣いてたとか、話だけはあちこちから目に耳に入ってきているし。ジェンヌさんたちはぎりぎりのなか、真摯に舞台を務めている。妖精であるという使命を全うしている。
 余震の中変わらず舞台に立ち続け、拍手喝采でものすごい感動的な回もあったというし。きっと未曾有の感動が押し寄せ、大感動の舞台になるんだわー!!
 と。
 なんか勝手に想像して、盛り上がってました、わたし。

 そうやって構えて観劇した、11時半公演。

 えーと。
 大感動で涙涙で……。
 えーと。

 なんかすごく、ふつーでした。

 そこにあるのは、見慣れた舞台で。
 1ヶ月半前、2日と空けずに観にいっていた、「知っている」モノで。

 公演を重ねるごとに芝居は進化するし役者も成長する、そういう意味での違いの有無ではなくて。

 観ることが日常だった、わたしの『ロミジュリ』。
 それとナニも変わらない、記憶のまんまの『ロミジュリ』が、そこにあった。

 ただもお、なつかしかった。

 やあ、ひさしぶりだね。1ヶ月ほど会ってなかったね。……友だちに、そんな風に再会する感じ。
 なにも特別なことはない。
 勝手に「非常事態での上演だから、特別なナニかがある」と思い込んでいた。
 たしかに今この状況での上演で、演じている人たちも、足を運んでいる観客も、ナニかしら抱えているのだけど。雪組のみんなはもちろん大の熱演なんだけど。
 それでも、そこにあるのはまぎれもない、「日常」だった。

 昨日までと同じ、明日からも続くと信じている、日常。
 たしかなものなんてこの世にはなにひとつなく、いつ断ち切られるかしれない。明日日本が、世界が、平和に存在しているかなんて誰にもわからない。明日わたしが生きているかどうかだって、わからない。
 それはまちがいないことで、今回の震災でそれをさらに実感しているところだけれど。
 だからこそ。

 この非常時に、「日常」と思える舞台を、東京で公演している是非は置くとして。
 今、ここに、「日常」と思える世界があることに、感謝した。

 ああ、ふつーだ。特に感動的ってわけじゃない、あたりまえで、いつも通り。
 しばらく会ってなかった、ひさしぶり、そう思えるくらい、ふつー。
 記憶に焼き付いているままの『ロミオとジュリエット』を、ひとつひとつ確認する。うんうん、ここはこうだった、そこはそうだった。あれ、ジュリエットの衣装チガウ、フィナーレの動線がチガウ。変わったとは聞いていたけど、ふーん、こんななのか。そうこうしているうちに、幕は下りた。
 
 もっと感動して大泣きすると思っていたのに。
 ぜんぜん泣けない。
 ふつうに、楽しかった。

 そのことに、カラダの緊張を解く、思いがした。
 
 
「あ、募金箱。あたしちょっと入れてくる」
 と、出口まで来て、あわててロビーへ引き返す見知らぬ年配女性。連れの女性も一緒になって財布を開ける。
 うん。ネットからも他の団体からも募金はできるけど、とりあえず、この劇場のこの箱に、入れたいと思うんだ。

 わたしは、タカラヅカファンだから。
 劇団のやり方にいろいろいろいろ目眩を感じていても、舞台の上にある真実を信じているから。
 愛しているから。

 
 で。
 昼公演でぜんぜん泣けなかったからそーゆーものかと思っていたら、千秋楽では泣きっぱなしで大変だった、という(笑)。
 あー、『ロミジュリ』好きだー。キムくん素敵、みみちゃんかわいい。
 でもってまっつ、かっこいー。

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