だから彼は、ヴァレンチノ。@ヴァレンチノ
2011年3月9日 タカラヅカ わたしはずーっとゆーひくんスキーで来たけれど、実のところ彼の芝居にはあまり期待していなくて。
ゆーひくんの芝居で泣けることなんか、まずナイよなと、油断していました。
ゆーひくんは泣ける人じゃなくて萌える人なのよ。だから大好きなの。大泣きさせてくれる演技力のみをヅカに求めたりしてないから、それでいいの。
反対に、ののすみはわたし的に芝居の人で、芝居で泣かせてくれる人。ほんとのところ、ゆーひくんとののすみのコンビは成功なのかどうか、よくわかんない。持ち味とか方向性とか違いすぎて。
こんなコンビですし、再演でお話知ってるし、で、むーーっちゃ油断して観ていた、『ヴァレンチノ』。
ラストで、まさかのダダ泣き。
あ、でも泣いたのって、ルディ@ゆーひの死を知らされたジューン@ののすみの歌と幻のルディたち、さらにそのあとのジョージ@みーちゃん……だから、あれ、ひょっとして、ゆーひ関係ない?!
い、いやいやいや、そんなこたぁーない!(笑)
ラストシーンのアランチャと拳銃にも泣かされましたから!
『ヴァレンチノ』って作品は、ストーリーだけなら「だからナニ?」ってなもんなんだと思う。
サクセスと破滅の物語だけど、落ちぶれるのだって自業自得というか、「あらがえない運命に翻弄されて!!」系じゃない。自分がアホだからです、それで人生浮き沈みしました、ってだけじゃ、冷めた目で見ると盛り上がらないってばよ。
だから主役のルディの魅力勝負なんだと思う。
ルディを、どれだけ好きにならせるか。
だからこの作品は、とことん「タカラヅカ」な作品なんだと思う。
ルディという役以前に、それを演じるスターのことを、観客は好きなわけだから。
なんという時代のどんな役をやっていたって関係ない、作品名で観に来たわけじゃない、おーぞらゆーひだから見に来たんだ、ってそんな意識。タカラヅカって、中でもバウ作品って、そんなもんじゃん?
それでこそ成り立つ物語に、それと同じ人生に翻弄された「ヴァレンチノ」というスターを重ねて描いた作品。
二重構造に観客はいつの間にか巻き込まれ、ラストのカタルシスへ導かれる。
ルディを好きというよりも、ゆーひくんを好きでわたしはルディに魅せられる。
ジューンに同調し、彼女と共に夢を見て、彼女と共に絶望する。
無垢な少年の瞳、そしてアダルトでセクシーな大人の姿。
ヲトメ心をくすぐる多面的な魅力で、ただもおソレだけで、ルディに、ゆーひくんに夢中になる。
そこにあるものの、情報量は少ないと思う。
ただ、そこからいくらでも想像することが出来る。
ゆーひくんの力って、そこじゃないかな。
彼は妄想力を刺激する。彼自身にはそれほど多くのモノを表現する技術がないとしても、どんな技巧派の人が完璧に演じるよりも多くの可能性を、わたしたちに解放してくれる。
彼の無表情に、勝手に好きなモノを読みとる。想像する。
観客個々の想像力に勝る演技力はナイと思う。観客ひとりの想像力ではなく、観客ひとりひとり全員だからねー。ひとりずつチガウものを見るわけだから、天文学的数字になるよねー。ナニその万華鏡状態。
だからゆーひくんは人気スターであり、人気だけでここまで来ちゃった人なんだなと。
ああ、なんて面白いスターなんだろう、おーぞらゆーひ。大好きだ。
全方向性の萌えの泉。
カリンチョさんルディともっともチガウところはやっぱり、あのレ○プシーンだよねえ……。
男たちに乱暴される場面が、あーゆーことになっちゃうあたり、さすがのゆーひくん。
ともちんがすでにゆーひくん専用になっている気がして、ともちんスキーなわたしとしてはさらにワクテカする状況です(笑)。
