女の子は成長する。@美しき生涯
2011年6月5日 タカラヅカ 大石静氏の代表作は、わたしにとっては『わたしってブスだったの?』だ。
コレではじめて名前をおぼえた。それ以前に『トップスチュワーデス物語』も『ヴァンサンカン・結婚』も『おとなの選択』も見ていたけど、面白いと思ったことがなかった。
はじめて面白いと思ったのが、『わたしってブスだったの?』。ドラマ好きな友人たちの間では人気だったけれど、世間的な人気はなかったんだと思う。なんせソフト化されなかったし。
それ以降、面白くない作品があっても「でも大石静って『わたしってブスだったの?』の人でしょ? じゃあそのうち面白いモノも書くんじゃない?」って言ってたなあ。
『わたしってブスだったの?』が人気なかった理由のひとつは、キャスティングじゃないのかなあ。
松田聖子が主役だったんだなあ。
聖子ちゃんって知名度はあるし、歌を好きだという人はいても、本人を好きだという人にまだ会ったことがない。演技がうまいとも思えない。
何故彼女主演でドラマを作ろうなんて思ったんだろう、テレビ局の中の人。当時ですら「え、松田聖子? なんで今頃主演?」と思いっきり過去の人扱いだった記憶が。
わたしはドラマヲタクでもあるので、連続ドラマの初回は全部見る!てことで見た。番組欄に「新」て書いてあったら全部見るので、誰が出演とか脚本とか、気にしてないのよ。今もだけど。
見はじめて「え、主人公松田聖子か。んじゃもう見なくていいかな」と思うくらいには、萎えるキャスティングだった(笑)。主演が誰かで、そのドラマ視聴対象者がわかるじゃん? 松田聖子だという時点で、このドラマの視聴対象者にわたしは含まれてないだろうと思った。
が。
面白かったんだ。
温泉の取材でモデルの女の子が「脱ぐなんて聞いてません」と拒否、温泉に入っている絵を撮らないでどーして温泉の取材になるのよ!と息巻く番組プロデューサーだか雑誌記者だかのヒロイン@聖子ちゃんが、「ならあたしが脱ぐわよっ」と裸になる。
それくらい仕事に本気で一生懸命、気も強いし口も立つ美人キャリアウーマン。そんな彼女に、初対面の仕事相手@時任三郎が言い放つ。
「うるさいよ、このブス」
ブスなんて、人生で一度も言われたことなかったろうデキル女が、面と向かって言い捨てられて、二の句がつなげない。
この第1話の掴みだけで、全部見ちゃったようなもんだ。
このドラマの良かったところは、テーマである「性格ブス」の美女たちが、言葉で「性格ブスというモノは」と語らなかったことだと思っている。
印象的なタイトルなのに、作中では「ブス」を連呼することがなかった。1話で罵られたのみで、あとは出てこない。
素直になれない女たちが、恋に仕事にじたばたする。かわいい子になれない、強がってしまう、がんばってしまう、攻撃してしまう。そんな女の子たちの間違っている部分も含め、人生を応援しているドラマだったと記憶。
まあ、よくあるテーマだわな。でもその「よくある」を気持ちよく描いてあった。あとになってわたしはドラマヲタ友人とドラマ感想同人誌とか作ってたんだが、その相方にもこのドラマの評価は高かったなー。……主人公、大根だったけど(笑)。
と、年寄りの昔語りが長くてすまんが。
大石静という作家に対するわたしの記憶の原点は、『わたブス』だったと(笑)。
それゆえに、「女の子」の自我をあざやかに描いてくれる作家、というイメージなのだわ。
反面、男キャラがいまいちっつーか、記憶に残らない……。そんなにステキな男キャラいたっけ?
あ、森山さん@『ふたりっこ』は萌えキャラだった!!(笑) あれでしばらくは内野聖陽フィーバーが続いたなー。
でも『ふたりっこ』自体が迷走ドラマだったので、最後はどーでもよくなってたし……。
あ、『功名が辻』は見てません。大河ドラマは肌に合わないことが多く(視聴対象者じゃないんだろうと思う)、最初から見ない場合が多いっす。
近年でいちばん好きだったのは、『四つの嘘』かな。
『セカンドバージン』もそこそこ面白かったけど、『四つの嘘』の方が好みだった。
ああ、大石静と言えば『愛と青春の宝塚』だっけ。
ドラマはツッコミの嵐だったので(笑)、よりファンタジーに見られる、舞台の方が好きです。ワタさん目当てに観に行きました。
てことで、『美しき生涯』。
ナニこの女主人公ドラマ(笑)。
自我と成長があるのはヒロインで、男たちは彼女の人生の飾りっすか?
