幸せになれ。@花組東宝千秋楽
2011年4月25日 タカラヅカ 『愛のプレリュード』オープニング、白い衣装でせり上がってくるフレディー@まとぶんの激痩せした姿に胸を突かれ、動揺しまくった。
が、それ以上に……今まで見たこともない表情に、うろたえた。
見たこともないったって、わたしが知るまとぶんなんて彼のほんの一部でしかなく、わたしが知らないだけのことかもしれない。
それでも、わたしがはじめて見る表情だった。
まとぶんは良くも悪くもとても正直な人で。
芝居だからそれは確かに演技なのだけれど、技術で演じるというよりも、そのキャラクタになりきることで、自分の感情で演じる人だ。
だから悲しいときは本当にまとぶん自身が嘆き悲しんでいるのだろうし、喜んでいるときはまとぶん自身がうれしいと思っているんだろう。
それが役者として正しいかどうかは知らないが、彼のナマの感情は、慟哭や叫びは、客席にいるわたしに届く。突き刺さる。
今までもそうやって彼に泣かされてきた。
しかし。
今日の彼は、なんなんだろう。
ときどき見せる、今まで見たことのない顔は、なんなんだろう。
項羽@『虞美人』で見せていた、心を失ってしまった顔ともチガウ。
耐えているとか激情に揺れているとか、そういう顔でもない。
「フレディー」としての感情、表情の合間合間に、ぽん、ぽん、とその「知らない顔」が混ざる。
喜怒哀楽で分類すれば、間違いなく「悲しい」顔だ。
つらいとか苦しいとか痛いとか。
そういう、見ているモノの胸が突かれる顔。
でもそれは不幸だとかマイナスの色を持ってはおらず。
ただ彼から目が離せず、愛しさばかりがこみ上げる。
で、フレディーさんってばもお、あちこち顔面崩壊気味で、そこまで顔芸しちゃうと美しくないよ?ってくらい、嘆いたり怒ったり叫んだりしてました。
なにしろ脚本がアレ過ぎるので、フレディーさんの言っていることは支離滅裂、意味がまったくわからない。言葉の意味はスルーして、演じている人の心を感じ取るのが正しい観劇方法(笑)なので、わたしはひたすらまとぶんの芝居のみに集中していました。
まとぶんは自分の中のすべてを出し切る勢いで、タカラヅカ的に美しい域を超えた表情で、「フレディー」を演じていました。
そして、真ん中のアツさに負けない花組っこたちの演技。
キャシー@蘭ちゃんのきーきー具合もグレードアップ……大変な役だよなあコレ。悪いのはスズキケイですよほんと。
ヒロインのジョセフ@壮くんは、銀橋ソロのアップテンポぶりにびびり、ラストの渾身の笑顔にえりたん健在ぶりを見ました。
まとぶんの「表情」は、やっぱりフレディーさん固有のモノではなかったんだと思った。
そのあとのショー『Le Paradis!!』でも、やっぱりあちこちで、あ、と思った。
うまく表現できないし、第一それがなんなのか、わたしが勝手に引っかかっているだけで、他の人たちには見慣れたナニかなのかもしれないし。
まとぶんは全開に笑い、ときどきやっぱ行きすぎていて、美しいを通り越した笑い方をしていた(笑)。
そんなところも、すごくまとぶんなんだと思う。
まとぶんや他の退団者たちを視界の中心においての観劇だったんだけど、中詰めあたりでふと、舞台を俯瞰して眺めた。
なんか唐突に正気に返るというか、目が覚めるというか。
舞台には、電飾が輝いていて。
これでもかと一面に光があって。ホリゾントの鏡も含め、光は光を反射し、なんともまばゆい、美しい空間で。
タカラヅカって、すごい。
心から、思った。
ほんとに、なんてすごい舞台で、公演で、わたしは今ここにいて、すごいモノを見ているんだろうかと。
今さらなんだけど。
そして、この美しい舞台が今こうして上演されていること、中止になったり、劇団自体がなくなったりしてなくて、良かったと思った。
所詮娯楽なんてモノ、生きる上では不必要なモノだ。なくなったところで、人間は生きていける。
だけど。
美しい、と思う、この今一瞬の感動のために、エンタメは必要なんだと思う。
美しい。
そのことだけに心が揺れて、満たされて。
この美しい舞台を作る人たちに、こころから拍手をした。
感謝と、祈りを込めて。
まとぶんのサヨナラショーでは、ムラで観たときほどはまっつの不在を感じなかった。
さすがに、サヨナラショー観るの3回目だもんな。ムラ前楽で観たときの喪失感は半端なかったが、東宝楽では平静に観られたと思う。
まとぶんの思い出は、わたしのなかのまっつの思い出と直結しているから、曲のひとつひとつに思い入れはありすぎるけれど。
生き生きと踊るまとぶんと組子たちを見守って。
退団挨拶がそれぞれ短めなのは、上演時間短縮のためだろうと思った。
