プロローグと、混乱させるためだけの世界史。@仮面の男
2011年10月14日 タカラヅカ どこが変更になるか知らないが、とりあえずムラ版『仮面の男』について、演出を中心に感じたことを記録しておく。
『仮面の男』の主人公は、鉄の仮面を付けて牢獄に幽閉されていたフィリップ王子@キムだと思う。
だからオープニング、巨大な仮面をバックに、セリ上がりから歌い出す青年はフィリップ。深刻かつ迷いのある表情は、ルイ/フィリップどちらとも言えない……が、物語の中盤以降からは、冒頭の青年がフィリップに他ならないことが観客にもわかる。でもそれは演出で答えを出しているのではなく、演じているキムによってだ。彼が実に丁寧に「フィリップ」というキャラクタを形成しているがゆえ。
まずフィリップ、そして彼の存在ゆえに恋人を殺されたふたり、ダルダニアン@ちぎとルイーズ@みみが登場し、3人の歌になる。
「仮面の男」によって運命を狂わされる人々。
続いて闇の騎士たちによるダークテイストのダンスが加わる。
闇の騎士たちの中央に三銃士、アトス@まっつ、ポルトス@ヲヅキ、アラミス@きんぐがいる。
三銃士もまた「仮面」の象徴である闇の騎士たちに翻弄されるような振付がある。
同時に、三銃士+闇の騎士のセリ上がりは、中盤の劇中劇「一大ページェント」のセリ上がりと呼応している。
「一大ページェント」では三銃士が闇の騎士の扮装をし、「仮面の男」を入れ替えるわけだ。
「仮面」に捕らわれるフィリップ、でシーン終了する、このオープニングはいい。
ミステリアスで美しく、興味をかき立てるイントロだと思う。
もっと活劇的、大衆劇的にするなら、ルーヴォア@ひろみたち悪役や、サンマール@コマたち銃士隊、被害者となるラウル@翔など、役のある人々全員出しての総踊りにすることも可能だった。
その方が画面は派手になる。
が、少ない人数であくまでもフィリップの周囲の闇に焦点を置いた、ストイックなプロローグ。
……ほんとに、このままで行ってくれればねえ。
こだまっちが暗く重苦しいストイックなプロローグをあえて作ったのは、次の「早わかり世界史」をやりたいがため。
感覚が逆なの。
シリアスなプロローグや物語のスパイスとして愉快な「早わかり世界史」を入れたのではなく、「ワタシが考えた素晴らしい演出の『早わかり世界史』」を際立たせるために、「シリアスなプロローグ」を前に置いた。
だってその「シリアスなプロローグ」はあくまでもタカラヅカ、今までのタカラヅカでいくらでもあったものだから。そんなふつーなものはどーでもよくて、才気あふれる「早わかり世界史」こそこだまっちが「観て欲しかったモノ」。
ここが「タカラヅカ」で、観客が「タカラヅカ」を観に来ているのだということが、こだまっちには理解できていないらしい。
こだまっちの「すばらしいアイディア、斬新な演出」を観たくてお金を出している人はほとんどいない、「タカラヅカ」でなければ誰もアンタになんか興味ないんだよ、ということがわかっていない。
さて、その「早わかり世界史」。『仮面の男』の時代背景を、モリエール@咲ちゃんが自分の一座を使って説明するという趣向。
べつに、背景説明自体はあってもかまわない。要は書き方だ。
こだまっちの「時代説明」は、まったくもって説明になっていない。観客が知りたいのは同時期の日本が江戸時代だったか鎌倉時代だったかではなく、舞台となっているフランスのことだ。
日本では江戸時代だったとわかったからといって、これからはじまる物語の理解になんの足しになるのか。突然出てくる「元三銃士ってナニ?」「ダルタニアンとどういう関係?」等々、物語上の解説にはまったくなっていない。
「解説」と銘打ちながらその役目を果たしていない、まったく無関係な水戸黄門を出したのはただのウケ狙いだ。
このウケ狙いが成功しているならいい。しかし盛大にすべっている。
内容的に不要で、「ウケる」ためにやったことが、観客に喜ばれるどころか「不快」と受け取られている。百害あって一利なし。バカじゃねーの。
もっとも水戸黄門というギャグはヅカファンには不評でも、タカラヅカに馴染みのない団体客等、一見さんにはそれなりにウケていたようだ。それなりに、でしかないが。
ではこの「早わかり世界史」とやらは、まったくの団体客向け、タカラヅカなんか見たこともない一見さんのためにやっているんだろうか?
次に出てくるのが「フランスだから」とルイ16世とマリー・アントワネット。「この劇場のみなさんがいちばんよくご存じの」と。
えーと。
さっきの水戸黄門で、ヅカファンを敵に回したよね? 「ヅカファンなんかいらねー、団体客や一見さんさえ喜べばいい」って言ったよね? 退団者のしゅうくんにこの水戸黄門をやらせたことでも、ヅカファンにケンカ売ったよね? 組子を愛し見守るタカラヅカの伝統を鼻で笑ったよね?
