2番手だって、美しいは正義。@ニジンスキー
2011年5月5日 タカラヅカ 仲間内で『ニジンスキー』の感想を話しているときに、「高校生のあたしが書きそうな話」と解説したら、友人のひとりに「失礼だけど、ほんとに書いてそう(笑)」と言われてしまったのが印象的。……ねえ?(笑)
『ニジンスキー』の薄っぺらさっつーか軽さっつーか、既視感あふれるお手軽さに「あちゃー」という気がするのは、自分の「通ってきた道」を振り返る気恥ずかしさもあるのかもしれない。
まあ、「美しいは正義」で、主演のちぎくんの美しさを愛でるファンアイテムとしては、これくらい軽い、わかりやすい作りの方がいいんだとは思う。
エンタメだもん、楽しければそれでヨシ。
画面が美しいから、それだけで楽しい。
ただ。
演出家の原田くんは処女作『Je Chante』と同じように、メイン数人以外はモブとしてしか、使えないらしいよ。
スズキケイのモブしかいない舞台、もすごいけど、原田くんもそのあとに続くのか……。バウでこれだもんなー。
名前だけ付いたモブのひとたちがもったいない。キングとかメガネかけてちょうカッコイイのにただのモブだし、ソルーナさんもなんでソルさんがこんなとこでこんなモブをやってるんだろうって役だし、その中でもイケメンの翔くんがあのでかい図体で何故女役のモブキャラをやっていたのかわかりません……どうせただのモブなら、男の役が見たかったよ……。
役名だけあっても、なにひとつ描けてないと、モブキャラでしかないっすよ。一言ずつ喋ってワンフレーズずつ歌う記者のみなさんと、なんの差があるんだ、という演出でした。
原田せんせのこの作風は、早く変わってくれるといいなと思う。
モブ以外の役がすごーく少ないんだけど、とりあえず「2番手男役を格好良く描く」のはイイよね。
『Je Chante』のみーちゃんもかっこよかった。ストーリーとキャラクタは破綻していたけれど(笑)、みーちゃんが力技で「2番手役としての、タカラヅカの色悪」として成立させていた。
あの役を血肉の通った役にしたのはみーちゃんの功績だけど、そもそもの設定が「いかにもタカラヅカファン好み」てんこ盛りにしてあったため、てことはある。
「ヒロインに横恋慕する、権力を笠に着た悪役」という役割でキャラを作る際に、「ただの成金男」とかではなく、「ナチス将校」にしたのは「タカラヅカ」らしさ。なにしろストーリーは破綻しまくりキャラも多重人格揃いだから、設定なんかなんでもOKだったはず。
なんでもいいなら、「タカラヅカとして見た目のカッコイイ方」を選び、悪役はナチス将校になった。
ナチスの描き方云々とか史実云々ではなく、あくまでもタカラヅカの舞台の上で「カッコイイ」ことが重要。
(敵役の設定が「なんでもいい」なんて破綻した作品をそもそも書くなよ、というツッコミはまた別問題だから、置いておく・笑)
タカラヅカにおいて2番手は重要。
俗に主役よりも2番手の方がオイシイ、と言われるが、それが当然、2番手の演じる役を「オイシイ」役として描くことは、座付き作家の義務だと思っている。
主役とヒロインだけじゃダメ、2番手男役までもがオイシイ作りでないと、見ていてつまんないし、「未来」へつながらない。
タカラヅカは、そのタイトル1本上演するために集められたキャストで演じているわけじゃない。同じ顔ぶれで何年も違う作品を上演していく。
ならば主役だけかっこよくても広がらない。主演=トップスターはいずれ退団し、2番手が次のトップとなり組を支える。
2番手が魅力的に見えない、トップとヒロインだけの芝居を続けたら、彼らが退団したあとに観客がついてこなくなる。
トップコンビで客を呼びながら、2番手を育てて売り出さないと。
バウホールでも同じ。
大劇場ではここまで比重を与えられない、だけど「未来」に期待しているスターにオイシイ役を与え、主演者目当てでやって来た人たちの気持ちを動かす。