余震警戒だの節電だの理由はいろいろあるんだろうけれど、この建物にこれだけの人数を密集させておくリスクは、劇団としては少ない方がいいと判断したのか、短縮できるところはするつもりなんだなと思った。
それくらい、退団者の挨拶は簡潔だった。
予定より、かなり早く進行できたと思う。
というのも、ロビーに貼ってあった「終演時刻」は午後6時20分だった。
なのに、6時10分には1回目のカーテンコールも終わってたんだもん(笑)。
客電が点いて明るくなったから、時計がよく見えた。
あと10分は劇場を使ってイイってことだから、カテコしていいんだな、とわたしも安心して拍手を続け、幕が上がるのを待った。
ところが、そっからが、もお(笑)。
10分も余裕あるからと、出演者もスタッフも余裕でカーテンコールに応えたんだろうけど。
退団者だけの「トークショー」が、ぐだぐだ(笑)。
話進まない、終わらない。
下級生たちはしっかり端的に話すんだけど、期待通りしゅん様がぐだぐだぶりを発揮、それにいちいちまとぶんがツッコミを入れ、しゅん様がソレに生真面目に反応、もとの話はどこかへ行って……とめちゃくちゃに。
もちろんめおくんも右に同じく。
袴姿で花楯を持って、緞帳前でまさかのどつき漫才。
泣き笑いの客席と、出演者。
余っていたはずの時間は押しまくり、オーバーしまくり、終演したの6時40分くらい。……ヲイ(笑)。
笑いで収めるまとぶんのまとぶんらしさ。
「愛してるか?」のかけ声は、花組伝統としてらんとむさんにも是非継承して欲しい。
オサ様のかけ声に合わせて叫んだのは、つい昨日のことのようなのに。
「入り」はなかったけれど、「出」のパレードはちゃんとあった。
それが救い。
いつもならマスコミ用の櫓が組まれているのにソレもなしで、退団者はマスコミの前でポーズを取ったりしない、ただ花道を歩くだけのシンプルなパレードだったけれど。
ちゃんとあって、良かった。
ここでも、下級生たちはすごく早く出てきて、日比谷のこの場所に何千人だかの人間を集めるリスクを考えての処置なんだろうな、早く解散させたいんだろうなと思っていたら。
しゅん様の出が、いきなり遅くて(笑)。彼よりあとは結局いつもの千秋楽パレードの時間って感じだった、まとぶんも含め。
拍手で見送った。
感謝と、多幸の祈りをこめて。
ひとつの時代が、終わったんだ。
が、それ以上に……今まで見たこともない表情に、うろたえた。
見たこともないったって、わたしが知るまとぶんなんて彼のほんの一部でしかなく、わたしが知らないだけのことかもしれない。
それでも、わたしがはじめて見る表情だった。
まとぶんは良くも悪くもとても正直な人で。
芝居だからそれは確かに演技なのだけれど、技術で演じるというよりも、そのキャラクタになりきることで、自分の感情で演じる人だ。
だから悲しいときは本当にまとぶん自身が嘆き悲しんでいるのだろうし、喜んでいるときはまとぶん自身がうれしいと思っているんだろう。
それが役者として正しいかどうかは知らないが、彼のナマの感情は、慟哭や叫びは、客席にいるわたしに届く。突き刺さる。
今までもそうやって彼に泣かされてきた。
しかし。
今日の彼は、なんなんだろう。
ときどき見せる、今まで見たことのない顔は、なんなんだろう。
項羽@『虞美人』で見せていた、心を失ってしまった顔ともチガウ。
耐えているとか激情に揺れているとか、そういう顔でもない。
「フレディー」としての感情、表情の合間合間に、ぽん、ぽん、とその「知らない顔」が混ざる。
喜怒哀楽で分類すれば、間違いなく「悲しい」顔だ。
つらいとか苦しいとか痛いとか。
そういう、見ているモノの胸が突かれる顔。
でもそれは不幸だとかマイナスの色を持ってはおらず。
ただ彼から目が離せず、愛しさばかりがこみ上げる。
で、フレディーさんってばもお、あちこち顔面崩壊気味で、そこまで顔芸しちゃうと美しくないよ?ってくらい、嘆いたり怒ったり叫んだりしてました。
なにしろ脚本がアレ過ぎるので、フレディーさんの言っていることは支離滅裂、意味がまったくわからない。言葉の意味はスルーして、演じている人の心を感じ取るのが正しい観劇方法(笑)なので、わたしはひたすらまとぶんの芝居のみに集中していました。
まとぶんは自分の中のすべてを出し切る勢いで、タカラヅカ的に美しい域を超えた表情で、「フレディー」を演じていました。
そして、真ん中のアツさに負けない花組っこたちの演技。
キャシー@蘭ちゃんのきーきー具合もグレードアップ……大変な役だよなあコレ。悪いのはスズキケイですよほんと。
