彼と彼の物語・その1。@黒い瞳
2011年5月1日 タカラヅカ プガチョフが、何故ニコライを愛したのか。
その答えを得た気がする。雪組全国ツアー公演『黒い瞳』、梅芸楽。
無知無教養なコサックたちを煽動し、皇帝を名乗り、敵には容赦なく、されど従うモノには情け深く、剛胆な英雄でありながら子どものような無邪気さを持つ。
プガチョフのカリスマ性だけで何万という人々が動き、彼の力が衰えたときに反乱は終息する。
……という、この宝塚歌劇『黒い瞳』の登場人物「プガチョフ」という男。
もちろんそれは、初演でプガチョフを演じたリカちゃんのイメージまんまなんだと思う。
「この男ならほんとうに世の中を変えるかもしれない」と錯覚させる大きさ、わくわく感。
無謀でバカな行為なんだけど、リカプガには不可能を可能にする光があった気がする。
そこに在るだけでただ者ではないオーラがあったというか、胡散臭さハンパねえとか、暴力的なまでの色気とか。
これぞ英雄! という力が。
だが、今回のまっつプガチョフはそういった「いわゆる、英雄」という印象からははずれている気がする。
いや、英雄は英雄なんだけれど、少なくとも初演のプガチョフとはチガウんだなと。
プガチョフ@まっつには、哀愁と気品がある。
「薄汚いコサック」と評されているけれど、実は貴族の血が入ってんぢゃね?的な。
「大尉の娘」マーシャ@みみが実はコサックの娘であるのと対をなすように、コサックのプガチョフも実はロシア貴族の落とし胤だとか、多重構造を想像できる。
史実とか原作とか初演とかの縛りを離れ、あくまでも舞台の上、そこで描かれているものからのみ、考えて。
世直しの英雄といっても、どこまで本気なのかわからない。
皇帝だの元帥だの司令官だのと、呼び名だけは大仰で、まるでごっこ遊びをしている子どものよう。
その滑稽さや蛮族の王を気取るには、まっつプガチョフは知性と分別がありすぎる。
自分のしていることの些少さと、女帝の治世の揺るがなさ、すべてわかった上でそれでも一瞬の勝利と享楽を得ているように思える。
まっつプガチョフは、そもそもこんなバカな反乱を起こしそうにない。やる前から無駄だ無理だとわきまえそうだ。
だけど彼は兵を挙げ、皇帝と呼ばれている。
世直しとか世界を変えるとか、プラスの意味ではまったくなく、最初から破滅するために戦いはじめたように見える。
なんつーんだ、これはプガチョフ個人の自殺、あるいは世界との心中なんじゃないか。
彼の絶望は、ただ自分ひとりが死を選んで終わりなんじゃない、というか。
なにかしら世界に問う、その結果の心中であるというか。
もちろん、どこまでやれるか、自分の力と運を試していた節はある。人生を、命を賭けて、世に問うていたのだろう。
だけどほんとのところ、最初から彼のゴールは破滅だったんだろうなと。死ぬことが前提、ただそれまでにナニが出来るかどこまで行けるかが焦点だったというか。
途中でダメかもと思ったのではなく、最初からハッピーエンドは考えてなかったというか。
たしかに彼は、ペテン師かもしれない。
人々に夢を見せた。彼自身信じていない夢物語を、信じさせた。
それが出来てしまうことが、彼が「英雄」であった証。
そして。
彼に騙される人がいること自体が、彼の「絶望」であったのかもしれない。
と、思う。
ソリの場面は、プガチョフの内面が見えるのだと思う。
ニコライ@キムにこの反乱の無謀さを言及され、「俺の胸を抉るつもりか」と返す。
口では威勢の良いことを言うけれど、歌うけれど、ニコライに理を説かれている間のプガチョフは、なんとも切ない、悲しい顔をしている。
今までずっとここのプガチョフに夢中で、彼の表情のひとつひとつ、それこそ目の下のシワにたまる汗の一粒すら見逃すまい!という気合いでいたのだけど。
その回は「あんたほどの男が無惨に果てるのを見たくないんだ」と訴えるニコライの熱に、はっと胸を突かれて。
はじめて、ってくらい、ニコライを見た。
初演から通してわたしは、プガチョフとニコライの男の友情は、プガチョフの一方通行だと思っていた。
いや、片思いではなく、それぞれベクトルのチガウ想いであるというか。
プガチョフがニコライを愛するのは理屈ではない部分にある。プガチョフは本能的な男だから。
ニコライはプガチョフのことを想っているけれど、所詮彼は女帝陛下の貴族で自分の立場を捨てることはないし、マーシャという恋人もいるしで、彼の中の一部分をプガチョフに割いているだけという印象だった。