そーやって「あのスターが卒業しても、次のスターが」という連鎖が、100年近く続いてきたはず。
最近のタカラヅカがどうだとか、そもそも2番手が順当に昇格しないじゃん、てことは置いておいて。
主役とヒロインだけじゃなくて、2番手もオイシイ作品が必要、とわたしは強く思っている。
大劇場は組の番手そのままだから、2番手はいつも決まった人だけど、バウはそうじゃない。
主演に対する2番手の関係性はいくつかパターンがある。
確固たる人気のスター主演のバウに、売り出したい、人気を出したい劇団推しの若手を2番手に。劇団推しで人気や実力に不安がある主演者には、路線外の実力者を保護者として2番手に。ふつーに人気のあるスターたちを主演と2番手にして相乗効果を。
『Je Chante』は2つめのパターン、『ニジンスキー』はそれに加えて3つめかな。
原田せんせの2作はどちらも保護者2番手系だから、「将来のトップスターにオイシイ役を」という意味での2番手役ではないけれど、それにしたってヅカの基本、「2番手はオイシイ」を正しく守ってくれるのはイイです。
……主役とヒロインと2番手までしか描けない、その他は全員モブだけどな(笑)。
でも、今後保護者2番手ではなく、劇団推しのスターが2番手でバウを上演する際に、原田せんせの「2番手がカッコイイ」という作風は有効なんじゃないかな。タカラヅカとしては正しいよ。
つーことで、ディアギレフ@ヲヅキさん、カッコイイです(笑)。
2番手がカッコイイのはいいよねー!
こーゆー、いくらでも美しくしていい、格好良くしていい役を、正しく2番手に与えてくれるのはいいよねー。
役や役割によっては、そのジェンヌがどれだけかっこいい人でも、かっこよくしてはいけない場合があるから。
主にイシダ作品に登場する系のキャラとか。
そうではなく、設定として「好きなだけ美しくしてヨシ!」な役を与えてくれることは、大切だと思う。
と、2番手がカッコイイことは素晴らしい、必要である、ということをうだうだ語り、次に本題のヲヅキさん語りへ(笑)。
『ニジンスキー』の薄っぺらさっつーか軽さっつーか、既視感あふれるお手軽さに「あちゃー」という気がするのは、自分の「通ってきた道」を振り返る気恥ずかしさもあるのかもしれない。
まあ、「美しいは正義」で、主演のちぎくんの美しさを愛でるファンアイテムとしては、これくらい軽い、わかりやすい作りの方がいいんだとは思う。
エンタメだもん、楽しければそれでヨシ。
画面が美しいから、それだけで楽しい。
ただ。
演出家の原田くんは処女作『Je Chante』と同じように、メイン数人以外はモブとしてしか、使えないらしいよ。
スズキケイのモブしかいない舞台、もすごいけど、原田くんもそのあとに続くのか……。バウでこれだもんなー。
名前だけ付いたモブのひとたちがもったいない。キングとかメガネかけてちょうカッコイイのにただのモブだし、ソルーナさんもなんでソルさんがこんなとこでこんなモブをやってるんだろうって役だし、その中でもイケメンの翔くんがあのでかい図体で何故女役のモブキャラをやっていたのかわかりません……どうせただのモブなら、男の役が見たかったよ……。
役名だけあっても、なにひとつ描けてないと、モブキャラでしかないっすよ。一言ずつ喋ってワンフレーズずつ歌う記者のみなさんと、なんの差があるんだ、という演出でした。
原田せんせのこの作風は、早く変わってくれるといいなと思う。
モブ以外の役がすごーく少ないんだけど、とりあえず「2番手男役を格好良く描く」のはイイよね。
『Je Chante』のみーちゃんもかっこよかった。ストーリーとキャラクタは破綻していたけれど(笑)、みーちゃんが力技で「2番手役としての、タカラヅカの色悪」として成立させていた。
あの役を血肉の通った役にしたのはみーちゃんの功績だけど、そもそもの設定が「いかにもタカラヅカファン好み」てんこ盛りにしてあったため、てことはある。
