1999年、ある「名作」との出会い・その2。@ノバ・ボサ・ノバ
2011年4月14日 タカラヅカ 年寄りの昔話、続き。
名作だ名作だと言われ、実際観てみたらぽかーんな作品だった、『ノバ・ボサ・ノバ』、再々演時の話。
古さと趣味の悪さにびっくりした、鳴り物入りの「名作」様。
見た目ひでえ、なにあの衣装、色彩センス。
歌詞のダサさは「ザ・昭和」。
力任せ体力任せで繊細さのないダンス。
これが天下の名作様かあ。
一般人が「タカラヅカってこんなだろ?」とてきとーに想像してプゲラする系の古さとダサさ満載って感じ。
どんだけ素晴らしい作品なのかと期待していた分、落胆は大きくて。
それでもわたしはトドファンで雪組ファン。
贔屓組の公演は複数回観ますよ、リピートしますよ。
当時は週1で観劇、1公演7回が基本だったかな。
役替わりもあったことだし、思ったような名作様ではなかったけれど、機嫌良く通っておりました。
初日初見の印象は、落胆だったのに。リピートきついわ、だったのに。
『ノバ・ボサ・ノバ』は、リピートすると、ハマる。
ということが、わかった。
それはなんつっても、音楽の力だと思う。
最初、あまりのダサさと古さに目眩がした。
どの曲もどの曲も、直球っちゅーかあまりにヒネリのない単語に意味のない擬音、おぼえたてのガイコクゴの単語使ってなんてカッコイイの!的安直さとか。
ショーの歌詞なんてどれも幼年向けアニメソング並の語彙だけど、それにしてもこの童謡みたいなセンスはなんなの。
と、ひたすら苦手感をかき立てられるものだった。
だが。
この原始的歌詞と音楽は、単純であるからこそ力強く、脳細胞に浸透するのだ。
小難しいことはナニもない、幼児でも歌える言葉とリズム。
同じメロディの繰り返し、きどった変調はナシ、ずーっと安定安心。
単純で力強い音楽に、これまた力押しでパッション一途なダンスが加わる。
大地に近い、裸足の人々。
土着的原始的、舞楽による神事のような。
や、実際描かれているのはカルナバルだ、祭りだ、神事だ。
日常を離れ、あの世との境を遊ぶ、原始の祭りだ。
音楽がカラダに刻まれ、呼び起こされる。
それはプリミティヴなナニかかもしれないし、ヅカヲタの血かもしれない(笑)。
いかにも「ザ・昭和!」で、世間的に見たら失笑でしかない独特のセンスは、古き「タカラヅカ」。
現代の目で見ると勘弁してよな古さも、「タカラヅカ」という文化固有のモノ。「タカラヅカ」を愛する以上、このコテコテ世界はアリなんだ。
わたしの中のヅカヲタの血が目覚め、沸き立ち、この音楽を受け入れている。
いや、歓迎している。
楽しい。
そして、単純を通り越してつまらない、と思ったストーリーも、リピートすることで想像がふくらみ、なんとも味わい深いモノになる。
なんつーんだ、シンプル過ぎるからいくらでも自分好みに脚色できるっていうか。勝手に哲学的にできるっていうか。
役があり、キャラクタが決まっている上に、なかなかどーして適材適所の配置。アテ書きと思えるハマり具合。
ラテン男トドの美形さ、死と再生の咆吼。
ぐんちゃんの目の覚める美貌、清らかさ。
タータンのクドさと歌唱力。
幸ちゃんのすっきりしょうゆ系うさんくささ。
マヤさんの存在感とウザかわいらしさ。
トウコの二枚目力、コム姫の美貌としなやかなダンス。かしげのキュートさ、まひるちゃんのかわいらしさ。(成瀬のことはこの時点でナニも思っていなかったのでスルー)
なんかすごく楽しい。
何回観てもあきない。
あたしコレ好きかも。てゆーか、好きだわ!!