BLにありがちなエピソードっつーか、行きずりの相手にフルボッコは、腐ったヲトメの嗜虐心を満たすのでしょう。そのあと受は、愛する攻の腕に戻るわけですよ、ええ。てゆーか傷ついた心とカラダに、攻の愛が必要なのです。
……って、この場合の攻キャラはジューンか。
ジャック@ともちんがルディを離さなくなって、そのあとも実はずっと、とか、いくらでもスキマをぬって妄想できるところがまた、全方向性の所以(笑)。
冷静に見ると、ルディって大したことしてないってゆーか、アホやなあ、で終了。
だけどそれに留まらない、ときめきと感情移入。
目に楽しい演出、きれいな画面。
イケコの演出力は、やっぱすごい。
でもって泣かせの芝居をさせたらタカラヅカ1!の、ののすみ。
この子が泣くと、全世界が泣く。
ジューンがルディに夢を見て、彼の死に泣くから、わたしもまた共に泣く。
すみ花ちゃんがドラマを一気に描き上げるの。電話を受けて、タイプライターに向かって、また立ち上がって。
台詞や歌の問題ではなく、背景のルディの幻たちのことではなく。
ルディの物語が、そこに浮かぶ。映画スター・ヴァレンチノではない、アランチャの少年の人生が。
それに巻き込まれ、どどーっと泣けた。
で、駄目押しのみーちゃんですよ。
ナニあのいい男。泣いているわたしにコートを掛けてくれるよーな、押しつけではない大きさとあたたかさ。泣く。
親友ジョージの包み込むあたたかさの中で、さらに展開される、ルディとジューンの出会いの場面。
運命の出会い、というほど、よーく考えるとドラマティックでもなんでもないんだけど、そんなツッコミは出ないほど、運命の出会いに思える。
いや、どんな出会いでも、すべてが運命であり、ドラマティックなんだ。
あとから振り返れば。
愛をもって、振り返れば。
ちくしょー、油断した。
大泣きした。
ゆーひくんの芝居で泣けることなんか、まずナイよなと、油断していました。
ゆーひくんは泣ける人じゃなくて萌える人なのよ。だから大好きなの。大泣きさせてくれる演技力のみをヅカに求めたりしてないから、それでいいの。
反対に、ののすみはわたし的に芝居の人で、芝居で泣かせてくれる人。ほんとのところ、ゆーひくんとののすみのコンビは成功なのかどうか、よくわかんない。持ち味とか方向性とか違いすぎて。
こんなコンビですし、再演でお話知ってるし、で、むーーっちゃ油断して観ていた、『ヴァレンチノ』。
ラストで、まさかのダダ泣き。
あ、でも泣いたのって、ルディ@ゆーひの死を知らされたジューン@ののすみの歌と幻のルディたち、さらにそのあとのジョージ@みーちゃん……だから、あれ、ひょっとして、ゆーひ関係ない?!
い、いやいやいや、そんなこたぁーない!(笑)
ラストシーンのアランチャと拳銃にも泣かされましたから!
『ヴァレンチノ』って作品は、ストーリーだけなら「だからナニ?」ってなもんなんだと思う。
サクセスと破滅の物語だけど、落ちぶれるのだって自業自得というか、「あらがえない運命に翻弄されて!!」系じゃない。自分がアホだからです、それで人生浮き沈みしました、ってだけじゃ、冷めた目で見ると盛り上がらないってばよ。
だから主役のルディの魅力勝負なんだと思う。
ルディを、どれだけ好きにならせるか。
だからこの作品は、とことん「タカラヅカ」な作品なんだと思う。
ルディという役以前に、それを演じるスターのことを、観客は好きなわけだから。
なんという時代のどんな役をやっていたって関係ない、作品名で観に来たわけじゃない、おーぞらゆーひだから見に来たんだ、ってそんな意識。タカラヅカって、中でもバウ作品って、そんなもんじゃん?