テレビドラマって大抵女性主人公で女性視聴者目線を意識して作られるからなあ。女性が感情移入できるヒロインがまず最初にあって、そのヒロインに対して映りの良い相手役を設置するからなあ。
そーゆー構造だよね、コレも。
茶々@ののすみはお姫様育ちの元気っ娘。お城でおとなしくなんてしてないぞ、男の子みたいに野に出ちゃうぞ。
世間知らずゆえ、幼さゆえに暴走しちゃった彼女を優しくたしなめてくれた貴公子・三成@ゆーひにどっきん一目惚れ。
戦国の世ゆえ女たちは儚い身の上、やんちゃ少女だった茶々は愛を胸に苛酷な運命を生き抜いていく。
茶々の三成への愛は最初から揺るがず、その上茶々は成長する。出会ったときに大人だった三成は、良くも悪くもそのまま。気がつけば茶々は人間として三成を追い越していた。
幼い茶々の目には、頼もしい正義の王子様に見えた三成だったけれど、大人になった茶々からすれば中二で心の成長が止まったよーなダメ男だった。
子どもの頃なら「正義の味方ってかっこいー」と素直に思えたのに、大人になると「覆面して自分の日常は守った上で、目の前の悪だけ倒してなんになるの。子どもの正義だから仕方ないわね」と見下ろしてしまう、あの感じ。
だけど愛してしまったものはしょうがない。茶々は三成の正義につきあう。
忠義がどうのと言いながらダブスタ上等、子どもも作っちゃいますよ、愛は大事ですから。
最後は三成追いかけて敵の城まで忍び込んじゃいますからな。お茶々様すげえ。
三成もキャラは終始一貫ブレがないので(ダブスタだったり、子どもの正義のままだったりするところも含め・笑)、ヒロインの成長モノとして筋が通っていてソレはイイんじゃないかと。
女主人公と、彼女と精神的な関わりのあった人しか描かれないため、歴史物としても「タカラヅカ」としても半端であることは確か。
あくまでも「精神的」。好であれ悪であれ、茶々に対してベクトルのあった人しか「人格」が描かれていない。
おかげで三成、疾風@かなめ、秀吉@マヤさん、おね@圭子女史、しか、人格がない。(次点で福島さん@みっちゃん、さぎり@せーこがにぎやかし扱い)
三成が主人公だったら、三成への好悪か利害で展開するはずなのになあ。
男役がトップと2番手までにしか人格がない、描かれていないっつーのは、「タカラヅカ」として致命的な欠落だと思う。80人から出演者がいるのに、主要キャストが5人(うち2人は専科さん)ってのは、組制度への挑戦だな(笑)。
でも外部の作家を呼んだってことは、「タカラヅカ」でないものをやりたかったのかもしれない。
それならば、目にきれいで、ちゃんとまとまっているこの作品は、良い出来なんだと思う。
コレではじめて名前をおぼえた。それ以前に『トップスチュワーデス物語』も『ヴァンサンカン・結婚』も『おとなの選択』も見ていたけど、面白いと思ったことがなかった。
はじめて面白いと思ったのが、『わたしってブスだったの?』。ドラマ好きな友人たちの間では人気だったけれど、世間的な人気はなかったんだと思う。なんせソフト化されなかったし。
それ以降、面白くない作品があっても「でも大石静って『わたしってブスだったの?』の人でしょ? じゃあそのうち面白いモノも書くんじゃない?」って言ってたなあ。
『わたしってブスだったの?』が人気なかった理由のひとつは、キャスティングじゃないのかなあ。
松田聖子が主役だったんだなあ。
聖子ちゃんって知名度はあるし、歌を好きだという人はいても、本人を好きだという人にまだ会ったことがない。演技がうまいとも思えない。
何故彼女主演でドラマを作ろうなんて思ったんだろう、テレビ局の中の人。当時ですら「え、松田聖子? なんで今頃主演?」と思いっきり過去の人扱いだった記憶が。
わたしはドラマヲタクでもあるので、連続ドラマの初回は全部見る!てことで見た。番組欄に「新」て書いてあったら全部見るので、誰が出演とか脚本とか、気にしてないのよ。今もだけど。
見はじめて「え、主人公松田聖子か。んじゃもう見なくていいかな」と思うくらいには、萎えるキャスティングだった(笑)。主演が誰かで、そのドラマ視聴対象者がわかるじゃん? 松田聖子だという時点で、このドラマの視聴対象者にわたしは含まれてないだろうと思った。
が。
面白かったんだ。
温泉の取材でモデルの女の子が「脱ぐなんて聞いてません」と拒否、温泉に入っている絵を撮らないでどーして温泉の取材になるのよ!と息巻く番組プロデューサーだか雑誌記者だかのヒロイン@聖子ちゃんが、「ならあたしが脱ぐわよっ」と裸になる。
それくらい仕事に本気で一生懸命、気も強いし口も立つ美人キャリアウーマン。そんな彼女に、初対面の仕事相手@時任三郎が言い放つ。
「うるさいよ、このブス」
ブスなんて、人生で一度も言われたことなかったろうデキル女が、面と向かって言い捨てられて、二の句がつなげない。
この第1話の掴みだけで、全部見ちゃったようなもんだ。
このドラマの良かったところは、テーマである「性格ブス」の美女たちが、言葉で「性格ブスというモノは」と語らなかったことだと思っている。
印象的なタイトルなのに、作中では「ブス」を連呼することがなかった。1話で罵られたのみで、あとは出てこない。
素直になれない女たちが、恋に仕事にじたばたする。かわいい子になれない、強がってしまう、がんばってしまう、攻撃してしまう。そんな女の子たちの間違っている部分も含め、人生を応援しているドラマだったと記憶。
まあ、よくあるテーマだわな。でもその「よくある」を気持ちよく描いてあった。あとになってわたしはドラマヲタ友人とドラマ感想同人誌とか作ってたんだが、その相方にもこのドラマの評価は高かったなー。……主人公、大根だったけど(笑)。
と、年寄りの昔語りが長くてすまんが。
大石静という作家に対するわたしの記憶の原点は、『わたブス』だったと(笑)。
それゆえに、「女の子」の自我をあざやかに描いてくれる作家、というイメージなのだわ。
反面、男キャラがいまいちっつーか、記憶に残らない……。そんなにステキな男キャラいたっけ?