ヒロインのジョセフ@壮くんは、銀橋ソロのアップテンポぶりにびびり、ラストの渾身の笑顔にえりたん健在ぶりを見ました。
まとぶんの「表情」は、やっぱりフレディーさん固有のモノではなかったんだと思った。
そのあとのショー『Le Paradis!!』でも、やっぱりあちこちで、あ、と思った。
うまく表現できないし、第一それがなんなのか、わたしが勝手に引っかかっているだけで、他の人たちには見慣れたナニかなのかもしれないし。
まとぶんは全開に笑い、ときどきやっぱ行きすぎていて、美しいを通り越した笑い方をしていた(笑)。
そんなところも、すごくまとぶんなんだと思う。
まとぶんや他の退団者たちを視界の中心においての観劇だったんだけど、中詰めあたりでふと、舞台を俯瞰して眺めた。
なんか唐突に正気に返るというか、目が覚めるというか。
舞台には、電飾が輝いていて。
これでもかと一面に光があって。ホリゾントの鏡も含め、光は光を反射し、なんともまばゆい、美しい空間で。
タカラヅカって、すごい。
心から、思った。
ほんとに、なんてすごい舞台で、公演で、わたしは今ここにいて、すごいモノを見ているんだろうかと。
今さらなんだけど。
そして、この美しい舞台が今こうして上演されていること、中止になったり、劇団自体がなくなったりしてなくて、良かったと思った。
所詮娯楽なんてモノ、生きる上では不必要なモノだ。なくなったところで、人間は生きていける。
だけど。
美しい、と思う、この今一瞬の感動のために、エンタメは必要なんだと思う。
美しい。
そのことだけに心が揺れて、満たされて。
この美しい舞台を作る人たちに、こころから拍手をした。
感謝と、祈りを込めて。
まとぶんのサヨナラショーでは、ムラで観たときほどはまっつの不在を感じなかった。
さすがに、サヨナラショー観るの3回目だもんな。ムラ前楽で観たときの喪失感は半端なかったが、東宝楽では平静に観られたと思う。
まとぶんの思い出は、わたしのなかのまっつの思い出と直結しているから、曲のひとつひとつに思い入れはありすぎるけれど。
生き生きと踊るまとぶんと組子たちを見守って。
退団挨拶がそれぞれ短めなのは、上演時間短縮のためだろうと思った。
余震警戒だの節電だの理由はいろいろあるんだろうけれど、この建物にこれだけの人数を密集させておくリスクは、劇団としては少ない方がいいと判断したのか、短縮できるところはするつもりなんだなと思った。
それくらい、退団者の挨拶は簡潔だった。
予定より、かなり早く進行できたと思う。
というのも、ロビーに貼ってあった「終演時刻」は午後6時20分だった。
なのに、6時10分には1回目のカーテンコールも終わってたんだもん(笑)。
客電が点いて明るくなったから、時計がよく見えた。
あと10分は劇場を使ってイイってことだから、カテコしていいんだな、とわたしも安心して拍手を続け、幕が上がるのを待った。
ところが、そっからが、もお(笑)。
10分も余裕あるからと、出演者もスタッフも余裕でカーテンコールに応えたんだろうけど。
退団者だけの「トークショー」が、ぐだぐだ(笑)。
話進まない、終わらない。
下級生たちはしっかり端的に話すんだけど、期待通りしゅん様がぐだぐだぶりを発揮、それにいちいちまとぶんがツッコミを入れ、しゅん様がソレに生真面目に反応、もとの話はどこかへ行って……とめちゃくちゃに。
もちろんめおくんも右に同じく。
袴姿で花楯を持って、緞帳前でまさかのどつき漫才。
泣き笑いの客席と、出演者。
余っていたはずの時間は押しまくり、オーバーしまくり、終演したの6時40分くらい。……ヲイ(笑)。
笑いで収めるまとぶんのまとぶんらしさ。
「愛してるか?」のかけ声は、花組伝統としてらんとむさんにも是非継承して欲しい。
オサ様のかけ声に合わせて叫んだのは、つい昨日のことのようなのに。
「入り」はなかったけれど、「出」のパレードはちゃんとあった。
それが救い。
いつもならマスコミ用の櫓が組まれているのにソレもなしで、退団者はマスコミの前でポーズを取ったりしない、ただ花道を歩くだけのシンプルなパレードだったけれど。
ちゃんとあって、良かった。
ここでも、下級生たちはすごく早く出てきて、日比谷のこの場所に何千人だかの人間を集めるリスクを考えての処置なんだろうな、早く解散させたいんだろうなと思っていたら。
しゅん様の出が、いきなり遅くて(笑)。彼よりあとは結局いつもの千秋楽パレードの時間って感じだった、まとぶんも含め。
拍手で見送った。
感謝と、多幸の祈りをこめて。
ひとつの時代が、終わったんだ。
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