これはミュージカルじゃない。@仮面の男
2011年9月2日 タカラヅカ 誰か止める者はいなかったのか。
というのが正直な感想です、『仮面の男』初日観劇。
原作は読んでないけどなんとなく筋は知っている程度の三銃士。
暴君ルイ@キムには、世間的には秘密だが双子の兄フィリップ@キム2役がいて、兄は仮面を付けてバスティーユ牢獄に幽閉されていた。
女好きのルイが美女ルイーズ@みみに目を付け、彼女の恋人のラウル@翔を投獄、ラウルはそこで仮面の男の秘密を知る。
秘密保持のために抹殺されたラウルの兄、元銃士隊のアトス@まっつは仲間のポルトス@ヲヅキ、アラミス@きんぐと共にフィリップを救出、同じ顔のルイと入れ替える作戦を実行。
入れ替わっているとは知らず、ラウルの敵討ちに現れたルイーズはフィリップから真実を聞き、ほだされてしまう。
銃士隊のダルタニアンは何者かに恋人のコンスタンス@あゆっちを謀殺されており、その復讐のためにあえて銃士隊に留まりルイに仕えていた。三銃士たちの企みを知り、フィリップ追討、ルイ救出に兵を挙げるが……。
あらすじをふつーになぞるだけでもふつーに面白くなるだろう、わかりやすい冒険活劇。
それが何故、こんなことに。
えーとね、これってね、ミュージカルじゃないです。
テーマパークの、アトラクション。台詞なくてもいいような、役者さんじゃなくスタントマンとかパフォーマーが演じるような。
ただその場限りのネタと仕掛けがあって、その場限りにちょっとおもしろくて、……というだけ。
筋はあるらしいけど、ただ「ある」ってだけ。
その一例を挙げるとだな。
主人公はたぶん、フィリップだと思うの。
でもこの主人公、開演から50分、出てこないの。
オープニングで「それが誰か」の説明もないまま1曲歌っている人がいることや、仮面の男が牢獄にいる、それは「主役が登場した」にカウントしないよ。
カメラが主人公を捉え、彼がなにかしら感情や言葉や動きを表した……つまり、人間としてキャラクタとして「存在している」ところからしか、カウントしない。
幕開きから50分、主役が出てこない……。
95分の芝居なのに。
んじゃその50分間、なにをやっているか。
トップスターのキムくんは舞台にルイ役で出ているけれど、主役ではない。
悪い顔をしてそこにいるだけで、彼を中心に物語が動いているわけではない。
三銃士たちがどたばたやっていたり、ダルタニアン@ちぎが突然回想劇を繰り広げていても、彼らも別に主役ではない。
ただのドキュメント、視点のないパフォーマンスをただ見せられるだけだとそれは、「出来事をお知らせします」でしかない。「物語」ではない。
わたしたち観客は、どこに焦点を当てていいのかすらわからず、50分間放置される。
視点もない、感情移入も出来ない、サムいギャグだけをえんえん見せられ、客席が冷え冷えと引ききった頃にようやく、主人公フィリップが登場する。
しかし彼の人格・性格・考え方、周囲との関わり方、すべてが説明不足のままどたばたと画面は移り、やはりその場限りのギャグだーの仕掛けだーのだけで終幕する。
これはミュージカルじゃない。
芝居でも物語でもない。
イベントとか、アトラクションとか呼ばれるモノだ。
いやはや。
すごいものを、見せられた。
物語っている部分が少なすぎて、イベントの合間をあらすじに沿ってつないでいるようなもの。
だからキャラクタ自身の物語は、脚本にも演出にも存在しない。
かろうじて見えているならソレは、役者の、力技だ。
キムくんがそりゃー見事に2役を演じている。出番の少ないフィリップを、破綻させないよう丁寧に丁寧に心情を紡いでいる。
ちぎくんはいつも唐突なシリアス芝居、ドタバタに負けないよう真正面から苦悩している。
物語があるとしたら、彼らの努力によるモノだ。
こだまっちはそんなもの、まったく描く気なさそうだもの。
噂の水戸黄門場面も、想像を超えたサムさだった。そして時代背景解説が目的というわりに、話が行きつ戻りつしてわかりにくい。いつの時代の話なのか、わからない。しかも、長い。
人間ボーリングは悪趣味な上に、意味不明。ナニをしているのか、ナニを表しているのか、ふつーにわからない。視覚で楽しむ場面だろうに、ナニをしているのか見てわからないって致命的。しかも、長い。そのあとの唇も、観客に起こっていることが伝わらない。