……はい、初日初見と反対意見になだれ込みました(笑)。
なんか名作な気がする。
こんだけ血が沸き立つ感じのショー、そうそうない。
ただ、最初はあまりに「タカラヅカ」というか、古い「タカラヅカ」の持つ根幹みたいなモノが全面に出ているから、現代人はとまどうんだと思う。
もともとわたしは黒塗りショーより、耽美なレビューの方が好きなこともあるし、実はナニ気にコレが大きい気がするんだが、草野作品が性に合わない。
「初演神! 再演は演出が悪い!」とは別に思わない。たぶん、初演をそのまま見せられても、同じようにわたしは最初引いたと思うし。だから再演の草野せんせが戦犯みたく言われているのはどうかと思う。フィナーレが付いたのだって劇団の仕様であって、草野せんせの意志だとも思えないし。
だが、わたしが草野せんせと気が合わないのも確か。草野せんせならではの感覚がわたしの苦手感を高めていた可能性は、大いにある。
マール、ブリーザ、メール夫人の役替わりは、わたし的にはどーでも良かった。
せっかくの役替わりだからいろいろと見るけれど、やっぱり「本来の配役」がいちばん正しいと思った。
すなわち、マール@トウコ、ブリーザ@コム、メール夫人@成瀬。
公演期間を3つに割っての役替わりだったんだが、ご丁寧に千秋楽だけはこの配役に戻してあったんだ。初日から3分の1期間と、千秋楽はトウコがマールバージョン。これが正規の配役で、あとは客寄せ目的の役替わりだとわかる。
というのも、トウコが意外に役幅が狭く、マール以外はいまいちだと思えたんだ、わたしには。
トウコちゃんの初の女役ブリーザは、単体で見れば良かったのかもしれないけれど、なにしろコム姫ブリーザを見たあとなわけで。
コム姫の「え、もともと娘役だよね?」という完璧なスタイルと美貌を見たあとだと、顔の大きさと芸風の下品さが見ていてきつかった。
トウコの役替わりはマールとブリーザのみだけど、メール夫人をやっても、成瀬くんが演じていたほどの面白さは出なかったろうなと思った。……だってふつーに小柄だし。
「トウコって女役だと下品になるんだ……」
と、発見したのもこのときだ。タカラヅカ的ではないというか。
もっとも、そーゆーところが「男役」としてのトウコちゃんの魅力だった。あの生身の魅力というか、抱きしめられたら汗のにおいがしそうなところが。
トウコは男役だから、女役がアレでも問題なし!と、結論を出したのもこのときだ。
まさかそのあと、代表作ともいえるアイーダ@『王家に捧ぐ歌』が来るとも思わずになー(笑)。
マール役のトウコは素敵だった。コム姫と成瀬くんも同じ役をやっていたけれど、キャリアの差というか「スター!」としての格がチガウ気がした。「この役は俺の役」と、トウコ自身が発しているかのような舞台姿だったし。
ブリーザ@コムちゃんともお似合いだった。
役替わりナシで、ずっとマール@トウコ、ブリーザ@コムで良かったんだけどなあ、わたし的には。
スカステのない当時は、千秋楽映像が残ってないので、この正規配役での公演ビデオはナイんだよね。残念だ。
それでもわたしの中では、マール@トウコ、ブリーザ@コムという配役で、「アテ書きかと思うようなハマリ具合」の素敵キャスティングとして、雪組『ノバ・ボサ・ノバ』は大好き公演になっている。
名作だ名作だと言われ、実際観てみたらぽかーんな作品だった、『ノバ・ボサ・ノバ』、再々演時の話。
古さと趣味の悪さにびっくりした、鳴り物入りの「名作」様。
見た目ひでえ、なにあの衣装、色彩センス。
歌詞のダサさは「ザ・昭和」。
力任せ体力任せで繊細さのないダンス。
これが天下の名作様かあ。
一般人が「タカラヅカってこんなだろ?」とてきとーに想像してプゲラする系の古さとダサさ満載って感じ。
どんだけ素晴らしい作品なのかと期待していた分、落胆は大きくて。
それでもわたしはトドファンで雪組ファン。
贔屓組の公演は複数回観ますよ、リピートしますよ。
当時は週1で観劇、1公演7回が基本だったかな。
役替わりもあったことだし、思ったような名作様ではなかったけれど、機嫌良く通っておりました。
初日初見の印象は、落胆だったのに。リピートきついわ、だったのに。
『ノバ・ボサ・ノバ』は、リピートすると、ハマる。
ということが、わかった。
それはなんつっても、音楽の力だと思う。
最初、あまりのダサさと古さに目眩がした。
どの曲もどの曲も、直球っちゅーかあまりにヒネリのない単語に意味のない擬音、おぼえたてのガイコクゴの単語使ってなんてカッコイイの!的安直さとか。
ショーの歌詞なんてどれも幼年向けアニメソング並の語彙だけど、それにしてもこの童謡みたいなセンスはなんなの。
と、ひたすら苦手感をかき立てられるものだった。
だが。
この原始的歌詞と音楽は、単純であるからこそ力強く、脳細胞に浸透するのだ。
小難しいことはナニもない、幼児でも歌える言葉とリズム。
同じメロディの繰り返し、きどった変調はナシ、ずーっと安定安心。
単純で力強い音楽に、これまた力押しでパッション一途なダンスが加わる。
大地に近い、裸足の人々。
土着的原始的、舞楽による神事のような。
や、実際描かれているのはカルナバルだ、祭りだ、神事だ。
日常を離れ、あの世との境を遊ぶ、原始の祭りだ。
音楽がカラダに刻まれ、呼び起こされる。
それはプリミティヴなナニかかもしれないし、ヅカヲタの血かもしれない(笑)。
いかにも「ザ・昭和!」で、世間的に見たら失笑でしかない独特のセンスは、古き「タカラヅカ」。
現代の目で見ると勘弁してよな古さも、「タカラヅカ」という文化固有のモノ。「タカラヅカ」を愛する以上、このコテコテ世界はアリなんだ。
わたしの中のヅカヲタの血が目覚め、沸き立ち、この音楽を受け入れている。
いや、歓迎している。
楽しい。
そして、単純を通り越してつまらない、と思ったストーリーも、リピートすることで想像がふくらみ、なんとも味わい深いモノになる。
なんつーんだ、シンプル過ぎるからいくらでも自分好みに脚色できるっていうか。勝手に哲学的にできるっていうか。
役があり、キャラクタが決まっている上に、なかなかどーして適材適所の配置。アテ書きと思えるハマり具合。
ラテン男トドの美形さ、死と再生の咆吼。
ぐんちゃんの目の覚める美貌、清らかさ。
タータンのクドさと歌唱力。
幸ちゃんのすっきりしょうゆ系うさんくささ。
マヤさんの存在感とウザかわいらしさ。
トウコの二枚目力、コム姫の美貌としなやかなダンス。かしげのキュートさ、まひるちゃんのかわいらしさ。(成瀬のことはこの時点でナニも思っていなかったのでスルー)
なんかすごく楽しい。
何回観てもあきない。
あたしコレ好きかも。てゆーか、好きだわ!!
