『黒い瞳』ニコライ@キム語りの続き。

 ニコライは、戦いをおそれない。
 ヒーローならば当たり前のことだけれど、彼は絵に描いたヒーローとはずいぶん違っている。
 シヴァーブリン@コマとの決闘で「うわっ」とか「やばっ」とか切っ先がかすめるたびに大騒ぎしていたように、戦い慣れているわけでもないし、強いわけでもないんだろう。

 強くないくせに、いざ戦争となるとなんの疑問も恐怖もなく、戦いに身を投じる。

 とことん軍人なんだなと思う。
 女帝陛下に忠誠を誓った、と台詞に出てくるけれど、ほんとにそうなんだろうなと。
 女帝陛下に会ったことがなかったとしても、「陛下に忠誠」なんだろうなあ。そーゆー時代、そーゆー育ちなんだろうなあ。

 マーシャ@みみちゃんが、「私の宝物」として故郷の美しい自然を挙げているように、ロシア貴族として、軍人として育った少年は、愛国心と忠誠心を持っているんだろう。

 わたしがニコライを好きなのは、この「軍人」である部分と、彼個人の「やさしい」部分だ。

 軍人は、戦争をする。
 人間を殺すのが仕事。
 それは、「やさしさ」とは相容れない部分。

 物語の中のヒーローはいつだって平気で戦うし、敵を殺す。
 これは物語だからついそうやって見てしまうけれど、この『黒い瞳』をリピートしているうちに気付くんだ。

 ニコライの、痛ましさに。

 プガチョフ@まっつとふたりで仲良くソリに乗ってベロゴールスクへ向かう道中、ニコライは歌う。

「叫ぶ声 流す血も ぼくはもう見たくはない」

 プガチョフの暴挙を責めている会話での歌詞なので、わたしは最初聞き流していた。
 その前の歌詞が「どこまでも下り坂 地獄へとただまっしぐら」だし、そのあとの歌詞は「行く手には 不幸せの神が ほら 待ち受けている」だし。
 プガチョフたち反乱軍の悲惨な末路を訴え、思いとどまるように言っているのかと。

 たしかにそうなんだろう。
 初演でもそう思って聴いていたし。

 でも。
 気付いたんだ。

 ニコライの、血を吐くような悲しみに。

「叫ぶ声 流す血も ぼくはもう見たくはない」……負けがわかっている反乱軍を、勝利する政府軍側の人間として言っているんじゃなくて、ほんとうに、ニコライが苦しんでいるんだということ。
 反乱軍とか政府軍とか関係なく、ただ人間が戦い、傷つくのが嫌なんだと。

 決闘のときに、あんなに人間くさくヒヤヒヤした顔をしていた男の子。
 ベロゴールスク戦のときは無我夢中で走り回っていたようだけど、目の前でミロノフ大尉@ナガさんたちが処刑されて、はじめてわかったんだと思う。

 自分たちの仕事が、人殺しをすることだって。

 殺し、殺されるかもしれないのが、軍人だってこと。

 戦争がはじまる前は、反乱軍やコサックたちは、ただの「的」でしかなかったと思う。
 訓練しか知らず、生身の人間と戦ったことも殺したこともなかった。そして実際に戦争がはじまってみても、ほんとのところぴんときていなかった。

 彼が気付いたのはやはり、プガチョフと再会したからだろう。

 従わないモノは皆殺し、という反乱軍のやり方に、ニコライは反感しか持っていなかった。憎しみしかなかった。
 仲間たちが処刑され、自分もまた死刑になる。あの段階では、ニコライはコサックたちを「敵」とは思っていても「人間」だとは思っていない。
 あそこで武器を渡せば、なんのためらいもなくコサック兵たちを殺したろう。

 それが、プガチョフと再会し、彼と話し。

 プガチョフが魅力的な男であること。
 プガチョフに好意を持ったこと。

 それで、気付いてしまった。
 ベロゴールスク戦で当たり前に戦っていた相手、なんの疑問もなく斬り捨てていたコサック兵たちが「敵」と書いた的ではなく、「生身の人間」であることに。

 もちろん、マクシームィチ@がおりんのこともあると思う。
 「敵」もまた人間で、生きていて、誰かを愛し、愛されているんだってことに、気付いてしまった。

 暴挙だ、とプガチョフを責める……それは大国ロシア軍将校の驕りではなく、ひとりの心優しい若者としての声なんだ。

「叫ぶ声 流す血も ぼくはもう見たくはない」……本当に、泣いてるの。
 梅芸楽、ニコライがソリの中で目に涙溜めて歌うのを見て、胸を掴まれたような気がした。

 この子は軍人で、戦う人で、敵を殺すことを仕事としていながら……泣くんだ。
 誰も殺したくないって。

 ヒーローなら、なんの傷みもなく戦うだろう。
 敵を殺し、愛する者を守り、正義を貫く。

 誰も殺したくないと泣くなら、最初から軍人なんかやらなければいい。
 おとなしく農民でもやってればいい。故郷の領地で、小作人たちの管理だけして暮らせばいいよ。

 だけどニコライは軍人で。
 戦うことの意味を、軍人という職業の意味を知ったあとでも、軍人であり続けて。

 泣くくせに。
 敵だとか味方だとか関係なく、人間の血が流れることに、悲しみが満ちることに、痛みを感じて泣くくせに。

 それでも彼は、軍人なんだ。
 それでも彼は、戦うんだ。

 
 ニコライが軍人であり、男であるということが、この物語の根幹なんだなと思う。

 彼はプガチョフの反乱を暴挙だと言い、実際にロシア軍がプガチョフ討伐をするとなると、「彼の破滅を見守りたい」と言う。

 誰も殺したくないと泣く。だけど、戦争をする。
 プガチョフを愛している。だけど、彼を助けるのではなく、その死を見届けようとする。

 誰も殺したくないなら軍人をやめればいいのに、やめない。
 プガチョフを愛しているなら彼を助けるなり、彼の陣営につくなりすればいいのに、敵であることをやめない。

 ニコライは、哀しいくらい、男の子だ。
 どれだけ苦しんでも、傷ついても、為すべきことをする。

 自分の矛盾や罪を自覚してなお。
 前へ進むことを、やめない。

 「軍人」でありながら、「やさしい」。
 相反する特質。

 それがあまりに、痛ましい。

 だからわたしは、ずっと知りたかった。
 プガチョフ軍との最後の戦いを終えたあとの、ニコライを。

 あれほどプガチョフを愛し、戦いを悲しんでいた少年は、その手でプガチョフを追いつめ、人を殺したあと、どんな顔をしているのか。
 ずっとずっと、知りたかったんだ。見たかったんだ。

 
 続く。

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