「スター」は多い方がいいのよ。@ファントム
2011年8月6日 タカラヅカ とっても今さらですが、『ファントム』の話。
わたしの花組への愛着っつーか郷愁はとても強く、今でも切なくて仕方がない。
なにがどうってわけでもないんだけど。
ただ、花組というと、切ないなあ。
その切なさが全開になったのが、ショレ@みわっちを見たときだ。
みわさんはほんっとーに骨の髄まで花男で、かつ、路線スターなんだ。「花組の真ん中」に立つために育てられてきた人だ。
抜擢も早かったし、立ち位置や役割、メディアや販売物の扱い、すべてにおいて劇団が「スター」として育てた由緒正しい人だ。
彼はショレのような「脇」の役をやってなお、正しく「スター」なんだ。
年功序列の花組だから、どんだけスター路線の人でも長らく脇の役をやる。大して出番も台詞もない、見せ場なんかまったくないよーな役も経験している。
でも「将来のスターが、今は端役を演じている」のと「脇役」はチガウ。
みわっちはずーっと前者だった人だ。
役の数が足りないから端役なんじゃなくて、ショレ役は脇の役。路線スター様の役じゃない。
それでもみわっちが演じると、ショレは路線の役となる。
もちろんショレはヒゲのおかしなおじさん、三枚目で安い悪役だ。いきなり二枚目的な路線の役に変わるわけじゃない。
でもみわさんの演技が、芝居が、あくまでも「スター」のものなんだ。
自分が真ん中に立ち、空気を動かすことを当然とした芝居。どんな脇役であろうとも。
それは芝居の良し悪しとか空気を読むとか、そーゆー次元ではない。育ち方というか、役者の血肉部分の話なんだなと。
……なまじ我がご贔屓が、由緒正しき脇育ちで、真ん中でオーラ出してしかるべきときに「脇としての引いた演技」をしてしまうだけにね……「お育ちの違い」ってのは、こうまで出てしまうものなのかと。
みわっちの「スター」ぶりに、心奮えた。
ショレ役としてソレが正しいかどうかは知らない。
みわさんゆえに1幕のキャリエール@壮くんの影が薄くなっていることの是非も問わない。
ただわたしは、正しく「愛音羽麗」であり続けるみわっちに、胸が熱くなった。
ただもお、みわっち好きだ、と思った。
『ファントム』の役替わり公演中、ショレの出番中、ただひたすら「みわっち好きだ」「みわっち好きだ」と盛り上がり続けた。
なんつーんだろうなあ。
変わり続ける激動のタカラヅカにおいて、なにがあっても揺るがない、変わらない、「みわっち」に、救われた。
変化を拒絶するつもりはないけれど、順応性の乏しい年寄りとしてはいろいろ郷愁に駆られることが多くて。
昔は良かった、ではないけれど、距離を感じて寂しく肩を落としているところに、変わらないモノを指し示してくれる、喜び。
取り壊された母校のビニールシートに喪失感を味わっていたのに、角を曲がると思い出の桜の木が一本だけ無事で残っていた、そんな感じっつーかね。
今を否定するわけではまったくなくて、ただもう懐かしさに涙する感覚っちゅーかね。
ああもおみわっち、好きだなああ。(某所の妄想配役、医者役がみわっちなのは、そんなくだりがあったせいなんですよ、と、関係ないことをつぶやいてみる)
みつるが演じていたときよりも、ショレがスターの役になっている。そして、カルロッタ@いちかの比重が上がっている。
ショレとカルロッタでドラマが見える。出来上がっている。『ファントム』の本筋から逸脱した盛り上がりっぷりがすごい。
シャンドン伯爵が「スター」の役だったように、ショレを「スター」の役にしてしまう、みわっちがすごい。
観ていてわくわくする。
彼を真ん中に、素直に画面を構築し、物語を構築できる。
ショレがキャラ立ちしている分、カルロッタの可愛らしさ、愛らしさも上がっている。彼らが登場するとそこでさらに物語がふくらむのがわかる。
