『ニジンスキー』の2番手格の役・ディアギレフを演じるヲヅキさんの話。

 ヲヅキはあの身体の大きさと厚みが武器であり、魅力である。
 それは周知のことだと思う。

 そこに長年培ってきた男役としての技術が加わり、テラカッコイイ。
 スーツや燕尾の着こなし、男としての動き。

 小僧っこには出せない、大人の魅力。
 主人公のヴァーツラフくん@ちぎに対し、完全に「大人」であること。それができる男役であるということ。
 それはまったくもって素晴らしい。

 しかし今回、なかなかどーして諸刃の剣だなと思った。

 ディアギレフ@ヲヅキは魅力的である。
 それは彼の外見だけの話ではなく、中身っちゅーか、キャラクタゆえでもあると思う。

 ディアギレフは悪役ではない。
 結果的に敵役となるが、いわゆる「悪」ではない。
 誰よりもヴァーツラフくんを愛している、「もうひとりのヒロイン」だ。

 いや、ヴァーツラフくんがわかりやすく「悲劇のヒロイン」なので、ディアギレフは「もうひとりのダーリン」だ。
 90年代によくあった恋愛ドラマ、富も権力も美貌もなにもかも持ち合わせている強引な男を振って、問題だの障害だのありまくりの優しいだけの男とハッピーエンドになるヒロイン、アレですな。
 ディアギレフは振られる方の男。

 もうひとりのダーリンだから、「どっちのダーリンにしようかしら」と二択になり得るだけの魅力が必要。
 しかし、結果的にヒロインに選ばれないだけの欠点も必要。
 このバランスが難しい。

 で、ヲヅキディアギレフは、このバランスで失敗している気がしたんだ。

 脚本では、ディアギレフはヴァーツラフくんの才能を閉じこめているらしい。ヴァーツラフくんは自由になりたがっている。このままじゃ籠の鳥だと。
 しかしそれはあくまでも、脚本上だけ……つーか、原田せんせの脳内だけ。

 実際には、ディアギレフはヴァーツラフを閉じこめていない。むしろ放し飼いにして、そのくせ危険な目に遭わないように苦労して守っている。
 ヴァーツラフくんは、「うまく飛べないのは鳥籠のせい」と言っているだけに見える。自分の才能のなさとか、努力めんどくせーな気持ちを鳥籠のせいにしている、ような。
 そうやって現実逃避している中2の少年の前に現れたロモラ@あゆっちがまた、ひどい。
 「冴えないふつーの男の子の前に、突然異世界から美少女が現れ、『一緒に来てください、アナタは私たちの世界を救ってくれる伝説の勇者様なんです!』と異世界へGO! 異世界ではなにしろ異世界なので、魔法でも剣でもパーフェクトに使えちゃうスーパーヒーローに!」……てな、中2男子の夢見る世界観まんまの、「ボクが言って欲しいと思っていることを、そのまま言ってくれる女の子」。
 ロモラの言葉はヴァーツラフくんにとっては都合が良いので、気持ちいいこと、楽なことに流れるのは人の生理、努力とか義務とかしんどいことは投げ出して、楽なことに逃げ出した。鳥籠を飛び出したというよりは、自分で作った「誰もボクを傷つけない檻」に自分から逃げ込んだ印象。
 あゆっちの芸風がまた、かわいい外見に反してリアル系だから。より展開がえらいこっちゃに見える。

 原田せんせの意図はチガウんだろうけど、ヴァーツラフくんが天才には見えず、ロモラはご都合主義過ぎて気持ち悪く、ディアギレフが至極まともな人に見えた。

 なので、ヴァーツラフがディアギレフを裏切ったときに、彼の行動を是と思えなかった。

 もっとちゃんとヴァーツラフを「天才」として描き、ディアギレフを「檻」として描いてくれないと。二択の魅力と、選ばれなかっただけの欠点を描いてくれないと。
 脚本演出が悪い。
 それは確か。

 なんだけど、ヲヅキもチガウんじゃないかと思った。

 こーゆー脚本でこーゆー演出で、ヴァーツラフが中2の現実逃避引きこもりくんみたいな描かれ方をしているわけよ、原田くんの限界で。
 それならキャストで正しい方向へ持っていく必要があるんじゃないかと。

 ディアギレフ、いい人過ぎ。

 ヴァーツラフに裏切られたとき、マジ泣きしてるんだもんなー。
 それまでも誠実な愛情がにじみ出てるんだもんなー。
 
 誠実でホットなのはヲヅキさんの芸風であり、魅力であるけれど、それゆえに、そんな素晴らしい人を自分勝手に裏切るヴァーツラフがトンデモな人になってる……。
 仕方ないよね、と思えない……。

 ヴァーツラフくんがアレな描かれ方をしているのはもう仕方ない、変えられないだろうし、ロモラによる誘導尋問や洗脳の気持ち悪さももう変えられないだろう。
 それならあとは、ディアギレフしかない。
 普段からもっと変質的に病的にヴァーツラフくんに執着しているとか、「うわ、この人無理!」と思わせてくれる部分がないと、そこから逃げ出すヴァーツラフくんの分が悪すぎる。
 裏切られたと怒りを爆発させるところも、すげー誠実な人が嘆き悲しんでいるんじゃ困る、ヴァーツラフくんが悪者になってしまう。

 ……しかし、ちぎくん演じるヴァーツラフは歪みなく真面目だし、ヲヅキ演じるディアギレフはホットな善人だし、なんでこの人たちでこんな柄違いの作品やろうなんて思ったんだろう……って、いやその、彼らの美しさゆえでしょう、わかりますそれは! わたしも彼らの美しい姿を見ることが出来て良かった、うれしかった。

 
 脚本と作者の意図した役割と、実際の舞台の上が不協和音。
 それゆえとってもトホホな感じの作品ではあります、『ニジンスキー』。

 と、そんなことを書き連ねておりますが。
 はい、ここで意見をひっくり返します。

 
 それでも、そんなヲヅキが好き。

 苦悩すればするほどその魂の健康さや生真面目さを露呈し、より中2病っぽくなるちぎたさんが愛しいのと同じです。

 物語の流れ的にこれはチガウやろ、と思える、ヲヅキディアギレフのホットさ、誠実さが好き過ぎます(笑)。
 ヴァーツラフくんに裏切られて、目を剥いてぼろぼろ泣いている姿に震撼しました。うわーんこの人、愛しい!

 冷酷な大人として振る舞っているところで醸し出すまともさや誠実さ、「この人絶対イイ人だよね」オーラがたまりません。
 ソコよ、ソコがいいのよ、大好きなのよ。

 身体の厚みと心の厚み。
 そして、暑苦しさ(笑)。
 どんだけクールぶっても醸し出す熱。

 そこが、素敵過ぎる。

 
 『ニジンスキー』はいろいろとアレな作品だと思うけれど、主人公と2番手が、それぞれ自分の持てる「美しい」という力を最大限に発揮できるところがいい。
 それが作品に合っているかどうかではなく(笑)、たとえ合っていなくても、「タカラヅカ」としては正しく力を発揮できる作品だから。発揮していい作品だから。
 実際、彼らの力技ゆえに、この「お約束」だけで出来上がった話が、重厚な話っぽく見えますから!
 薄い話でもいいの、ジェンヌがパワーを発揮できる足場としてさえ成り立っていれば。『ニジンスキー』って、そうだよね。
 
 
 あー、ヲヅキ好きだなー。

コメント

日記内を検索