あ、森山さん@『ふたりっこ』は萌えキャラだった!!(笑) あれでしばらくは内野聖陽フィーバーが続いたなー。
でも『ふたりっこ』自体が迷走ドラマだったので、最後はどーでもよくなってたし……。
あ、『功名が辻』は見てません。大河ドラマは肌に合わないことが多く(視聴対象者じゃないんだろうと思う)、最初から見ない場合が多いっす。
近年でいちばん好きだったのは、『四つの嘘』かな。
『セカンドバージン』もそこそこ面白かったけど、『四つの嘘』の方が好みだった。
ああ、大石静と言えば『愛と青春の宝塚』だっけ。
ドラマはツッコミの嵐だったので(笑)、よりファンタジーに見られる、舞台の方が好きです。ワタさん目当てに観に行きました。
てことで、『美しき生涯』。
ナニこの女主人公ドラマ(笑)。
自我と成長があるのはヒロインで、男たちは彼女の人生の飾りっすか?
テレビドラマって大抵女性主人公で女性視聴者目線を意識して作られるからなあ。女性が感情移入できるヒロインがまず最初にあって、そのヒロインに対して映りの良い相手役を設置するからなあ。
そーゆー構造だよね、コレも。
茶々@ののすみはお姫様育ちの元気っ娘。お城でおとなしくなんてしてないぞ、男の子みたいに野に出ちゃうぞ。
世間知らずゆえ、幼さゆえに暴走しちゃった彼女を優しくたしなめてくれた貴公子・三成@ゆーひにどっきん一目惚れ。
戦国の世ゆえ女たちは儚い身の上、やんちゃ少女だった茶々は愛を胸に苛酷な運命を生き抜いていく。
茶々の三成への愛は最初から揺るがず、その上茶々は成長する。出会ったときに大人だった三成は、良くも悪くもそのまま。気がつけば茶々は人間として三成を追い越していた。
幼い茶々の目には、頼もしい正義の王子様に見えた三成だったけれど、大人になった茶々からすれば中二で心の成長が止まったよーなダメ男だった。
子どもの頃なら「正義の味方ってかっこいー」と素直に思えたのに、大人になると「覆面して自分の日常は守った上で、目の前の悪だけ倒してなんになるの。子どもの正義だから仕方ないわね」と見下ろしてしまう、あの感じ。
だけど愛してしまったものはしょうがない。茶々は三成の正義につきあう。
忠義がどうのと言いながらダブスタ上等、子どもも作っちゃいますよ、愛は大事ですから。
最後は三成追いかけて敵の城まで忍び込んじゃいますからな。お茶々様すげえ。
三成もキャラは終始一貫ブレがないので(ダブスタだったり、子どもの正義のままだったりするところも含め・笑)、ヒロインの成長モノとして筋が通っていてソレはイイんじゃないかと。
女主人公と、彼女と精神的な関わりのあった人しか描かれないため、歴史物としても「タカラヅカ」としても半端であることは確か。
あくまでも「精神的」。好であれ悪であれ、茶々に対してベクトルのあった人しか「人格」が描かれていない。
おかげで三成、疾風@かなめ、秀吉@マヤさん、おね@圭子女史、しか、人格がない。(次点で福島さん@みっちゃん、さぎり@せーこがにぎやかし扱い)
三成が主人公だったら、三成への好悪か利害で展開するはずなのになあ。
男役がトップと2番手までにしか人格がない、描かれていないっつーのは、「タカラヅカ」として致命的な欠落だと思う。80人から出演者がいるのに、主要キャストが5人(うち2人は専科さん)ってのは、組制度への挑戦だな(笑)。
でも外部の作家を呼んだってことは、「タカラヅカ」でないものをやりたかったのかもしれない。
それならば、目にきれいで、ちゃんとまとまっているこの作品は、良い出来なんだと思う。
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