佳境です、『黒い瞳』ニコライ@キム語り。

 だからわたしは、音月桂が好きなんだと思った。

 キムくんが好きだという話は数え切れないほど書いてきたと思うので、今さらだけど。
 『黒い瞳』にて、キムくんが演じる「ニコライ」という青年……というか、少年というか、に魅せられるに従って、「あの場面の顔を見たい」と思うようになった。
 すべてを失い、死体の山の間を歩くニコライ。
 客席に背を向け、下手側に顔を向けているため、そのときの彼の顔をみるためには、下手側に坐るしかなかった。
 また、すぐに暗転することもあり、後方席では光源が足りなくて見えないのだと思う。

 千秋楽、最後の最後になって下手前方席に坐ることができたわたしは、念願だった、その場面のニコライの表情をオペラグラスでガン見することができた。

 そして。

 震撼した。

 
 それまでも、十分ニコライが好きだった。
 梅芸楽でマジ泣きしている少年ニコライを見て、ものすごいカタルシスを得た。
 プガチョフ@まっつファンで、プガチョフに肩入れして見ている以上、けっこうつらいキモチがあったりしたのだけど、それらが全部吹っ飛んだ。
 処刑台へ向かうプガチョフを前に、ボロボロ泣いているニコライを見て、プガチョフがごく自然に破顔する。
 救われたと思った。
 自分のために泣いてくれるこの少年の存在に。
 肯定されたと思った。
 高らかに歌うことができる、この少年のために。

 それが彦根で観たとき、ニコライはなんか大人になっていて、あまりカタルシスを得られなかった。
 梅芸が少年過ぎたんだよなあ、タカラヅカ・スター的にこれくらい大人でも仕方ないか。初演のマミさんはちゃんと大人だったしなあ。(てゆーかマミさん、18歳にはカケラも見えなかった・笑)
 残念だけど、それはわたしの好みの問題でしかない、これはこれでいいんだ、と思っていた。

 それが、千秋楽の日進では。
 ニコライが、少年寄りになっていた。
 てゆーか、プガチョフLOVEっぷりすげえ。梅芸に近いテンション! 梅芸より大人だけど、愛情や温度が近い!
 なまじコドモぢゃない分、さらに萌えるっちゅーか、切ない!!

 と、うれしい驚きにびびっていた。

 こんなにプガチョフのこと好きでいいの? ソリの場面の痛ましさすげえし、マーシャ@みみちゃんを説き伏せるところだって、なんかやばいよ?
 と、ドキドキ(笑)。

 そんな風に、今までよりさらに感情過多に愛すべき人間くささを持ったニコライくんで。

 誰よりも戦いの虚しさを、人殺しの惨さを知りながら、それでも武器を握ったニコライ。
 プガチョフを愛しながら、プガチョフ討伐に命を懸けたニコライ。

 誰も殺したくないと泣いた少年が、自ら作った死体の山の中を呆然と歩く。
 愛したプガチョフも捕らえられ、もうニコライにはなにも残っていない。
 あるのは、罪だけ。血塗られた両手だけ。

 そんな状態で、客席に背を向けて歩く。

 その、顔が。

 狂。

 念願の下手席で、オペラでガン見しながら、震撼した。
 
 くるって、る。
 ニコライが、狂っている。

 こころが、こわれてしまった。

 なにも映さない瞳。
 からっぽの目、からっぽの心。

 勝利したのに。
 正義の政府軍は悪の反乱軍を破り、ニコライは大活躍、無傷で戦い抜いたのに。
 ふつうなら、大団円、大喜びしている場面なのに。

 ニコライは、泣くよりも叫ぶよりも哀れな姿で、闇に向かって歩く。

 そこにある、狂気。
 狂ってしまった、壊れてしまった、おそろしさ。かなしさ。

 その表情を見るなり、号泣しました。
 マンガみたいにぶわっと泣けた。
 声ころすの必死、喉が鳴らないようにするの必死。オペラが揺れるわ曇るわ、もう大変。

 そうだ、どうしてわたしがキムを好きなのか。
 彼には、毒がある、狂気がある。
 とびきりのかわいこちゃんで笑顔が素敵で強くて健康的なのに、彼には歪みや澱みがある。
 だからわたしは、彼が好きなんだ。

 だから、音月桂が好きなんだ。

 ニコライの狂ってしまった瞳を見て、地団駄踏んで暴れたいくらい、思った。
 ニコライが好きだ。
 こんなに強くて痛ましい男の子、他にいない。
 大好きだ。
 そして、こんなに大好きだと思えるキャラクタを演じてくれる、音月桂をすごいと思い、好きだと思った。

 
 ここまでからっぽの瞳をしていながら、ここまで傷ついていながら、彼はまた立ち上がるんだ。
 愛する者のために。

 マーシャを守るために、査問会で戦う。
 どれだけ打ちのめされ、狂気を宿しても、その強さで彼は立ち上がるんだ。まっすぐに。

 千秋楽はシヴァーブリン@コマもすごかったんで、査問会も泣き通しました(笑)。

 で、プガチョフの処刑ですよ。
 ニコライが心を壊してしまうくらい愛した男の、最期ですよ。

 ニコライは泣いてました。
 プガチョフを見つめて。言葉もなく。

 ソリの中で必死に訴えていた姿、戦闘のあとのからっぽの瞳……そして今の、涙。

 ニコライが、愛しくてならない。

 こんなに傷だらけで、やさしい分ひとの何倍も傷ついて、愛が深い分人の何倍も引き裂かれて。
 それでもなお、愛することをやめない。
 傷つくことをやめない。

 こんな少年だからこそ、プガチョフは愛したんだろうし、また最期の瞬間に会うことが出来て、うれしかったんだろう。
 プガチョフは、救われたと思う。彼の人生を全うできたと思う。

 よかった。
 ただもお、「よかった」と思った。

 愛したことは、間違いではなかった。

 人生とか存在とか、全部全部肯定された気がした。
 わたしはプガチョフじゃないし、ニコライじゃない。『黒い瞳』の登場人物じゃない。
 だけどニコライを見て、思った。

 わたし、という人間すら、肯定された気がする、と。

 
 傷つくことをおそれない。愛することをおそれない。
 だからニコライは最後、雪のベロゴールスクでマーシャに言うんだ。
 コサックだから貴族だから、そんなもののために多くの血が流された。自分たちがそれを超えていくのだと。

 武力によって革命するのではない。
 愛することによって、変えていくんだ。

 実際に血を流した、血に汚れたニコライの言葉だからこそ。
 それはきれいごとや絵空事ではなく、血肉を持った言葉として響くんだ。

 
 そして。
 傷つくことをおそれない、愛することをおそれないニコライは、きっとこれからもまた、武器を取る。
 なにもかもわかっていて、間違いは間違いだとわかっていても、絶望しながらでも泣きながらでも、それでもまた、戦うのだろう。

 またあんな、狂気に汚れた瞳をしたとしても。

 彼は、戦うことから逃げ出さない。

 それがわかるから、わたしはニコライが好きだ。
 ちょっとうろたえるくらい(笑)、彼が好きだ。

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