素朴な疑問なんだが、世の中の人ってどれくらいフランス語がわかるの?

 無知無教養なわたしは、フランス語なんてちんぷんかんぷん。英語すらよくわかってないし、この通り日本語だって相当自己流、雰囲気で通しているアヤシイ人だ。

 だから、『仮面の男』でフランス語が出てくるたびにちんぷんかんぷん。
 まず音として聞き取れないから、なにを言っているかわからない。
 それがフランス語だとも初見では判断つかないから、「今なんて言ったんだろう?」「日本語だよね? なんで聞き取れなかったのかな?」「うーん、でも、ナニかカタカナ語だった気がする? でもなんで突然カタカナ語?」「ひょっとしたらフランス語かな?」「だとしても、なんでフランス語? ここ、日本なのに?」てなもんですよ。

 や、わたしもメルシーとかトレビアンとかボンニュイとかアムールとかはわかります。
 でも「Un Pour Tous,Tous Pour Un」はわからなかった。だってさっきまで「Howto succeed」って歌って、「みんなBrother」って歌ってるから、耳というか心が勝手に「カタカナ語は英語」という心構えになっていたし。
 巨大メガホンが叫んでいる言葉もわかんなかったし、Mon dieuすらわかんないし、ましてや、Joyeux Anniversaireなんか、マジ一度も聞き取れなかった。文字で見れば「あにばーさりー?」とわかるけど、発音が「ジョワイユーザニヴェルセール」ぢゃ、なんのことかまーったくわからん。

 わたしが無教養で恥ずかしいだけなのかもしんないけど、世の中の人はみんなこれくらいのフランス語は日本語と同じくらいに聞き取れて意味がわかって、日常会話で使ったりしているの?
 たとえば10歳の小学生も70歳のご婦人も、初見で「ジョワイユーザニヴェルセール」って聞き取れて「お誕生日おめでとうって言ってるのね」ってわかるもんなの? 前後のつながりから想像するのではなく、音として聞き取って、意味が日本語と同じくらい理解できているの?

 無知なわたしは、ワケワカンナイ音が出るたびに苛々した(笑)。

 ここは日本だ、日本語で言え! と。

 日本はいろんな外来語が和製英語っちゅーか、日本語と同等になって使われている、柔軟な国だ。
 だから簡単なフランス語を日常会話として使うのはアリだろうと思う。
 でもさー。

 『仮面の男』に関しては、無意味に使われているとしか思えない。

 フランスっぽさを出す、という意味で使われているとは思えない。
 むしろ聞きたい。フランス語使えばフランスっぽいのか?
 フランス人が「釈迦に説法」と言い出すとほほ感とは別に、なんでもかんでもフランス語さえ使えばよし、という考え方はどうかと思う。

 舞台はナマモノだ。
 DVDや本のように「今わかんなかった、巻き戻して(戻って)もう一度」ができない。
 まず「わかりやすいこと」が必要。

 タカラヅカが大衆演劇である以上、客席にいる10歳の小学生にも70歳のご婦人にも同じように台詞の意味が伝わらなくてはならない。
 「なに言ってんのかわかんない。だって日本語じゃないから」という脚本を書く、というところからもお、信じられない。

 それがどうしても日本語では表現できない、フランス語の微妙なニュアンスと発音が物語のこの表現に必要なのだ!! という、確固たるこだわりがあるなら、仕方ない。
 そうでなければ、日本人向けの日本語作品なんだから日本語を使えと思う。

 わたしが言語コンプレックス(笑)を持つからだっつーよりも、ひとりの人間として、創作者としてのこだまっちに引っかかっているため、ここまで苛々するんだと思う。

 つまり、この意味のない(と、わたしが思う)フランス語使いはこだまっちの自己顕示欲に他ならないと、感じているからだ。

 演じている生徒たちよりも、宝塚歌劇だということよりも、物語よりも、ただひたすら「私の才能を見て! ほめて!」とまったく無関係な悪趣味パフォーマンスを繰り返す、それと同じところに発生した事象だと思うためだ。
 演じている生徒たちよりも、宝塚歌劇だということよりも、物語よりも、「フランス語を使う私ってかっこいー!」と悦に入っているこだまっち……というイメージがわくためだ。

 本当に物語に必要ならば、生まれてはじめて対面した母と息子の感動的な場面、フィリップ@キムが涙をこらえながら母に語る言葉を、「ジョワイユーザニヴェルセール」にはしないはずだ。
 観客のほとんどは、フランス語より日本語の方が、より多くの情報を得られる言語感覚の人間だからだ。

 脚本にある、無駄なフランス語にいちいちカチンと来ていたんだが、この場面のフランス語でどっかんと腹を立てたな(笑)。
 ふざけんな、と。

 表現を、創作をなめんな。
 こんなレベルの人間が、モノを創るな。

 と、思いました。
 自分がアタマ悪いもんだから、わたしならわたしが理解できるふつーの日本語でしか、「人に伝えたいこと」は発信しない。という観点で、わたしがわからない「音」を使うこだまっちに反感を持ちましたの。
 そうか、「伝えたい」と思ってないんだ。「えらい私をほめて」と言いたいだけで、物語を伝える気はないんだ。

 こんなのはわたしだけで、わたし以外の日本中の人は「こあら、恥ずかしい。この程度のフランス語も聞き取れなくてわからなくて、逆ギレしてる」と思うのかもしれません。
 でもわたし、わたしがフランス語ぺらぺらで日本語と同じように理解できていたとしても、こだまっちの無意味なフランス語連発には反感持ったと思うよ。だってここ、日本で、日本人相手に商売してるんだもん。 
 たとえば仕事で書く文章で、意味もなくフランス語を使ったら、それがわかる・わからない以前に「これはどうしてもフランス語でなくてはダメなの? 前後のつながりもないし、日本語で書いてはいけないの?」と上からチェックを入れられるし、「誰もがわかる言葉・表現」に書き直しをさせられると思う。だって、「人に読んでもらう」ことを前提に書くのだから。

 マンガに出てくる、洋行帰りとか帰国子女とか、片言カタカナ語をこれみよがしに使って悦に入るキャラみたい。そーゆーキャラはそーゆー部分を揶揄するためにあるわけだが、ソレをリアルでやるこだまっちってどんだけ空気読めないのかと。

 とりあえず、フィリップの台詞は日本語にしてくれ。
 そして、三銃士に日本語でキメ台詞を言わせてくれ。

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