だらだら長いです、『黒い瞳』のニコライ@キム語り。

 下手からの眺めにこだわった。
 今回わたしは全部で12回観劇したのかな。全国ツアーを5都市追いかけて。
 だけどずーっと上手席ばかりだった。
 センターブロックでも、上手寄りだった。

 上手は上手なりの楽しさがあったけれど、センターのときとかまっつの目線とウインク直撃席(わたし個人がどうこうではもちろんなく、まつださんがいつも決まったところに目線をやり、ウインクをする、つーだけのこと)だったり、障害物無しの上手いちばん端席で舞台まるっと全部、袖まで見えちゃいますよとか、いろいろ愉快ではあった。

 だけどわたしは、下手に坐りたかった。
 処刑されるプガチョフ@まっつの最後の笑顔を見られるのが下手席だからってのはもちろんあったし、最後のパレードから幕が閉まる前のお手振りまで、下手でないとキムくんに隠されてまっつがカケラも見えないってのも、もちろんあった。
 それも下手がいい理由ではあったけれど、もうひとつ。
 下手からでないと絶対に見えない、そして、見たくてたまらなかったものが、あった。

 軍人でありながら、人を殺すこと、戦うことに痛みを感じる心優しい青年、ニコライ。
 ロシア政府軍将校でありながら、反乱軍の将プガチョフを愛した青年、ニコライ。

 こんな彼が自分の矛盾や罪を自覚しながら、それでも戦場を選んだ。
 再び戦いに……プガチョフを殺すために、戦場へ出た。

 誰も殺したくない、死ぬところを見たくないと泣いた少年が、その手で人を殺す。
 友だちを殺す。

 愛する少女マーシャ@みみちゃんと別れてまで、戦いを、プガチョフを選んだ。
 「やさしさ」よりも、「軍人」であることを選んだ。

 とてつもない決意であり、決断であったと思う。

 ニコライはほんとうに、プガチョフを愛していたんだなと。
 最初わたし、プガチョフの一方通行だと思っていたから。
 プガチョフはニコライの命を救うのに、ニコライは自分の立場をなにひとつ損なわずにいるから、と。

 でも、そうじゃない。
 マーシャと別れ、戦場を選んだ。
 プガチョフとマーシャ、ふたりを天秤に掛けて、プガチョフを選んだんだ。
 もしニコライが戦死することがあれば、マーシャには二度と会えない。マーシャを捨てても、プガチョフに会うことを選んだんだ……ニコライも、十分犠牲を払っている。
 自分のいちばん大切なものを捨てても、プガチョフへの愛を全うした。

 ニコライのプガチョフへの愛は、プガチョフの命を助けることではなく、プガチョフの生き様を見届けることだった。
 恋愛ではないから。男と男の愛だから。
 プガチョフを助けるとか、ニコライがプガチョフ側につくとかは、彼らの生き方や意志を曲げることになる。
 ニコライが、たとえ処刑されても偽皇帝に忠誠を誓わなかったように。
 男たちは、命よりも大切なモノを抱えて生きている。

 その「男」である部分はいい。
 ニコライは男だから、軍人だから、戦場へ行った。
 しかしニコライ個人は戦いや人殺しを良しとしない、やさしい青年だ。
 プガチョフを殺すために来たとしても、彼に死んで欲しくないと思っている。
 矛盾しているけれど、それが真実。
 どちらの思いも、ニコライの中にある。

 そんな葛藤の中で、戦い続けて。
 仲間だったマクシームィチ@がおりんをも、その手で殺し。

「叫ぶ声 流す血も ぼくはもう見たくはない」……そう泣いていた若者が、死体の山の中に立ち尽くし。

 プガチョフが捕まり、連行されていくのを見る。

 ニコライにとって、プガチョフは英雄だったのだと思う。
 尊敬する、年上の友人。
 大好きで、憧れていて、肩を並べられることがうれしくて。

 その敬愛する友人が、みっともなくあがき、騒ぎながら引きずられていく。
 英雄の化けの皮がはがれ、ただの下衆になりはてた。

 見たくなかったろう。
 プガチョフの最期を見届けると言った。それは、少年らしい潔癖さで、美しいモノを想像していたと思う。
 英雄に相応しい最期が繰り広げられるだろうと思ったろう。

 なのに現実のプガチョフは、みっとない小悪党めいていて。ちっとも潔くなく、ぎゃあぎゃあ騒いでいて。

 それは若者の心を打ち砕くに十分な衝撃だったと思う。

 愛する少女の名誉のために決闘した、夢見がちな少年。
 戦争の意味、軍人の意味なんてわからず、ペテルブルクで近衛隊としてきらびやかな生活を夢見ていた。

 それが、実際の戦争を知り、手を汚し。
 戦争の意味、軍人であることを知り。
 きれいごとじゃない、血塗られた現実を知り。

 今また、大切な英雄すら、失った。

 英雄を殺したのは、ニコライ自身だ。

 なにも知らないままでいることだって、できたのに。
 プガチョフと触れあうことで「敵」がただの記号でないことを知り、そのプガチョフの最期を見届けたいと従軍することで彼が高潔な英雄でないことを知り。
 全部自分で選んだことじゃないか。

 痛みを持ってなお、軍人であり続けるように、ニコライはプガチョフのみっともない姿を見ても彼を嫌いになりはしないと思う。そりゃ、捕らえられてなお高潔で「さすが英雄!」な姿であってほしかったろうけど。そうでなかったからといって、恨みに思ったりはしない。

 ただ、哀しかったろう。
 自分が正義の味方ではなく、ただの人殺しだと気付いたときのように。

 連行されていくプガチョフを見つめるニコライ。
 そのやるせない悲しみに満ちた顔を見るには、下手席でなきゃダメだったんだ。

 いや、正確には、センター席でもここまではなんとか、見ることが出来た。
 問題は、そのあと。

 すべてが終わり、死体の中を歩くニコライ。
 客席へ背中を向けて。
 舞台奥の方へ、階段を上がっていく。

 このときのニコライの顔が、見たかったの。
 センターでも見えなかったの。

 あれほどの痛みを持って戦った、悲しみを抱いて殺した、あの少年が、どうしているのか。すべてを終えたあと、すべてを失ったあと。
 どんな顔をしているのか。

 どうしても、知りたかった。

 それでわたしは、下手に坐りたいいぃぃ!!と、騒いでいた(笑)。

 こんなときに限って何故か、上手しか持ってなくて。
 サバキで手に入れた席も上手ばっかだったしさー。
 まっつとタッチ!を目的にセンター下手通路際だったりして、タッチできたのはうれしいけど、やっぱここじゃキムくんのあのときの顔が見えねーよ!!と、じれじれしてみたり。

 ほんと、渇望したなあ。

 それが最後の最後、千秋楽で手に入ったのが、まさかの下手前方席で。

 見たかったモノが、見えた。

 
 続く。 

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