『H2$』パロとか、ヅカスペの余興レベルのアイディアだし、監獄のキモチワルイ笑いはわたしの趣味ではないだけかもしれんがひたすらコマくんがんばれ! ドン引きしている客席に負けるな!だし。
ルイとフィリップを入れ替えるための劇中劇は確かに必要、それまでの雰囲気とはちがって派手に盛り上げてくれていい。ミラーボールもやりすぎだと思うけど、問題はそんなことじゃない。ストーリー上の必要を超えて悪ふざけが過ぎ、その上、長い。
せっかくの主人公とヒロインの心が近付く場面で、無意味な影絵だし……わたしたち観客は素人の影絵を見に来たわけじゃなくて、タカラヅカを見に来てるんだっつーの、美しいトップコンビが銀橋にいるのになんで客席に背中向けてえんえん影絵なの……しかも、長い。
三銃士の馬の場面まではアリとしても、溺れるシーンはいらんやろ。おかげでドタバタが長い。
物語を描くべき時間はいくらでもあるのに、ただのイベント会場の出し物一発芸をやり続けることだけに血道を上げている。
『タカラヅカスペシャル』で20分くらいで、合計4回公演で、やるならいい。
宝塚大劇場の本公演で、95分掛けて、1ヶ月公演する内容じゃない。そのあと東京でさらに1ヶ月とか、正気か。
今まで物語や作品に対してあーだこーだ言ってきたけど、これはさすがに初体験。
芝居ですらナイ、とは。
どんだけ阿呆な一発芸をやってくれていいけど、最低限「物語」をやろうよ。「芝居」をしようよ。
フィリップが主役なら、ルイの阿呆な場面削って、フィリップの孤独や苦悩を描こうよ。自由に憧れていたり、やさしかったコンスタンスやその悲劇的な最期をトラウマとして抱えているとか、かなしくさみしく歌でも歌わせようよ。
観客に「この人が主役なんだ。早く助けてあげて!」と思わせてよ。
すごい作品だ。
ここまで、客席がぽかーんとしていたのも、よい経験。ファンしかいないだろう台風の最中の初日、笑いも少なく拍手も力無い。ただ「どうしよう……」と途方に暮れた空気が漂う。
今からでも遅くない。
劇団のえらい人、こだまっちを、止めて。
ある意味、一見の価値はありますよ。
たぶんこんな公演、最初で最後、二度とない。
宝塚歌劇団の名にかけて、二度と繰り返してはならない(笑)。
というのが正直な感想です、『仮面の男』初日観劇。
原作は読んでないけどなんとなく筋は知っている程度の三銃士。
暴君ルイ@キムには、世間的には秘密だが双子の兄フィリップ@キム2役がいて、兄は仮面を付けてバスティーユ牢獄に幽閉されていた。
女好きのルイが美女ルイーズ@みみに目を付け、彼女の恋人のラウル@翔を投獄、ラウルはそこで仮面の男の秘密を知る。
秘密保持のために抹殺されたラウルの兄、元銃士隊のアトス@まっつは仲間のポルトス@ヲヅキ、アラミス@きんぐと共にフィリップを救出、同じ顔のルイと入れ替える作戦を実行。
入れ替わっているとは知らず、ラウルの敵討ちに現れたルイーズはフィリップから真実を聞き、ほだされてしまう。
銃士隊のダルタニアンは何者かに恋人のコンスタンス@あゆっちを謀殺されており、その復讐のためにあえて銃士隊に留まりルイに仕えていた。三銃士たちの企みを知り、フィリップ追討、ルイ救出に兵を挙げるが……。
あらすじをふつーになぞるだけでもふつーに面白くなるだろう、わかりやすい冒険活劇。
それが何故、こんなことに。
えーとね、これってね、ミュージカルじゃないです。
テーマパークの、アトラクション。台詞なくてもいいような、役者さんじゃなくスタントマンとかパフォーマーが演じるような。
ただその場限りのネタと仕掛けがあって、その場限りにちょっとおもしろくて、……というだけ。
筋はあるらしいけど、ただ「ある」ってだけ。
その一例を挙げるとだな。
主人公はたぶん、フィリップだと思うの。
でもこの主人公、開演から50分、出てこないの。
オープニングで「それが誰か」の説明もないまま1曲歌っている人がいることや、仮面の男が牢獄にいる、それは「主役が登場した」にカウントしないよ。
カメラが主人公を捉え、彼がなにかしら感情や言葉や動きを表した……つまり、人間としてキャラクタとして「存在している」ところからしか、カウントしない。
幕開きから50分、主役が出てこない……。
95分の芝居なのに。
んじゃその50分間、なにをやっているか。
トップスターのキムくんは舞台にルイ役で出ているけれど、主役ではない。
悪い顔をしてそこにいるだけで、彼を中心に物語が動いているわけではない。