『ファントム』という物語自体は、ショレがどれほど「スター」であっても揺るがない。エリック@らんとむは勝手に物語している。それを邪魔することなくショレは物語に厚みを出す。膨らます。
「スター」が多く、「主要役」「個性的な役」が多い物語になっているんだ、『ファントム』Bパターン。シャンドンは放っておいても「スター」的な場面があるからね。ショレにはナイから、役者が自力で盛り上げて、「スター」を増やしてしまった。
面白いなあ。
いやほんとのとこ、こんだけショレとカルロッタの比重が上がっているのはおかしいんだろうけど。
つか、がんばれキャリエール。
わたしはBパターンの方が好きだな。
弱肉強食っぽいところが、花組って感じがする(笑)。
でもってわたしこの公演、改めていちかのすごさを思い知った。
ショレ@みわっち効果もあるんだろうけど、それにしてもカルロッタすげえ。
あのキャラクタの息づいた姿。
初日に観たときよりはるかに立体感を増し、ドラマを増して、華やかに存在していた。
ほんとに、うまい役者なんだ……。
ラルゥ@『スカウト』を観たときの衝撃を思い出したわ……。
ところで、メルシエさん@さおたさん、噂には聞いていたけど、初日に観た美麗キャラと微妙に違っていて残念っす。
いや、それでも十分かっこいいんだけど、美中年なんだけど、チガウのよ、初日にあんだけときめいたあの姿をどーして変えてしまったの……!と(笑)。
出版物とかには、美麗メルシエさんで記録されているのかしら。
ソレリ@きらりの芝居の安定っぷりと美貌に感動しつつ、歌のアレさに微笑ましくなり、生き生きした本来のポジションの姫花にほっとして。
やっぱ花組好きだと再確認。
でもってスカステニュースのあきらに見とれる日々……。マジかっけー。やばい。絶対やばいよあの人。見ていてどきどきする。←
わたしの花組への愛着っつーか郷愁はとても強く、今でも切なくて仕方がない。
なにがどうってわけでもないんだけど。
ただ、花組というと、切ないなあ。
その切なさが全開になったのが、ショレ@みわっちを見たときだ。
みわさんはほんっとーに骨の髄まで花男で、かつ、路線スターなんだ。「花組の真ん中」に立つために育てられてきた人だ。
抜擢も早かったし、立ち位置や役割、メディアや販売物の扱い、すべてにおいて劇団が「スター」として育てた由緒正しい人だ。
彼はショレのような「脇」の役をやってなお、正しく「スター」なんだ。
年功序列の花組だから、どんだけスター路線の人でも長らく脇の役をやる。大して出番も台詞もない、見せ場なんかまったくないよーな役も経験している。
でも「将来のスターが、今は端役を演じている」のと「脇役」はチガウ。
みわっちはずーっと前者だった人だ。
役の数が足りないから端役なんじゃなくて、ショレ役は脇の役。路線スター様の役じゃない。
それでもみわっちが演じると、ショレは路線の役となる。
もちろんショレはヒゲのおかしなおじさん、三枚目で安い悪役だ。いきなり二枚目的な路線の役に変わるわけじゃない。
でもみわさんの演技が、芝居が、あくまでも「スター」のものなんだ。
自分が真ん中に立ち、空気を動かすことを当然とした芝居。どんな脇役であろうとも。
それは芝居の良し悪しとか空気を読むとか、そーゆー次元ではない。育ち方というか、役者の血肉部分の話なんだなと。
……なまじ我がご贔屓が、由緒正しき脇育ちで、真ん中でオーラ出してしかるべきときに「脇としての引いた演技」をしてしまうだけにね……「お育ちの違い」ってのは、こうまで出てしまうものなのかと。
みわっちの「スター」ぶりに、心奮えた。
ショレ役としてソレが正しいかどうかは知らない。
みわさんゆえに1幕のキャリエール@壮くんの影が薄くなっていることの是非も問わない。
