批判相次ぐ『仮面の男』、まず新人公演にて演出が変更された。
 新公のお遊びやフリースペースを超えたガチな「修正」っぷりに、新公演出家云々よりも、劇団の意志を感じた。
 何故なら新公で変更された部分が、いわゆる「苦情が多いであろう場面」にのみ集中していたためだ。
 そしてその変更の仕方が、変更というよりは「修正」、間違った部分を上から修正液で消しました、というだけのものだった。
 先月まで放送されていたNHKの『おひさま』という朝ドラで、終戦後の小学校にて、教科書の文章を墨で塗りつぶすシーンがあったんだが、ソレを思い出した。間違っている箇所を上から塗りつぶす。でも、教科書自体はそのまま。子どもたちは墨で塗りつぶされて文章のつながりも筋も、なにがなんだかわからない教科書を、とりあえず使い続ける。

 間違ったところを塗りつぶして見えなくしたからといって、その本が「正しいモノ」になるはずがない。
 新しく本自体、別のモノを用意しなきゃ。
 塗りつぶしだらけのものを「商品」として売るなんて、ありえない。

 また、こだまっちの自己顕示欲による「本筋と無関係なパフォーマンス」は、たしかに間違った悪趣味なものなんだが、これこそが『仮面の男』の中心だ。
 こだまっちは芝居もミュージカルも、宝塚歌劇も作る気はなく、「自分のアイディア発表会」だと思って『仮面の男』を製作した。
 その前提が間違っていることは言うまでもないが、現実問題、そうやって作られた『仮面の男』が目の前にある。
 だから、こだまっちの「自分のアイディア発表会」部分のいちばん尖った派手な部分のみを「修正」すると、残ったものは芝居でもミュージカルでも宝塚歌劇でもない、ただの「アイディア発表会」の残骸だ。

 新人公演は修正液で塗りつぶされただけの、ひどいものだった。
 派手な部分、もっとも力を入れて演出された部分を「とりあえず、怒られないようにお茶を濁した」だけで、本質の改善はされていない。
 地味で退屈だった。
 本公演の悪趣味さは唾棄すべきものだったとしても、臭い物にフタをして「努力しました」とうそぶくサマは誠意がない。
 まあソレが宝塚歌劇団と言えばそうなんだけど。

 それでも絶対に非を認めない劇団が間違いに気づき、「修正」しようと腰を上げた、そのことのみを評価した。
 「修正」だけで「変更」しないことに肩を落としたけどなー。


 そしてついに、東宝では演出が「変更」されると発表された。
 先日配役が新たに発表され、消えた役や新しい役があり、「修正」ではなく本当に「変更」する気なのだとわかった。

 そのことは、心から評価したいと思う。
 前代未聞のことを、よく踏み切ってくれたと。

 しかし。

 ごめん、期待より、不安しかない(笑)。

 単に苦情の多かった場面を別のどーでもいい毒にも薬にもならない場面に差し替えるだけなんじゃないのー? と。
 『仮面の男』を救うには、本格的な外科手術が必要。外側だけ繕っても無理。

 こだまっちが芝居でもミュージカルでも宝塚歌劇でもなく、「アイディア発表会」だと思って作ったんだ。
 これを芝居に、ミュージカルに、宝塚歌劇にするためには、「物語」を追加するしかない。

 10月9日欄(http://koala.diarynote.jp/201110110222366312/)で、物語部分の歪みについて書いた。

・主人公フィリップと、ヒロイン・ルイーズの関係
・ダルタニアンの復讐のいびつさによる、性格破綻
・三銃士のフィリップに対する利己的さ

 この大きな3つの間違いは、「物語」が少なすぎるせいで起こった。
 本来ストーリーを描いていてしかるべき部分で、こだまっちがアイディア発表会をやっていたため、時間がなくて全部削られた。
 いらんパフォーマンスを削り、きちんと主軸たる物語を描く。芝居としてミュージカルとして宝塚歌劇として、当たり前のことをやる。

 「早わかり世界史」なんてやってるヒマがあったら、今回の物語の前知識として必要な、三銃士とダルタニアンの説明をする。当時の日本がどうだったかより、実際の物語の舞台説明をしろ。
 主人公はフィリップだ、人間ボウリングなんぞやっているヒマがあったら、彼の背景だの人となりを表現しろ。
 三銃士は無銭飲食しなくても、権力と縁を切り、おかげでおちぶれた生活をしていることは表現できるだろう。というか、『H2$』パロをやっているヒマがあったらアトスとラウルの兄弟愛を描け。

 足りないのは、「人と人との関係性」だ。

 フィリップとルイーズが心を通わせるために、時間やエピソードが必要。
 「仇と同じ顔」のフィリップにルイーズが惹かれていく、それをきちんと場面を作って表現するべきだ。
 ダルタニアンの悪に整合性を付けるために、時間やエピソードが必要。
 ルイの暴君ぶりを本当は苦く思っていること、フィリップの人間性を認めていること、それらのことが最終的に、ルイを廃してフィリップを王座につけるラストにたどり着かせる。
 三銃士がフィリップを道具扱いしないだけの、フィリップと過ごす時間やエピソードが必要。
 三銃士はフィリップをどう思っているのか、王に相応しい人物だと思うからルイと入れ替えるのか、それとも単に殺しても惜しくないから偽物として人身御供にしたのか、きちんと描くべき。

 些末なことには目をつぶり、最低限コレだけあれば、まだ救われるのに、と思う。
 わたしがもしもたった1週間のお稽古期間で『仮面の男』を「変更」するとしたら、優先順位をつけてまず、2つの場面を新しく挿入する。

 全編作り直したいとか、他にも他にももっと変更を!と思うけれど、そうではなく、これからすぐにでもできる、極力変更に伴う労力を抑えて、今の『仮面の男』を救う方法。
 まず、ふたつの場面を挿入。
 それだけやってみて、まだ変更する時間があるなら、さらに別の場面を……と付け加えて行くにしろ、まず最低限の変更を考えてみた。

 ってことで、続く。

コメント

日記内を検索