どこがチガウの?@美しき生涯
2011年6月6日 タカラヅカ ゆーひくんの役はね。
愛する女に対して優柔不断ではっきりしなくて、女の方が押せ押せで積極的で、武将だから戦争もするけどメインはメロドラマで、誠実ぶってるけどやってることはけっこうひどくて、三角関係っつーか不倫で他の男のモノの女に自分の子ども生ませて、いっつもなんかやせ我慢してて苦悩していて、最後は死んじゃうの。
「えーっとソレ、『TRAFALGAR』?」
再放送じゃないっす、今上演している『美しき生涯』のことだよー。
「『TRAFALGAR』と、どこがチガウの?」
ヒロインが破綻してない。だってヒロインこそが主役だから。
ソレだけはいいんだけど。
今回の主人公が、ネルソンさん@『TRAFALGAR』と決定的、致命的にチガウことは。
三成には、友だちがいない。
ぼっち星人なのよ、主人公。
孤高とか孤独とかじゃなく、単に友だちがいないの。
ネルソンさんには友だちやら部下やらがたくさんいて、彼の周りはいつもにぎやかだった。
彼を信頼している施政者とかえらいさんたち、敵だって彼を英雄視していた。
みんながネルソンを愛していた。
性格もやってることも変わらないのに、今回の三成さんってば。
誰も彼を好きじゃないの。認めてないの。だから彼の周りには誰もいないの。
部下もいないし、三成が仕えている秀吉@マヤさんだって、三成を利用しているだけで愛情はない。
唯一友だちっぽくなるのが忍者の疾風@かなめくんだけど、これもまた利害の一致でとりあえず手を組む感じ。
こんだけ誰からも愛されていない主人公もめずらしい。
孤高のダーティヒーローだとか、心正しく厳格過ぎる人だとか、友だちがいない理由があればいいけど、「いい人っぽい」書き方なのに友だちがいないって……ソレ絶対いい人じゃない。利があってなお誰からも好かれていない人は、本人に問題があるよ、どのコミュニティでも。
こんだけ同じよーな話なのに、これだけひどい主人公になっているのは何故か。
それはひとえに、外部発注脚本だから、だと思った。
タカラヅカには、明文されていないけど「お約束」っていうものがあるじゃん?
80人も出演者がいて、主役や主要人物以外にも何人もキャラクタやオイシイ役がいなくてはならなくて。役の付け方は順番や決まりがあって。
華やかに歌い踊るオープニングがあって、主役たちの銀橋ソロがあって、途中群舞や歌が絶対にあって……と、ここまでやらなきゃいけないことが決まっていて、それをたかだか90分とかでまとめ上げるために、いちばん効率のいい方法が生み出されたというか。
ここを持つと決められたわけじゃないけど、ここを持つのがいちばん持ちやすいから、みんな同じところを持ってしまって、そこだけ擦れて色が落ちてしまった道具、みたいな。
ヅカの大劇場芝居を作る上でのお約束。「こうやるとうまく作れるよ!」というハウツー的なモノ。
絡ませなくてはならない役者が決まっていて、上演時間が限られているので、愛憎・利害関係は全部、スターたちで埋める。
まず主人公とヒロイン、次に2番手は、戦争物なら敵、不倫モノなら恋敵、というように。そうすればストーリーに絡む人たちが主要スター、いくらでも書き込んで盛り上げていい。
そして、主人公には家族や友だちなど、周辺の人たちを作る。2番手が敵なら3番手は親友、というように、主人公を中心に人間関係をスター順で埋める。
物語の主軸に深く大きく絡む順番と番手順がイコールである、それがいちばん効率的。
45分×10回の連続ドラマじゃなく、90分の単発ドラマだとしても主役とあとは数人だけで歌もダンスもなく終了していいわけじゃなく、90分で80人でミュージカルだもん。そこで描ける題材を選ぶところからスタートだよ。
主人公がネルソン提督。だから2番手は敵のナポレオン。メロドラマだから、3番手はヒロインの夫、恋敵。4番手は親友。売り出し中の若手は、主人公を慕う若者役と、主人公の息子。2番手娘役は主人公の妻。
主人公中心に、テンプレ的にあてはめましたー、なキャスティング。
『TRAFALGAR』はタイトル通りの海戦モノと不倫メロドラマと両方やろうとして主軸がブレたために、決していい出来の作品ではないんだが、少なくともキャスティングというか、ヅカのお約束としての組み立て方は間違ってないんだな。
一方『美しき生涯』。
こちらはうまくまとまった作品なんだけど、なにしろ「タカラヅカ」のお約束無視して作ってある。まとまっているのは、それゆえ。