三銃士たちがどたばたやっていたり、ダルタニアン@ちぎが突然回想劇を繰り広げていても、彼らも別に主役ではない。
ただのドキュメント、視点のないパフォーマンスをただ見せられるだけだとそれは、「出来事をお知らせします」でしかない。「物語」ではない。
わたしたち観客は、どこに焦点を当てていいのかすらわからず、50分間放置される。
視点もない、感情移入も出来ない、サムいギャグだけをえんえん見せられ、客席が冷え冷えと引ききった頃にようやく、主人公フィリップが登場する。
しかし彼の人格・性格・考え方、周囲との関わり方、すべてが説明不足のままどたばたと画面は移り、やはりその場限りのギャグだーの仕掛けだーのだけで終幕する。
これはミュージカルじゃない。
芝居でも物語でもない。
イベントとか、アトラクションとか呼ばれるモノだ。
いやはや。
すごいものを、見せられた。
物語っている部分が少なすぎて、イベントの合間をあらすじに沿ってつないでいるようなもの。
だからキャラクタ自身の物語は、脚本にも演出にも存在しない。
かろうじて見えているならソレは、役者の、力技だ。
キムくんがそりゃー見事に2役を演じている。出番の少ないフィリップを、破綻させないよう丁寧に丁寧に心情を紡いでいる。
ちぎくんはいつも唐突なシリアス芝居、ドタバタに負けないよう真正面から苦悩している。
物語があるとしたら、彼らの努力によるモノだ。
こだまっちはそんなもの、まったく描く気なさそうだもの。
噂の水戸黄門場面も、想像を超えたサムさだった。そして時代背景解説が目的というわりに、話が行きつ戻りつしてわかりにくい。いつの時代の話なのか、わからない。しかも、長い。
人間ボーリングは悪趣味な上に、意味不明。ナニをしているのか、ナニを表しているのか、ふつーにわからない。視覚で楽しむ場面だろうに、ナニをしているのか見てわからないって致命的。しかも、長い。そのあとの唇も、観客に起こっていることが伝わらない。
『H2$』パロとか、ヅカスペの余興レベルのアイディアだし、監獄のキモチワルイ笑いはわたしの趣味ではないだけかもしれんがひたすらコマくんがんばれ! ドン引きしている客席に負けるな!だし。
ルイとフィリップを入れ替えるための劇中劇は確かに必要、それまでの雰囲気とはちがって派手に盛り上げてくれていい。ミラーボールもやりすぎだと思うけど、問題はそんなことじゃない。ストーリー上の必要を超えて悪ふざけが過ぎ、その上、長い。
せっかくの主人公とヒロインの心が近付く場面で、無意味な影絵だし……わたしたち観客は素人の影絵を見に来たわけじゃなくて、タカラヅカを見に来てるんだっつーの、美しいトップコンビが銀橋にいるのになんで客席に背中向けてえんえん影絵なの……しかも、長い。
三銃士の馬の場面まではアリとしても、溺れるシーンはいらんやろ。おかげでドタバタが長い。
物語を描くべき時間はいくらでもあるのに、ただのイベント会場の出し物一発芸をやり続けることだけに血道を上げている。
『タカラヅカスペシャル』で20分くらいで、合計4回公演で、やるならいい。
宝塚大劇場の本公演で、95分掛けて、1ヶ月公演する内容じゃない。そのあと東京でさらに1ヶ月とか、正気か。
今まで物語や作品に対してあーだこーだ言ってきたけど、これはさすがに初体験。
芝居ですらナイ、とは。
どんだけ阿呆な一発芸をやってくれていいけど、最低限「物語」をやろうよ。「芝居」をしようよ。
フィリップが主役なら、ルイの阿呆な場面削って、フィリップの孤独や苦悩を描こうよ。自由に憧れていたり、やさしかったコンスタンスやその悲劇的な最期をトラウマとして抱えているとか、かなしくさみしく歌でも歌わせようよ。
観客に「この人が主役なんだ。早く助けてあげて!」と思わせてよ。
すごい作品だ。
ここまで、客席がぽかーんとしていたのも、よい経験。ファンしかいないだろう台風の最中の初日、笑いも少なく拍手も力無い。ただ「どうしよう……」と途方に暮れた空気が漂う。
今からでも遅くない。
劇団のえらい人、こだまっちを、止めて。
ある意味、一見の価値はありますよ。
たぶんこんな公演、最初で最後、二度とない。
宝塚歌劇団の名にかけて、二度と繰り返してはならない(笑)。
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