でもそのタカラヅカを見たことのない団体客は、『ベルばら』のパロディを理解できるのか?
ルイ16世にしろアントワネットにしろ、台詞も歌も『ベルサイユのばら』を熟知してること、を前提にしてある。
フランス史になんの興味も知識もない人は、名前くらいは知っていたとしても、アントワネットがいつの時代の人かも知らない。「早わかり世界史」と銘打って出てくるのだから、アントワネットがこの『仮面の男』の時代の人だち思ってもおかしくない。
なんの予備知識もない一見さんを混乱させるだけの演出。
かといって、ヅカファン向きでもない。水戸黄門でファンは切り捨てられたあとだし、こんなギャグはタカラヅカ的ではない。
つまり、一見さん向きですらなく、ヅカファン向きでもない、ただやってみただけ、のウケ狙いだ。
このウケ狙いが成功しているならいい。しかし盛大にすべっている。
内容的に不要で、「ウケる」ためにやったことが、観客に喜ばれるどころか「不快」と受け取られている。百害あって一利なし。バカじゃねーの。
アントワネット登場で、「時代」的にわけわかんなくなっているところへ、次がジャンヌ・ダルク。
MCのモリエールがナレーターばりの明瞭かつぜつならともかく、わたしの耳ごときでは1回で一言一句完璧に拾えない。はたして、演劇を見慣れていない、タカラヅカの男役発声を聞きなれていない一見さんたちは、どこまでモリエールの台詞を聞き分け、その内容を理解しているのだろうか。
アントワネットとジャンヌ・ダルク、そしてルイ13世の時代が別であることを理解できるのだろうか。
水戸黄門の時代から何十年か未来の話をされ、次に何百年か過去の話をされ、それからまた水戸黄門に戻ったんだって、わかるんだろうか?
てゆーかジャンヌ・ダルクとか、おじーちゃんおばーちゃん知ってるの? 小学生は知ってるの?
わたしには、この行きつ戻りつする「早わかり」がまったく理解できない。ヅカヲタだからアントワネットもジャンヌ・ダルクも知ってるけど、「フランス有名人紹介コーナー」ではなく、「早わかり世界史」と銘打っている以上、わけがわからない。
だってちっとも「早わかり」じゃない。素直に「ルイ14世の時代はこんなですよ」と言えば済むことなのに、わざわざいらんことをしてわかりにくくしている。
だからこの場面は全否定する。
続く。
『仮面の男』の主人公は、鉄の仮面を付けて牢獄に幽閉されていたフィリップ王子@キムだと思う。
だからオープニング、巨大な仮面をバックに、セリ上がりから歌い出す青年はフィリップ。深刻かつ迷いのある表情は、ルイ/フィリップどちらとも言えない……が、物語の中盤以降からは、冒頭の青年がフィリップに他ならないことが観客にもわかる。でもそれは演出で答えを出しているのではなく、演じているキムによってだ。彼が実に丁寧に「フィリップ」というキャラクタを形成しているがゆえ。
まずフィリップ、そして彼の存在ゆえに恋人を殺されたふたり、ダルダニアン@ちぎとルイーズ@みみが登場し、3人の歌になる。
「仮面の男」によって運命を狂わされる人々。
続いて闇の騎士たちによるダークテイストのダンスが加わる。
闇の騎士たちの中央に三銃士、アトス@まっつ、ポルトス@ヲヅキ、アラミス@きんぐがいる。
三銃士もまた「仮面」の象徴である闇の騎士たちに翻弄されるような振付がある。
同時に、三銃士+闇の騎士のセリ上がりは、中盤の劇中劇「一大ページェント」のセリ上がりと呼応している。
「一大ページェント」では三銃士が闇の騎士の扮装をし、「仮面の男」を入れ替えるわけだ。
「仮面」に捕らわれるフィリップ、でシーン終了する、このオープニングはいい。
ミステリアスで美しく、興味をかき立てるイントロだと思う。
もっと活劇的、大衆劇的にするなら、ルーヴォア@ひろみたち悪役や、サンマール@コマたち銃士隊、被害者となるラウル@翔など、役のある人々全員出しての総踊りにすることも可能だった。
その方が画面は派手になる。
が、少ない人数であくまでもフィリップの周囲の闇に焦点を置いた、ストイックなプロローグ。
……ほんとに、このままで行ってくれればねえ。
こだまっちが暗く重苦しいストイックなプロローグをあえて作ったのは、次の「早わかり世界史」をやりたいがため。
感覚が逆なの。
シリアスなプロローグや物語のスパイスとして愉快な「早わかり世界史」を入れたのではなく、「ワタシが考えた素晴らしい演出の『早わかり世界史』」を際立たせるために、「シリアスなプロローグ」を前に置いた。
だってその「シリアスなプロローグ」はあくまでもタカラヅカ、今までのタカラヅカでいくらでもあったものだから。そんなふつーなものはどーでもよくて、才気あふれる「早わかり世界史」こそこだまっちが「観て欲しかったモノ」。