誰だって、主役とヒロイン、その恋敵の3人だけ使って90分かけていいなら、まとまった話を書けるよ。
タカラヅカにはタカラヅカならではの縛りがある。物語と縛りと両方こなさなきゃいけないから、物語が壊れるんだよ。
『美しき生涯』をタカラヅカのお約束でキャスティングすると。
主人公三成@ゆーひであり、ヒロイン茶々@すみ花である以上、2番手の役は恋敵の秀吉か、敵の家康になる。お約束には「2番手の役は敵か、もしくは親友」てのがあるから、この場合親友?疾風@かなめまではアリだろう。
そして、親友が2番手だった場合は、敵役が3番手になる。重要な役からスターを振っていかないと、インフレになるから。
メロドラマ主眼なら敵は秀吉、戦争主眼なら家康。今回は秀吉だった。
ならば3番手のみっちゃんは、秀吉であるべきだった。
秀吉のみっちゃんが見たいわけじゃない。もう老け役のみっちゃんは見たくない。うまかっただろうし、ミサノエールに遜色なく演じられたことはわかるけど。
3番手男役に老け役、助平爺役はさせられない。というのなら、秀吉を壮年の男前として描くしかない。サルというのは身分からきた蔑称であり、顔立ちとは無関係であったと。史実なんか無視して。マッカーサー@『黎明の風』がおっさんではなく、とびきりの美青年であったように、タカラヅカなんだからなんでもアリだ。
それができない、ちゃんと助平爺にしか描いてはならないというなら、そもそも三成×茶々の話なんかタカラヅカでやるなってことだな(笑)。
物語的に三成と茶々と疾風と秀吉、秀吉の妻にしか役割がないのなら、これが前提だというのなら、これらの役を番手であてはめていくしかないじゃないか。
だってソレがタカラヅカ。
主人公と親友、主人公と恋敵、ならばいくらでも盛り上げてヨシな軸だ。
秀吉がタカラヅカ的な二枚目キャラなら、三成との愛憎も書き込めただろう。あそこまで「どーでもいい、ただの悪役」ではなく。
『TRAFALGAR』が良かったわけではまったくないが、ヅカの座付きと、外部の人では、同じ話を書いてもここまでチガウものなのだなと。
ナポレオンが家康で、ウィリアムが秀吉だもんなあ。『TRAFALGAR』の2番手と3番手の役が、組長と専科さんだもんなあ。
あ、それともうひとつ、決定的に違うことがある、ふたつの作品。
『美しき生涯』は、『TRAFALGAR』より遙かにお金がかかってる!!(笑)
『TRAFALGAR』は制作費のなさが一目瞭然で切なかったですね。
愛する女に対して優柔不断ではっきりしなくて、女の方が押せ押せで積極的で、武将だから戦争もするけどメインはメロドラマで、誠実ぶってるけどやってることはけっこうひどくて、三角関係っつーか不倫で他の男のモノの女に自分の子ども生ませて、いっつもなんかやせ我慢してて苦悩していて、最後は死んじゃうの。
「えーっとソレ、『TRAFALGAR』?」
再放送じゃないっす、今上演している『美しき生涯』のことだよー。
「『TRAFALGAR』と、どこがチガウの?」
ヒロインが破綻してない。だってヒロインこそが主役だから。
ソレだけはいいんだけど。
今回の主人公が、ネルソンさん@『TRAFALGAR』と決定的、致命的にチガウことは。
三成には、友だちがいない。
ぼっち星人なのよ、主人公。
孤高とか孤独とかじゃなく、単に友だちがいないの。
ネルソンさんには友だちやら部下やらがたくさんいて、彼の周りはいつもにぎやかだった。
彼を信頼している施政者とかえらいさんたち、敵だって彼を英雄視していた。
みんながネルソンを愛していた。
性格もやってることも変わらないのに、今回の三成さんってば。
誰も彼を好きじゃないの。認めてないの。だから彼の周りには誰もいないの。
部下もいないし、三成が仕えている秀吉@マヤさんだって、三成を利用しているだけで愛情はない。
唯一友だちっぽくなるのが忍者の疾風@かなめくんだけど、これもまた利害の一致でとりあえず手を組む感じ。
こんだけ誰からも愛されていない主人公もめずらしい。
孤高のダーティヒーローだとか、心正しく厳格過ぎる人だとか、友だちがいない理由があればいいけど、「いい人っぽい」書き方なのに友だちがいないって……ソレ絶対いい人じゃない。利があってなお誰からも好かれていない人は、本人に問題があるよ、どのコミュニティでも。
こんだけ同じよーな話なのに、これだけひどい主人公になっているのは何故か。
それはひとえに、外部発注脚本だから、だと思った。
タカラヅカには、明文されていないけど「お約束」っていうものがあるじゃん?
