全国ツアーだからなあ。@黒い瞳
2011年5月14日 タカラヅカ 今さらですが、『黒い瞳』の感想。
つくづく、良い作品だなーと思う。
『激情』のときも書いたけど、柴田&謝コンビ作品は、は柴田作品というより、謝作品認識。柴田せんせ単独だったら、わたしは好きになっていなかったと思うし。
謝演出ならではの狂言回しトリオも、初見時は説明しすぎでウザいと思ったんだが(笑)、繰り返し観ると気にならなくなるし、ソレはそれの味と思えるし。
正塚せんせみたく、解説を全部録音テープのモノローグでやられちゃうより、狂言回しの解説とはいえ、ナマで喋ってくれるのはいいよね。正塚作品なら絶対、「その男とは、運命の出会いだった」とか「そのときのぼくは、知るよしもなかった」とか、「シヴァーブリンがマーシャの名を出さなくて、ぼくはほっとした」とか録音テープが流れるぞっと。
柴田せんせの台詞は美しいけれど、言葉以外の部分がすでにつらい。
なんつっても、テンポと視覚。
テンポは時代感覚。柴田せんせの活躍した時代と現代ではあきらかに別物なんだが、せんせにはソレが理解できない……てゆーか、気付いていないのかもしれない。
そして、舞台全体の美しさ。画面。絵づら。舞台転換も含めた、「動」の動き。柴田せんせも植爺も、平面の紙芝居しか作れないのは、彼らの時代の限界だろう。
それらの大きすぎる欠点をカバーするのが、謝せんせの演出だ。
脚本自体の古さは仕方ないとして、ダイナミックなダンスとスピーディな舞台転換で立体的に物語が進むのは、観ていて気持ちいい。
謝作品って、盆回りまくり! という印象。大劇場の舞台機構を存分に使って、上に下に奥行きのある演出が特徴的だった。
加えて、ドラマティックなダンス。「謝作品は必ず稽古段階でケガ人が出る」って言われていたなあ、ダンスがハード過ぎて。女子の筋力でソレは無理です、て振付もされちゃうから。
それまでもショーの1場面で謝せんせが振付していることがあったけど、ダンスのさっぱりわからないわたしでも、初見予備知識ナシで「あ、コレ謝珠栄だ」とわかる、独特の振付。
振付が面白いのはわかっていたけど、舞台演出自体は見たことがなくて、この『黒い瞳』がはじめてだった。
謝せんせらしさがふんだんに盛り込まれ、すげーわくわく観たのを覚えている。
第一わたし、マミリカ好きだったしね(笑)。
マミさんの美貌に釘付けだったもんよ。
……ちなみに、月組初演大劇場公演『黒い瞳』時点で、わたしは大空祐飛さんを認識していません。
どこに出ていたかも知らない。
わたしがゆーひくんオチするのはこの公演直後、『黒い瞳』ムラと東宝(1000days劇場)の間に上演された風花ちゃんのサヨナラバウでだ。
おかげで新公プガチョフ見てないのよー。代役だったのも東宝だし。
盆を回せない、舞台機構を使用できない全国ツアーで再演するのはもったいないと思う。
全ツはそれぞれの箱の機能を使うことは一切なく、持ち込んだ絵を描いた板とカーテンだけを使う、紙芝居演出にするしかないもの。
去年、同じ柴田&謝コンビの『激情』が全ツ落ちして各地を回ったけれど、演出面でやっぱ物足りなさと寂しさがあった。
大劇場で上演したときは美しかったのになあ。舞台の大胆な使い方、その視覚効果に息をのむ部分があったのに。全ツではそれらを禁じられ、不自由な乏しいセットでがんばってたなあ。
それでも、『激情』はまだマシだったんだ、と今回の『黒い瞳』を見て思った。
『激情』は登場人物が少ないんだもの。全ツでも十分回せる。
しかし。
『黒い瞳』は、戦争モノである。
何千人が戦う場面があるっちゅーのに、それぞれの陣営がひと桁しかいないのは、つらい。
大劇場で、盆を回しセリを使い、80人の組子総動員で演じたら、どんだけ興奮しただろう。
ダイナミックな謝ダンスでさー。がしがし戦ってさー。
戦闘シーンがしょぼくて、哀しかったっす。
全ツだから仕方ないと、最初からわかっていることとはいえ。
人数は少ないし、下級生も娘役も総動員で兵士を演じているから、男役スキルが低くてなんかものすごく、「女子校の文化祭」ちっくになる……。
男として走る、とかって、実はナニ気に難しいよね。
戦闘だからとにかく「うおー」とか「わー」とか言って走り回っているのがさらに、つらい。強く見せよう、大きく見せようと無理をしている感がありありで。声も姿もオンナノコで。
タカラヅカを観たことのない、地方のお客さんに「女の子たちががんばってるなあ」と思われちゃうよーな姿だわ……。
総力戦の大劇場なら、目立つところにはうまい子、男役が出来ている子を配置するから、こんな見た目にはならないのよお客さん、これがタカラヅカ全体の実力だと思わないで~~、と、老婆心。
