ムラ版『仮面の男』の演出中心の感想、続き。

 「人間ボウリング」って言うけど、これボウリングちゃうやん!!
 という基本事項から引っかかっている、「人間ボウリング」場面。

 ボウリングと銘打つなら、ちゃんとボウリングやれ、とわたしは思う。

 で、さらにわからないんだ。
 ボールを投げる前から、どのピンが倒れ、どのピンが残るのかわかっている。
 なのに、何故、ピンが倒れまいと抵抗するの?
 答えは巨大メガホン@朝風くんが発表した瞬間にわかっている。それなら即座にボールがピンを倒してしまえばいい。
 なのに、発表からあとが、長いのなんのって。
 ボール係@あすレオがゆっくりコースを決め、ピンの淑女たちは倒されまいと腕まくりし、ボールとピンでやるのやられるのと力比べ、根比べがはじまる。

 わたし、「人間ボウリング」でいちばん嫌いなの、ここだ。

 こだまっちは笑わせたいんだと思う。ボウリングピンの被り物をした淑女たちが滑稽な動作で「倒されまい」とあがくところを。

 おもしろくない。

 悪趣味以前に、まーったく面白くない。笑えない。
 だって答えは出ている。淑女に、相撲取りのようにボールをいなそうと「どすこーい!」とかやられても、「……で?」としか思えない。や、もちろん、ドレス姿の娘役に「どすこーい!」とさせるセンスにも辟易だけどな。

 常識で考えてもさ、おかしいじゃん?
 倒される淑女はもう決まっている。ルイ@キムのお眼鏡にはかなわなかった。なのに抵抗して、力尽くでボールを避けようとするのは、王様への反逆じゃないの? 力尽くで倒されまいと逆らうことに、なんの意味があるの? 「あの淑女は力持ちだ、すばらしい」とルイにアピール? ルイは怪力女が好きなの?

 ピンとボールが長々と立ち回りをするから、余計になにをやっているのかわからないんだ、ここ。
 ピン並びました、ルイの答えが出ました、その次の瞬間ボールが動き、周りのピンは全部倒れ、勝者だけが残りました、ならわかる。実際のボウリングは投げたあとすぐにピンは倒れるから、見た目的にもボウリングに近くなる。

 ボールを投げたあとが長すぎて、ピンがピンに見えず、ふつうに人間女性がひどい扱いを受けている、そしてそれを笑わせようとしている感が強くなり、嫌悪感が上がる。
 ショーでよくあるスロットマシンマシン場面、コインの代わりにキラキラ衣装の女の子たちがきゃーっと現れる定番演出、あんな感じで個はなく楽しく演出するならいい。誰も「女の子をコイン代わり、賞金代わりに扱うなんて、非人道的演出だわ!」とは言わない。
 コイン役の女の子が、コインとして扱われることを嫌がり、抵抗し、逃げたり抗ったりする様を長々と描き、ついには無理矢理機械の中へ突き落とす、そしてそれを「笑いなさい」と強要する演出だったら、スロットマシンも非難されたと思うけどね。

 アイディア自体が悪いのではなく、センスの問題だと思うよ。
 こだまっちは人として「嫌悪」や「禁忌」の感覚がズレているのではないかなあ?

 「人間ボウリング」の空気読めない感のすごさは、これが、2セットある、というこだ。
 1回だけでも、わたしがこんだけ長々「変じゃね?」と書けるくらい間違っていて、冗長でつまらなくて場が冷えて客が引いているのに、同じことをさらに時間を掛けてもう1回繰り返すのだわ。
 そして、2回目に入る前に盆が回り、淑女たちが用意している様をえんえん見せる。
 ボール係や侍従@りんきらたちの嘆きの歌はいいんだけどね。

 ところで巨大メガホンがいちいちフランス語で叫ぶのがわからない。
 ただでさえ「叫ぶ」ために言葉が聞き取りにくい。そして、これから起こる場面の説明、最初のひと声だからこそわかりやすくする必要があると思うのに。
 観客のことを考えず、演出家の自己満足に過ぎないだけの場面だと、そんなことにも現れていて、あきれる。

 この場面についても、繰り返すが、美しければ無問題なんだ。
 豪華で美しく、目に楽しいのなら。
 でも実際は、がらーんとしたなにもない舞台に、ぽつんぽつんと人がいるだけのびんぼーくさい画面。
 盆がまるまる全部見えるくらい、舞台上になにもない場面なんだよ。いやあ、心冷えるってば。これが太陽王の宮廷かと思うと。
 びんぼーだったんだねえ、ルイ14世。お城も玉座もなにも持ってなかったんだあ、ははは。


 長すぎるボウリング場面の次は、勝者@あゆみとルイのエロダンスだ。
 トップスターのエロ場面はタカラヅカ的に正しい。ファンサービスだと思う。
 だからそれはいい。

 だが問題は、その周囲で踊る紳士淑女たちだ。

 ここが……。
 初見から、相当やばいと思った。

 紳士は普通の貴族男たち。美しく着飾った人たちで、優雅に踊る。
 問題は、そのパートナーの淑女たち。
 キャスター付きの台だか椅子だかに坐った上でドレスを着ているため、とてもいびつな姿になっている。

 椅子に坐ったままダンスをしている、のではない。
 演じているジェンヌ的にはそうだけど、見えているモノは違う。
 「ふつうの人間が坐っている状態」が、「立っている状態」の女性、に見える。
 こだまっちはもちろん、そう見せたかったんだろう。ドレスを工夫して、坐った淑女たちが立って踊っているかのように見えるよう演出している。

 わざわざ工夫して、苦労して、いびつな姿を作っている。

 こだまっちの悪趣味演出に関して、いろんな人がいろんな場面で非難の声をあげていると思うが、わたしが耳にした中でも特に、このキャスター椅子の淑女に関しての「悲鳴」は深刻だった。非難じゃない。悲鳴だ。耳と目をふさぎ「やめてー!」と叫ぶレベルだ。
 生理的な拒絶反応から、身障者関連まで、本気でこの場面だけは許せないと声を聞く。
 これだけ「人間」を傷つける演出を、平気でしてしまうのもすごい。

 キャスターを使ってのダンスが悪いワケじゃない。要は使い方だ。
 アイディア自体が悪いのではなく、センスの問題だと思うよ。
 こだまっちは人として「嫌悪」や「禁忌」の感覚がズレているのではないかなあ?

 この場面が禁忌に触れない人でも、単に「ドレスの娘役がガニ股で椅子を滑らせて踊るのは興醒め」とは思うだろうし。

 何故こんな、誰も喜ばないことをするんだろう。


 続く。

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