ただわたしは、正しく「愛音羽麗」であり続けるみわっちに、胸が熱くなった。
ただもお、みわっち好きだ、と思った。
『ファントム』の役替わり公演中、ショレの出番中、ただひたすら「みわっち好きだ」「みわっち好きだ」と盛り上がり続けた。
なんつーんだろうなあ。
変わり続ける激動のタカラヅカにおいて、なにがあっても揺るがない、変わらない、「みわっち」に、救われた。
変化を拒絶するつもりはないけれど、順応性の乏しい年寄りとしてはいろいろ郷愁に駆られることが多くて。
昔は良かった、ではないけれど、距離を感じて寂しく肩を落としているところに、変わらないモノを指し示してくれる、喜び。
取り壊された母校のビニールシートに喪失感を味わっていたのに、角を曲がると思い出の桜の木が一本だけ無事で残っていた、そんな感じっつーかね。
今を否定するわけではまったくなくて、ただもう懐かしさに涙する感覚っちゅーかね。
ああもおみわっち、好きだなああ。(某所の妄想配役、医者役がみわっちなのは、そんなくだりがあったせいなんですよ、と、関係ないことをつぶやいてみる)
みつるが演じていたときよりも、ショレがスターの役になっている。そして、カルロッタ@いちかの比重が上がっている。
ショレとカルロッタでドラマが見える。出来上がっている。『ファントム』の本筋から逸脱した盛り上がりっぷりがすごい。
シャンドン伯爵が「スター」の役だったように、ショレを「スター」の役にしてしまう、みわっちがすごい。
観ていてわくわくする。
彼を真ん中に、素直に画面を構築し、物語を構築できる。
ショレがキャラ立ちしている分、カルロッタの可愛らしさ、愛らしさも上がっている。彼らが登場するとそこでさらに物語がふくらむのがわかる。
『ファントム』という物語自体は、ショレがどれほど「スター」であっても揺るがない。エリック@らんとむは勝手に物語している。それを邪魔することなくショレは物語に厚みを出す。膨らます。
「スター」が多く、「主要役」「個性的な役」が多い物語になっているんだ、『ファントム』Bパターン。シャンドンは放っておいても「スター」的な場面があるからね。ショレにはナイから、役者が自力で盛り上げて、「スター」を増やしてしまった。
面白いなあ。
いやほんとのとこ、こんだけショレとカルロッタの比重が上がっているのはおかしいんだろうけど。
つか、がんばれキャリエール。
わたしはBパターンの方が好きだな。
弱肉強食っぽいところが、花組って感じがする(笑)。
でもってわたしこの公演、改めていちかのすごさを思い知った。
ショレ@みわっち効果もあるんだろうけど、それにしてもカルロッタすげえ。
あのキャラクタの息づいた姿。
初日に観たときよりはるかに立体感を増し、ドラマを増して、華やかに存在していた。
ほんとに、うまい役者なんだ……。
ラルゥ@『スカウト』を観たときの衝撃を思い出したわ……。
ところで、メルシエさん@さおたさん、噂には聞いていたけど、初日に観た美麗キャラと微妙に違っていて残念っす。
いや、それでも十分かっこいいんだけど、美中年なんだけど、チガウのよ、初日にあんだけときめいたあの姿をどーして変えてしまったの……!と(笑)。
出版物とかには、美麗メルシエさんで記録されているのかしら。
ソレリ@きらりの芝居の安定っぷりと美貌に感動しつつ、歌のアレさに微笑ましくなり、生き生きした本来のポジションの姫花にほっとして。
やっぱ花組好きだと再確認。
でもってスカステニュースのあきらに見とれる日々……。マジかっけー。やばい。絶対やばいよあの人。見ていてどきどきする。←
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