これはどこの組だから、ということじゃなく、全ツの宿命よね。
『黒い瞳』が全ツ落ちして、おそらくはもう大劇場本公演には戻らないことを惜しみつつ。
それでも、良い作品だと思った。
冒頭の雪の精たちのダンスから、引き込まれる。
衣装も含め、なんて美しいんだろう。
くるくる回る彼女たちが、舞う雪を自然に想像させる。
倒れるニコライ@キムのもとに現れる雪の少女@みみちゃんのダンスも素晴らしいし。
衣装も動きも、なにもかも「かわいい!」と思わせる。
なんて印象的な登場。
雪の精たちが最初にまいた雪が、ずっと効果的に使われるよね。
わたしはプガチョフ@まっつ登場時に、彼の身体の周りに雪が舞うのが好き。
下手奥の壇上から登場した彼は、階段を降りてから舞台に倒れるよーにころんと一回転する。
そのときに、床に落ちている雪が舞い上がるんだよね。
雪をまとって現れるプガチョフが、ただ者ではない!って感じを高めていて。
わくわくする。
馬車の車輪を動かしたり、サヴェーリィチ@ヒロさんの自己紹介がなかったりと、微妙にカットされているのは時間調整か。
あと短縮されているっぽいのは、マクシームィチ@がおり関係? マクシームィチはえらくあっさりと描かれていた気がする。
それと、オレンブルグのナントカ将軍登場のくだりがまるまるカットか。これは時間というより、人数の問題の気が……だっておっさん役できる人いないじゃん。宮廷場面やラストの戦闘のどさくさならいざ知らず、カーテン前少人数の目立つ場面を、央雅くんにこれ以上やらせるわけにもいかんだろーし。
宿屋の主人がひろみちゃんだと気付いたのは2回目から。
プガチョフがナニ気にスキンシップ高いのがツボ。
肩抱かなくてもいいじゃん、そんなに顔くっつけなくても喋れるじゃん。
主人がひろみちゃんだとわかった途端……つまり、美形だとわかった途端、プガチョフとの関係を邪推したことは秘密です(笑)。
ズーリン大佐@にわにわが連れている士官@真地くんが長身美形で目を引きます。
この士官くん、ベロゴールスクのことを笑ったりして性格悪いのかなと思いきや、ビリヤードをしようと大佐がニコライを誘ったあとは、フレンドリーにニコライの肩抱いてるし。実はイイ奴なのか(笑)。
若い者同士、ニコライとは友情が芽生えているかもしれない、とか思うと楽しい。
つくづく、良い作品だなーと思う。
『激情』のときも書いたけど、柴田&謝コンビ作品は、は柴田作品というより、謝作品認識。柴田せんせ単独だったら、わたしは好きになっていなかったと思うし。
謝演出ならではの狂言回しトリオも、初見時は説明しすぎでウザいと思ったんだが(笑)、繰り返し観ると気にならなくなるし、ソレはそれの味と思えるし。
正塚せんせみたく、解説を全部録音テープのモノローグでやられちゃうより、狂言回しの解説とはいえ、ナマで喋ってくれるのはいいよね。正塚作品なら絶対、「その男とは、運命の出会いだった」とか「そのときのぼくは、知るよしもなかった」とか、「シヴァーブリンがマーシャの名を出さなくて、ぼくはほっとした」とか録音テープが流れるぞっと。
柴田せんせの台詞は美しいけれど、言葉以外の部分がすでにつらい。
なんつっても、テンポと視覚。
テンポは時代感覚。柴田せんせの活躍した時代と現代ではあきらかに別物なんだが、せんせにはソレが理解できない……てゆーか、気付いていないのかもしれない。
そして、舞台全体の美しさ。画面。絵づら。舞台転換も含めた、「動」の動き。柴田せんせも植爺も、平面の紙芝居しか作れないのは、彼らの時代の限界だろう。
それらの大きすぎる欠点をカバーするのが、謝せんせの演出だ。
脚本自体の古さは仕方ないとして、ダイナミックなダンスとスピーディな舞台転換で立体的に物語が進むのは、観ていて気持ちいい。
謝作品って、盆回りまくり! という印象。大劇場の舞台機構を存分に使って、上に下に奥行きのある演出が特徴的だった。
加えて、ドラマティックなダンス。「謝作品は必ず稽古段階でケガ人が出る」って言われていたなあ、ダンスがハード過ぎて。女子の筋力でソレは無理です、て振付もされちゃうから。
それまでもショーの1場面で謝せんせが振付していることがあったけど、ダンスのさっぱりわからないわたしでも、初見予備知識ナシで「あ、コレ謝珠栄だ」とわかる、独特の振付。
振付が面白いのはわかっていたけど、舞台演出自体は見たことがなくて、この『黒い瞳』がはじめてだった。
謝せんせらしさがふんだんに盛り込まれ、すげーわくわく観たのを覚えている。
第一わたし、マミリカ好きだったしね(笑)。
マミさんの美貌に釘付けだったもんよ。
……ちなみに、月組初演大劇場公演『黒い瞳』時点で、わたしは大空祐飛さんを認識していません。