……はい、初日初見と反対意見になだれ込みました(笑)。
なんか名作な気がする。
こんだけ血が沸き立つ感じのショー、そうそうない。
ただ、最初はあまりに「タカラヅカ」というか、古い「タカラヅカ」の持つ根幹みたいなモノが全面に出ているから、現代人はとまどうんだと思う。
もともとわたしは黒塗りショーより、耽美なレビューの方が好きなこともあるし、実はナニ気にコレが大きい気がするんだが、草野作品が性に合わない。
「初演神! 再演は演出が悪い!」とは別に思わない。たぶん、初演をそのまま見せられても、同じようにわたしは最初引いたと思うし。だから再演の草野せんせが戦犯みたく言われているのはどうかと思う。フィナーレが付いたのだって劇団の仕様であって、草野せんせの意志だとも思えないし。
だが、わたしが草野せんせと気が合わないのも確か。草野せんせならではの感覚がわたしの苦手感を高めていた可能性は、大いにある。
マール、ブリーザ、メール夫人の役替わりは、わたし的にはどーでも良かった。
せっかくの役替わりだからいろいろと見るけれど、やっぱり「本来の配役」がいちばん正しいと思った。
すなわち、マール@トウコ、ブリーザ@コム、メール夫人@成瀬。
公演期間を3つに割っての役替わりだったんだが、ご丁寧に千秋楽だけはこの配役に戻してあったんだ。初日から3分の1期間と、千秋楽はトウコがマールバージョン。これが正規の配役で、あとは客寄せ目的の役替わりだとわかる。
というのも、トウコが意外に役幅が狭く、マール以外はいまいちだと思えたんだ、わたしには。
トウコちゃんの初の女役ブリーザは、単体で見れば良かったのかもしれないけれど、なにしろコム姫ブリーザを見たあとなわけで。
コム姫の「え、もともと娘役だよね?」という完璧なスタイルと美貌を見たあとだと、顔の大きさと芸風の下品さが見ていてきつかった。
トウコの役替わりはマールとブリーザのみだけど、メール夫人をやっても、成瀬くんが演じていたほどの面白さは出なかったろうなと思った。……だってふつーに小柄だし。
「トウコって女役だと下品になるんだ……」
と、発見したのもこのときだ。タカラヅカ的ではないというか。
もっとも、そーゆーところが「男役」としてのトウコちゃんの魅力だった。あの生身の魅力というか、抱きしめられたら汗のにおいがしそうなところが。
トウコは男役だから、女役がアレでも問題なし!と、結論を出したのもこのときだ。
まさかそのあと、代表作ともいえるアイーダ@『王家に捧ぐ歌』が来るとも思わずになー(笑)。
マール役のトウコは素敵だった。コム姫と成瀬くんも同じ役をやっていたけれど、キャリアの差というか「スター!」としての格がチガウ気がした。「この役は俺の役」と、トウコ自身が発しているかのような舞台姿だったし。
ブリーザ@コムちゃんともお似合いだった。
役替わりナシで、ずっとマール@トウコ、ブリーザ@コムで良かったんだけどなあ、わたし的には。
スカステのない当時は、千秋楽映像が残ってないので、この正規配役での公演ビデオはナイんだよね。残念だ。
それでもわたしの中では、マール@トウコ、ブリーザ@コムという配役で、「アテ書きかと思うようなハマリ具合」の素敵キャスティングとして、雪組『ノバ・ボサ・ノバ』は大好き公演になっている。
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