それでこそ成り立つ物語に、それと同じ人生に翻弄された「ヴァレンチノ」というスターを重ねて描いた作品。
二重構造に観客はいつの間にか巻き込まれ、ラストのカタルシスへ導かれる。
ルディを好きというよりも、ゆーひくんを好きでわたしはルディに魅せられる。
ジューンに同調し、彼女と共に夢を見て、彼女と共に絶望する。
無垢な少年の瞳、そしてアダルトでセクシーな大人の姿。
ヲトメ心をくすぐる多面的な魅力で、ただもおソレだけで、ルディに、ゆーひくんに夢中になる。
そこにあるものの、情報量は少ないと思う。
ただ、そこからいくらでも想像することが出来る。
ゆーひくんの力って、そこじゃないかな。
彼は妄想力を刺激する。彼自身にはそれほど多くのモノを表現する技術がないとしても、どんな技巧派の人が完璧に演じるよりも多くの可能性を、わたしたちに解放してくれる。
彼の無表情に、勝手に好きなモノを読みとる。想像する。
観客個々の想像力に勝る演技力はナイと思う。観客ひとりの想像力ではなく、観客ひとりひとり全員だからねー。ひとりずつチガウものを見るわけだから、天文学的数字になるよねー。ナニその万華鏡状態。
だからゆーひくんは人気スターであり、人気だけでここまで来ちゃった人なんだなと。
ああ、なんて面白いスターなんだろう、おーぞらゆーひ。大好きだ。
全方向性の萌えの泉。
カリンチョさんルディともっともチガウところはやっぱり、あのレ○プシーンだよねえ……。
男たちに乱暴される場面が、あーゆーことになっちゃうあたり、さすがのゆーひくん。
ともちんがすでにゆーひくん専用になっている気がして、ともちんスキーなわたしとしてはさらにワクテカする状況です(笑)。
BLにありがちなエピソードっつーか、行きずりの相手にフルボッコは、腐ったヲトメの嗜虐心を満たすのでしょう。そのあと受は、愛する攻の腕に戻るわけですよ、ええ。てゆーか傷ついた心とカラダに、攻の愛が必要なのです。
……って、この場合の攻キャラはジューンか。
ジャック@ともちんがルディを離さなくなって、そのあとも実はずっと、とか、いくらでもスキマをぬって妄想できるところがまた、全方向性の所以(笑)。
冷静に見ると、ルディって大したことしてないってゆーか、アホやなあ、で終了。
だけどそれに留まらない、ときめきと感情移入。
目に楽しい演出、きれいな画面。
イケコの演出力は、やっぱすごい。
でもって泣かせの芝居をさせたらタカラヅカ1!の、ののすみ。
この子が泣くと、全世界が泣く。
ジューンがルディに夢を見て、彼の死に泣くから、わたしもまた共に泣く。
すみ花ちゃんがドラマを一気に描き上げるの。電話を受けて、タイプライターに向かって、また立ち上がって。
台詞や歌の問題ではなく、背景のルディの幻たちのことではなく。
ルディの物語が、そこに浮かぶ。映画スター・ヴァレンチノではない、アランチャの少年の人生が。
それに巻き込まれ、どどーっと泣けた。
で、駄目押しのみーちゃんですよ。
ナニあのいい男。泣いているわたしにコートを掛けてくれるよーな、押しつけではない大きさとあたたかさ。泣く。
親友ジョージの包み込むあたたかさの中で、さらに展開される、ルディとジューンの出会いの場面。
運命の出会い、というほど、よーく考えるとドラマティックでもなんでもないんだけど、そんなツッコミは出ないほど、運命の出会いに思える。
いや、どんな出会いでも、すべてが運命であり、ドラマティックなんだ。
あとから振り返れば。
愛をもって、振り返れば。
ちくしょー、油断した。
大泣きした。
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