どこに出ていたかも知らない。
わたしがゆーひくんオチするのはこの公演直後、『黒い瞳』ムラと東宝(1000days劇場)の間に上演された風花ちゃんのサヨナラバウでだ。
おかげで新公プガチョフ見てないのよー。代役だったのも東宝だし。
盆を回せない、舞台機構を使用できない全国ツアーで再演するのはもったいないと思う。
全ツはそれぞれの箱の機能を使うことは一切なく、持ち込んだ絵を描いた板とカーテンだけを使う、紙芝居演出にするしかないもの。
去年、同じ柴田&謝コンビの『激情』が全ツ落ちして各地を回ったけれど、演出面でやっぱ物足りなさと寂しさがあった。
大劇場で上演したときは美しかったのになあ。舞台の大胆な使い方、その視覚効果に息をのむ部分があったのに。全ツではそれらを禁じられ、不自由な乏しいセットでがんばってたなあ。
それでも、『激情』はまだマシだったんだ、と今回の『黒い瞳』を見て思った。
『激情』は登場人物が少ないんだもの。全ツでも十分回せる。
しかし。
『黒い瞳』は、戦争モノである。
何千人が戦う場面があるっちゅーのに、それぞれの陣営がひと桁しかいないのは、つらい。
大劇場で、盆を回しセリを使い、80人の組子総動員で演じたら、どんだけ興奮しただろう。
ダイナミックな謝ダンスでさー。がしがし戦ってさー。
戦闘シーンがしょぼくて、哀しかったっす。
全ツだから仕方ないと、最初からわかっていることとはいえ。
人数は少ないし、下級生も娘役も総動員で兵士を演じているから、男役スキルが低くてなんかものすごく、「女子校の文化祭」ちっくになる……。
男として走る、とかって、実はナニ気に難しいよね。
戦闘だからとにかく「うおー」とか「わー」とか言って走り回っているのがさらに、つらい。強く見せよう、大きく見せようと無理をしている感がありありで。声も姿もオンナノコで。
タカラヅカを観たことのない、地方のお客さんに「女の子たちががんばってるなあ」と思われちゃうよーな姿だわ……。
総力戦の大劇場なら、目立つところにはうまい子、男役が出来ている子を配置するから、こんな見た目にはならないのよお客さん、これがタカラヅカ全体の実力だと思わないで~~、と、老婆心。
これはどこの組だから、ということじゃなく、全ツの宿命よね。
『黒い瞳』が全ツ落ちして、おそらくはもう大劇場本公演には戻らないことを惜しみつつ。
それでも、良い作品だと思った。
冒頭の雪の精たちのダンスから、引き込まれる。
衣装も含め、なんて美しいんだろう。
くるくる回る彼女たちが、舞う雪を自然に想像させる。
倒れるニコライ@キムのもとに現れる雪の少女@みみちゃんのダンスも素晴らしいし。
衣装も動きも、なにもかも「かわいい!」と思わせる。
なんて印象的な登場。
雪の精たちが最初にまいた雪が、ずっと効果的に使われるよね。
わたしはプガチョフ@まっつ登場時に、彼の身体の周りに雪が舞うのが好き。
下手奥の壇上から登場した彼は、階段を降りてから舞台に倒れるよーにころんと一回転する。
そのときに、床に落ちている雪が舞い上がるんだよね。
雪をまとって現れるプガチョフが、ただ者ではない!って感じを高めていて。
わくわくする。
馬車の車輪を動かしたり、サヴェーリィチ@ヒロさんの自己紹介がなかったりと、微妙にカットされているのは時間調整か。
あと短縮されているっぽいのは、マクシームィチ@がおり関係? マクシームィチはえらくあっさりと描かれていた気がする。
それと、オレンブルグのナントカ将軍登場のくだりがまるまるカットか。これは時間というより、人数の問題の気が……だっておっさん役できる人いないじゃん。宮廷場面やラストの戦闘のどさくさならいざ知らず、カーテン前少人数の目立つ場面を、央雅くんにこれ以上やらせるわけにもいかんだろーし。
宿屋の主人がひろみちゃんだと気付いたのは2回目から。
プガチョフがナニ気にスキンシップ高いのがツボ。
肩抱かなくてもいいじゃん、そんなに顔くっつけなくても喋れるじゃん。
主人がひろみちゃんだとわかった途端……つまり、美形だとわかった途端、プガチョフとの関係を邪推したことは秘密です(笑)。
ズーリン大佐@にわにわが連れている士官@真地くんが長身美形で目を引きます。
この士官くん、ベロゴールスクのことを笑ったりして性格悪いのかなと思いきや、ビリヤードをしようと大佐がニコライを誘ったあとは、フレンドリーにニコライの肩抱いてるし。実はイイ奴なのか(笑)。
若い者同士、ニコライとは友情が芽生えているかもしれない、とか思うと楽しい。
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