「ヒロインに横恋慕する、権力を笠に着た悪役」という役割でキャラを作る際に、「ただの成金男」とかではなく、「ナチス将校」にしたのは「タカラヅカ」らしさ。なにしろストーリーは破綻しまくりキャラも多重人格揃いだから、設定なんかなんでもOKだったはず。
なんでもいいなら、「タカラヅカとして見た目のカッコイイ方」を選び、悪役はナチス将校になった。
ナチスの描き方云々とか史実云々ではなく、あくまでもタカラヅカの舞台の上で「カッコイイ」ことが重要。
(敵役の設定が「なんでもいい」なんて破綻した作品をそもそも書くなよ、というツッコミはまた別問題だから、置いておく・笑)
タカラヅカにおいて2番手は重要。
俗に主役よりも2番手の方がオイシイ、と言われるが、それが当然、2番手の演じる役を「オイシイ」役として描くことは、座付き作家の義務だと思っている。
主役とヒロインだけじゃダメ、2番手男役までもがオイシイ作りでないと、見ていてつまんないし、「未来」へつながらない。
タカラヅカは、そのタイトル1本上演するために集められたキャストで演じているわけじゃない。同じ顔ぶれで何年も違う作品を上演していく。
ならば主役だけかっこよくても広がらない。主演=トップスターはいずれ退団し、2番手が次のトップとなり組を支える。
2番手が魅力的に見えない、トップとヒロインだけの芝居を続けたら、彼らが退団したあとに観客がついてこなくなる。
トップコンビで客を呼びながら、2番手を育てて売り出さないと。
バウホールでも同じ。
大劇場ではここまで比重を与えられない、だけど「未来」に期待しているスターにオイシイ役を与え、主演者目当てでやって来た人たちの気持ちを動かす。
そーやって「あのスターが卒業しても、次のスターが」という連鎖が、100年近く続いてきたはず。
最近のタカラヅカがどうだとか、そもそも2番手が順当に昇格しないじゃん、てことは置いておいて。
主役とヒロインだけじゃなくて、2番手もオイシイ作品が必要、とわたしは強く思っている。
大劇場は組の番手そのままだから、2番手はいつも決まった人だけど、バウはそうじゃない。
主演に対する2番手の関係性はいくつかパターンがある。
確固たる人気のスター主演のバウに、売り出したい、人気を出したい劇団推しの若手を2番手に。劇団推しで人気や実力に不安がある主演者には、路線外の実力者を保護者として2番手に。ふつーに人気のあるスターたちを主演と2番手にして相乗効果を。
『Je Chante』は2つめのパターン、『ニジンスキー』はそれに加えて3つめかな。
原田せんせの2作はどちらも保護者2番手系だから、「将来のトップスターにオイシイ役を」という意味での2番手役ではないけれど、それにしたってヅカの基本、「2番手はオイシイ」を正しく守ってくれるのはイイです。
……主役とヒロインと2番手までしか描けない、その他は全員モブだけどな(笑)。
でも、今後保護者2番手ではなく、劇団推しのスターが2番手でバウを上演する際に、原田せんせの「2番手がカッコイイ」という作風は有効なんじゃないかな。タカラヅカとしては正しいよ。
つーことで、ディアギレフ@ヲヅキさん、カッコイイです(笑)。
2番手がカッコイイのはいいよねー!
こーゆー、いくらでも美しくしていい、格好良くしていい役を、正しく2番手に与えてくれるのはいいよねー。
役や役割によっては、そのジェンヌがどれだけかっこいい人でも、かっこよくしてはいけない場合があるから。
主にイシダ作品に登場する系のキャラとか。
そうではなく、設定として「好きなだけ美しくしてヨシ!」な役を与えてくれることは、大切だと思う。
と、2番手がカッコイイことは素晴らしい、必要である、ということをうだうだ語り、次に本題のヲヅキさん語りへ(笑)。
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