だから結果的に、プガチョフの一方通行に見えた。理屈ではない愛を持つプガチョフと、大切なモノは他にたくさん抱えたままプガチョフにもこだわるニコライとでは。
ふたりのキモチが同量である必要はない。ニコライのこれからずーっと続く長い人生の中にプガチョフとの出会いと友情があった、ソレだけでいいじゃん。
キムまつ版『黒い瞳』初日を観たときも、やはりプガチョフがニコライに惚れているようで、ああ一方通行なんだなと思った。
それが、マーシャとハッピーエンドを前にしてわざわざ「プガチョフの敗北を見届けたい」と言い出したニコライに驚いた。なんだ、丸っきしの一方通行でもないんだ、ちゃんとそれなりに愛されてるんじゃん、と思った。
や、初演を観ているからこの展開は知ってるんだけど、キムまつだと新鮮な展開に思えた。
ニコライがあまりに若々しく、素直な青年だからだと思う。彼の言動はより直感的に「心」の動きと連動していると思うんだ。
そういった部分を踏まえた上での梅芸、これでもうしばらくは『黒い瞳』見納めの回。
ソリの上で語るニコライは……あまりにも、痛々しかった。
うわ、この子ほんとにプガチョフが好きなんだ。
だから本気でプガチョフに言い募っている、すがっている、説得しようとしている。
「君を死なせたくない」と。
「なんだか気に入ってるんだな、あんたのこと」と告白するニコライのはにかみ。
そして、「大将と呼ぶことにするけどいいか」と前振りして、合意を得た上で改めて「大将」と呼んだときのうれしそうな顔。
ナニこのヲトメっぷり!!
「まつださんのこと、まっつって呼んでいい?」「ああ」「じゃあ……まっつ。きゃっ呼んじゃった!!」……みたいな会話!!
見ていて目眩がした。
ニコライってこんなだった? プガチョフのこと好きすぎて、見ていて恥ずかしいんですがっ?!
でもってその大好きオーラを臆面もなく当てられて、あのクールなまっつプガチョフが照れているよーな、とまどっているよーな。
はじめてのデートでどう振る舞っていいか困惑している男子のように、手をあげて顔の横に置いてみたり。(初日からずっとしてます)
ふたりがラヴくてびびった。
キムまつには萌える要因がなかったのに、今まで(笑)。
続く。
その答えを得た気がする。雪組全国ツアー公演『黒い瞳』、梅芸楽。
無知無教養なコサックたちを煽動し、皇帝を名乗り、敵には容赦なく、されど従うモノには情け深く、剛胆な英雄でありながら子どものような無邪気さを持つ。
プガチョフのカリスマ性だけで何万という人々が動き、彼の力が衰えたときに反乱は終息する。
……という、この宝塚歌劇『黒い瞳』の登場人物「プガチョフ」という男。
もちろんそれは、初演でプガチョフを演じたリカちゃんのイメージまんまなんだと思う。
「この男ならほんとうに世の中を変えるかもしれない」と錯覚させる大きさ、わくわく感。
無謀でバカな行為なんだけど、リカプガには不可能を可能にする光があった気がする。
そこに在るだけでただ者ではないオーラがあったというか、胡散臭さハンパねえとか、暴力的なまでの色気とか。
これぞ英雄! という力が。
だが、今回のまっつプガチョフはそういった「いわゆる、英雄」という印象からははずれている気がする。
いや、英雄は英雄なんだけれど、少なくとも初演のプガチョフとはチガウんだなと。
プガチョフ@まっつには、哀愁と気品がある。
「薄汚いコサック」と評されているけれど、実は貴族の血が入ってんぢゃね?的な。
「大尉の娘」マーシャ@みみが実はコサックの娘であるのと対をなすように、コサックのプガチョフも実はロシア貴族の落とし胤だとか、多重構造を想像できる。
史実とか原作とか初演とかの縛りを離れ、あくまでも舞台の上、そこで描かれているものからのみ、考えて。
世直しの英雄といっても、どこまで本気なのかわからない。
皇帝だの元帥だの司令官だのと、呼び名だけは大仰で、まるでごっこ遊びをしている子どものよう。
その滑稽さや蛮族の王を気取るには、まっつプガチョフは知性と分別がありすぎる。
自分のしていることの些少さと、女帝の治世の揺るがなさ、すべてわかった上でそれでも一瞬の勝利と享楽を得ているように思える。
まっつプガチョフは、そもそもこんなバカな反乱を起こしそうにない。やる前から無駄だ無理だとわきまえそうだ。
だけど彼は兵を挙げ、皇帝と呼ばれている。
世直しとか世界を変えるとか、プラスの意味ではまったくなく、最初から破滅するために戦いはじめたように見える。