ここが「タカラヅカ」で、観客が「タカラヅカ」を観に来ているのだということが、こだまっちには理解できていないらしい。
こだまっちの「すばらしいアイディア、斬新な演出」を観たくてお金を出している人はほとんどいない、「タカラヅカ」でなければ誰もアンタになんか興味ないんだよ、ということがわかっていない。
さて、その「早わかり世界史」。『仮面の男』の時代背景を、モリエール@咲ちゃんが自分の一座を使って説明するという趣向。
べつに、背景説明自体はあってもかまわない。要は書き方だ。
こだまっちの「時代説明」は、まったくもって説明になっていない。観客が知りたいのは同時期の日本が江戸時代だったか鎌倉時代だったかではなく、舞台となっているフランスのことだ。
日本では江戸時代だったとわかったからといって、これからはじまる物語の理解になんの足しになるのか。突然出てくる「元三銃士ってナニ?」「ダルタニアンとどういう関係?」等々、物語上の解説にはまったくなっていない。
「解説」と銘打ちながらその役目を果たしていない、まったく無関係な水戸黄門を出したのはただのウケ狙いだ。
このウケ狙いが成功しているならいい。しかし盛大にすべっている。
内容的に不要で、「ウケる」ためにやったことが、観客に喜ばれるどころか「不快」と受け取られている。百害あって一利なし。バカじゃねーの。
もっとも水戸黄門というギャグはヅカファンには不評でも、タカラヅカに馴染みのない団体客等、一見さんにはそれなりにウケていたようだ。それなりに、でしかないが。
ではこの「早わかり世界史」とやらは、まったくの団体客向け、タカラヅカなんか見たこともない一見さんのためにやっているんだろうか?
次に出てくるのが「フランスだから」とルイ16世とマリー・アントワネット。「この劇場のみなさんがいちばんよくご存じの」と。
えーと。
さっきの水戸黄門で、ヅカファンを敵に回したよね? 「ヅカファンなんかいらねー、団体客や一見さんさえ喜べばいい」って言ったよね? 退団者のしゅうくんにこの水戸黄門をやらせたことでも、ヅカファンにケンカ売ったよね? 組子を愛し見守るタカラヅカの伝統を鼻で笑ったよね?
でもそのタカラヅカを見たことのない団体客は、『ベルばら』のパロディを理解できるのか?
ルイ16世にしろアントワネットにしろ、台詞も歌も『ベルサイユのばら』を熟知してること、を前提にしてある。
フランス史になんの興味も知識もない人は、名前くらいは知っていたとしても、アントワネットがいつの時代の人かも知らない。「早わかり世界史」と銘打って出てくるのだから、アントワネットがこの『仮面の男』の時代の人だち思ってもおかしくない。
なんの予備知識もない一見さんを混乱させるだけの演出。
かといって、ヅカファン向きでもない。水戸黄門でファンは切り捨てられたあとだし、こんなギャグはタカラヅカ的ではない。
つまり、一見さん向きですらなく、ヅカファン向きでもない、ただやってみただけ、のウケ狙いだ。
このウケ狙いが成功しているならいい。しかし盛大にすべっている。
内容的に不要で、「ウケる」ためにやったことが、観客に喜ばれるどころか「不快」と受け取られている。百害あって一利なし。バカじゃねーの。
アントワネット登場で、「時代」的にわけわかんなくなっているところへ、次がジャンヌ・ダルク。
MCのモリエールがナレーターばりの明瞭かつぜつならともかく、わたしの耳ごときでは1回で一言一句完璧に拾えない。はたして、演劇を見慣れていない、タカラヅカの男役発声を聞きなれていない一見さんたちは、どこまでモリエールの台詞を聞き分け、その内容を理解しているのだろうか。
アントワネットとジャンヌ・ダルク、そしてルイ13世の時代が別であることを理解できるのだろうか。
水戸黄門の時代から何十年か未来の話をされ、次に何百年か過去の話をされ、それからまた水戸黄門に戻ったんだって、わかるんだろうか?
てゆーかジャンヌ・ダルクとか、おじーちゃんおばーちゃん知ってるの? 小学生は知ってるの?
わたしには、この行きつ戻りつする「早わかり」がまったく理解できない。ヅカヲタだからアントワネットもジャンヌ・ダルクも知ってるけど、「フランス有名人紹介コーナー」ではなく、「早わかり世界史」と銘打っている以上、わけがわからない。
だってちっとも「早わかり」じゃない。素直に「ルイ14世の時代はこんなですよ」と言えば済むことなのに、わざわざいらんことをしてわかりにくくしている。
だからこの場面は全否定する。
続く。
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