80人も出演者がいて、主役や主要人物以外にも何人もキャラクタやオイシイ役がいなくてはならなくて。役の付け方は順番や決まりがあって。
華やかに歌い踊るオープニングがあって、主役たちの銀橋ソロがあって、途中群舞や歌が絶対にあって……と、ここまでやらなきゃいけないことが決まっていて、それをたかだか90分とかでまとめ上げるために、いちばん効率のいい方法が生み出されたというか。
ここを持つと決められたわけじゃないけど、ここを持つのがいちばん持ちやすいから、みんな同じところを持ってしまって、そこだけ擦れて色が落ちてしまった道具、みたいな。
ヅカの大劇場芝居を作る上でのお約束。「こうやるとうまく作れるよ!」というハウツー的なモノ。
絡ませなくてはならない役者が決まっていて、上演時間が限られているので、愛憎・利害関係は全部、スターたちで埋める。
まず主人公とヒロイン、次に2番手は、戦争物なら敵、不倫モノなら恋敵、というように。そうすればストーリーに絡む人たちが主要スター、いくらでも書き込んで盛り上げていい。
そして、主人公には家族や友だちなど、周辺の人たちを作る。2番手が敵なら3番手は親友、というように、主人公を中心に人間関係をスター順で埋める。
物語の主軸に深く大きく絡む順番と番手順がイコールである、それがいちばん効率的。
45分×10回の連続ドラマじゃなく、90分の単発ドラマだとしても主役とあとは数人だけで歌もダンスもなく終了していいわけじゃなく、90分で80人でミュージカルだもん。そこで描ける題材を選ぶところからスタートだよ。
主人公がネルソン提督。だから2番手は敵のナポレオン。メロドラマだから、3番手はヒロインの夫、恋敵。4番手は親友。売り出し中の若手は、主人公を慕う若者役と、主人公の息子。2番手娘役は主人公の妻。
主人公中心に、テンプレ的にあてはめましたー、なキャスティング。
『TRAFALGAR』はタイトル通りの海戦モノと不倫メロドラマと両方やろうとして主軸がブレたために、決していい出来の作品ではないんだが、少なくともキャスティングというか、ヅカのお約束としての組み立て方は間違ってないんだな。
一方『美しき生涯』。
こちらはうまくまとまった作品なんだけど、なにしろ「タカラヅカ」のお約束無視して作ってある。まとまっているのは、それゆえ。
誰だって、主役とヒロイン、その恋敵の3人だけ使って90分かけていいなら、まとまった話を書けるよ。
タカラヅカにはタカラヅカならではの縛りがある。物語と縛りと両方こなさなきゃいけないから、物語が壊れるんだよ。
『美しき生涯』をタカラヅカのお約束でキャスティングすると。
主人公三成@ゆーひであり、ヒロイン茶々@すみ花である以上、2番手の役は恋敵の秀吉か、敵の家康になる。お約束には「2番手の役は敵か、もしくは親友」てのがあるから、この場合親友?疾風@かなめまではアリだろう。
そして、親友が2番手だった場合は、敵役が3番手になる。重要な役からスターを振っていかないと、インフレになるから。
メロドラマ主眼なら敵は秀吉、戦争主眼なら家康。今回は秀吉だった。
ならば3番手のみっちゃんは、秀吉であるべきだった。
秀吉のみっちゃんが見たいわけじゃない。もう老け役のみっちゃんは見たくない。うまかっただろうし、ミサノエールに遜色なく演じられたことはわかるけど。
3番手男役に老け役、助平爺役はさせられない。というのなら、秀吉を壮年の男前として描くしかない。サルというのは身分からきた蔑称であり、顔立ちとは無関係であったと。史実なんか無視して。マッカーサー@『黎明の風』がおっさんではなく、とびきりの美青年であったように、タカラヅカなんだからなんでもアリだ。
それができない、ちゃんと助平爺にしか描いてはならないというなら、そもそも三成×茶々の話なんかタカラヅカでやるなってことだな(笑)。
物語的に三成と茶々と疾風と秀吉、秀吉の妻にしか役割がないのなら、これが前提だというのなら、これらの役を番手であてはめていくしかないじゃないか。
だってソレがタカラヅカ。
主人公と親友、主人公と恋敵、ならばいくらでも盛り上げてヨシな軸だ。
秀吉がタカラヅカ的な二枚目キャラなら、三成との愛憎も書き込めただろう。あそこまで「どーでもいい、ただの悪役」ではなく。
『TRAFALGAR』が良かったわけではまったくないが、ヅカの座付きと、外部の人では、同じ話を書いてもここまでチガウものなのだなと。
ナポレオンが家康で、ウィリアムが秀吉だもんなあ。『TRAFALGAR』の2番手と3番手の役が、組長と専科さんだもんなあ。
あ、それともうひとつ、決定的に違うことがある、ふたつの作品。
『美しき生涯』は、『TRAFALGAR』より遙かにお金がかかってる!!(笑)
『TRAFALGAR』は制作費のなさが一目瞭然で切なかったですね。
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