なんつーんだ、これはプガチョフ個人の自殺、あるいは世界との心中なんじゃないか。
彼の絶望は、ただ自分ひとりが死を選んで終わりなんじゃない、というか。
なにかしら世界に問う、その結果の心中であるというか。
もちろん、どこまでやれるか、自分の力と運を試していた節はある。人生を、命を賭けて、世に問うていたのだろう。
だけどほんとのところ、最初から彼のゴールは破滅だったんだろうなと。死ぬことが前提、ただそれまでにナニが出来るかどこまで行けるかが焦点だったというか。
途中でダメかもと思ったのではなく、最初からハッピーエンドは考えてなかったというか。
たしかに彼は、ペテン師かもしれない。
人々に夢を見せた。彼自身信じていない夢物語を、信じさせた。
それが出来てしまうことが、彼が「英雄」であった証。
そして。
彼に騙される人がいること自体が、彼の「絶望」であったのかもしれない。
と、思う。
ソリの場面は、プガチョフの内面が見えるのだと思う。
ニコライ@キムにこの反乱の無謀さを言及され、「俺の胸を抉るつもりか」と返す。
口では威勢の良いことを言うけれど、歌うけれど、ニコライに理を説かれている間のプガチョフは、なんとも切ない、悲しい顔をしている。
今までずっとここのプガチョフに夢中で、彼の表情のひとつひとつ、それこそ目の下のシワにたまる汗の一粒すら見逃すまい!という気合いでいたのだけど。
その回は「あんたほどの男が無惨に果てるのを見たくないんだ」と訴えるニコライの熱に、はっと胸を突かれて。
はじめて、ってくらい、ニコライを見た。
初演から通してわたしは、プガチョフとニコライの男の友情は、プガチョフの一方通行だと思っていた。
いや、片思いではなく、それぞれベクトルのチガウ想いであるというか。
プガチョフがニコライを愛するのは理屈ではない部分にある。プガチョフは本能的な男だから。
ニコライはプガチョフのことを想っているけれど、所詮彼は女帝陛下の貴族で自分の立場を捨てることはないし、マーシャという恋人もいるしで、彼の中の一部分をプガチョフに割いているだけという印象だった。
だから結果的に、プガチョフの一方通行に見えた。理屈ではない愛を持つプガチョフと、大切なモノは他にたくさん抱えたままプガチョフにもこだわるニコライとでは。
ふたりのキモチが同量である必要はない。ニコライのこれからずーっと続く長い人生の中にプガチョフとの出会いと友情があった、ソレだけでいいじゃん。
キムまつ版『黒い瞳』初日を観たときも、やはりプガチョフがニコライに惚れているようで、ああ一方通行なんだなと思った。
それが、マーシャとハッピーエンドを前にしてわざわざ「プガチョフの敗北を見届けたい」と言い出したニコライに驚いた。なんだ、丸っきしの一方通行でもないんだ、ちゃんとそれなりに愛されてるんじゃん、と思った。
や、初演を観ているからこの展開は知ってるんだけど、キムまつだと新鮮な展開に思えた。
ニコライがあまりに若々しく、素直な青年だからだと思う。彼の言動はより直感的に「心」の動きと連動していると思うんだ。
そういった部分を踏まえた上での梅芸、これでもうしばらくは『黒い瞳』見納めの回。
ソリの上で語るニコライは……あまりにも、痛々しかった。
うわ、この子ほんとにプガチョフが好きなんだ。
だから本気でプガチョフに言い募っている、すがっている、説得しようとしている。
「君を死なせたくない」と。
「なんだか気に入ってるんだな、あんたのこと」と告白するニコライのはにかみ。
そして、「大将と呼ぶことにするけどいいか」と前振りして、合意を得た上で改めて「大将」と呼んだときのうれしそうな顔。
ナニこのヲトメっぷり!!
「まつださんのこと、まっつって呼んでいい?」「ああ」「じゃあ……まっつ。きゃっ呼んじゃった!!」……みたいな会話!!
見ていて目眩がした。
ニコライってこんなだった? プガチョフのこと好きすぎて、見ていて恥ずかしいんですがっ?!
でもってその大好きオーラを臆面もなく当てられて、あのクールなまっつプガチョフが照れているよーな、とまどっているよーな。
はじめてのデートでどう振る舞っていいか困惑している男子のように、手をあげて顔の横に置いてみたり。(初日からずっとしてます)
ふたりがラヴくてびびった。
キムまつには萌える要因がなかったのに、今まで(笑)。
続く。
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